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2014年12月

2014年12月31日 (水)

自然に手が合わさります 南無阿弥陀仏

ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
石川啄木

ふるさと
いのちが還る場所

争うことなく
平和な大地(ふるさと)を生きたいものです
2014年 今年もお世話になりました
2015年 来年は素敵な年になりますように・・・努めましょう!!

2014年12月30日 (火)

価値は金額で決まるものじゃないんだなぁ

東京駅開業100周年記念に、2014年12月20日 15000枚限定で発売されたSuica。
枚数限定のSuicaを求めて多くの人が集まり混乱が生じたため、完売を待たずに販売が中止されました。
聞くところによると、これほどの混乱を予想していなかったJR東日本は、警備員の要請や動線の計画等をしていなかったとのこと。あまりに杜撰(ずさん)だと思いました。怪我人が出なくてなによりでした。
杜撰な販売計画ではありますが、これほどの人が並んだのは、ネットオークションの普及(つまり転売)が大きいのかなと思います。これからは、「限定販売」は考え物ですね。
さて、Suica販売中止を決め、東京駅ではSuicaを買えなかった人の罵声が飛び交ったといいます(当然なのかもしれませんが)。その罵声の中で気になったフレーズ「納得できない!!」
深夜からの整列が禁止されていて、その約束を守って朝から並んだにもかかわらず、購入できなかった。約束を破って深夜から並んでいた(近くで備えていた)人は購入できたわけです。約束を守った者は欲しい物が手にできず、約束を守らなかった者が購入できたのですから、「納得できない!!」との叫びは分かるのですが・・・。

JR東日本の杜撰な販売体制に問題はありますが、「納得できない」のは、私自身の問題。他者(ひと)に罵声を浴びせるセリフではないと思います。
思うに、生きているということは、納得できることよりも、納得できないことの方が多いのではないでしょうか。
生まれたことも、死ぬことも、納得はなかなか出来ないことと思います。
納得できないことだらけの世の中で生きているわたし。「納得できない!!」のが当然のいのちを生きているのです。

べつに「納得できない!!」と罵声を浴びせた方を責めて書いているのではありません。
単に「納得できないいのちを生きているんだよ」と、思っただけです。
その気付きがあれば、そんなにイライラすることもないと思うのですが。

ちなみに、今回の混乱の結果、限定販売だったSuicaは、希望者全員が購入できるように販売することが決まったとのこと。行列して買った方や、ネットオークションで高値で購入した方は「納得できない!!」でしょうね。

 

「納得できない」といえば・・・
暮れになり、アメリカ大リーグヤンキースの黒田投手が、古巣広島カープに復帰することが発表されました。
大リーグでは、黒田投手に20億円前後のオファーがあったとか。それを蹴って年俸4億円と言われるカープを選んだ黒田投手。
最近のプロ野球に関する記事を読んでいると、20億円前後の年俸を蹴って4億円の広島を選んだ黒田投手の人柄や義理堅さを記事にしたものが目立ちます。読めば読むほど黒田投手の真摯な人柄が温かく感じられます。
が、これだけ黒田投手の記事が目立つということは、「どうして20億ではなく4億を選んだの?」というところが気になる人が、つまり納得できない人がたくさんいることの表われなんだろうなと思います。
どうして広島を選んだのか? 黒田投手本人にしか分かりません(もしかしたら、本人の中でも分かっていないかも知れません)。周りの人間が詮索するのはやめませんか。
2015年の黒田投手の活躍・広島カープの躍進を楽しみにしましょう!!

