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2013年10月

2013年10月28日 (月)

図書館ロケット

NHK「みんなのうた」で、今流れている「図書館ロケット」(作詞・作曲 畑 亜貴)
映像も歌声もかわいらしいのだけれど、内容はとても大変なことを歌っている。


 図書館ロケット 世界を変えたいロケット
 図書館ロケット 行くぞ 行くぞ
 歴史はどうだい? 伝説を届けるロケット
 滅びる前の星たちを紐解くロケット
 二度とつらい過ちなんて 起こさずに前向いて
 進みたいと願うひとへ
 宇宙の記録を届ける使命を持つロケット


滅びゆく星
滅びゆくには、理由があり、争いがあり、歴史がある。
なにゆえ、つらい過ちを繰り返すのか・・・
滅びゆく星に蓄えられた蔵書の数々
そこには、過ちの歴史が綴られている
これらの本を、まだ滅びぬ星の人々に読んでもらいたい
これらの本を、まだ争いの起きていない星の人々の見せることが出来たら・・・
ひよこ(?)たちは本を選び、くじら型の宇宙船に積み込む
新しい星の人々に、「こんなことがあって、滅んだ星があるんだよ」って示すために


 歴史はどうだい? 悲喜劇を届けるロケット
 滅びる前の星たちを紐解くロケット
 愛と夢が真実だと 教えたい本載せて
 皮や紙やデータもムービも
 宇宙の記録を届ける使命を持つロケット 図書館ロケット


図書館ロケットは、宇宙の記録を届けるために、今日もゆく!!
あっ、飛び立つ日が来ないことを、ひよこたちは願っているんだ!!
本をはじめ、情報はたくさんあるけれど、本を読んで(情報を得て)、
つらい過ちを繰り返さないために、もっと自分の頭で考えて、もっと想像して、もっと悲しんで、もっと笑おう

2013年10月11日 (金)

「ひとりの大人として申し訳なく思う」からの出発

NHK 朝の連続テレビ小説「あまちゃん」が終わりました。私は、見たり見なかったりだったのですが、すっかりはまってしまった妻から、ストーリーを聞くことが日課になっていました。しかし、最終週はシッカリ見届けました。 鈴鹿ひろ美さん(薬師丸ひろ子さん)が歌うシーンは感涙ものでした。すばらしかった!!

2013年10月10日の読売新聞朝刊に、「あまちゃん」の主人公 天野アキちゃんのお母さん 天野春子役の小泉今日子さんの寄稿“「あまちゃん」を終えて”が載っていました。
寄稿の中で、こころに残ったことば

若者達が夢を持ちにくい時代なのだと何かで読んだ。
ひとりの大人として申し訳なく思う。

今月、お寺の掲示板に、宮崎駿監督の「この世は生きるに値する」というメッセージをを掲示しました。
「そうだ、そこ(この世は生きるに値する)に立った上で、生きねばならないのだ。生きられるのだ」と私は思ったから、掲示しました。
しかし中には、こんなに政治も経済も人のこころもメチャクチャな時代が、どうして生きるに値すると言えるんだ!!と憤った人もいるかもしれません。つまり、メチャクチャな時代の責任を、他に押し付ける人もいるかもしれない。そんな世に、「ひとりの大人として申し訳なく思う」と寄稿された小泉今日子さんは、キチンと自分の責任として受け止めておられるのだなぁと感じました。

小泉今日子さんは、続けて書かれます。

夢なんかなくても、夢に破れても、何者にもなれなかったとしても、若者はのびのびと元気いて欲しい。
それだけで私達大人にとっては希望なのだから。
 

若者達が夢を持ちにくい時代を作ってきてしまった。そのことを申し訳なく思う。しかし、夢や希望は、大人が作って若者に託すものではない。若いいのちは、自分の人生において、夢や希望を自ら生み出すものです。その輝きに、大人はかえって励まされる、希望を見いだす。アキちゃんとユイちゃんが走りだすラストシーンは、まさに夢や希望に満ちあふれていました。

当ブログ 10月3日(木)に投稿した文章 「子どもたち(いのち)は希望に満ちています」で紹介した 佐々木道範さんのことばを思い返しました。

「子どもに希望を見せられない」と大人は言うけれど、子ども(いのち)は希望に満ちています。

希望は、与えるものではなく、与えられるもの。すでに与えられているもの。
感じるこころを失うと、この世が生きるに値するとは思えない。
感じるこころを大事にしている人が教えてくれました。
「世の中捨てたもんじゃない」(佐々木道範さん)って。

