« 2014年12月 | トップページ | 2015年2月 »

2015年1月

2015年1月 1日 (木)

2015年1月のことば

死を分かち合うことがなければ、
生は分かち合えない

Dsc_1076

想いと現実
平和を望まない人などいないと思うのですが、世の中の動きというものは、不穏なものがあります。
人と人との結びつきが大切なものであることは、多くの人が感じていることと思うのですが、そうはいいつつも、 他者(ひと)との距離を置いているのが現代ではないかとも感じます。
「平和」を希求し、「絆」が大切だと言いながら、それとは反対方向に向かって歩んでいるのではないでしょうか。

わたしたちの起源
生き物は、永い歴史の中で淘汰しながら生きています。人類も例外ではありません。ホモサピエンスの間で淘汰しながら生き、残った者が現代のわれわれへと結びついています。
「淘汰」というと、強い者が生き残るというイメージがありますが、われわれの祖先は、過酷な地球環境のなか、少ない食料を奪い合い、勝ちを得た者が生き残ったのではないそうです。食料を奪い合う争いをした集団は、やがて滅びてしまいます。少ない食料を持ち寄り、それを均等に分け合った集団が生き残り、環境に適応していきました。それが、私たちの祖先だそうです。
また、人類の祖先と思われる化石に、花が添えてあることからも、人類は古くから弔いの習慣があったことが知られています。
必要とするものを分け合い、いのちを尽くした仲間を、礼を尽くして見送る。そのようにしてこの地球上にいのちを繋いできた人類が、今や限りある資源を奪い合い、葬送の儀式に重きを置かなくなりました。このことは何を意味していることでしょう。

迷惑をかけたり、かけられたりしながら生きている
「直葬」や「家族葬」といった近年の流れ。その背景には、個々の事情があるものです。「直葬」や「家族葬」そのものを否定する気はありません。しかし、「簡単に済ませたいから」「煩わしいから」と言った理由で葬送の儀式を軽んずるのは、悲しいことです。
「簡単に」「煩わしい」というのは、残された者の言い分ですが、死を見据えた者が「迷惑をかけたくないから」「大袈裟にしたくないから」などと言って、自分の死を公にすることを望まない声も耳にします。そんな言い分も、淋しいものです。
人は、ひとりでは生きていません、生きていけません。声をかけ合い、助け合い、迷惑をかけ合いながら生きている相手がいます。また、食料や衣類等がわたしの手元に届くまでに、どれだけの人の苦労があることでしょう。迷惑をかけ、かけられながら生きているわたしです。  そのような現実に触れず、「死んでから迷惑をかけたくない」なんて傲慢です。そんなことを言うのなら、生きている間に「迷惑をかけてごめんね。ありがとう」と言い遺していってはいかがでしょうか。

死を分かち合うことを通して学ぶことがある
葬送の場には、亡き人と縁のあった方々がみえます。「先立って往った人は、これだけの人と縁を結んで生きてきたんだなぁ」と、遺された者は、亡き人の人生の、今まで知らなかった面を知ることとなります。
「寒い中(暑い中)、葬儀に来てもらうのは申し訳ない」と言う方もいますが、万難を排して葬儀に駆けつけるというのは、亡き人との縁が背景にあるからです。最後の お別れの場を奪うのではなく、有縁の方と共有しませんか?

「自分さがし」「人生の意味を求める」「自分の人生、これでいいのだろうか?」など、自分の人生に対する探求や答えさがしが流行っています。自分ひとりで生きているつもりで、自分の人生だけの尺度で「自分さがし」をしたところで、何が見つかるというのでしょう。
死を分かち合わずに生きる人類が、何を分かち合えるのでしょうか。わたしたちが探している「生きる意味」とは、死の共有によって見えてくるのではないでしょうか。

前(さき)に生まれん者(ひと)は後を導き、後に生まれん者は前を訪(とぶら)え
わたしに先立っていのちを尽くされた方が残した道から、学ぶことがあります。わたしの歩んだ人生が道となり、後から生まれた人が、その道を頼りとして生きることがあります。その連続性が「いのち」です。
古の知恵に学び、未来への道が開かれますように。

   

掲示板の人形
Dsc_1077

ひつじ(未)年
未来に向けて、大切な一年になりそうです。
本年もよろしくお願いいたします。

« 2014年12月 | トップページ | 2015年2月 »

フォト
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