Suicaと黒田投手にまつわる「納得できない!!」
同じように語ることを納得しただけないかもしれません。
ただ、
「納得しながら生きてる人生ではないでしょ」
「納得したといっても、それは自分の判断にすぎない」
「納得って、“自分さえ良ければいい”とも聞こえるなぁ」
「納得できるということは(納得したつもりになるということは)、周りが見えなくなることかもしれない」
などということを感じたので、書かせていただきました。

2014年12月29日 (月)

もっと客観的に より主観的に

12月某日 娘が通う幼稚園の、同じバス停のお父さんたちとパパ会(忘年会)
いろいろな職業の方とお酒を酌み交わす。
普段は同業者としか呑む機会がないので、とても新鮮。
他の職業の、想像もつかないお話を伺ったり、
仏さまのお話・お寺での生活について尋ねられたり、
脳みそのキャパが広がった気分。
お寺の有りようについて、たくさん意見をいただきました。とても好意的に。とても前向きに。
お坊さんが集まる会合は、しょっちゅうあるのですが、こんなに建設的な会合(あっ、呑み会だった)は、なかなかない。
「オウムの一件以来、宗教離れ・宗教に対する恐怖心が広がっている」なんて坊さんは言うけれど、それは坊さんが言っちゃいけないことだなと思う。そういう人もいるかもしれないけれど、その発言を前提や理由にしてはいけない。宗教を求めている人、頼りにしている人、もっとこうならいいのにと考えてくれている人・・・そういう人も、たくさんいる。そのことを忘れてはいけない。
パパさんたちと話していて、坊さんだけの会合では見えない道筋が見えました。ちょっと楽しみ。
もっと客観的な視点 ちょっと引いたものの見方が大事だなと思った晩でした。

 

その翌日、恩師より著書の謹呈が届く。
さっそく読破。
久しぶりに『観無量寿経』やアジャセに想いを馳せる。
思うに、お聖教(しょうぎょう)にじっくり向き合う時間を久しく過ごしていないなぁ。
「忙しい」なんて言うのは、言い訳。数日前に書いたけど、ドラマ「僕の生きる道」での主人公 草なぎさんのセリフ「買った本をいつまでも読まないのは、忙しいからではなく、読む気がなかったからです」を思い返す。
以前は、今よりはお聖教に向き合っていたような気がする。ワクワクしながら読んでいた気がする。いつからか、遠のいていたなぁ。
仏さまの教えに出遇わせていただいた身として、もっとお聖教に真向かいにならねば。深~く沈みこまねば。
より主観的にいただく(自分事として考える)ことが遠のいていたなぁと思った昼でした。

 

もっと客観的に、より主観的に 
矛盾したことを言っているように聞こえるかもしれませんね。
でも、自分の中でなんとなく合致した感覚 けっして矛盾しているのではなく、相反しながらも性質は同じ、といった感覚でしょうか。
「パパ会と本」 いただいたご縁のおかげで、今まで見えていなかったもの・忘れていたものが見えた気がする年の瀬です。

2014年12月23日 (火)

外道が好き

「私は、“外道”という言葉が好きです」
さだまさしさんが紹介されていた、ブライアン・バーグガフニさん(長崎総合科学大学教授)のことばです。
(2014年12月9日(火)「読売新聞」夕刊)

「私は、外道という言葉が好きです」
そのこころは、
「“私の道”だけが道ではなく、
“私の道”の外にも道があることを認めるという心の広さに驚いた」
とのこと。
日本人に、そのような心の広さを感じ取り、30年ほど前にカナダから長崎に移住されたそうです。
お父さまは牧師さんですが、ご自身は禅に惹かれ、仏門に入られたそうです。

「外道(げどう)」とは、元々仏教のことばで、「仏教以外のおしえ」を意味します。そこから派生して、道を外れた者、あるいは、人の道を外れさせる教えや人物などを意味して使われます。
「この腐れ外道が!!!!」なんて文句もありますね。
つまり、あまり良い意味で用いられるのはないのです。「外道」とは。
でも、ブライアン・バーグガフニさんは、「外道ということばがすきです」と仰る。“私の道”の外にも道があることを感づかせてくれる言葉だから。

自分の想いの中に閉じこもっていると、けっきょく何も受け入れられなくなります。
自分の想い以外にも、たくさんの道があった!!(人の数だけ道があった!!)という驚きは、私のこころの許容量を広げてくれます。
「この道しかない」という発言は、あまりに周りが見えていないことの告白でもあります。

