惡
2013年10月9日(水) 西蓮寺聞法会開催
風強い中、ご参加くださった皆様、ありがとうございます。
今回は、松本梶丸さんの「罪深く、悪重きもの」の文章よりおしえをいただきました。
「罪悪深重」の我が身
聞法会の始めに「正信偈」をお勤めしながら、「惡」という字の多さに、あらためて気付きました。
8ページ 五濁惡時群生海
12ページ 一切善惡凡夫人
13ページ 邪見憍慢惡衆生
25ページ 一生造惡値弘誓
29ページ 極重惡人唯称佛
30ページ 憐愍善惡凡夫人
32ページ 拯済無邊極濁惡
(ページは、赤い表紙の『真宗大谷派 勤行集』のページです)
こんなに、惡、惡、惡・・・と呼びかけられていたのですね。
そんな正信偈の中で、「不断煩悩得涅槃」と証くださっている。
「不断煩悩得涅槃」 阿弥陀如来は、罪惡深重なるわたしを、このままのわたしを、包み込んで下さっている。倦く(あく)ことなく、わたしの持つ罪業生に涙しながら。
聞法会は毎回レジュメを用意していますが、『勤行集』の中に、おしえが、親鸞聖人の息吹がいっぱい詰まっていました。
聞法会で紹介した、詩人 栗原貞子さんの詩(呼びかけ)をご紹介いたします。
死者たちよ
安らかに眠らないでください
石棺を破って立ち上がり
飽食の惰眠に忘却する
生きている亡者を
はげしくゆすって
呼びさましてください
罪悪深重な我が身が悲しいのではない。
罪悪深重な我が身に無自覚なこと、
罪悪深重な我が身に目を向けることがあっても、忘れながら生きていること、
その事実が、悲しい。
先往く人 阿弥陀は、わたしを激しく揺さぶっています。
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