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2014年1月 6日 (月)

わたしの生活を成り立たせてくださっている人たちがいます

1月2日(木)
年賀状をくださった皆様、ありがとうございます。
元日から、年賀状を通して旧交を温めることができるのも、暮れから新年にかけて、休む間も惜しんで年賀ハガキを仕分け・配達してくださっている方々がてくださるおかげです。有り難い気持ちでいっぱいです。

数年前までは、2日の配達はありませんでした。暮れに不眠不休で仕分けをして、元日に配達をして、そしてひと休みする。それが当たり前だと思うのです。
しかし、元日に届いた年賀状の中に、自分が出していなかった人からの年賀状があったとします。急いで年賀状を書くわけですが、それを投函して、3日に届くよりは2日に届いた方が良いという要望が多くて、2日も配達するようになったと聞きます(2日も配達するようになった理由は他にもあるのかもしれませんが)。
その話を聞いたとき、自分勝手な理由だなぁと思いました。年賀状を書いていなかったのは、わたし自身。それを棚に上げて、2日に配達してというのは、都合が良いような。
「年賀状を出してないことに気を悪くされたらどうしよう…」と気に病んだり、先方が、「私は年賀状出したのに、あの人からは来ない」などと怒る人ならば…年賀状のやりとりをするようなお友達とは思えませんが。こういう心配って、メールのやりとりに似ていますね。「早く返事をしなくては」と強迫観念にとらわれたり、「すぐに返事がこないなんて、今後はつきあえない」と怒ったり。人間関係って、そんなに薄氷を踏むようなものなのでしょうか。そういうところに気を遣うことなのでしょうか。あっ、年賀状の話から逸れました。
2日にまで配達してくださって、今年は5日の日曜日にまで年賀状が届きました。年賀状が私の手元に届くまで頑張ってくださった皆様に感謝です。当然、年賀状を書いてくださった皆様も。

1月3日(金)
新年早々、有楽町駅近くで大規模な火災がありました。新幹線をはじめ、JR各線は停まり、ダイヤが大幅に乱れました。
長崎から帰省していた妹家族を羽田空港に送るため、住職・坊守も一緒に空港に行く予定でしたが、JRが動かないというニュースを聞き、急きょ車に変更しました。
ニュースの映像を見ると、新幹線が走る線路の横を、火柱が立ち上っています。
ニュースでは、「新幹線が発車する時間は分からない」と言います。これだけの火事だから、「何時に再発できるか分からない」ではなくて、「本日は運休します」と決めてしまった方がいいのではないか? と思いました(ある意味無責任)。
が、昼12時30分過ぎには、復旧のニュースが。驚きました。日本の郵便事情・交通事情、最高(いいね!)と感激しました。
(ちなみに、日本の郵便配達事情が素晴らしいなと強く思うのは、20年前にインドから両親に宛てた手紙がまだ届いていないからです)
消化に携わった消防の方々、新幹線・電車の復旧に努められた方々、文句を言う乗客の対応に追われた駅員さんに、感謝の気持ちでいっぱいです。

電車も飛行機も、時刻通りに動いて、それが当たり前になってしまっています。でも、とんでもなく有り難いことなのです。
新幹線に乗るときは、飲食物を余分に買って乗るようにしています。最近は、電車に乗る際も、何かしら飲食物をカバンの中に入れています。何かあって停まっても、それがあるだけで安心です。
(実際、事故の影響で長時間停まったことは一度しか経験していないのですが、なぜかそういうときに限って、余分に買ってなかったりします。そのときは、申し訳ないと思いつつ、お土産の赤福をいただきました)
有事の場合を想定して、自分で用意しておく。乗り物が遅れても腹立てない。持ち物とこころの準備を、自らしておきたいものです。

1月5日(土)
朝起きて、門前の掃除(暮れも正月も、いつも通りの掃き掃除)
バス停に貼ってあった、「年末年始の時刻表(12月28日~1月4日)」がはがされています。
4日の運行を終えて、夜中、バス会社の方がはがして回ったのですね。当然、それに先立って、時刻表を貼る作業もされていたわけです。
地道な作業をされた方々、年末年始も運転手として勤められた方々。おかげで、出かけることができるわけです。ありがとうございます。


わたしの生活を成り立たせてくださっている人たちがいます。
誰にも気付かれることなく、感謝されることもなく、一生懸命働いてくださっている人たちがいます。
「お金を払っているんだから、働いて当たり前」なのでしょうか。
「私の代わりに勤めを果たしてくれている」のです。
その代償に、お金を払うことしかできないわたしです。
「予定通り働いて(上手くいって)当たり前」なのでしょうか。
感謝の気持ちを忘れていながら、ミスがあれば途端に怒声を浴びせる。
イライラのはけ口を、全く関係ない人に向けてはいませんか。
働いている人たちだけでなく、家族も、友人も、わたしの生活を成り立たせてくださっていました。

他者(ひと)に変わることを求めるけれど、
まずは自分が変わることに努めてみてはいかがでしょう。
決して、丸いこころになれとか、優しい人間になりましょうなどと言っているのではありません。
そんなことが出来たら、とっくに出来てますから。
ほんのちょっと見方を変える、ほんのちょっと考え方を変える、ほんのちょっと立ち止まってみる。
ほんのちょっとの積み重ねで、生きにくい世の中が、変わるはずです。

(追記)
「つみかさね」と打ったら、「罪重ね」と変換されました。
目から鱗です。
「わたしの生活を成り立たせてくださっている人たちがいます」と書きました。
そのことを考えると、「罪を重ねて生きているわたしを、認めてくださっている人たちがいる」ということです。
「罪重ね」て生きているわたし。その自覚によって、「生きにくい世の中」が、「生きにくい世の中を作っているのはわたし」であったと、景色が一変します。
新年に立てた誓いや目標は、すぐに忘れてしまうものですが、でも、こころの片隅に置いていきたいと思います。
南無阿弥陀仏

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