“外道”ということばを味わってみたいと思います。

2014年12月21日 (日)

年かさね ガタがくるのが あたりまえ

今日の法務
住職の声が普通に戻ったように聞こえました。
10月下旬頃から風邪をひき、声が出なくなっていました。

自坊報恩講は、住職と私の配役をチェンジして勤め、
通夜葬儀は私が勤め、
ご法事は、ふたりで勤めるものの、声を出しているのは私だけ。

11月が過ぎ、12月も終わろうとしている今日、
「あ、戻った!!」と感じました(徐々に声は出ていましたが)。

私自身も、右足に不安を感じている今日この頃。
正座できなくなり、イスに座ってしまうと、今の声は出てきません。
いつまで今の状態で出来るかなぁ・・・と考えるようになりました。

風邪をひきやすい季節に、住職が声を出せなくなり、
正座が出来なくなりそう(つまり、今の発声ができなくなりそう)な不安を感じる私。
住職とふたりで、今の状態でお勤めをできるのは、いつまでだろう・・・。
そんなことを感じています。

12月に入り、忘年会や年納めの会合後の呑み会が続いています。回数を数えるのも恐いので、気にせず吞み続けています。
20代30代の頃は、仕事や異性の話や自分の関心事の話題をつまみにお酒を呑んでいましたが、
40才を過ぎると、とたんに体の不調や病院通いの話が中心になります。
この12月も、そんな話ばかりしている気がします。
それだけ年を重ねたって話ですね。面白いなぁと思います。

朝起きて 手が動く不思議 南無阿弥陀仏

2014年12月19日 (金)

クリエイトするというのは、いのちを削る作業

先日、宮崎駿監督のことばを紹介しました。
(私の50年間に、私たちの国は一度も戦争をしませんでした。戦争で儲けたりはしましたけれど、でも戦争をしなかった。そのお陰が、ぼくらの仕事にとっては、とても力になったと思います。)

宮崎作品に感動し、影響を受け、生きる力をもらった人は数知れないと思います。
そんな宮崎監督でも、反戦や沖縄の基地問題を語った際、「クリエイター(制作者・創造者)は黙ってろ」とか「勘違いして政治に口を出すな」などと叩かれることもあります。どうしてクリエイターが基地問題や平和(反戦)についてや政治について語るとアレルギーを起こされるのでしょう。自分の頭の中で創造したものを絵や文章にするのは勝手だが、現実問題に創造を持ち込むなというのが、言い分のひとつのようですが。

映像でも文章でも、クリエイトする(創造する)ということは、「ゼロから生み出すこと」と思われがちですが、そうではないと感じています。
自分の経験や得た知識や出会った人々から受けた影響・・・わたしの中に蓄積されたあらゆる経験・情報・感性・感覚などがパンパンに膨らんで、それを分りやすく、制約の中に納めるのがクリエイターの仕事なのだと感じます。
「ゼロから生み出す」のではなく、「百から削る作業をする」のが、クリエイターだと思います。
(私自身が、拙い文章を書き続けながらも感じていることですが、同じようなことを、どなたかも書いていました(すみません、どなただったか忘れました))。

つまり、宮崎監督は、「こうすれば平和になる」とか「こうすれば戦争は回避される」とか、創造(想像か)して語っているのではないということです。
経験や、人との交流を通して蓄積されたことを語っているのですから、クリエイターの譫言(うわごと)戯れ言(ざれごと)なんかではないのです。

戦争を知っている宮崎監督が、
「戦争を知らない人間に、俺の作品が分かるもんか!(伝わるもんか!)」と言うのではなく、
「私の50年間に、私たちの国は一度も戦争をしませんでした。戦争で儲けたりはしましたけれど、でも戦争をしなかった。そのお陰が、ぼくらの仕事にとっては、とても力になったと思います」と語られるというのは、
「戦争がなかったことが、作品作りにつながった(作品を見る人にも受け入れられた)。戦争のない時代が続きますように。戦争を経験しないで済むいのちが増えますように」という想いが込められているように感じます。
宮崎監督と話をしたわけではありませんが。

