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2015年9月 3日 (木)

2015年9月のことば

弥陀の五劫思惟の願を
よくよく案ずれば、
ひとえに親鸞一人がためなりけり
親鸞聖人

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親鸞一人(しんらん いちにん)がためなりけり
今月のことばは、浄土真宗の宗祖 親鸞聖人がつねづね口にされていたことばです(『歎異抄』後序より)。

阿弥陀如来が、五劫という長い時間をかけて思惟して発起してくださった、生きとし生けるものすべてを救いたいという願い。その願いに込められた阿弥陀如来のおこころをよくよく考えてみると、ひとえに私親鸞一人のためのものであったのだなぁ

「親鸞聖人は、自分一人の救いに満足されていたのですか?」と誤解を受けてしまうことばでもありますが、自分さえ良ければいいという意味のことばではありません。
親鸞聖人は、「南無阿弥陀仏」と念仏申す者を救いたいという阿弥陀如来の願いを、生涯をかけて説き続けられました。自分一人の救いで満足しているのであれば、他者(ひと)に教えを説く必要はありません。親鸞聖人は、阿弥陀如来との出遇いが心底嬉しかったのです。人が生み出す差別を越えて、すべての人びとが救われる願いであると、確信を持たれたのです。
いのちあるものは、自分一人の力で生きられる者はいません。助け合いながら、補い合いながら関係性の中を生きています。しかし、独り生まれ、独り死す存在でもあります。阿弥陀の願いは、「みんなまとめて一緒に」ではなく、「一人ひとりに」向けられています。「弥陀の願をよくよく案ずれば、みんなのためなりけり」ではなく、「一人がためなりけり」なのです。
「親鸞一人がためなりけり」の声は、「救われるはずのない私親鸞が救われていたのですね! だからこそ、生きとし生けるものすべてが救われることは間違いありません!」という歓喜の声なのです。
恩師に教わりました。『「親鸞一人がためなりけり」の「親鸞」を、あなたの名前に入れ替えて読んでください』と。

だって戦争に行きたくないじゃん
親鸞聖人のつねのおおせをあらためて思い起こさせてくれたのは、SEALDs(シールズ)の若者たちです。
安保法案反対の声を挙げてくれた若者たち。彼らの勇気と行動に、感謝の気持ちと、そういう声を挙げなければいけない世の中にしてしまった申し訳ない気持ちが湧き起こっています。
かたや、SEALDsの若者に対し、「利己的だ」と語った国会議員の若者がいます。SEALDsが発する「だって戦争に行きたくないじゃん」という叫びが、「自分中心で極端な利己的考えに基づくから」だというのです。「自分が嫌なことはしたくない」「自分さえよければいい」とでも聞こえたのでしょうか?
私には、SEALDsの若者の「だって戦争に行きたくないじゃん」という声が、「親鸞一人がためなりけり」と重なって聞こえます。「だって戦争に行きたくないじゃん」は、個人や仲の良い友だちを想定しての叫びではなく、生きとし生けるものすべてを想っての叫びです。
戦争に行けば、殺し殺されする場に身を置くことになります。わたしが、誰かを殺してしまうかもしれない。わたしが、誰かに殺されるかもしれない。わたしが殺されたとき、わたしを殺した誰かを殺人者にしてしまうことになります。戦争に行かなければ、わたしも、誰かも、殺人者になりません。「だって戦争に行きたくないじゃん」という声が、「殺したくない 殺させたくない」という願いとして聞こえてきます。「一人」の叫びのなかに、いのちを守るべき「みんな」がいます。
「国民の生命と財産を守るため」という声からは、守るべき誰をも感じられません。それに対し、利己的と批判された「戦争に行きたくないじゃん」という叫びから「みんな」を感じられるのですから、不思議なものです。

共なる大地を歩む
2015年8月30日 「戦争法案廃案!安倍政権退陣! 国会10万人・全国100万人行動」国会前の デモに参加しました。
私白山勝久は、日本の現状は、とても危ういと感じます。戦争法案云々以前に、権力者がいのちを軽んずる姿に恐怖と憤りを感じ、声を挙げてきました。「戦争はいけない」と声を挙げることが、争いを生むこともあるかもしれません。ことばを発するということは、誰かを助けることもあれば、誰かを傷つけることもあります。人間、何を思い行動しようとも、それは利己的であり、その人にとっての正義なのかもしれません。そのことも承知の上で、想像力をはたらかせて、声を挙げ行動しています。
親鸞聖人が説かれた教えの背景には、阿弥陀如来がいます。生きとし生けるもの、すべてのいのちの背景には、阿弥陀如来があります。みんなつながっている。そのことは、手を握り合うこともできれば、手で殴り合うこともできるということ。意見が違う者・性格が合わない人もいます。しかし、誰もが同じ背景を持ち、誰もが同じ大地を歩むいのちです。誰もが共なる大地を歩む者であるという現実と、わたしは一人の歩みを進める者であるという現実。親鸞聖人の教えに出遇い、それらの現実を真実と教えられた者として、今のままではよくないと想い、身を動かされています。
南無阿弥陀仏

   

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