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2015年11月

2015年11月30日 (月)

すべての方々に

真宗大谷派「テロと報復の連鎖に関する宗派声明」を発表

真宗大谷派では11月30日、宗務総長名による「テロと報復の連鎖に関する宗派声明-憎悪と暴力の連鎖から解放され、ともに生きあえる世界へ-」を発表しました。

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テロと報復の連鎖に関する宗派声明
-憎悪と暴力の連鎖から解放され、ともに生きあえる世界へ-

去る11月13日に発生したフランスの同時多発テロ事件は、痛惜に堪えないものであり、また、報復することを当然のこととして、テロと報復の連鎖が世界規模でますます拡散していることに対し、仏教徒として深い悲しみを覚えます。

私たち真宗大谷派は、国、組織、宗教、思想信条の違いを問わず、これまでの幾多の殺りく行為によって、傷つき、いのち奪われたすべての方々に哀悼の意を表します。

釈尊は、「すべての者は暴力におびえる。すべての生きものにとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(『ブッダの真理のことば』)と語られ、まず自分自身の身に引き当てて、暴力について考えなくてはならないと教えられています。

憎悪に駆り立てられ暴力に走る心は、他者のいのちのみならず、自分の人間性そのものをも奪い取ります。たとえ困難でも、「暴力」の本質を見極める真実の智慧を求め、いのちへの感性を取り戻すことが必要です。

人間は暴力を用いた報復によって憎悪から解放されることはなく、むしろ人類に取り返しのつかない亀裂を作り続けることは過去の歴史が証明しています。今は直ちに深い慙愧にたち、暴力から離れ、踏みとどまることが求められています。私たち一人ひとりが過去から問われ、未来から待たれているのです。

2015年11月30日
真宗大谷派(東本願寺)
宗務総長 里雄康意

2015年11月28日 (土)

報恩講参詣紀2015

11月28日 親鸞聖人のご命日
11月21日から28日まで、ご本山 東本願寺では報恩講が勤まりました。
22日から24日まで参詣させていただきました。

真宗門徒にとって、一年で一番大切なご法要
娘たちには、報恩講の雰囲気と大切さを感じて欲しくて、毎年参詣に出かけています。
いつまで一緒に行けるかなぁ。
年々、法要の場にいられる時間が長くなってきました。
長女(小1)は、今年の夏休み中、一緒にお朝事(朝のお参り)を勤めていたら、「正信偈」を覚えてしまい、報恩講の法要中も「正信偈」を口ずさんでいました。
しんらん交流館に足を伸した際も、ロビーの書籍販売コーナーで、テレビの画像で流れている「正信偈」を一緒に読んでいました。テレビを見ながら一緒にお勤めしている姿は、なかなか美しく(自分の子だからというわけではなく、と思う)、本人が飽きるまでずっと「正信偈」をお勤めさせてあげました。「はじめてのお勤め練習帳 正信偈-DVD付き-」の宣伝の画になるんじゃないかなぁと思いながら見てました。

でも、娘たちは、キャラクター(鸞恩くん 蓮ちゃん あかほんくん)に会うことと、子どもテントで缶バッチを作ることが毎年の楽しみ。
それで良いのです。
ご本山にお参りすることを、報恩講にお参りすることを楽しみにしてくれれば。
私自身、毎年 報恩講に参詣することを楽しみに一年頑張っています。

「声明に関して」
ご法要を参詣していて、最近(いつの頃からか忘れましたが)、ずっと自分の中で失っていた感覚を思い起こしました。御影堂に大勢の方が参詣されている中、目を閉じて声明の声に耳を澄ませていて、「あっ、これだ!!」と思い出したことがありました。感覚的なことなので、べつに何かが大きく変わるわけではありませんが、見失っていた感覚を思い出してひとり涙していました(泣いてはいないけど)。

「縁に関して」
どうして毎年お参りするの? 何が大切なの? と、思われるかもしれません。
報恩講に参詣すると、懐かしい面々と再会します。
今年は、大学の後輩5人と、かつて練馬の真宗会館に勤めていた方々6人と再会しました。それから、Facebookで知り合いになりながら、今まで会ったこともなかった人とも出会えました。
「再開が嬉しかった」って感慨だけではなく、つながっているんだなぁ、それぞれの現場でそれぞれが頑張っているんだなぁと、思えます。
「先輩!!」と言って私の元に駆けてきて、差し伸べてくれた手の温かかったこと。O君、嬉しかったです。
妻は、今は某教区の所長になられたKさんと、毎年報恩講で再会します。私はたまに東京で会うのですが、妻(東京)とKさん(仙台…某の意味ないか)は、なぜか毎年京都で挨拶を交わしている。大したことじゃないかもしれないけれど、でも、不思議だなぁと、おかしくなりました(Kさん、子どもの面倒見ていただいて、すみません)。