(追記)
この世を憂い、憤っている人へ
『大人のいない国』 鷲田清一・内田樹(文春文庫)より
内田樹さん
格差論やロストジェネレーション論の類を読むと、僕はちょっと悲しくなってくるんですよ。書いているのは30代や40代の人なんだけど、それだけ生きているということは、もう立派にこのシステムのインサイダーですよね。この世の中のシステムがうまく機能していないことについては、彼らにも当事者責任があると思うんです。だから、そんなに簡単に「こんな日本に誰がした」みたいな言い方はできないと思うんですよ。でも、彼らの議論はいつも「自分は純然たる被害者である」という不可疑の前提から出発している。自分たちの社会システムが不調であることに対しては、自分にはまったく責任がないと思っている。「責任者は誰だ?」という犯人捜しの語法で社会問題を論じる人間はみんなそうですね。彼ら自身が久しくこの社会のフルメンバーであり、その不調に加担しているという意識が欠落している。でも、自分の属する社会の現状にまったく責任がないというのは「私は子どもです」と宣言していることと同じでしょう。

2013年10月10日 (木)

2013年10月9日(水) 西蓮寺聞法会開催
風強い中、ご参加くださった皆様、ありがとうございます。
 
今回は、松本梶丸さんの「罪深く、悪重きもの」の文章よりおしえをいただきました。

罪悪深重」の我が身
聞法会の始めに「正信偈」をお勤めしながら、「惡」という字の多さに、あらためて気付きました。
 
 8ページ 五濁惡時群生海
12ページ 一切善惡凡夫人
13ページ 邪見憍慢惡衆生
25ページ 一生造惡値弘誓
29ページ 極重惡人唯称佛
30ページ 憐愍善惡凡夫人
32ページ 拯済無邊極濁惡
  (ページは、赤い表紙の『真宗大谷派 勤行集』のページです)
 
こんなに、惡、惡、惡・・・と呼びかけられていたのですね。
そんな正信偈の中で、「不断煩悩得涅槃」と証くださっている。
「不断煩悩得涅槃」 阿弥陀如来は、罪惡深重なるわたしを、このままのわたしを、包み込んで下さっている。倦く(あく)ことなく、わたしの持つ罪業生に涙しながら。
聞法会は毎回レジュメを用意していますが、『勤行集』の中に、おしえが、親鸞聖人の息吹がいっぱい詰まっていました。
   
聞法会で紹介した、詩人 栗原貞子さんの詩(呼びかけ)をご紹介いたします。
     
 死者たちよ
 安らかに眠らないでください
 石棺を破って立ち上がり
 飽食の惰眠に忘却する
 生きている亡者を
 はげしくゆすって
 呼びさましてください

     
罪悪深重な我が身が悲しいのではない。
罪悪深重な我が身に無自覚なこと、
罪悪深重な我が身に目を向けることがあっても、忘れながら生きていること、
その事実が、悲しい。
       
先往く人 阿弥陀は、わたしを激しく揺さぶっています。

2013年10月 9日 (水)

真宗大谷派 ハンセン病問題 全国交流集会

2013年10月16日(水) 17日(木)
第9回 真宗大谷派 ハンセン病問題全国交流集会 in 東京
が開催されます。

東京集会メインテーマ「人間を忘れない」

 
16日(水) ハイアットリージェンシー東京にて
 テーマ 「ハンセン病問題の今と震災・原発」
 記念講演 鎌田 慧(かまた さとし)さん
「さようなら原発運動」を呼びかけられ、東京新聞でのコラム(訴え)が心惹かれます。
講演をお聞かせいただけことが楽しみです(が、新宿でスタッフとして誘導しているかもしれません)。

    
17日(木) 国立ハンセン病療養所多磨全生園にて
 テーマ 「耳をすます そして 語り継ぐ」
 記念コンサート 沢 知恵さん

   
申し込みは終了しています。300名ほどの方がご参加いただけるそうです。
微力ながらお手伝いさせていただけることに感謝。

2013年10月 4日 (金)

2013年度 東京五組同朋会 ご案内

2013年度 東京五組同朋会のご案内
今年度「東京五組同朋会」のお話は、東京五組若手の会「アジャセの会」の皆様にお願いを致しました。
お寺に生まれたから、お寺を継ぐものだと思われがちです。でも、お寺を継ぐ(お寺に入る)と決心するまでには、それぞれに葛藤を抱え、迷いに向き合い、歩む道を決めています。出遇いがあるものです。それゆえに、「みんな、話そう!!」と持ちかけました。半ば強制めいてはいましたが(←悪の教導さん)
教えに聞く身となろうと思った背景には、各々様々な出遇いがあります。人・出来事・ことば等々、それぞれの出遇いのお話を、自分のことばで語ります。

