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2014年6月

2014年6月30日 (月)

感謝のメッセージ

6月30日・・・真宗大谷派における年度最終日。7月1日から新しい年度が始まります。
3期9年にわたって務めた教導。教導任期自体は、3月31日までなので、すでに任期は終えています。が、事業を計画した責任として、年度が終わるまでは気持ちが落ち着きません。任期が終わってからの4・5・6月は、不安定な日々です。
本日6月30日で正式にお役目を終える気持ちになります。長い間お育ていただき、ありがとうございます。
親鸞聖人の750回御遠忌を控え、教導任期中に「推進員養成講座」「親鸞聖人に人生を学ぶ講座」「宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要団体参拝」に関わらせていただきました。ご本山の御遠忌終了後も、東京教区や東京五組の御遠忌法要にお参りさせていただきました。生涯に於いて、親鸞聖人のおしえに出遇えるだけでも大変な出来事なのに、生涯で1度の御遠忌(50年ごとのご法要)に深~く関われたこと、有り難いご縁です。私の財産です。

そのような大事な時期に教導を務めさせていただき、
ご指名いただいた3人の東京五組組長(任命してくださった宗務総長と書くべきか?)、
頑固な教導に好き勝手させてくださった東京五組の御寺院の皆様方、
こんな私を頼りにしてくださったご門徒の皆様、
こころの底から感謝申し上げます。ありがとうございます。

思い返せば反省ばかりです。もっと良い方法で動けたのではないか、もっと別のことができたのではないか等々。
一番の反省は、いつの間にか前に出すぎていたこと。人に気付かれず、水面下で仕事をしてこそ、勤めを果たしているといえるのだと思いますが、意に反して、いつの間にか人前に出ていました。人と話すのも、人前で話すのも苦手なのに。任期中、お誉めいただくことは滅多になくても、お叱り・批判は多々いただきました。「あなたがいる間(任期中ということでしょうか?)は、五組の同朋会に出ない」「彼の企画した同朋会に出る必要はない」など。
任期中に辞すのは無責任なので、こころに留めながらも教導の勤めを果たしてきました。しかし、私が企画に関わったご法話の会が、たとえ東京ドームいっぱいの聞法者を集められたとしても(例えが極端ですか?)、その方お一人いないのならば、まったく嬉しくありません。それよりも、私がいないことでその方が仏法聴聞できるのであれば、幸甚であります。
ご安心ください。私の任期は終わりました。私も、親鸞聖人のおしえに出遇えた門徒の一人として、仏法聴聞の生活は続けさせていただきますから、そういう場に私が身を置くことくらいはお許しください。
新しい役員(4月1日から動き出しています)は、酒井義一組長・坪内秀樹教導と、長きにわたり、ご自坊だけでなく、東京五組や東京教区の枠を超え、親鸞聖人のおしえを伝えるために一生懸命活動されている方々です。きっと人間味のある、温かい場をつくってくださいます。今まで私が遮ってしまっていた仏法聴聞の生活をしていただけたらと思います。
教導の任を終えること・・・それが私の教導としての、最後の仕事です。
ご指導いただいた皆様、ありがとうございます。
東京五組のアジャセ(若手)のみんな。私の無茶振りに応えつづけてくれてありがとう。私が教導として暴走できたのは、みんながいてくれたからです。なんの心配もなく事業を推進していました。すばらしい仲間に巡り会えました。感謝です。これからもよろしくね
そして親鸞聖人に感謝申し上げます。あなたのおしえに出遇えてよかった。南無阿弥陀仏
2014年6月30日 東京五組前教導 西蓮寺副住職 白山勝久(法名 釋勝願)記

2014年6月27日 (金)

いなくならないあなたがいる

芦花公園駅近くにある「世田谷文学館」に行ってきた。
やっと「茨木のり子」展を見に行けた。
4月19日から開催  「近いからすぐ行ける!」なんて思っていたら、いつのまにか6月29日の最終日間近。
行けてよかった。

