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2013年6月23日 (日)

普遍的であり、一人のためのもの 一人のためのものであり、普遍的③

タイトル:と、いうことを こころ にとめて

2013年6月21日(金)の投稿で、
「人間の思想・発言は、立場・状況・環境などが変われば、コロコロ変わります」
と書きました。べつにそのこと自体は、否定されることではないと思います。
というか、そういう私であるという自覚が大切です。
  
先輩僧侶が強く訴えていました。
「私は、原発に反対しています。しかし、身内に誰か一人でも、電力会社に勤める人がいたとしたら、“原発反対”とは言い切れないかもしれません。そのように、条件次第で、私達の想いというものは変わるのです。そういうことを自覚しなければいけない。そのうえで“原発反対”を訴えるのでなければ、“原発推進”を主張する者と、やっていることは同じになってしまいます」
  
6月22日(土)の投稿で、悲しいベビーカー論争について書きました。
このことも、ベビーカーが邪魔だと言っている人も、子どもや孫を持てば、想いが変わるかもしれない。
ベビーカーを認めてといっている人も、必要な時期を過ぎると、他人事にしてしまうかもしれない。
  
今の自分の立場・境遇・環境・条件だけに立ってものを言うのは簡単です。
しかし、もし自分が、あい対する者の立場に立ったとしたら…。私は、今の主張をするでしょうか? できるでしょうか? と、疑わなければならない程度の主張を、今、しているのかもしれません。 

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