第1回目は明日10月5日(「明日かよっ!!」という突っ込みは無しで) 
烏山 永願寺さまにて
言い出しっぺがトップバッターで話します。

「2013.pdf」をダウンロード


(10月8日追記)
2013年度 東京五組同朋会 第1回が終わりました。
若い子たちが、門徒さんの前で、自分の歩みを自分のことばで語る。門徒さんも、従来の同朋会とは違う形式・雰囲気に、何かを感じてくださっていたような気がする。
あぁ、いい場だなぁと、こころの中で感涙。
次回以降も楽しみです。
改善すべき点は改善しながら、みんなで場を創造していきたいと思います。
次回は、12月14日(土) 赤坂 報土寺にて

2013年10月 3日 (木)

子どもたち(いのち)は希望に満ちています

2013年10月1日(火) 
第8回 原子力問題に関する公開研修会(京都 東本願寺 視聴覚ホール)

  
お話 長田浩昭さん(京都教区法傳寺住職)
    佐々木道範さん(仙台教区眞行寺住職)

     
原発事故が起こるはるか前から原子力行政・原発に警鐘を鳴らしてこられた長田住職によるお話
「国家と原発-被害者としての怒りと加害者としての悲しみ-」
長田住職のお話は、報道では隠されている事実、加害者・被害者の二者対立では語れない人間の姿をハッキリとお示しくださいました。

佐々木道範さんは、福島県二本松市眞行寺住職で、子どもたちために、保養事業・除染活動・食品の放射能測定などの活動を続けるTEAM二本松理事長。
今年5月にウクライナに行き、チェルノブイリ原発事故の被災地を視察。その報告と、原発事故後2年半ほどの歩みを、ご自身のことばで語られました。
佐々木住職のお話は、原発事故から27年経ったウクライナ・チェルノブイリの視察を経て、そこに福島の希望を見いだして来られた想いでした。楽観視できるという意味での希望ではなく、痛く辛く悲しい現実だけれど、そこに歩み出す道がある。歩み出すからこそ、見えてくるものがある、出会える人がいるというお話でした。
佐々木住職の想いを、場にいなかった人にも伝えたいと思い、箇条書きのメモを作ったのですが、既に、全文テープお越ししてくださっている方がいました。頭が下がります。佐々木住職の想いを感じて下さい。

守田敏也さんブログ「明日に向けて」
明日に向けて(746)福島の声をもっといろんな人たちに知って欲しい!(真教寺佐々木住職談)上」
明日に向けて(747)福島の声をもっといろんな人たちに知って欲しい!(真教寺佐々木住職談)下」

   
おふたりとも、「たとえ志半ばで、いのち尽きようとも、すでにして阿弥陀の悲願がある。励まされている」ということを仰っていました。
お二人とも、今を生きる人々に、同じような表現をされました。
佐々木さん「福島の現実を知って、自分で感じて、歩み出してください」
長田さん「自分で情報を集めて、選んで、判断してください」
他力に生きているからこそ、自力を尽くせる。そのような姿を、おふたりに見ました。


「声なき声を聞いて下さい」(長田さん)
「語りたくても声に出せない人たちがいます。そういう人たちのことを忘れないで下さい」(佐々木さん)

2013年10月 1日 (火)

2013年10月のことば

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この世は生きるに値する
             宮崎 駿

この世は生きるに値する
9月6日宮崎駿監督が会見を開き、引退を表明しました。
「描いてきた作品に共通したメッセージは?」という記者からの質問に、宮崎監督は次のように応えられています。
「子どもたちに、『この世は生きるに値するんだ』と伝えるのが仕事の根幹になければいけないと思ってやってきた。それは今も変わっていません」

「この世は生きるに値するんだ」と、強い意志を持ってメッセージを発してくださる先輩がいる。そのことに喜びを感じます。宮崎監督のメッセージは、そこに光を生じさせているのですから。親鸞聖人が、「南無阿弥陀仏と念仏を称えた者を、阿弥陀如来はすくってくださいます」とおっしゃったのと同じ響きを感じます。
どこか疲弊した、閉塞感漂う世の中。他者を貶めることを伺いながら(他者に貶められることに怯えながら)生きる鬱屈した世の中。「この世は生きるに値する」というメッセージを、素直に受け入れられない人もいることでしょう。
宮崎監督の長編アニメ最終作「風立ちぬ」。賛否さまざまな評価があります。私(呑み会の帰りに、ひとりで観に行った人)は、映画を観て、「宮崎アニメの中で、一番好きだ!」と、妻に感想を語りました。

