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2014年10月 1日 (水)

2014年10月のことば

善人ばかりの家庭では 争いが絶えない

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息苦しい(生き苦しい)世の中
最近感じます。息苦しく(生き苦しく)ないですか? 世の中、善人ばかりになって息苦しくなった。そんな気がします。
誰もが、自分の意志や意見を持ち、その意志や意見を元に発言や行動をするのですが、まるで他者(ひと)を傷つけようとしているかのような恐さを感じます。
7月に盲導犬が刺され、9月には全盲の少女が蹴られる事件が起きました。酷いことをするなと憤りを感じましたが、ネット上では、「盲導犬が邪魔だ」「目が見えないなら外を出歩くな」という声も囁かれています。辛くて、悲しい。
誤報を謝罪する報道機関に、罵声を浴びせる同業他社。誤報はあってはならないが、かつて、自分たちの過ちを真摯に詫びたマスコミがあっただろうか。今の報道機関の姿を見ていると、自分で自分の首を絞めているように見えます。
反原発のメッセージを発すると、その度に言われるのが、「原発がなくなったら、そこで働いている人々・家族が路頭に迷うぞ。それでいいのか!」という声。そういうリスクを背負っていることは承知しています。が、ふと思ったのです。近年、本屋・文房具屋・酒屋・CD屋など、町にあったお店が姿を消しています。ネットで買い物をする人が増えたことが原因でしょう。私も利用します。そのことによって、働く場を奪われている家族がいる現実があります。原発の話を持ち出すまでもなく、わたしは、他者の仕事を奪っていたのです。
自分の意志・意見を表わすとき、自分を善、間違いない者として表現をしています。そのときに他者を、今までは「悪」とまでは見立てていなかったでしょうが、最近は「悪」に見立てているかのようです。それゆえに、他者に対する攻撃性・凶暴性がハッキリと表出しているかのような気がします。

悪人の家と善人の家
「善人ばかりの家庭では争いが絶えない」という法語についてのお話です。
Aさん一家とBさん一家が、隣り合って住んでいました。Aさん一家は、いつも笑いが絶えず、みんな仲良し。 Bさん一家は、喧嘩ばかりで、雰囲気は良くありません。
B家のお父さんが、A家のお父さんに尋ねます。
 「お宅は、みなさん仲良しですね。どうしてですか?」
Aさんは答えます。
 「うちは、みんな悪人だから。もしかしたらお宅は、みなさん善人なのではないですか?」と。

ある日、廊下に水の入ったバケツが置きっ放しになっていました。
A家では、バケツを蹴っ飛ばしたお父さんが、「気がつかなかった私が悪かった。ごめん」と謝り、お母さんが「そこに置きっ放しにしたの私なの。ごめんなさい」と謝り、子どもが「お母さんが掃除中なのに、僕がお母さんを呼んだの。ごめんなさい」と謝りました。みんなが、自分が悪いのだと謝りました。水浸しになった廊下を、みんなで掃除をして、仲良くお茶の時間になりました。
B家では、バケツを蹴っ飛ばしたお母さんが、「こんなところにバケツを置いてたらジャマじゃない!」と怒り、お父さんが「俺が掃除をしてやっていたんじゃないか!」と怒鳴り、子どもが「ふたりとも静かにしてよ! 今、勉強しているんだから!」と怒りました。みんな、自分に非があるとは思っていません。その日の夕食は気まずい雰囲気になりました。

私に責任があった、私が悪かったと、自分の悪を自覚している人(悪人)が集まれば、争いは起きません。
私に責任はない、私は悪くないと、自分を優位に置いて、 他者を見下ろすような人(善人)が集れば、争いが起こるのは必然です。

幸せを感じているとき、泣いている誰かがいる
さて、家庭ほどの世界ならば、自分の悪の自覚によって、みんなが仲良くなることはあり得ると思います。しかし、世界が大きくなればなるほど、それは難しくなります。誰かを大切に想うとき、同時に誰かを傷つけてしまうという現実が起こるのですから。日本の平和のために、経済発展のために、安く働かされている人々がいます。危険な道具が売りつけられています。罪もないのに差別を受けている人々がいます。
「善人ばかりの家庭では争いが絶えない」のお話を紹介したのは、「善人ぶらないで、わたしの中の悪に目覚めましょう!」などと言おうとしたのではありません。悪の自覚は大切なことですが、「自分は、わたしの中にある悪を自覚した!」と思い込んだ時点で、実は善人のままなのです。そういう思い込みの中で、家族が、みんなが仲良くなることはありません。
気づかないうちに誰かを、他のいのちを傷つけている現実がある。そのことを、こころの片隅に置いてほしいのです。正義を果たしたとき、泣いている誰かがいます。

   

掲示板の人形
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コメント

こんばんは。
早いものであと2か月で今年も終わりですね。
今年はいろいろと問題ばかり続く年でしたけれど、
有り難く考えされられた年でした。

今月のお言葉もぐっと心を動かされました。
正に、義実家がこれに当てはまります。
皆で罪の擦り合いしてるので悲しいですね。
私も今日読むまで、危うく慣れてしまうところでした。
気づけて良かったです♪


☆Kさんへ
お久しぶりです。お返事遅れてごめんなさい。
A家とB家のたとえ話は、分りやすいけど、「B家はダメだ、A家みたいにならなくちゃ」って受け止められるとまずいなぁって想いながら書いていました。だって、この娑婆世界、程度の差はあれ、どこのご家庭もB家ですもの

「私も今日読むまで、危うく慣れてしまうところでした」
大事な気づきです。
“私”が入っているところが素敵です。
“私”を入れずに、うちはB家だなぁなんて思われちゃうと、もっとまずいなぁ・・・なんて想いながら、今月の文章は書いていました。

人間って、大変
でも、だから面白い(生き甲斐がある)のかも。

秋のお彼岸を過ぎると、暮れまであっという間です。
寒くなりますね。お元気で

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