「こども報恩講のつどい」
報恩講期間中の1日、ご本山ではこども報恩講も勤まります。
今年は日が合い、参加させていただきました。
御影堂でお参りして、食堂でみんな一緒にお昼ご飯を食べて(次女は、この日のカレーライスを楽しみにしていました。おかわりしてました^^)、藤原正寿先生のお話しを聞いて、スタッフの皆さんが用意してくださったアトラクションをして…。
楽しい時間を過ごさせていただきました。子どもたちも満足、お腹いっぱい。
親鸞聖人、藤原先生、スタッフの皆さんに感謝です。

「せっかく京都に行ったのだから…」
昨年までは、私たち(わたしと妻)のスケジュールで京都での時間を過ごしていましたが、小一の娘も知恵をつけてきて、今年は、「京都タワーにのぼって、清水寺に行って、京都水族館に行きたい!!」と要望が。テレビで見て、行きたくなったようです。
京都タワーか、久しくのぼってないなと思いつつ、久しぶりに上りました。展望コーナーで、東本願寺を見下ろして(失礼)びっくり!!
御修復が済み、阿弥陀堂と御影堂門の素屋根が外れて、境内の全貌が見えました。東本願寺の広報担当の方、京都タワー展望から見た真宗本廟も発信すべきですよ!!
京都水族館は、チケットを持っていると、いろいろなお店で特典があります。夕食を食べたお店で、「京都水族館のチケットがあれば、特典があります」と書いてあったのでお見せしたら、一人一杯ずつドリンクサービスでした。お酒もOKで、美味しいハウスワインをいただきました。そのような特典があることを知らなかったのですが、気にしてみると、けっこういろいろなお店で特典をアピールしています。京都水族館に行かれた方は、チケットを捨てずに持ち歩いているといいですよ。

「紅葉ですが…」
ご本山の前の紅葉が、ほとんど散っているなぁと思って眺めていましたが、今年は京都の紅葉はいまいちだったそうです。
例年にくらべて暖かかったこともありますが、毎年ライトアップをするようになり、木々も疲弊しているとのことでした。
寺社のライトアップは、いつ頃から盛んになったでしょうか。確かに、きれいです。でも、寝る時間が必要なのは、人間も、他の生物も、植物も同じ。にもかかわらず、寝る(休む)べき時間にライトアップされ、しかも、秋だけでなく桜の季節も。夏にライトアップする所もあります。つまり、一年中寝不足が続いているわけです。元気がでるはずもありません。
円山公園の桜の木たちも、「養生中」の札がかかっていました。
どうか、元気を取り戻せますように(-人-)

京都で元気をもらい、東京に帰ってきました。
真宗門徒の一年は、報恩講から始まる(報恩講がお正月)と言われます。
気持ちも新たに、一年の歩みを始めました!!
が、すでに日常生活に埋もれ、こころ落ち着かず過ごしています(笑)
それでいいのです。
みんなと一緒に生きているのだから。
だからこそ、毎年ご本山に参詣するのです。
阿弥陀さまの前、親鸞聖人の前にひざまずくと、こころホッとします。
がんばろって思えます。

真宗のご縁に出遇われた方は、一生に1度はご本山に参詣されるといいですよ(報恩講に限らず)

南無阿弥陀仏(-人-)

2015年11月16日 (月)

今できること

私の隣にいてくれる人に

「ごめんね」

「ありがとう」

「愛してます」

の気持ちを表したい

2015年11月 1日 (日)

2015年11月のことば

11月に入りました。報恩講の季節です。
今年の11月は日曜始まりの関係で、参詣させていただく報恩講が前半に固まっています。16日までに8座。2日に1日のペースです。風邪をひかないように気をつけねば(すでに風邪気味なのですが)。皆様も風邪など召しませんように。

   

2015年11月のことば
できることは 減りました
ありがとうが 増えました

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愚痴か「ありがとう」か
年を重ね、できることが減っていきます。そんなとき、愚痴が増えますか? ありがとうの気持ちが増えますか? できることが減っていく現実は変わらなくても、愚痴が増えるか、ありがとうが増えるかで、人生の内容はまったく違うものになっていきます。

