« 2013年の雑感帳(ノート)より | トップページ | わたしの生活を成り立たせてくださっている人たちがいます »

2014年1月 1日 (水)

2014年1月のことば

Img170

どれほど道があろうと
自分が登るとなると ひとつです

                 平野 修

私の人生を歩めるのは、私だけ
目の前に広がる道。どのような道でしょうか? 選択肢がいくつもあって、枝分かれしているでしょうか。
受験や就職や結婚等々、いろいろなことを、その都度決断しながら生きてきた。で、ふと振り返るときがあります。「あのとき、別の道を選んでいたら、どうなっていただろう…」
そういうときって、たいてい後悔しているとき。だから、「あのとき、別の道を選んでいたら…」と、ありもしない道を想像してしまう。
自分で選びながら生きてきたつもりでいるから、他にも道があったかのように錯覚してしまう。けれど、元々別の道なんてなかった。私が歩んできた道、その道ひとつこそが、私の人生。
目の前には、枝分かれした道が広がっているようだけれど、振り返ると一本道だった。私は、この道を歩んできたし、これからも歩み続ける。

道と道 いのちといのちの交差点
平野先生が、「どれほど道があろうと 自分が登るとなると ひとつです」と言われたのは、人生を振り返る人が多いからなのかもしれません。つらく、悲しく、淋しく、今を生きている人がそれだけ多いのですね。
目の前に広がる選択肢の中から、悪い状況を招きそうな道を選ぶ人は、そうはいないと思う。誰もが、明るい未来・楽しい人生を期待して道を選んでいることでしょう。 
そうはいっても、人生、思い通りに展開するわけはなく、どのように転ぶか分かりません。より良い道を選んだつもりが、最悪の事態を招くこともあります。その逆もしかり。しかし、良い道・悪い道と表現しましたが、良いとか悪いとかって、私がそう考えているにすぎません。
私が登る(歩む)道はひとつですが、それぞれにひとつの道を歩んでいる、多くのいのちと関わりを持ちながら、 わたしは生きています。
道と道(いのちといのち)とが交差する中を、私は生きています。私の想いで考えている「良い・悪い」を超えた事柄が、私の人生の中に生じます。

  平野修さん(1943~1995) 
   石川県松任市(現、白山市)生まれ
   真宗大谷派明證寺前住職
   九州大谷短期大学教授
   西蓮寺住職の、大谷大学時代の同級生

すべての事柄は、縁によって起こる
仏教では「縁」を説きます。善因善果・悪因悪果…「善い行いをすれば善い結果が、悪い行いをすれば悪い結果が訪れます」などと説かれれば分かりやすいかもしれませんが、現実はそんなに単純なものではありません。
昨年、食品の偽装事件が数多く発覚・告白されました。その事件を受けて、「悪いこと(偽装)をした業者は、悪い結果(信用を失う)を負って当然だ」という文章を、暮れにいくつか目にしました。
私は思います。偽装をしたのは、求める人がいたからだと。質の高いものを食べたい、ブランドものを口にしたい、しかも、できるだけ手頃なお値段で。あるいは、偽物と分かっていながら、ブランド品を購入する人もいます。より良い物を口にしたい、手にしたいという消費者の要望に、真摯に応えようと努めてくださる業者さんもいることでしょう。要望(欲望)につけ込んで、偽装を行った業者さんもいることでしょう。
「悪因悪果」で他者を裁くのは簡単です。しかし、そこに私はいません。私も、「悪因悪果」の一因(一員)なのに。「縁」を生きているのですから。
お釈迦さまがお説きくださった「縁起の道理」は、「悪いことをした者には、悪い結果が訪れます」という戒めや警告などではなく、数え切れないほどのいのち・様々な状況の中を生かされているという現実(真実)を明らかにしてくださっています。

他力の中にあるからこそ、自力を尽くすことができる
数え切れないほどのいのち・様々な状況との遇縁(ぐうえん…縁に出遇う)の中を生かされている私。私の想い・希望・夢に反したことが起こります。しかし、それも含めて、私の歩む ただひとつの道。楽しいことばかりではありません。悲しいことも、つらいことも起こります。私の胸に刻まれるのは、楽しいことよりも、悲しいことの方が多いし深いです。しかし、刻まれた傷は、悪いことを為した結果なのではなく、多くのいのちの一員であるということの証でもあります。
つらく悲しい現実を、今、現に私は生きています。それは、私を生かそう生かそうと、守り励ます力がはたらいているから。そのはたらきを阿弥陀といいます。だからこそ、私は大地に足をつけて立っています。阿弥陀のはたらき(他力)があるからこそ、私は大地に足をつけ、いのちを尽くすことができます。思いっきり迷うことができます。
2013年、戦争にむけて舵を切り始めてしまった日本。今年、日本は、私たちはどこに向かうのでしょう。
今後、戦争を起こしてしまったら、それは、一部のこころない為政者だけが為したことではなく、私たち一人ひとりも関わりを持ったことです。2014年、必死に考え、いのちがけで迷いながら生きましょう。
未来を生きるいのちに、「あのとき、別の道を選んでいたら…」などと言わせないために。

   

掲示板の人形
Dsc_0300
毎年1月は干支人形 今年は午(うま)年
2014年 本年もよろしくお願い致します

« 2013年の雑感帳(ノート)より | トップページ | わたしの生活を成り立たせてくださっている人たちがいます »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 2013年の雑感帳(ノート)より | トップページ | わたしの生活を成り立たせてくださっている人たちがいます »

フォト
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