2014年12月17日 (水)

地べたに足をつけて生きる

農業が変になってしまった理由はひとつ。
日本人が地べたに足をつけて暮らさなくなったこと。
菅原文太

(「本の窓」1月号掲載予定 小泉武夫さんとの対談より)

大地の感覚を、
誰もが大地に立っている感覚を、
見失ってはいないだろうか。
靴をはいていては、
地べたの感覚は、
大地の感覚は伝わらない。

2014年12月16日 (火)

真宗ではすくわれない。でも、真宗でなければすくわれない。

真宗ではすくわれない。
でも、真宗でなければすくわれないんだよ。

昨日は一日フルで会議。その後の食事会にて。
なにを言っているんだ?と思われるかも知れませんね。
でも、ストンと落ちてくることばです。
人生、自分の思い通りになることが「すくい」ならば、そのような「すくい」はありえない。
でも、そのありえない中を、わたしたちは生きていかなければならない。
そのありえなさを抱えながらも生きるはたらきを示してくださっているのが、親鸞聖人のおしえ。

 

昨日、当ブログにコメントをいただきました。
「あなた様に今後の人生是非参考となるアドバイスを手紙にて御教示したいので貴方様の住所 宛て名は誰宛か 後そぅいったお問い合わせ先は何処送信かその三つ是非記載されているアドレスまで送信していただけますか?」

ご丁寧なお申し出に感謝申し上げます。
しかし、私には阿弥陀如来があり、『真宗聖典』があり、親鸞聖人のおしえに出会った朋がいます。
人生の参考となるようなアドバイスを必要としていませんので、お断り申し上げます。
べつに、「真宗が最高、他の教えは聞くに値しない」と考えているわけではありません。私は、私の出遇った道を歩ませていただいております。ということです。南無阿弥陀仏

 

さて、「参考にする」ということばを聞くと、思い出す話があります。
和田 稠(しげし)先生ご存命のとき、
『NHKで、法律相談の番組(「バラエティ生活笑百科)があるでしょ。漫才師が、漫才で問題を相談して、それに弁護士が答えるの。で、最後に司会の笑福亭仁鶴さんが相談者に対して、「参考になさってください」って言います。「参考にする」って、「自分にとって都合のいいように聞く」ってことですよ。相談した人は、自分が良くなるために、相談してくる。それで「参考にしてください」っていわれたら、自分にいいようにしか解釈しないでしょ。私たち、自分に良いようにしか聞けんのですよ』
という話を、満面の笑みでお話くださったことが思い起こされます。あのときの風景が、なぜか頭にこびりついています。
「参考」ということばを耳にすると、シゲジィ(失礼)の顔を思い出します。その教えを思い返します。
問題は、問題として有り続けます。でも、問題を抱えながらも、わたしは、今、生きています。

2014年12月14日 (日)

「私」からはじまる

渡り鳥は飛び立つ時間をあらかじめ知っているのではなく、
みんなで行きつ戻りつするうち突然旅に出る。
その時、どの鳥が出発を決めたか。
最後はリーダーが決まってくるとしても、
飛ぶ群れの起源を遡ればどうなるか。
「私」という一羽の鳥が、としか言えないのではないか。
                 いとうせいこう(ポリスタより)

いとうせいこう 【総選挙2014】一羽の鳥について(あらゆる選挙に寄せて)

2014年12月13日 (土)

戦争がないところから生み出されるもの

私の50年間に、私たちの国は一度も戦争をしませんでした。
戦争で儲けたりはしましたけれど、でも戦争をしなかった。
そのお陰が、ぼくらの仕事にとっては、とても力になったと思います。
                                   宮崎駿

(2014年11月8日 アカデミー賞名誉賞授賞式スピーチにて)

2014年12月12日 (金)

