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2013年10月 1日 (火)

2013年10月のことば

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この世は生きるに値する
             宮崎 駿

この世は生きるに値する
9月6日宮崎駿監督が会見を開き、引退を表明しました。
「描いてきた作品に共通したメッセージは?」という記者からの質問に、宮崎監督は次のように応えられています。
「子どもたちに、『この世は生きるに値するんだ』と伝えるのが仕事の根幹になければいけないと思ってやってきた。それは今も変わっていません」

「この世は生きるに値するんだ」と、強い意志を持ってメッセージを発してくださる先輩がいる。そのことに喜びを感じます。宮崎監督のメッセージは、そこに光を生じさせているのですから。親鸞聖人が、「南無阿弥陀仏と念仏を称えた者を、阿弥陀如来はすくってくださいます」とおっしゃったのと同じ響きを感じます。
どこか疲弊した、閉塞感漂う世の中。他者を貶めることを伺いながら(他者に貶められることに怯えながら)生きる鬱屈した世の中。「この世は生きるに値する」というメッセージを、素直に受け入れられない人もいることでしょう。
宮崎監督の長編アニメ最終作「風立ちぬ」。賛否さまざまな評価があります。私(呑み会の帰りに、ひとりで観に行った人)は、映画を観て、「宮崎アニメの中で、一番好きだ!」と、妻に感想を語りました。

ひとたび争いが起これば、すべてがひっくり返る
零戦を設計した堀越二郎の半生をテーマにしているゆえ、「戦争を美化するのか」「戦争賛美の映画だ」などという批判があります。
スタジオジブリ発行の小冊子『熱風』7月号の特集は、「憲法改正」でした。戦争を引き起こす恐れのある「憲法改正」について反対する文章を、本年7月の参議院議員選挙に先んじて発表しました。宮崎監督も執筆しています。宮崎監督に戦争賛美の想いなど、あろうはずがありません。

魂を込めて物作りに励む人・空への憧れを抱き続ける人・人のために出来ることを模索する人。そのような人は、いつの世にもいます。平和と表現される時代に生きていれば、それら熱い想いは、世のため人のために活かされることもあります。しかし、ひとたび争いを起こしてしまえば、それら熱い想いは、人を傷付けることへ転化させられることもあり得るのです。堀越二郎さんも、兵器作りに励んでいたわけではありません。自分の夢を形にしようとしていただけなのです。ただ、時代によっては、自分の夢の産物が、兵器へも変わり得るのです。平和利用を謳う原発も、核兵器となり得るように。
今、平和を叫ぶことは簡単です。私も平和を願っています。しかし、ひとたび争いの世になってしまえば、今、平和を叫んでいるわたしも、人を傷付ける罪人(つみびと)になることもあり得るのです。言いたいことが言えなくなり、善と思っていたことが悪に、悪と思っていたことが善になる。周りが変わるのではない。わたし自身がひっくり返ってしまうのが戦争です。

矛盾という名の現実と向き合う
喫煙シーンが多いゆえ、不快感を示す人もいます。
映画「風立ちぬ」は、「アニメーション映画は子どものためにつくるもの。大人のための映画は作っちゃいけない」と主張する宮崎監督に対し、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが食い下がって描かせたものです。
宮崎監督は戦時中(1941年)に生まれ、戦闘機の絵を好んで描いてきました。しかし、思想的には戦争には反対しています。この矛盾に対する答えを、自分なりに表現するべきではないかと、鈴木プロデューサーは宮崎監督を説得します。そして、宮崎監督は「風立ちぬ」という答えを出しました。
鈴木プロデューサーが指摘する、宮崎監督の中にある矛盾は、決して監督だけが抱えている矛盾ではありません。日本人全体が抱えている矛盾です。平和を望みながらも、戦争に向けて歩を進めている、矛盾している私たちに向けられた映画です。
わたしの中にある矛盾と向き合いながら、宮崎監督は「この世は生きるに値する」という想いを作品の根幹に込めました。果たしてわたしは、子どもたちに対して胸を張って「この世は生きるに値する」というメッセージを発する生き方をしているでしょうか? 
 
夢は狂気をはらむ、その毒をかくしてはならない(宮崎 駿)
この夏、中沢啓治さんが描かれた漫画『はだしのゲン』が、ある市において閉架措置にされていたことが問題となりました。
たしかに、過激な描写・残酷な内容の部分はあるかもしれません。しかし、戦争や原爆の悲惨さを訴える『はだしのゲン』が、どうして閲覧できない状況に追いやられたのでしょう? いろいろな思惑が見えて簡単には言い切れませんが、「見たくないもの(見せたくないもの)は隠す」「嫌なものは遠ざける」「受け入れられないものは拒否する」といった大人のわがままが感じられます。
たくさんの細菌がある状態だからこそ、いのちが生きていられるように、さまざまな表現・文化・思想・人がいるからこそ、自分で考えるという生き方ができます。内容が思わしくないと大人が判断して、表現や文化や思想が統制された世の中で育つ子どもたちは、どのように成長してゆくのでしょうか。

生きるに値する世の中・・・災いも身の不幸もなく、自分の思い通りになる世の中を、「生きるに値する」と思ってはいませんか? そんな世の中、人は生きられません。生きるに値しません。雑多だからこそ、矛盾を抱えるからこそ、問いを抱えて生きる身となるのです。この世は生きるに値するのです。

釈迦族の王子として生まれたゴータマ・シッダールタ(後のブッダ)は、アシタ仙人から「後に世の人々を救う覚者となります」と預言されます。王位を継いでもらいたい王(父)としては、そんな覚者になられては困ると、シッダールタの身の回りから、世の憂いを感じさせるもの(老・病・死・修行者)を排除します。しかし、やがて実際に老・病・死・修行者と向き合ったシッダールタは、人間が抱える苦悩に目覚め、苦悩からの解放を目指して国を出て修行者となり、さとり、覚者ブッダとなります。
忌み嫌うものを遠ざけた世の中に、問いは生じず、生きる意味は見いだせません。生きることに問いを持ち、生きる意味を模索する(決して答えを見つけ出す必要はありません)。 そこに、この世は生きるに値すると感じるこころが芽生えます。

風が吹いている。さぁ、生きよう。

 
   

 
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