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2013年8月 9日 (金)

目を覚ませ!!

原爆が投下された日時
 広島 8月6日 午前 8時15分
 長崎 8月9日 午前11時 2分

両日とも、妻と娘たちとテレビの前に座り、祈念式典を見ました。
広島市長 長崎市長の声は、被爆された方々の叫びであり、福島の人々の願いのように聞こえました。
安倍首相の耳に届いただろうか。
安倍首相の挨拶は、声に出した内容よりも、触れず語らずの部分に、「なにを考えているか」「なにをしようとしているか」が潜んでいるような気がしました。それだけに恐ろしいです。
いっそ、「こういうことを考えています」とハッキリ言ってくれた方が、批判も賛同も、ハッキリした形で現われるだろう。しかし、ハッキリ語らず、解釈を歪めて自分たちのやりたいことを推し進めている現状は、もはや戦前戦中と同じなのではないだろうか。
 
NPT(核不拡散条約)再検討会議の準備委員会で、日本政府は核兵器の非人道性を訴える共同声明に賛同しなかった。
その理由は、共同声明中の『いかなる状況下でも核兵器を使用してはならない』という部分が、日本の安全保障政策と合致しないからだそうな。
「核兵器は、いかなる状況下でも使用してはならない!!」と、日本だからこそ訴えなければならないのに。日本だからこそ訴えられるのに。
   
広島の原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。
原爆によりいのちを奪われた方々に、同じ過ちをくり返さないと、堂々と言える世の中ではなくなってきました。
(今日の文章を書くに際し、この碑文に対する苦情・論争が多々あることを知りました。過ちを繰り返さない主体者がハッキリしないと。つまりは、原爆を投下したアメリカということをハッキリ書けということなのでしょうが。生きとし生けるもの全員が、戦争という過ちを繰り返さないという決意表明であると思うのですが。このような苦情があることに、驚きと悲しみを感じました)
  
以前、ブログで紹介したことばを思い返していました。

おねがいです、おとうさん、おかあさん
どうか、やすらかに眠らずにいてください。
いつまでも、花と、花を愛する人間のために
鐘を鳴らしつづけてください。
生きのこったものへの、鞭となって、
むしろ鞭のような花となって
生きつづけてください。

長崎に投下された原爆で、4人のお子さんを亡くされ、戦後、亡き子どもたちを想い、日本人形を集め続けられたご夫婦がいました。
このことばは、そのご夫婦のお墓の側面に刻まれていることばです。

戦争の、原爆の被害を受け、いのちを終えていった人々がいます。
戦後68年。戦争や原爆の恐怖を、身をもって体験された人々が年々減っています。
長崎市長は今年の平和宣言で、今を生きる中高生に、戦争体験者の声を聞ける最後の世代ですと呼びかけていました。直接に声を聞くことができるという意味では、確かに残された時間があまりありません。しかし、いのちを生き尽くしていかれた人々の声に、声なき声に、耳を澄ますことはできます。聞き続けていかなければいけません。
そうです、戦争・原爆、そして原発によりいのちを奪われた人々は、警鐘を鳴らし、鞭をしならせ、私達に訴えかけ続けているのでした。
目を覚ませ!! と

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