本当は“弱い”から

なぜ“強い”といわれる国々は、
戦争を起こす上ではたくましいのに、
平和をもたらすことに弱腰なのか。
戦車を簡単に造るのに、
学校を造るのは
なぜこれほど難しいのか。
        マララ・ユスフザイ

(2014年12月10日 ノーベル平和賞授賞式 受賞演説にて)

人間、強い人なんていないんです
みんな弱いんです
そのことを知らずに生きているか
知って生きているか
その違いなのだと思います
組織が大きくなればなるほど
周りからチヤホヤされればされるほど
自分の弱さが見えなくなるのでしょうね

2014年12月11日 (木)

ここから わたしから

世界平和は アメリカから始まるのではありません
国連から始まるのでもありません
ヨーロッパから始まるものでもありません
世界平和は ここから この部屋から
わたしたち 一人一人から 始まるのです
                  アレン・ネルソン

DVD「9条を抱きしめて~元米海兵隊員 アレン・ネルソンが語る戦争と平和」より

2014年12月10日 (水)

夕べには白骨となれる身

12月10日(水) 西蓮寺聞法会
アレン・ネルソンさんのDVD「9条を抱きしめて~元米海兵隊員 アレン・ネルソンが語る戦争と平和」を鑑賞しました。
聞法会参加者は、私(43才)より年長の方が多いわけですが、DVD鑑賞を通して、あらためて戦争の現実・悲惨さを、それぞれに感じておられました。

来年90才を迎える方が、「ここまで生きて来ちゃったけど、いつ死んでもおかしくない いのちを生きてきたんだなぁ」とつぶやく姿が印象的でした。

2014年12月 9日 (火)

西蓮寺聞法会

12月の西蓮寺聞法会
アレン・ネルソンさんのDVD「9条を抱きしめて~元米海兵隊員 アレン・ネルソンが語る戦争と平和」を上映致します。
12月10日(水)午後1時30分より 西蓮寺にて

2014年12月 8日 (月)

本を読まずに置いておくことを「積ん読(つんどく)」といいます

ドラマ「僕の生きる道」より

ここに、一冊の本があります。
読まないまま、一年経ってしまいました。
どうして読まなかったのでしょう? なぜ読めなかったのでしょう?
いえ、読もうとしなかったのです。
そのことに気づかなければ、5年経っても、10年経っても、読むことはないでしょう。

スマップの草なぎさん主演のドラマ、再放送していますね。テレビをつけたら放送していたので、つい見てしまいました。
リアルタイムで放送しているときも、上記の台詞に感動したものです。
今日、このセリフが出てきました(うろ覚えで書いているので、正しい表現ではありません)

先日、今年の手帳の、1月のページを見たら、「今年やること(やるつもりのこと)」が書いてありました。
何ひとつ為し得ていませんでした。
なぜできなかったのでしょう? 忙しかったからでしょうか?
いえ、やろうとしなかったのです。
そのことに気づかなければ、来年も、再来年も手をつけないことでしょう。
ちなみに、去年の手帳にも同じことが書いてありました・・・

いつかできるさ
先にやることがあって
誰かがやってくれる

本は、読まなかっただけのこととして時が過ぎてゆきますが、
世の中の動きは、どんどん流れてゆきます。
わたしも、世の中を構成する人間のひとりです。
何もしなかっただけのこととして、世の中の動きが流れてゆくわけではありません。
我が身にも降りかかってきます。
それでも、本を読まずに置いておきますか?

2014年12月 7日 (日)

この道

この道は、いつか来た道
過去を振り返ったときに、「あぁ、この道は・・・」と懐かしさと共に、自分がしてきたことを振り返る。
そんな「この道」は情緒があるけれど、

この道しかない。
未来に向かって「この道しかない。」って、決めつけてしまうのは、とっても危険です。
将来、「この道は、間違っていました」なんて述懐しても、遅いのですから(そんなふうに省みもしないでしょうが)。

2014年12月 6日 (土)

今すべきこと!!

