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2014年12月19日 (金)

クリエイトするというのは、いのちを削る作業

先日、宮崎駿監督のことばを紹介しました。
(私の50年間に、私たちの国は一度も戦争をしませんでした。戦争で儲けたりはしましたけれど、でも戦争をしなかった。そのお陰が、ぼくらの仕事にとっては、とても力になったと思います。)

宮崎作品に感動し、影響を受け、生きる力をもらった人は数知れないと思います。
そんな宮崎監督でも、反戦や沖縄の基地問題を語った際、「クリエイター(制作者・創造者)は黙ってろ」とか「勘違いして政治に口を出すな」などと叩かれることもあります。どうしてクリエイターが基地問題や平和(反戦)についてや政治について語るとアレルギーを起こされるのでしょう。自分の頭の中で創造したものを絵や文章にするのは勝手だが、現実問題に創造を持ち込むなというのが、言い分のひとつのようですが。

映像でも文章でも、クリエイトする(創造する)ということは、「ゼロから生み出すこと」と思われがちですが、そうではないと感じています。
自分の経験や得た知識や出会った人々から受けた影響・・・わたしの中に蓄積されたあらゆる経験・情報・感性・感覚などがパンパンに膨らんで、それを分りやすく、制約の中に納めるのがクリエイターの仕事なのだと感じます。
「ゼロから生み出す」のではなく、「百から削る作業をする」のが、クリエイターだと思います。
(私自身が、拙い文章を書き続けながらも感じていることですが、同じようなことを、どなたかも書いていました(すみません、どなただったか忘れました))。

つまり、宮崎監督は、「こうすれば平和になる」とか「こうすれば戦争は回避される」とか、創造(想像か)して語っているのではないということです。
経験や、人との交流を通して蓄積されたことを語っているのですから、クリエイターの譫言(うわごと)戯れ言(ざれごと)なんかではないのです。

戦争を知っている宮崎監督が、
「戦争を知らない人間に、俺の作品が分かるもんか!(伝わるもんか!)」と言うのではなく、
「私の50年間に、私たちの国は一度も戦争をしませんでした。戦争で儲けたりはしましたけれど、でも戦争をしなかった。そのお陰が、ぼくらの仕事にとっては、とても力になったと思います」と語られるというのは、
「戦争がなかったことが、作品作りにつながった(作品を見る人にも受け入れられた)。戦争のない時代が続きますように。戦争を経験しないで済むいのちが増えますように」という想いが込められているように感じます。
宮崎監督と話をしたわけではありませんが。

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