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2014年12月16日 (火)

真宗ではすくわれない。でも、真宗でなければすくわれない。

真宗ではすくわれない。
でも、真宗でなければすくわれないんだよ。

昨日は一日フルで会議。その後の食事会にて。
なにを言っているんだ?と思われるかも知れませんね。
でも、ストンと落ちてくることばです。
人生、自分の思い通りになることが「すくい」ならば、そのような「すくい」はありえない。
でも、そのありえない中を、わたしたちは生きていかなければならない。
そのありえなさを抱えながらも生きるはたらきを示してくださっているのが、親鸞聖人のおしえ。

 

昨日、当ブログにコメントをいただきました。
「あなた様に今後の人生是非参考となるアドバイスを手紙にて御教示したいので貴方様の住所 宛て名は誰宛か 後そぅいったお問い合わせ先は何処送信かその三つ是非記載されているアドレスまで送信していただけますか?」

ご丁寧なお申し出に感謝申し上げます。
しかし、私には阿弥陀如来があり、『真宗聖典』があり、親鸞聖人のおしえに出会った朋がいます。
人生の参考となるようなアドバイスを必要としていませんので、お断り申し上げます。
べつに、「真宗が最高、他の教えは聞くに値しない」と考えているわけではありません。私は、私の出遇った道を歩ませていただいております。ということです。南無阿弥陀仏

 

さて、「参考にする」ということばを聞くと、思い出す話があります。
和田 稠(しげし)先生ご存命のとき、
『NHKで、法律相談の番組(「バラエティ生活笑百科)があるでしょ。漫才師が、漫才で問題を相談して、それに弁護士が答えるの。で、最後に司会の笑福亭仁鶴さんが相談者に対して、「参考になさってください」って言います。「参考にする」って、「自分にとって都合のいいように聞く」ってことですよ。相談した人は、自分が良くなるために、相談してくる。それで「参考にしてください」っていわれたら、自分にいいようにしか解釈しないでしょ。私たち、自分に良いようにしか聞けんのですよ』
という話を、満面の笑みでお話くださったことが思い起こされます。あのときの風景が、なぜか頭にこびりついています。
「参考」ということばを耳にすると、シゲジィ(失礼)の顔を思い出します。その教えを思い返します。
問題は、問題として有り続けます。でも、問題を抱えながらも、わたしは、今、生きています。

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