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2013年5月16日 (木)

因幡の源左さん

真宗大谷派 難波別院発行の「南御堂」5月号が届きました。
毎月ありがとうございます。
大阪教区・難波別院 宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要厳修おめでとうございます。
厳修直後の発行にもかかわらず、法要の様子を伝える紙面の充実ぶりに頭が下がります。

「南御堂」 連載漫画「妙好人」 因幡の源左さんのお話を読んでいて、西蓮寺掲示板5月のことばを振り返らせていただきました。
5月のことばは、
「こんなに我慢しているのに! と思っていたら、こんなに我慢されている私でした」
   
妙好人(みょうこうにん)とは、南無阿弥陀仏のお念仏との出遇いを喜び、念仏に生きた方をいいます。

ある日のこと、お念仏や仏法に感心のない方と、源左さんは会話をします。
「寺参りなどせずとも、平生の心構えさえしっかりしていれば、過ちなく人生を過ごせるだろう。世の中、人を許すこころが肝心。何でも堪忍して、堪えて暮らすのが、生きるコツだろう」と、その方は源左さんに言います。
それを聞いて源左さんは言います。
「私は、いまだかつて人さまの過ちを許したことはありません」と。

お念仏に喜びを感じられた源左さんのことだから、平生の心構えも見習うべき所で、何事にも堪え忍んで生きておられるのだろうと思いませんでしたか? おそらく、源左さんに話しかけた方も、「そうですね」という返事を予想していたのではないでしょうか。でも、源左さんは、「人を許したことはない」と言われます。
 
「私は、人さまに許してもらってばかりいます。私は、堪える力のない、煩悩具足の凡夫(煩悩に満ちあふれた 救いようのない者)です。誰が悪い、彼が悪い言うけれど、この私ほど悪い人間はいません。そんな私だけれども、私を仏にしてくださると、親鸞聖人はお説きくださいました。この私がたすかるのだから、他の人が助からないはずはありません。ありがたいことです。人のやることが気に入らず、せまい根性の私が、人さまから許されていました」
と、源左さんは言われたということです。
     
  
この娑婆世界における、人間関係における“我慢”・“堪える”は、「そんなことはない。私の方が我慢している。相手が我慢しているはずはない」という、満ちあふれる煩悩で打ち消されてしまいます。
しかし、そんな枠を飛び越えて、阿弥陀さまに“我慢されて”(人が為す“我慢”という意味ではなくて、“抱きしめられて”というような意味)、私たち一人ひとりは生きているのでした。
因幡の源左さんの姿から、あらためて教えていただきました。
南無阿弥陀仏

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