私が彼女(の作品)に会ったのは、
「自分の感受性くらい」

 ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて

 気難しくなってきたのを
 友人のせいにはするな
 しなやかさを失ったのはどちらなのか

 苛立つのを
 近親のせいにはするな
 なにもかも下手だったのはわたくし

 初心消えかかるのを
 暮しのせいにはするな
 そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 駄目なことの一切を
 時代のせいにはするな
 わずかに光る尊厳の放棄

 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ


「ばかものよ」の響きが、いつも耳の底に残り、自分の感受性を忘れないようにしてきた。たいした感受性じゃないけれど、「自分はどう思うのか(感じるのか)」を忘れないように生きてきた。

「ことば」に答えなんてないんだよ
私はどう想うのか その作業をせずに、すぐに人に尋ねるのはやめようよ

彼女との最初の出会いが「自分の感受性くらい」だったものだから、「どんなに切れ味鋭い人なんだろう。気を抜いていたら、スパッとやられるぞ」と、心して彼女に会いに行った。

が、
なんて弱いんだろう
なんて優しいんだろう
なんて温かいんだろう

いつまでも先立たれたご主人を想う彼女

私の勝手な想像は、見事に覆された。
このやわらかなこころから、詩(ことば)が生み出されていたんだ

谷川俊太郎さんが、「いなくならないあなたがいる」と、親しみを込められる想いに、ちょっと触れた気がしました。
嬉しい出遇いでした。


茨木のり子展

2014年6月26日 (木)

論ずる前に、私を見る

こんなことをしなくてはならないくらい、少年の心は傷つけられていたんですね。
(2002年、西鉄バス乗っ取り事件で重傷を負った被害者)

人が何か物事を為したとき、
この人がこんなことをしなくてはならないくらい、この人の身になにかあったのだろうと想いを馳せてみる。

特に、悪事とされることを為したとき、
すべての人間は狂気を帯びる。

たしかに、腹は立つ。
立つ腹に任せて、前回のブログを書いた。
議会での野次・・・腹が立つ。セクハラだと叫ぶが、それ以前に人権侵害だろう。それが議会の花であるはずがない。

野次の主として名乗りを挙げたのは一人。しかも、議会の健全化に尽くすという。言っていて恥ずかしくないのかなと思う。
腹は立つ。しかし、彼にも、都民のため、人々のためという大志を抱いて初めて立候補した頃があるはずだ。きっと、真っ直ぐ前を向いていたに違いない。年月を重ねるということは、経験を積むということは、他者(ひと)を見えなくしてしまうことなのだろうか。重ねた年月・積み上げた経験のうちに、いったい何があったのだろう。何があって、人を踏みつぶすのだろう。
野次を飛ばすに至る何かが、彼の身におきたのだろうか(すみません、「彼の身におきたのですね」とまでは書ききれませんでした)。


お金で解決できると思う
困ったときはお金で解決すればいい
という育て方を、あの人もされたのですね。かわいそうに。


長崎への修学旅行で人を傷付けた高校生も、何かがあったのですね。

擁護しているわけではない。
許せないし、怒っている。
でも、わたしたちは、何かがあったのだと想像することを忘れてはいけない。
何かやらかした人は、何かがあった辛さを他者(ひと)に向けては、決してならない。そのことを肝に銘じなければ、我が身に起こった何かに押しつぶされたことになる。自分が押しつぶされるだけでなく、目の前の他者(ひと)までも押しつぶしてしまっていいのですか?

当事者も、傍観者も、責めることに終始するのではなく、想像力をはたらかせなければいけない。


差別を論じたものの殆ど全てが駄目なのは、その筆者が自分だけは
そんなものとは無縁だと心の中で決めてかかるからである。

(ジョージ・オーウェル)

2014年6月19日 (木)

子どもは、大人の背中を見ています

数日前、長崎への修学旅行で、数人の高校生が、語り部の方に失礼な発言をしたことがニュースになりました。
悲しいです。
戦後70年近く経ち、現実としての戦争の悲惨さを知らない人が増えました。悲しみは、なくしてしまうのではなく、語り継いでいかなければいかないものと思います。その、大切なお務めをされている方に対し、あまりに惨い仕打ちだと思います。