「他人の気持ちを考える人間」が
「何も考えてない人間」に勝てる訳が無い!!
空気なんか読んでたらボロボロにされるだけだ!!
-だいたい 好きな女の一大事に
  「空気読んでて何も出来ませんでした」じゃ 
   男に生まれた意味がねーだろ!!

       (『3月のライオン』10巻 羽海野チカ)

「何も考えてない人間」に、空気を読んでいたのでは太刀打ちできない。
後悔しないために、今すべきことはなにか。
「空気読んでて何もできませんでした」じゃ、人間に生まれてきた意味を見失ってしまう!!

2014年12月 5日 (金)

果たして誰が“わいせつ”か

2014年12月3日、北原みのりさん(作家)と、ろくでなし子さん(漫画家)が逮捕されました。
ろくでなし子さんが、自身の女性器をモチーフにした芸術作品を作り、その作品のわいせつ性が高いと判断されてのもの。その作品を、都内のアダルトショップで並べていた北原みのりさんも逮捕された。

背景をしらない方は、上記の文章を読んだだけだと、「なに? そんなことしてたら、捕まっても仕方ないんじゃない?」と思うかもしれない。
けれど、自身の女性器を象って作品を作ること、それを陳列することで、果たして逮捕までされるだろうか?
あるいは、それらの容疑で逮捕されるのであれば、今の日本において、逮捕される人は数え切れないほどいるのではないだろうか。
子どもたちの目につくコンビニでは、「そんな絵・写真を表紙にしていいの?」と思われる雑誌が陳列され、ゴシップ記事盛りで女性のヌードが露わなタブロイド紙を電車の中で平気で広げる人がいて・・・逮捕されかねない人々が、日常ありふれている。

気になることは、北原みのりさんと、ろくでなし子さんが逮捕されたのは、上記の内容が原因ではないということ。
北原みのりさんは、安倍政権批判をずっと繰り返してくださった方です。
ろくでなし子さんは、やっと男女平等や共同参画が叫ばれ始めた今の日本で、そうはいっても男性中心社会じゃないの!?ということを、彼女なりの表現で訴えてくださっています。
おふたりとも、身をもって、現代社会の問題に立ち向かい、警鐘を鳴らしてくださっています。
そんな活動が、現政権にとっては、よほど鬱陶しいようなのです。
つまり、今回の逮捕は、表向きの理由ではなく、見せしめなのです。「僕をいじめたら、ただじゃすまないよ!!」という脅しなのでしょう。

このことは、誰の身の上にも起こり得ることなのです。
現政権批判したものは捕まり、表現の自由が検閲という形で奪われる。
そんな時代が、かつてありました。またそんな時代に戻りたいのですか? 戻したいのですか?
今回の選挙、よく考えて投票に行きましょう。
ちなみに、白紙投票は現政権を利するだけなのでやめましょう。

2014年12月 4日 (木)

戦争は、頭の中の羅針盤をくるわせる

「雄々しく戦った自分を誇りに思うかい?」
「人はあれを“我が国固有の領土”のための、大義ある戦争だったという。
 でも・・・
 戦った俺に残ったのは、後悔だけさ。
 戦争は、頭の中の羅針盤をくるわせる。
 何が善で 何が悪か わからなくする。
 この30年、俺の頭の中の針は、グルグル回ったまま・・・・・・
 陸は見えず、いまだに漂流中だ。」
 (『MASTER KEATON Reマスター』より)

戦争は、人を狂わせる。
他者(ひと)の羅針盤を狂わせる権利が、誰にあるだろうか。
他者の人生を踏みにじり、後悔をさせていいはずがない!!
そんな戦争を、またしたいのか?
今、この地球上で起きている戦争を、自分とは関係のないものとして、見て見ぬふりをするのか?
他者の迷いは、そのまま わたしの迷い。

2014年12月 3日 (水)

お前、一年前の悩み言える?

