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2013年9月

2013年9月13日 (金)

デス サーティィィン

数日前、お世話になっている方に、ほんの気持ちを送らせていただきました。
お店の方から、「ご配送日は、いつがよろしいですか? ただ今の受付ですと、○日、○日、○日頃にはお届けできますが」と尋ねられたので、(いつでもかまわなかったのだけど、)
「じゃぁ、13日にお願いします」と応えました。
しばらくして、店員さんがまた尋ねます。
「あの〜、その日でよろしいでしょうか?」と確認するので、
「えぇ、いいですよ」と応えました。


あの確認は、なんだったのかなぁと思いました。
今日、なんとなく分かりました。
13日の金曜日、さらに仏滅なのですね〓
素晴らしい日です。お店としては、気を遣うのでしょうね。それならそうと言ってくれればいいのに。

せっかくいただいた大切な一日に、良いも悪いもありません。気にしない、気にしない。
じっと手をみる。今日もよろしくね。
隣にいる妻に言う。今日もありがとう。

2013年9月 2日 (月)

2013年9月のことば

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のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
      一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
―ある日のある少女の手記から
(長崎平和公園の碑より)

 

大切な人との別れに際し流した涙
カーン カーン 打ち鳴らされる鉦(かね)の音とその余韻
バババババババババッッッ 爆竹の破裂音と立ちこめる煙
毎年8月15日夕刻、長崎の街は精霊船で賑わいます。
初盆を迎える家庭は、2人ほどで担げるような船から、大人数で曳く船まで、大小さまざまな大きさの船をこしらえ、賑やかなるも厳粛な8月15日を迎えます。出航の鉦を打ち鳴らし、船は各家庭から大通りに出て、大波止の港に向かいます。4000隻ほどの船が通りを埋め尽くし、沿道は地元の人々や観光客で溢れます。

祖母の初盆を迎え、この夏は家族で、坊守(母)の出身地である長崎に赴きました。子・孫・ひ孫 総勢30人ほどに送られて、祖母の船は出航しました。
大波止の港に着き、昔はそこで船を燃やしていましたが、現代では環境の問題で焼却はせず、重機で解体して処分場に移されます。
私達の目の前で、祖母の船は重機により解体されました。その光景が、なんだかとても笑えてきて、いとこと一緒に笑いながら「おばあちゃ~ん、ありがと~、またね~」と叫びました。うっすらと涙を浮かべながら。
おばあちゃんとの別れに、けじめがつきました。船を出してくれた伯父(坊守の兄)一家に、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。
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戦争の凄惨な現実
1945年8月6日 広島に 8月9日 長崎に原爆が投下されました。今年は両日、妻と娘たちと共にテレビの前に座り、広島と長崎の平和祈念式典を見ました。そして、長崎の平和公園に、実際に足を運びました。
北村西望さんが作った平和祈念像。垂直に挙げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を表わしています。その平和祈念像から少し離れた噴水に、今月のことばの碑があります。
原爆投下によって、飲む物も、食べる物も、大切な人をも奪われた人々がいます。のどは渇き、水を飲もうにも、その水は汚染されています。しかし、その水でさえも飲まずにおれない状況が、68年前の広島と長崎にあったのです。今年も暑い夏を迎えましたが、こんな暑さとは比べものにならない熱さを、人々は経験しました。
戦後68年とはいっても、今もなお、戦争・原爆の傷に苦しみながら生きる人々がいます。決して過去のことではありません。
戦争の凄惨さ・原爆の苦しみは、語り継がれてゆかなければいけません。しかし、戦争や原爆の事実も悲しいことながら、その苦しみや痛みが薄れている現代に、得も言われぬ悲しみを感じます。
福島第一原発の事故で露わになったように、私たちには差別心が内包されています。福島県から県外に避難している人に対する嫌がらせ・福島県(故郷)に残って一所懸命に生きている人への非難など、無知・偏見から、大きな過ちを犯してしまっています。このことは、原爆投下後の日本の姿を、68年経った今になってあらためて映し出しています。

戦争は、国と国とがするものなのでしょうが、争いをクローズアップすると、個人と個人の対立に辿り着きます。戦争を繰り返さないために、国を監視する・政治に関心を持つというマクロの視点が必要です。しかし、それだけではなく、私が持っている差別心・他者を傷付けている姿に目を向ける、ミクロの視点が不可欠です。
戦争の凄惨さ・原爆の脅威を、実際に体験された方々は、年々数を減らしてゆきます。後を生きる者は、その話を聞き、感じ、さらに伝えてゆかねばなりません。しかし、無知・偏見・差別に踏みにじられ、語りたくても語れない人々がいます。「話しても、昔話とあしらわれてしまう」「被爆者であることが知られると、差別をされてしまう(この苦しみを、現代は福島の人々に味わわせてしまっています)」
「平和」ということばは、「平らな地平(同じ大地)に、和(やわら)かなこころで立つ」と読めます。しかし、「平和」ということばは、 「平和」とされる現実を表現しているのではなく、それが出来ない私を映し出してくれているように感じます。

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核の脅威と、その脅威を知りながらも尚も頼りとする軽率さ
原爆投下によって、それまで名前を持って生きていた人々が、誰とも分からぬ遺体となって市内中に横たえました。残された人々は、そのお骨を拾い集めます。保管場所を転々とし、やがて真宗大谷派 長崎教務所に納められることとなりました。
1999年11月9日 長崎教務所に「非核非戦の碑」が落成されました。名前も性別も年齢も出身地も分からぬ方々の、20,000体とも言われるお骨が、「非核非戦の碑」に共に収められています。

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「大切な人との別れに際し流した涙」
「戦争の凄惨な現実」
「核の脅威と、その脅威を知りながらも尚も頼りとする軽率さ」
それらは、時を経るに従って、忘れてしまって仕方がないものなのでしょうか。忘れてはいけません。いえ、忘れられません。私に先立っていのちを生き尽くされた方々が、「お前たちが忘れないために、私たちは呼びかけ続けているぞ!」と訴えているのですから。


   

掲示板の人形
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2013年9月の人形は、長崎の平和祈念像です。
長崎の平和公園を訪れ、9月に掲示することばは、表記のことばにしようと決めました。
で、飾る人形も、平和祈念像のレプリカにしようと思い、お土産屋さんで物色するつもりでいました。
ところが、坊守の実家近くを散歩していたら、骨董屋さんの店先に、この平和祈念像が飾ってありました。
「これだ!!」と思い、お店の方に声をかけ、購入しました。まさに出会いです。
念じていると、つながるものです
写真は、長崎で撮りました。背景は大村湾です。
    
 
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いろいろと飾りすぎて、賑やかになりました(^-^)

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