どうしてそんなことを言い放つのだろう?
と思いますが、
その子たちだけの責任ではありません。
物事をお金で解決しようとする人や、
お子さんがいらっしゃらない女性議員に対して「産めないのか」などと野次を飛ばす人や、
戦争を知らない世代がトップに立ち、戦争を起こそう起こそうとしている人たちが、
この国の政治を行っています。
そういう人たちの姿・発言を見聞きしていると、若い子たちの思想や発言がゆがんでしまうことも、責任は先に生きる者にあるのだと感じます。
先に生きる者が、自ら律して生きなければいけないけれど、
若い人も、真似していいのかいけないのかを見る眼を養ってほしいと思います。

金目発言

女性都議に「産めないのか」

2014年6月 9日 (月)

ブツはブツでも・・・

雨の降り方がすごいですね。お気をつけください。

西蓮寺掲示板のことばは、副住職(私)が選んで、住職(父)が書いています。
長いこと模造紙に書き続けて来たので、模造紙でかまわないのだろうと思い込んでいたら、あるとき住職が「書道の紙に書きたいなぁ」とつぶやきました。
そうなんだ!と驚き、さっそく新大久保にある書道用品店に行き、全紙(畳一畳分くらいの大きさの紙)と毛氈(もうせん)を買ってきました。「これ、父の日のプレゼント!!」と言って渡しました・・・それで済ませたんだ(・o・)。
住職、よろこんで、さっそく6月のことばを書いてくれました。住職自身は読んでいないし、知りもしない漫画からのことばを、サササッと書いてくれました。涙涙です。
他にも、御名号(南無阿弥陀仏)をすごい勢いで何枚も書いていました。当然のことですが、模造紙よりも、書道用の紙の方が書きやすいと、楽しそうでした。

話変わって・・・
西蓮寺には、掲示板がふたつあります。
ひとつは、毎月のことばの掲示板。門前にあり、道行く人の目に留まります。
もうひとつは、山門入ってすぐ。本堂の前にあります。お参りの方にご覧いただいています。今、山門前にある掲示板の、前の代です。捨てるにはもったいないので、本堂前に立て替えました。
山門前は、毎月のことば。本堂前は、行事案内やポスターを主に貼っています。
6月4日開催の、東京教区御遠忌記念大会のポスターを貼ってありましたが、大会も終わり、次は何を貼ろうか?と住職と話しているときに、「こういうの書ける?」と言ったら、またサラサラと書いてくれました。
で、本堂前の掲示板は、今はこのようなことばが貼ってあります。

P1011443

愚痴を言いたければ、ブツブツ言いなさい
ブツはブツでも南無阿弥陀仏

ある念仏者のことばです。
記憶のままに口に出したので、多少表現が違いますが、言いたいことは同じだと思います。
(ネットで書くにあたり、誰のことばか? 正確な表現はどうだったか? 調べたのですが、候補者は何人かいるし、ことばも少しずつ違うので、正確なところは分りませんでした)

ブツ ブツ ブツ
愚痴をこぼしたければ、ブツブツ言いましょう。
ブツはブツでも南無阿弥陀仏
お念仏言っている間は、腹も立たないし
お念仏言っている間に手も合わさっていたら、他者を傷付ける手とはなりません。
南無阿弥陀仏申させてくださる、愚痴のご縁。尊いご縁です
南無阿弥陀仏

   

6月9日
西蓮寺前坊守(私にとって おばあちゃん)の命日です。
私が生まれる前に還浄しました。
会ったことはないけれど、ずっと一緒にいます。
47歳で亡くなりました。私は今43歳。いろいろなことを想います。
南無阿弥陀仏

2014年6月 6日 (金)

法灯

真宗大谷派 東本願寺


浄土真宗本願寺派 西本願寺


御遠忌を終え、新しい動きが出始めています。
西蓮寺は、真宗大谷派です。

2014年6月 2日 (月)

2014年6月のことば

正義と名のつく殺しがあってたまるか!!!
          アイスバーグ(『ONE PIECE』より)