同級生と、体調について話すようになりました
私、西蓮寺副住職 白山勝久は、今年44歳になりました。腰痛もちで整骨院に通っていますが、今年は腰が重くなることが多く、右足の付け根、右の膝にまで痛みが出てきました。以前のように重い物を持つことができなくなりました。墓地の枯れ花集めも、大きいビニール袋を持って、袋いっぱい集めていたものですが、それもできず、バケツに少しずつ集めています。西蓮寺で働いてくれている従兄弟の長石さんが集めてくれるので助かっています。
今年は、時期をずらして、左手と右手の中指が腱鞘炎を患い、思うように手を使えないときがありました。幸い、注射を打っただけで症状は改善し、指を動かせるようになりましたが、顔を洗うのも一苦労でした。
だんだん寒くなる時期、風邪をひきやすくなりました。のどを痛めないように気をつけているのですが、今年は早くも風邪をひいてしまいました。しかも、10月中に一週間ほど、ほとんど声が出ない状態になってしまいました。
体のメンテナンスが必要な年から、メンテナンスをしていても体調をくずすお年頃になりました。

おもしろいねぇ! 
体の不調を感じる度に、思い出す話があります。
2006年1月1日に89歳でお浄土に還られた和田稠(しげし)先生のお話です。
あるとき、先生が仰いました。
「足が曲がらなくなってね、耳が遠くなってね、おもしろいねぇ!」
そばにいた人が驚いて尋ねます。
「先生、それがおもしろいのですか?」
「えぇ、はじめての体験だからねぇ。足が曲がらなくなると、こんな生活になるのか。耳が遠くなると、こういう思いをするものなのか。はじめて分かりました。日々新しい体験をさせてもらっています。おもしろいねぇ!」
強がりで言われているのではなく、本当にそう思われてのことばです。「健康第一」とか、「今できていることが当たり前」という思いに縛られていると、体の不調や、今までできていたことができなくなるということは、許せないし、認めたくないし、おもしろいはずがありません。しかし、この世に生を受けた瞬間から、死に向かって歩みを進めているいのちです。できることが増え、やがて、できることが減っていく。いたって当然のことです。健康のままでいる、若いままでいる、死なないでいるなんているほうが  不自然です。いのちの道理から目を背けずに、自分の足を、耳を見つめられたからこそ出てきた「おもしろいね!」という声なのです。

役に立っている
40歳前後になると、「厄年」を気にする方もいます。体の不調を感じる年頃であり、それはつまり、それまで体が頑張ってきた証なのです。「厄がついた」とか「厄を払わなければ」などと言いますが、それは、今まで生きてきたいのちに対して申し訳ないのではないでしょうか。「私の足、ありがとう」「私の耳、ありがとう」そう言いながらからだをいたわってあげたいものです。
人間は、誰かしらの役に立って生きているものです。役職・役目上だけでなく、「あなたに会えてよかった」「あなたのおかげで助かっています」とか、そう思ってくれている人がいるものです。役立ってあるわたしなのです。
「しあわせ」って、「幸せ」ではなく、「仕合わせ」とも書きます。「この人に出会えてよかった」という喜びを「仕合わせ」と表現します。自分の想い通りになることを「幸せ」と考えますが、思い通りにならない人生の中で、この人との出会いに感謝!ということが「仕合わせ」なのです。
役に立っている。「厄年」などと言わず、「役年」として受け止めると、「おもしろい」のではないでしょうか。

南無阿弥陀仏とお念仏申す仕事がありました
「できることは減り」というけれど、それでも生きています。できることが減るというと、マイナスのイメージを持ちますが、いらない物が削ぎ落とされていくことなのかもしれません。削ぎ落とされて、削ぎ落とされていった結果、そこに残るのは本当に大切なこと。
「できることが減っていく身でありながら、南無阿弥陀仏とお念仏を申す仕事がありました」と語られた方がいらっしゃいます。
いのちの姿に真向かいになり、限りある人生の中で教えに、人に出会えた喜び。有り難いことが起こっている事実に目覚める。できることが減るどころか、有り難うが積み重なってわたしとなりました。その歓喜の声が「南無阿弥陀仏」。お念仏を申す仕事に出会えました。一生の仕事に出会う喜びもまた「仕合わせ」といいます。

   

掲示板の人形
坊守が買ってきた人形をイスに座らせてあげて、お念珠をかけておげました。
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