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2014年7月

2014年7月27日 (日)

護美(ごみ)・・・美を護る

サッカーワールドカップブラジル大会にて、試合後に日本のサポーターが会場のゴミ拾いをして帰る姿が美しいと、賛辞が送られました。ニュースで見て、嬉しく感じました。

高校野球地方予選大会
試合後、応援席がゴミで散らかっているそうです。
自分の関係するチームの勝ちを願って応援して、競技場は汚していく。
いや、競技場は汚しながら、贔屓(ひいき)のチームを応援している、か。
身勝手な話です。

隅田川花火大会の後
見物客のゴミが散乱しているそうです。
きれいなものを見て、汚して帰るとはどういう気持ちなのでしょう?

もちろん、サッカー場にゴミを捨てて帰った日本人もいるでしょうし、
きちんとゴミをゴミ箱に捨てて帰る高校野球応援の方・花火見物のお客さんもたくさんいらっしゃることでしょう。
自分で出したゴミは、ゴミ箱に捨てるか、自分の家まで持ち帰りましょう。

2014年7月 8日 (火)

ここから始めなければ

五木寛之さんの箴言

学者や宗門の人たちが考えているほど親鸞の名前は広く知られてはいない
(「東京新聞」2014年7月8日朝刊 五木寛之氏 虚構と史実の狭間に 「親鸞 完結編」の連載を終えて より)

五木さんの、「親鸞」の長きにわたる連載を終えてのひと言。
朝から目を覚まされました。

2014年7月 2日 (水)

2014年7月のことば

善き人に遇って教えられ
悪しき人に会って反省すれば
善悪ともにありがたい

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あなたの苦手な人は?
学生時代、「どんな人が苦手な人か?」というテーマで、友人と語り合ったことがある。その時は、「自分と正反対の性格の人」といった内容で結論となった気がする。
時折「どんな人が苦手な人か」で語り合った時のことを思い出す。年を重ねて思う。「自分とそっくりな人間」だと。誰よりも、自分が目の前にいたら、気が合うどころか、口も聞かないほどに反目するだろうと思う。というか、自信を持って断言できる。自分がもう一人いたら、絶対喧嘩すると。

こいつさえいなくなれば
ドラえもんの道具に、「どくさいスイッチ」というものがあります。この世から消してしまいたい相手の名前を言いながらスイッチを押すと、その相手は姿を消してしまいます。はじめから存在しなかったことになるのです。
そんなスイッチに頼ってはいけないと、始めは使うことを躊躇していたのび太。しかし、ジャイアンのいじめに耐えかねてスイッチを押してしまいます。そしてジャイアンは姿を消します。
いじめっ子がいなくなり、平穏な生活が訪れるかと思いきや、次はスネ夫がいじめっ子として台頭します。で、スネ夫を消すと、また違う誰かが。そしてまた違う誰かがいじめっ子としてのび太をいじめます。
都合の悪い人間を消してゆくうちに、大好きなしずかちゃんまでも、のび太は消してしまいます。結局、のび太はひとりぼっちになってしまいます。自分の思い通りにしようとしたら、孤独になってしまいました。

何も変わらぬ学び 痛みのない反省
善き人に遇って教えられ、悪しき人に会って反省する。善き人・悪しき人、それぞれ誰かの顔が浮かんでいるのではないでしょうか。でも、自分すら信用ならず、自分の思い通りにしようとして結局孤独に陥るような私が、善き人・悪しき人といっても、それは自分の色眼鏡で見ているだけのこと。そんな私が「教えられた」とか「反省した」と言っても、「理解できること」「納得できること」を「教えられた」と言い、自分のこころが痛まない程度の反省しかしていないのではないでしょうか。

いのち 縦のつながり 横のつながり
私の誕生のためには、父と母がいて、更にそのまた父と母がいて、さらにさらに父と母がいて・・・。いのちの誕生を思うと、人知を超えたいのちの歴史があります。
同じ時代に生きる私たち。毎日顔を合わす人もいれば、生涯会うことのない人もいます。会うことのない人がはるかに多い。けれど、そういう人たちがまったく無関係な人かといえば、そんなことはありません。会い得ない人の努力のおかげで、私はいのち長らえています。会ったことのない人のエピソードに、泣いたり笑ったり怒ったりする。会わぬ人ともつながって生きている不思議。想いを超えた広いつながりを、わたしは生きています。
時間と空間の織り成す中を、わたしは生きています。当然、いろいろな人との出会いがあります。私の色眼鏡では、善き人悪しき人ハッキリ分けて見えることでしょう。でも、本来善きも悪しきもありません。ただ、目の前に、いのちが生きているのです。

すべてが意味のあることに
悪しき人と思っても、その人との出会いも含めて、今のわたしがいる。その人との出会いがあったからこそ、今のわたしと成りました。それが嫌だ、許せないという想いもあります。けれど、そんな想いが、「悪しきあいつが」という眼が、「それも(が)あっての私です」と転じたとき、「悪しきあいつ」が「善き人」に転じられます。悪しき人に会って反省したことが、そのまま善き人からの教えとして転化します。
「遇」は、「想いを超えたものとの出遇い」。会えるはずのない人・物事・出来事との出遇いということ。「悪しきあいつ」も、「善き人」として出遇い直せるのかもしれない。つらい出会いも、意味あることと出遇い直せる。善悪ともに、有ることが難いことでした。

   

掲示板の人形
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これから暑くなりますね。熱中症には気をつけましょう。過日、墓前で読経中に、一瞬目の前が真っ白になりました。まめな水分補給を。アルコールは控えめに。

2014年7月 1日 (火)

真宗大谷派声明(せいめい)

真宗大谷派 東本願寺より声明が出されました。
安倍晋三内閣による集団的自衛権行使容認に対する反対声明並びに宗務総長コメントを発表

   

こんな声を聞きます。
「憲法9条で平和が守れるなんて幻想だ。国を守るには、武力行使も必要だ」と。
憲法9条で守れない平和が、武力で守れるはずがありません。
いのちが殺し合う、武力で守る平和って何ですか?
武力行使は必要最小限・他国での戦闘に巻き込まれることはない・あらゆるケースを想定してなどと言うけれど、実際に戦闘が起きたとき、「あっ、これは想定外なので戦いません(戦えません)」など、そんな言い分が通るわけがないのが戦争。
集団的自衛権の行使容認の賛否について国民の間で議論が起きていますが、すでに「武器輸出三原則」が見直され、日本も武器の輸出に携わってしまっている現実があります。つまり、すでに戦争・戦闘に日本も加わっているということだと思います。他国の人を、いのちを奪っているです。やはり、武力行使によって自国の平和を守ろうというのは、筋の通らないことだと思います。

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