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2014年3月30日 (日)

お念珠①

お念珠の話を書こうとすると、浄土真宗においては、ちょっと頭を抱えてしまいます。
本来お念珠は、お念仏や題目を何遍称えた(唱えた)か数えるものです(「違うよ」という意見もあるかもしれませんが)。
浄土真宗においては、「南無阿弥陀仏のお念仏を何遍称えましょう」「たくさん称えましょう」などということは目標としません。数の多少が問題ではありません。たとえ一遍でも、お念仏申すところに、阿弥陀さまはおわします。
なので、称えた数を数える必要がないのなら、お数珠は必要なくない?という理屈になってしまいます。
しかし、蓮如上人が、「お数珠をせずにお念仏を称えることは、仏さまを手づかみにするような行為だ」と戒めておられます。
以前、お朝事の際に、お念珠を忘れたことがありました。まぁいいか、と朝のお勤めを始めてしまったのですが、蓮如上人のことばを思い出したこともありますが、お念珠をしないということは、法衣を着ていないのと同じだと感じました。
「お念珠をせずにお勤めをすることが通るならば、衣も着る必要はないじゃないか! さぁ、脱げよ!」
「いや、脱げないです」
「でも、お念珠を持ってないのは、衣を脱いでいるのと同じだぞ!! お勤めの際に 衣が脱げないというのなら、お念珠もキチンと身につけなさい!!」
と、こころの中でやりとりがありました。

お念珠は、「なぜ必要?」「なんのために使うの?」と、ひとつのツールとして考えるものではなくて、装束なのだと思いました。
じゃぁ、お坊さんじゃない人は? 法衣を着ることもないし、お念珠も必要ないんじゃない? と言われるとドキッとしますが、法衣を着ることがないからこそ、お念珠ひとつ持つことによって、すべてを荘厳しているのだと思います。
出来ることならば、お念珠と輪袈裟をしていただけたら…つまり、帰敬式を受式していただけたらと想うことであります。
せっかくお念仏申すご縁に出遇われたのですから。

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