« 護美(ごみ)・・・美を護る | トップページ | 情報は多面的に »

2014年8月 2日 (土)

2014年8月のことば

殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。 ブッダ

P1011584

縁起の道理
いのちを殺してはならない
他者(ひと)に殺させる行為をさせてはならない

戦争が起これば、私は他者(ひと)を殺すかもしれない。また、他者(ひと)から殺されるかもしれない。殺すことも、殺されることもあってはならない。そのような行為の結果に得られるものが、平和であるはずがない。
殺し、殺される・・・私が中心になっていました。私が誰かの手によって殺されたならば、その誰かに、他者(ひと)を殺す行為をさせてしまうことになります。私が殺されるということは、他の誰かに殺人という行為をさせてしまうということ。そんなことも絶対にあってはなりません。
「殺してはならない」ということに止まらず、「殺させてはいけない」という視点。この世のすべての事柄・物事は、縁によって起こるという「縁起の道理」を説かれたブッダ(お釈迦さま)のおしえのすべてが、このことばに詰まっているような気がします。

わたしたちはどこに向かうのか 向かいたいのか
第二次世界大戦の終戦から69年。日本は、平和と言われる時代を守ってきました。にもかかわらず、日本の政治家の多くが、戦争へ舵を切ってしまいました。
2014年7月1日 集団的自衛権の行使容認を、安倍晋三首相は会見で述べました。
数年後、私たちが望んでいない出来事が起きたとき、その分岐点は2014年7月1日であったと振り返る日が来てしまうかもしれません。しかし、そのような日が来ないように努めなければなりません。
「国民を守る」「責任は私にある」なんて、本気でそう思っている人ならば、簡単に口になど出来ないはずです。それほど重たい言葉です。

知らなければいけない現実がある
「戦後、日本は平和を守ってきた」と書きましたが、そう書くことにためらいがあります。戦後、日本が戦地となったことはありませんし、戦地に派遣した日本人が他者(ひと)を殺したことはありません。そのような意味では平和と言えるかもしれません。しかし、他国が行っている戦争に日本が資金を出している現実があります。現政権は、集団的自衛権の行使容認に先立って、武器禁輸をうたっていた武器輸出三原則を転換しました。日本も武器の輸出に関わるようになりました。つまり、日本も戦争に加担している現実が、既にあるのです。そのことを知らずに、「いつまでも平和な世の中を」「戦争反対」と叫ぶのは、自分さえ良ければいいと言っているのと同じように聞こえます。

いのちを感じるこころの欠如が争いを生む
今夏、朝顔とヒマワリとトマトの種をまきました。芽が出て、トマトは実をつけはじめました。うぶ毛や小さな実に、生きようとしている姿を感じます。
夜中、ふと目が覚めたときに横で寝ている娘。娘の手に指を乗せると、キュッと握り返します。こちらの想いになんらかの反応があると、温もりを感じます。
日常、身の回りにいのちは溢れています。けれど、感じるこころ、感じようとする想いがなければ、いのちを感じることはありません。いのちを感じるこころの欠如が戦争へと突き動かしているかのようです。目の前に人がいます。今、いのちがあなたとなって生きています。身近ないのちから感じてみましょう。

戦争反対といいつつも、対立を想定していませんか
戦争というと、殺し殺されるという関係をイメージします。つまり敵と味方。攻める誰かと攻められるわたし。しかし、いのちには本来、境界などないはず。殺す側殺される側という境界もありません。戦争を経て構築されるものは、支配する側とされる側という関係。そのようなところに、同じ地平・和(やわら)かな世界、つまり平和は訪れません。
平和は、武力の行使によって得られるものではありません。地道な外交・交渉・会話によってお互いを知り、争わずに生きていける道を探り続ける不断の努力を平和と言います。

   

掲示板の人形
Dsc_0564

« 護美(ごみ)・・・美を護る | トップページ | 情報は多面的に »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 護美(ごみ)・・・美を護る | トップページ | 情報は多面的に »

フォト
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