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2014年11月

2014年11月 6日 (木)

西蓮寺報恩講2014

2014年11月5日(水)西蓮寺報恩講をお勤め致しました。
ご法話は海法龍師 20年以上お世話になっています。

今年は、住職が風邪のため声が出ず、住職・副住職の座り位置を変えて、私が調声(ちょうしょう・・・声出し)をしました。帰り際 門徒さんから「ビックリしたよ。住職変わったのかと思ったよ」と声をかけられました。
そんな大事なことは、ご案内の段階でお知らせ致しますです

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2015年は、
4月29日(水)永代経法要
11月5日(木)報恩講法要です。
今からご予定ください。

2014年11月 3日 (月)

2014年11月のことば

計算なんて何にもなく生まれてきたのに、
損得勘定に疲弊して生きている わたし

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歪んだ「ものさし」
誰もが、自分の「ものさし」を持って生きています。
その「ものさし」は、「自分の考えが正しい」という想いが表われているので、自分の目で見るとまっすぐに見えます。歪みのないまっすぐな「ものさし」。だけど、他者(ひと)の目から見れば、歪んでいるのは一目瞭然。まっすぐな線など引けません。
そのような歪んだ「ものさし」で、わたしは目の前の事柄を判断し、決断し、生きてきました。歪んだ「ものさし」で引いてきた線は、いったい何を描いてきたことでしょう。
まっすぐな線は面白くないし、紆余曲折あるから人生は辛かったり楽しかったりを感じられます。歪んだ線を描いていること自体は、否定されることではありません。
でも、どうして歪んだ線しか書けないのか、つまり、わたしは歪んだ「ものさし」の持ち主であることを知っているかいないか。その違いは大きいです。
歪んだ「ものさし」の持ち主であることを気づかせてもらうためには、わたしの姿を映し出してくれる鏡が必要です。仏教、仏さまのおしえは、わたしの姿を映し出してくれます。気づかずに他者(ひと)を傷つけていること。気にも留めていないけれど温もりに包まれて生きていること。わたしが悲しんでいる以上に、わたしを悲しんでいるこころがあること。仏さまのおしえに触れていると、ただ動いていただけの心臓に、ドキンドキンという鼓動が感じられるようになります。

重い方を選択する「天秤ばかり」
誰もが、自分の「天秤ばかり」を持っています。どっちがいいかなぁ、こっちにしようかなぁ、あっちが良さそうだなぁ・・・。人生の岐路に於いて選択を迫られたとき、この「天秤ばかり」は登場します。
でも、計っているのは、このわたし。わたしの想いで、良さそうに思える方に重きを置いています。
人生の成功者とされる方々のメッセージを参考にする人もいますが、その方と同じことをしたからといって、上手くいくとは限りません。というか、どうなったら成功なのでしょう。仮に自分の想いが叶ったとして、「想っていたのと違う」とか「さらに欲がわいてきた」というのはよく聞く話です。
「天秤ばかり」って、そもそも同じ重さであることを確かめるための道具であって、重たい方を見極める道具ではありません。わたしは、どちらが重いか(良いか)を計っていますが、どちらも同じほどの重さなんだなぁということに気付く驚きが、人生では大切なのではないでしょうか。

お念仏を「称える」ということ
南無阿弥陀仏のお念仏を「称える」と書きます。
「称」には「天秤ばかり」の意味があると、親鸞聖人は教えてくださっています。さて、どういう意味でしょうか?
「天秤ばかり」の片方には、お念仏を称えるわたしがいます。もう片方には、阿弥陀さまがいらっしゃいます。つまり、わたしと阿弥陀さまが釣り合っているのです。
「南無阿弥陀仏」とお念仏申す衆生(生きとし生けるもの)をすくいたい。そう願われた阿弥陀さま。そのおしえに触れ、念仏申す身となったわたしは、阿弥陀さまと釣り合っているのです(すくいの手の中にいるのです)。
わたしの想いという「天秤ばかり」で計ると、「私はまだそれほどの人間ではありません」とか「あの人がすくわれるのは分るけど、あいつがすくわれるのは納得できない」など、比べる想いが抜けません。念仏称えるときの「天秤ばかり」は、そんなわたしの想いなどどこ吹く風、すべての衆生がすくいの対象です。
誰もが、「天秤ばかり」の片一方のお皿に、ちょこんと乗っています。お念仏申した者だけが「天秤ばかり」のお皿に乗れるのではなくて、生きとし生けるものすべてお皿の上(阿弥陀さまの御手の中)にいます。

仏法を聴聞してほしいのです
歪んだ眼で物事を見て考えて、自分の思い通りにならないことを嘆く。常に自分の想いに叶う方に重きをおいて、「こんなはずではなかった」と肩を落として疲弊しているわたし。
何でも計って物事を考えてしまう人知。そんな人知を超えたはたらきの中に、わたしはいます。仏さまのおしえに触れると、何でも計っているわたしの姿が見え、計る必要のないいのちを生きていることに、手が合わさります。

   

掲示板の人形

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11月28日は、親鸞(しんらん)聖人のご命日です。
ご本山(京都 東本願寺)や全国の真宗寺院では、報恩講(ほうおんこう)が勤まります。
親鸞聖人のご命日をご縁として、おしえに触れるご縁をいただく。それが報恩講。
親鸞聖人のおしえを、みんなで聴聞しています

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