この20年ほど、高橋書店の手帳を愛用しています。アナログ人間なので、手書きの手帳を手放せません。
高橋書店の手帳は、毎年、「手帳大賞」として、「名言・格言」を募集しています。
2013年の、「高橋をうならせた名言」が発表されました。
大賞の他に、選考委員の目に留まった作品が賞を受けます。選考委員は、泉麻人さん・椎名誠さん・黛まどかさん。選考委員のお気に入りのことばには、それぞれの委員の名を冠した賞を贈られます。

2013年の椎名誠賞が、私のこころに響きました。
「お前、一年前の悩み言える?」
あぁ、そうだなぁ。悩みのど真ん中にいるときは、不幸のどん底にいるような気分になるけれど、いつのまにか適応できちゃっているよなぁって思うことがあります。
私も、一年前(2013年の暮れ)、大きな山を抱えていて、不安の渦中にいました。
でも、山を乗り越えてしまうと、悩みという者が杞憂だったことに気づかされます。

山を越えるというのも、ひとりで越えられるものではありません。仲間の、周りの人々の力添えがあって、越えられるものです。
そんな当たり前のことを、身をもって感じらたとき、悩みの内容というか深さが変わるのではないでしょうか。
時間の経過が悩みを薄めてくれるとは言いません。悩みの種というものは、いつまでも悩みの種としてあります。でも、あるときふと過去を振り返ったとき、「あれ?あんなに悩んでいたけど、いつのまにか気持ちが落ち着いていたなぁ」ってこともあるものです。

「お前、一年前の悩み言える?」
ずっと抱えなければならない悩みもあることでしょう。
いつの間にか解決していた悩みもあることでしょう。
悩みそのものが解決したわけではないけれど、逃げようとしていたわたしが、いつのまにか悩みに真向かいになっていたということもあります。

大きな山(悩み)を前にして、それを共に乗り越えてくれる仲間がいる。
「私には仲間がいた!!!」という気づきを得るか、
「こんなに頑張っているのに、誰も認めてくれない(誉めてくれない・慰めてくれない)」と愚痴るのか、
「私はひとりで頑張るから」と、既に助けられてわたしがあるということに気付けないでいるか。
一年後に笑みがこぼれるか否かは、わたしのこころしだいです。


ちなみに、
「高橋をうならせた大賞」は
「本当にいいものは みんなタダでできているね-。」
(朝の澄んだ空気。夕焼けの美しさ。家族の笑い声。元気をもらえるいいものってタダでできているんですね。いつだったか母親が言った言葉です)

泉麻人賞
 つかれたときはなぁ、緑のあるとこ行って「ぽよ~ん」としときっ!

黛まどか賞
 “人生の長さは個人差のひとつ”だと思う。

2014年12月 2日 (火)

集団的自衛権 ダメよ~ダメダメ

2014年12月1日、2014ユーキャン新語・流行語大賞が発表されました。
そのニュースを、移動中の電車の中で知りました。大賞は、「集団的自衛権」と「ダメよ~ダメダメ」。
車中で大賞を知ったとき、「どうして“集団的自衛権”が大賞なんだろう?」と不審に思いました。

帰宅後、大賞発表のニュースを、映像で見たとき、「集団的自衛権」と「ダメよ~ダメダメ」が並列して発表されていて、「いいね!!」と感動しました。
「集団的自衛権」 “と” 「ダメよ~ダメダメ」ではなく、「集団的自衛権 ダメよ~ダメダメ」なのでしょうね。

流行語大賞の選考委員は、姜尚中さん(作家・聖学院大学学長)・俵万智さん(歌人)・鳥越俊太郎さん(ジャーナリスト)・室井滋さん(女優・エッセイスト)・やくみつるさん(漫画家)・箭内道彦さん(クリエイティブ・ディレクター)・清水均さん(『現代用語の基礎知識』編集長)。
「あぁ、このメンバーならやってくれるな!!」と、あらためて感動しました。選考委員会での、楽しそうな会話が想像できます。

2014年12月 1日 (月)

