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2015年6月

2015年6月 7日 (日)

2015年6月のことば

前人 樹を植えて
後人 涼を得

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変わってしまったのは国際情勢の方ではない
戦後70年 戦のない時代が続くと、戦いたいDNAが疼くのでしょうか? いや、戦争ができる国にしたがっている人びとは、自分が戦地に赴くことはないから、戦争特需による景気回復とその恩恵を受けようとしているのかもしれません。「国民の平和のため」などと口にするけれど、そんな気持ちは持ち得ていません。
「戦後70年経ち、国際情勢が変化し、それに対応するためには、国民の平和を守るための法整備をしなければならない」などと言うけれど、この70年の間、なにもせずに平和(と言われる時代)が続いてきたわけではありません。国際情勢が、現在(いま)よりも緊張感があった時代(とき)があった。敗戦からの復興のために、頭を下げながら信頼を積み重ねてきた人びとがいる。武器を手にしつつ平和を口にするのではなく、憲法九条を誇りに平和を訴えてきたからこそ、世界のどこかで絶えることなく紛争があるこの地球上で、「日本人なら信頼できる」と受け入れられてきました。今、この瞬間にも、自分のいのちを犠牲にしてまでも、国と国の境を超えて、世界の平和のために活動している人びと・団体があります。
平和のためには武力が必要だと、はじめから武器・武力ありきの人が国を主導していますが、武力に対して武力で対応する者ばかりでは、戦が止むことはありません。武力に対応しうるのは、武力ばかりではありません。対話という方法があります。日本は、対話を持ちかけて話を聞いてもらえる数少ない国です。戦後70年かけて築いてきた信頼を、日本人自体が知らないから、自信を持てないから、「武力には武力を」「どこそこの国の奴らは危険だ」「護ってもらうばかりでは恥ずかしい。日本人も、自ら血を流す覚悟をしなければいけない時代だ」などと、集団的自衛権の行使容認を軽々しく言ってしまえるのです。「血を流す覚悟をしなければいけない時代だ」などと、国民が平気で言ってしまう時代にゾッとします。
「対話が大切です」とか、「周りの国々との協力によって武器を下ろさせる方法があります」と呼びかけても、「そんな悠長な話が通じる相手か!」「夢物語のようなことを言うな」と言われてしまいますが、戦後70年の歩みが、対話による平和の構築が夢物語でないことを物語っています(個々に検証し、反省すべきこと、詫びるべきことは多々ありますが)。

わたしだけでなく、相手も涼を得る
わたしたちの先に生きた方々の努力のおかげで、今を生きるわたしたちが、その恩恵を受けています。「前人 樹を植えて 後人 涼を得」とは、そのような意味です。
今を生きるわたし(後人)も、やがて「前人」になります。これからのいのちが涼を得るために、わたしができること、するべきことは何でしょう。世界を、樹も植えられない、育たないような砂漠にしてしまっていいのでしょうか?などということを考え、行動しなければいけない時代になってしまいました。本来ならば、そういう時代になってしまう前に行動しなければいけませんでした。「後人」に対して、謝っても謝りきれません。
「謝る」といえば、自分が悪いのに、謝ることを嫌う人が多い時代でもあります。あぁ、それゆえに武力でごまかそうとしているのかもしれません。許してもらうつもりで謝るのか、許してもらえなくて当然という気持ちで謝るのか。その違いは大きいです。先ほど「覚悟」の話をしましたが、「血を流す覚悟」ではなく、「許してもらえなくて当然という気持ちで謝る」という覚悟こそ必要です。そのような気持ちで謝ってきた「前人」がいたから、謝られた相手も、謝った方も、涼を得ることができました。にもかかわらず、「後人」のほんの一部の人(それでいて、莫大な権力を持つ人)が、「前人」の努力を踏みにじる。せっかく得た涼を、自ら破壊しています。破壊された関係・環境を取り戻すためには、それまでの何倍もの努力と時間が必要なのに。

「前人」として、自分の涼のためでなく、後を生きる いのちのために樹を植える。前人の覚悟。
「後人」として、先往く人が植えた樹を、枯れないように育て続ける。後人の覚悟。

西蓮寺副住職 白山勝久記す

   

掲示板の人形
カエルさん3体板橋のイオンで出会ってしまいました
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2015年6月 4日 (木)

姿や背景に想いを馳せ、感じることがあります

2015年6月2日(火) 真宗大谷派東京教区同朋大会が開催されました。
お話は高史明先生
人間の知恵(人知)が生み出す闇。その闇に気づかず、ますます闇を深めながら生きるわたしたち。闇を見つめることを通して、阿弥陀如来の智慧に照らされてあるわたしに気づかされます。南無阿弥陀仏
お立ちになりながらお話になっている先生の“お姿”に、念仏の教えが地下水の如く伝わっている歴史を感じました。

パネルディスカッション
高先生とコーディネーター・パネラーの皆様・・・人知の闇に真向かいになり、お念仏の教えに生きていらっしゃる方々にお願いを致しました。
「戦争はいけないね」「平和がいいよね」で話が終わるのではなく、そう願いながらも、争いがなくならない、平和でいられないことの根っこにある問題を語り合ってくださいました。南無阿弥陀仏
皆さんの声を聞きながら、阿弥陀の呼び声が、風が吹くが如くひとり一人に届いていることを感じました。

高先生とコーディネーター・パネラーの皆様、司会を務めてくださった方やコーラス隊・エレクトーン奏者、目に見える方々だけでなく、この大会のために集まって下さったスタッフのみんな。そして、ご参加くださいました皆様。
ひとつのことをなすために、どれだけの力が必要なことでしょう。物事の背景を“想う”ことを通して見えるもの、感じられることがあります。人がつどうということは、“姿”や“背景”から感じることがあるということ。皆様、ありがとうございます。

東京教区同朋大会総チーフ 白山勝久
(ただいま、いただいたアンケートの打ち込みが終わりました。「よかった、よかった」「ありがとうございます」で終わってしまうのではなく、いただいたご意見・感想は、来年の大会に向けて糧とさせていただきます。アンケート回答にご協力くださいました皆様、ありがとうございます)

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