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2014年6月26日 (木)

論ずる前に、私を見る

こんなことをしなくてはならないくらい、少年の心は傷つけられていたんですね。
(2002年、西鉄バス乗っ取り事件で重傷を負った被害者)

人が何か物事を為したとき、
この人がこんなことをしなくてはならないくらい、この人の身になにかあったのだろうと想いを馳せてみる。

特に、悪事とされることを為したとき、
すべての人間は狂気を帯びる。

たしかに、腹は立つ。
立つ腹に任せて、前回のブログを書いた。
議会での野次・・・腹が立つ。セクハラだと叫ぶが、それ以前に人権侵害だろう。それが議会の花であるはずがない。

野次の主として名乗りを挙げたのは一人。しかも、議会の健全化に尽くすという。言っていて恥ずかしくないのかなと思う。
腹は立つ。しかし、彼にも、都民のため、人々のためという大志を抱いて初めて立候補した頃があるはずだ。きっと、真っ直ぐ前を向いていたに違いない。年月を重ねるということは、経験を積むということは、他者(ひと)を見えなくしてしまうことなのだろうか。重ねた年月・積み上げた経験のうちに、いったい何があったのだろう。何があって、人を踏みつぶすのだろう。
野次を飛ばすに至る何かが、彼の身におきたのだろうか(すみません、「彼の身におきたのですね」とまでは書ききれませんでした)。


お金で解決できると思う
困ったときはお金で解決すればいい
という育て方を、あの人もされたのですね。かわいそうに。


長崎への修学旅行で人を傷付けた高校生も、何かがあったのですね。

擁護しているわけではない。
許せないし、怒っている。
でも、わたしたちは、何かがあったのだと想像することを忘れてはいけない。
何かやらかした人は、何かがあった辛さを他者(ひと)に向けては、決してならない。そのことを肝に銘じなければ、我が身に起こった何かに押しつぶされたことになる。自分が押しつぶされるだけでなく、目の前の他者(ひと)までも押しつぶしてしまっていいのですか?

当事者も、傍観者も、責めることに終始するのではなく、想像力をはたらかせなければいけない。


差別を論じたものの殆ど全てが駄目なのは、その筆者が自分だけは
そんなものとは無縁だと心の中で決めてかかるからである。

(ジョージ・オーウェル)

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