ひとたび争いが起これば、すべてがひっくり返る
零戦を設計した堀越二郎の半生をテーマにしているゆえ、「戦争を美化するのか」「戦争賛美の映画だ」などという批判があります。
スタジオジブリ発行の小冊子『熱風』7月号の特集は、「憲法改正」でした。戦争を引き起こす恐れのある「憲法改正」について反対する文章を、本年7月の参議院議員選挙に先んじて発表しました。宮崎監督も執筆しています。宮崎監督に戦争賛美の想いなど、あろうはずがありません。

魂を込めて物作りに励む人・空への憧れを抱き続ける人・人のために出来ることを模索する人。そのような人は、いつの世にもいます。平和と表現される時代に生きていれば、それら熱い想いは、世のため人のために活かされることもあります。しかし、ひとたび争いを起こしてしまえば、それら熱い想いは、人を傷付けることへ転化させられることもあり得るのです。堀越二郎さんも、兵器作りに励んでいたわけではありません。自分の夢を形にしようとしていただけなのです。ただ、時代によっては、自分の夢の産物が、兵器へも変わり得るのです。平和利用を謳う原発も、核兵器となり得るように。
今、平和を叫ぶことは簡単です。私も平和を願っています。しかし、ひとたび争いの世になってしまえば、今、平和を叫んでいるわたしも、人を傷付ける罪人(つみびと)になることもあり得るのです。言いたいことが言えなくなり、善と思っていたことが悪に、悪と思っていたことが善になる。周りが変わるのではない。わたし自身がひっくり返ってしまうのが戦争です。

矛盾という名の現実と向き合う
喫煙シーンが多いゆえ、不快感を示す人もいます。
映画「風立ちぬ」は、「アニメーション映画は子どものためにつくるもの。大人のための映画は作っちゃいけない」と主張する宮崎監督に対し、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが食い下がって描かせたものです。
宮崎監督は戦時中(1941年)に生まれ、戦闘機の絵を好んで描いてきました。しかし、思想的には戦争には反対しています。この矛盾に対する答えを、自分なりに表現するべきではないかと、鈴木プロデューサーは宮崎監督を説得します。そして、宮崎監督は「風立ちぬ」という答えを出しました。
鈴木プロデューサーが指摘する、宮崎監督の中にある矛盾は、決して監督だけが抱えている矛盾ではありません。日本人全体が抱えている矛盾です。平和を望みながらも、戦争に向けて歩を進めている、矛盾している私たちに向けられた映画です。
わたしの中にある矛盾と向き合いながら、宮崎監督は「この世は生きるに値する」という想いを作品の根幹に込めました。果たしてわたしは、子どもたちに対して胸を張って「この世は生きるに値する」というメッセージを発する生き方をしているでしょうか? 
 
夢は狂気をはらむ、その毒をかくしてはならない(宮崎 駿)
この夏、中沢啓治さんが描かれた漫画『はだしのゲン』が、ある市において閉架措置にされていたことが問題となりました。
たしかに、過激な描写・残酷な内容の部分はあるかもしれません。しかし、戦争や原爆の悲惨さを訴える『はだしのゲン』が、どうして閲覧できない状況に追いやられたのでしょう? いろいろな思惑が見えて簡単には言い切れませんが、「見たくないもの(見せたくないもの)は隠す」「嫌なものは遠ざける」「受け入れられないものは拒否する」といった大人のわがままが感じられます。
たくさんの細菌がある状態だからこそ、いのちが生きていられるように、さまざまな表現・文化・思想・人がいるからこそ、自分で考えるという生き方ができます。内容が思わしくないと大人が判断して、表現や文化や思想が統制された世の中で育つ子どもたちは、どのように成長してゆくのでしょうか。

生きるに値する世の中・・・災いも身の不幸もなく、自分の思い通りになる世の中を、「生きるに値する」と思ってはいませんか? そんな世の中、人は生きられません。生きるに値しません。雑多だからこそ、矛盾を抱えるからこそ、問いを抱えて生きる身となるのです。この世は生きるに値するのです。

釈迦族の王子として生まれたゴータマ・シッダールタ(後のブッダ)は、アシタ仙人から「後に世の人々を救う覚者となります」と預言されます。王位を継いでもらいたい王(父)としては、そんな覚者になられては困ると、シッダールタの身の回りから、世の憂いを感じさせるもの(老・病・死・修行者)を排除します。しかし、やがて実際に老・病・死・修行者と向き合ったシッダールタは、人間が抱える苦悩に目覚め、苦悩からの解放を目指して国を出て修行者となり、さとり、覚者ブッダとなります。
忌み嫌うものを遠ざけた世の中に、問いは生じず、生きる意味は見いだせません。生きることに問いを持ち、生きる意味を模索する(決して答えを見つけ出す必要はありません)。 そこに、この世は生きるに値すると感じるこころが芽生えます。

風が吹いている。さぁ、生きよう。

 
   

 
掲示板の人形
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