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2014年9月 2日 (火)

2014年9月のことば

ひとつのいのちは
すべてのいのちにつながっている

                本橋成一

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夏の学校2014
8月2~4日、クレヨンハウス(代表 落合恵子さん)主催の「夏の学校2014」に参加しました。
落合恵子さんをはじめ、倉本聰さん、むのたけじさんなど、3日間で延べ10名の方のお話を聞かせていただく、とても素敵な時間でした。
こころに残るお話はたくさんありますが、本橋成一さん(もとはし せいいち…写真家・映画監督)と纐纈あやさん(はなぶさ あや…映画監督)の対談を聞いていて感じたことを書かせていただきます。

ある精肉店のはなし
大阪府貝塚市に小さな屠場がありました。北出さん一家は、市場で仕入れた子牛を肉牛に育て、その牛を 屠畜(とちく)し、お肉を小売りする状態に切り分け、売る仕事までをされています。
流通や社会状況の変化により、2013年3月31日に屠畜場を閉鎖されました。

牛と共に生活をし、食肉として売るまでを一家でなさっていた北出さん一家。その姿を、本橋成一さんは写真と文で紹介されています(『うちは精肉店』 一般社団法人 農山漁村文化協会発行)。
纐纈あやさんは、北出さん一家の記録、屠畜のドキュメンタリーを映像で残してくださいました(「ある精肉店のはなし」 プロデューサー 本橋成一さん)。
今回、「ある精肉店のはなし」を鑑賞後、おふたりの対談を聞くことが出来ました。おふたりとも映像関係の仕事をされているだけあって、本橋さんは「想像力をかき立てるものを作りたい」と、纐纈さんは「見て、感じてほしい」と語られました。
想像力をはたらかせること、見て感じて考えること、とても素敵な能力なのに、わたしたちは活用せずに生きているのではないでしょうか。

自分本位の想像 自分優位の感じるこころ
3年前、住職方の研修会で、品川にある食肉市場・ 芝浦と場に見学に行きました。わたしたちの食生活を支えてくださっている方々に感謝の想いを感じます。なぜ、屠畜に携わる方々に対する差別が起こるのでしょうか。どうして、差別がなくならないのでしょうか。
屠畜される牛や豚のことを思い、「かわいそう」「恐がっている」「牛も悲しんでいる」などと言い、屠畜に携わる方々を差別の目で見る。お肉を、いえ、いのちをいただいて、自分がいのち長らえさせてもらっていることを忘れて。
纐纈さんは、そのような「牛も悲しんでいる」という声に対し、「人間の持つ感覚でもって、動物にもかわいそう・つらい・恐いなどといった感情があると思ってしまうが、それは違うと思います。動物には動物の世界・感情・感覚があります。人間には人間の世界・感情・感覚があります。人間本位・優位の眼で、動物を見ることには怖さがあります。人間の都合で見ているということを自覚しなければいけないと思います」と話してくださいました。
彼女のことばを聞いた瞬間、私自身が持っていた「想像する」「感じる」ということの意味が打ち破られました。
「想像する」「感じる」…自分本意・自分優位になってはいないでしょうか。
「平和な世の中を想像する」といっても、自分を善に立てての平和ではないでしょうか。まさか自分が和を乱しているかもしれないなんて思いもしません。
「他者(ひと)の気持ちを感じる」といっても、自分の想いを超えて他者の気持ちは感じられません。他者を思い遣っているつもりでも、気付かないうちに傷付けていることがあるのかもしれません。
想像や感じるということが、自分本位・自分優位ならば、それは、悲しい現実しか生み出しません。「こうなれば平和になる」と自分本位に想像したり、「あなたの気持ち分るよ」と自分優位に感じたつもりになってみたり…。あぁ、平和を、差別のない世を願いながらも、争いや差別を生み出す生き方をしていました。
ひとりひとりのいのち、ひとつひとつのいのちは、それぞれの世界(時間や、歴史や、経験や、つながりなど)を生きているものです。そのことを尊重し、忘れず、目の前のいのちと真向かうこと。そのことが想像することだと、 感じることだと聞こえてきました。

   

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