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2013年6月21日 (金)

普遍的であり、一人のためのもの 一人のためのものであり、普遍的①

タイトル:目の前に人がいる そのつもりで語る

自民党 高市早苗政調会長の発言 「福島第一原発事故で、死亡者が出ているという状況にはない。安全性を確保しながら活用するしかない」には驚かされました。
 
自民党は原発推進ですし、高市議員はもともと他者(ひと)が見えていないような発言をする方だったので(と、私は感じています)、こと原発に関していえば、立場・状況・環境などが変わったとしても、発言にブレはないと思います(こういうときは、ブレがないのですね)。
しかし、人間の思想・発言は、立場・状況・環境などが変われば、コロコロ変わります。
自民党は、政権を奪取したので原発推進に邁進していますが、もし政権が民主党のままだったら、民主党の原発政策にケチをつけていたことでしょう。ましてや、政権与党としての民主党議員の誰かが、高市議員のような発言をしたとしたら、鬼の首を取ったかのように、謝罪と発言の撤回、議員辞職、党首(首相)の責任を追及したことでしょう。
そういう面で、人間というものはブレながら生きているものですね。芯がないのでしょう。
 
べつに高市議員をかばっているわけではありません。
原発事故で死亡者が出ている状況にないだなんて、事実誤認もはなはだしい!!!! 何人の人を、大地を、いのちを殺してきたと思っているのですか!!!!
 
ただ、立場・状況・環境などが変わると、発言・思想に変化が見えるのは、誰もが経験したことでしょう。
想いを巡らして、誰かと話し合って、自分がつらい経験をして、つらい想いをしている人がいることに目を向けて、そのうえで思想や発言に変化が現われるのなら、その変化はブレではなく、大切な経験だと思います。
しかし、誰かに注意されたからとか、誰かに「こう言いなさい」と言われたとか、発言によって自分が傷ついたから、そのうえで発言を表向き変えるというのは、悲しすぎます。
  
そもそも、思想・発言に、正しい正しくないということはないと思います。その背景には、個々の人生という背景がありますから。不適切ということはありますが。
今回の高市議員のような発言があったとき、私が気になるのは(腹が立つのは)、そこのみを叩き、責任を追及する議員とマスコミです。(そんなところでとどまってるんじゃぁない!! 足の引っ張り合いをしてるんじゃぁない!!)
国民は、不適切な発言をした人に対して、「あぁ、そういう考え方の人なんだ。それじゃぁ、そういうつもりでいよう」と思うと思うのです。その結果、次の選挙で…(当選してしまうから不思議)。
その挙げ句、発言主は、いとも簡単に謝罪をし、発言を撤回をします。
「今回の発言は、不適切であり、謝罪し、撤回致します」と。簡単に考えているのでしょうね。
発言のどこに問題があり、誰を傷付け、これからどうするのかを、自分のことばで表現し謝るのなら、聞く耳も持てますが、謝罪が謝罪になっていないのが一般的です。おそらく、自分でもどこがいけなかったのか分からず謝っている人もいるのではないでしょうか。
 
自由に発言ができるということは、しあわせなことだと思います。
しかし、自分の想いを好き勝手にしゃべるのではなく、
自分の発言を聞き人たち・耳にする人たちがいるということを、忘れてはいけないと思います。
そういう意味で、顔と顔を向き合っての会話って、大事です。
ネットやSNSでの人間関係の悩みを耳にするようになりましたが、顔が見えない者どうしが、自分の発言によってどう思われるかを少しも考えずに、ことばのやりとり(“会話”とは言えないですね)をするのだから、傷付け合いや誤解が生まれても仕方がありません。

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