2014年12月のことば

私の生活の基盤を支えていたのは、
電気、ガス、水道ではなくて、
山や川であり、大地であるんだなと思います。
広田奈津子

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南無阿弥陀仏の大地
悠久の時の流れの中に、長いいのちの流れの中の一点に、わたしはいます。
果てのない空間の中に、際限なく広がるひかりの中の一点に、わたしはいます。
時間と空間、「いのち」と「ひかり」が交差する一点に、わたしは生まれ、生き、生を尽くします。
誰もがみんな、そのような一点を生きています。一点を生きているとはいっても、単身単独で生きているわけではありません。すべてのいのちとつながっています。
同じ時を生きる者とだけつながっているのではありません。わたしに先立って生き抜かれた方とも、これから生まれるいのちとも、わたしはつながっています。
交流がある者とだけつながっているのではありません。まだ見ぬあなたとも、気が合わぬ者とも、わたしはつながっています。
つながって生きている現実。だからこそ、誰かのことを想えば、同時に、誰かのことを忘れています。誰かのことを大切にすれば、同時に、誰かのことを傷つけています。何かを犠牲にして成り立っているのが、わたし。
優しさを持っているにも関わらず、他者(ひと)を傷つけずには生きていけないわたし。そのような悲しい現実に、どうしてわたしは生まれ、生き、生を尽くしうるのでしょうか。それは、「いのち」と「ひかり」が交差する一点一点すべてに、「ねがい」がかけられているから。「共に生きましょう」という「ねがい」が。人種も、性別も、宗教も、思想も、立場も、貧富の差も、そんなもの全く関係なく、すべてのいのち(人間だけではありません)に「ねがい」がかけられています。
すでにかけられている「ねがい」。悲しい現実の中に、「ねがい」を感じられます。誰もが、南無阿弥陀仏の大地を生きているのですから。

人間といういのちの相(すがた)
今月のことば、広田奈津子さんのことばは、東本願寺発行の「同朋新聞」9月号「人間といういのちの相」よりいただきました。
広田奈津子さんは、環太平洋の先住民に関心を寄せるうちに、東ティモールの人々に出会います。東ティモールの人々との出会いを通して、あらゆるいのちとつながって、今のわたしがいるということの気付きをお話されています。

「私(広田さん)は日本に帰ると、街に住んでいて、大地とのつながりを見いだすことが難しい」と言うと、東ティモールのおじいさんが「祈ってあげるから、あなたの山の名前を言いなさい。簡単なことだ。どれだけ都会に住んでいても、水は飲んでいるはずで、その水をくれている山でいいんだ」と言われました。「分らない」と言うと、「君は、はるばるこんなに遠くまで来て、何をしているんだ。早く家に帰って、山に挨拶をしなければ駄目だ」と怒られました。私は「ああ、こんな基本的なことを知らずに、今まで自分の力で生きているような気になっていたんだ」と気づかされました。 (「同朋新聞」9月号より)

優しさの中にいると
恵まれた環境に身を置いていると、いつの間にか、それが当たり前になってしまいます。
電気、ガス、水道など、ライフラインが整備されている恩恵はあります。ですが、それに先立って山や川、海や大地があるということが、どんなに基本的なことか。その恩恵を忘れて、わたしは生きていました。
「ねがい」の中に生きている。自然の恩恵を受けている。そんな境遇の中に身を置けるのは、特定の誰かではありません。大地は、選ばれし者だけが立てる場ではありません。誰もがみんな立っているのが大地です。
豊かさの中にいると、豊かさに気づかなくなります。
優しさの中にいると、優しさに気づかなくなります。
温もりの中にいると、温もりに気づかなくなります。
豊かさや優しさや温もりなどは、求めるものではなく、気付くものなのかもしれません。気付くことが出来ると言うことは、すでにあるということ。すべてのいのちが、 同じ大地に、すでに立っています。そのような基本的なことを知れば、2014年暮れの過ごし方は定まるのではないでしょうか。

   

掲示板の人形

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吉祥寺のコピスに買い物に行ったとき、このネコちゃんたちと目が合ってしまいました

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