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2013年6月15日 (土)

誰かが言ったから大切なのではない 誰かが言ったことを、聞いた(受け止めた)人がいるからこそ、ことばは生きてくるのです

昨日紹介させていただいた 真宗大谷派衆議会(参議会)の
「日本国憲法第九十六条「改正」反対決議」
 
その中に「国(くに)豊(ゆた)かに民(たみ)安(やす)し。兵戈(ひょうが)用(もち)いることなし」とありました。
後半の「兵戈用いることなし(兵戈無用:ひょうがむよう)」とは、「兵隊も武器も必要がない」という意味ですが、お釈迦さまは「仏教広まるところに、兵隊も武器も必要としない国が開かれる」と言われたのであって、「兵隊も武器も必要としない国を作ろう!!」と扇動されたのではありません。
お釈迦さまは「兵戈無用」としか言われていないのです。お釈迦さまのことばを聞いて、自分のこころの中の“兵戈”(兵器や武器、他者や自分を傷付けるこころ)が無くなっていく世界をイメージした人がいらっしゃったのです。そうありたいと願った人がいらっしゃったのです。そういう人がたくさんいたのです!! 
だからこそ、お釈迦さまの ことば が大切にされてきた。頭から「お釈迦さまも兵隊や武器の無い世界を望まれました。“兵戈無用”と言われています」と言ってしまっては、「兵戈無用」がイメージさせる世界を狭めてしまうし、誤解されてしまうかもしれません。

誰かがこのように言ったから、こうあらねばならない。
誰かが、これはダメだといったから、ダメなんだ。
そうでは ないんです!!
ことばを聞いて、考えて、想像して、感じる…
そのことが、兵戈を用いる必要がない世界を、自然に開かせるのです。

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