P1011439

正しいことを言うときは・・・
詩人 吉野弘さんが、姪御さんの結婚に際して贈られた詩「祝婚歌」の一節です。

  正しいことを言うときは
  相手を傷つけやすいものだと
  気付いているほうがいい

夫婦・親子・兄弟、ひとつ屋根の下に暮らしていると、小さな争いは絶えないものです。家庭・学校・勤め先、毎日のように顔を合わせていると、性格の合う合わないという問題も出てきます。日常生活における喧嘩や言い争いは、毎日のように顔を合わせていれば、当然起こり得ることです。逆に考えると、近い関係ゆえに言いたいことを言い合っているのかもしれません。
たとえ誰が見ても、あなたではなく、相手に非がある場合でも(場合だからこそ)、正しいことを言うときは、頭ごなしに厳しい言い方をするのは気をつけたいものです。追い詰められれば追い詰められるほど、相手は逃げ場を失って傷付くか、あるいは反撃に出るかも知れません。
「正しいことを言うときは/相手を傷つけやすいものだと/気付いているほうがいい」 常にこころに留めておきたいことばです。

争いの中身
争い事は、善と悪の対立ではなく、善と善の対立です。「自分が正しい」と主張する者どうしがぶつかり合って、争いが起こるのですから。
日常の人間関係における争いは、関係性の中で乗り越えられるかもしれません。しかし、関わる人数が多かったり、組織が大きかったり、国がすることとなると、なかなか「自分の正しさ」に疑問を持つ・立ち止まって考えるということが難しくなります。

「正しい」ということ
どうして「正しい」ことを主張するどうしがぶつかるのだろう? 「正しい」ってなんだろう?

「正」という漢字は、「一」と「止」から成ります。
「一」は「いち」ではなく、城に囲まれた「国」を表わしているそうです。
「止」は「止まる」ではなく、「歩」のことだそうです。

「国」に向かって「歩む」。つまり、進軍・進攻している様を表わしているのが「正」だったのです。進軍・進攻している様が「正」なのですから、争いの大義名分が「正」であり、あるいは、進軍・進攻の結果勝利を収めた者の言い分が「正」なのです。その内容が万人の幸せのためのものであるとか、より良い方向に導くための考え方ゆえに「正」なのではありません。たとえ多くの民を苦しみに導くことになる考え・意見・政策であっても、勝利を収めた者の声が「正」なのです。今の日本にまさに合致しています。国を守るため、国民を利用した戦争の足音が聞こえています。

「政治」の「政(まつりごと)」は、「正」と「攵(のぶん)」から成ります。「攵」は「右手に棒を持っている様」を象ったものだそうです。政治は、国民のためのものではなく、勝ちを得た者たちが、その主張のために、国民にむち打つものであったのです。そのことを、「政」という漢字は教えています。国家権力者の暴走を抑えるために、憲法は権力者の都合で改正・解釈変更していいものではないのです。

「正しい」「美しい」と口にするとき・・・
安倍首相は、「美しい国」という言い方をします。
「真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会」発行 「ネットワークニュース 願いから動きへ」38号(2014年5月20日発行)「あとがき」解放運動推進本部 吉田和豊さんの文章がこころに留まりました。

●「美しい」とは響きのよい言葉ですが、美の希求の内実は「排除」です。かつて一九〇七年(明治四十年)に制定された「らい予防法」はハンセン病を患った方々やその家族親族を地域社会から排除し、差別し、強制隔離し、癒えない傷跡を残していきました。(中略)●美しさを装った響きに陶酔され、負の歴史を繰り返さないようにとハンセン病問題に関する歴史は私たちに語りかけています。

「正しい」とか「美しい」とか、耳障りの良いことばを盾にして、人々を排除してはいないか、わたし自身が傲慢になってはいないか。そういうことに、そろそろ気付いているほうがいい。

   

掲示板の人形
Dsc_0526


   

熱い日が続きますね。まだ6月に入ったばかりだというのに、熱中症で倒れる方が多いと聞きます。
知らないうちに身体から水分は抜けているものです。水分補給・適度な休憩・直射日光を避ける等、皆様お気をつけください。
私は、ここ数年6月になると体調を崩していたのですが、今年は5月から体調不良で臥してました。「そろそろ自分の体調のリズムを把握しなさい!!!」は若坊守の弁。はい、すみません。
まだ回復していませんが、なんとか寺報を発行することができました(無理かと思いました)。

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