善知識
前の投稿の続き
ご本山での晨朝法要参拝を終え、ホテルに戻りました。朝食・チェックアウトを済ませて、再びご本山へ(時間は10時頃でした)。
すると、涙がこぼれるような光景が。幼稚園の子どもたちが、先生に連れられて御影堂の中へ。我先にと、子どもたちが堂内に入ってゆきます。
東本願寺出版部発行の『法語カレンダー随想集 2013』 4月の原稿を書かせていただきました。お持ちの方は、先にそちらをお読みいただけたらと思います。
人は誰でも
壁にぶち当たり
人生の先行きが見えず
涙が枯れるものではないことを知り
誰も自分のことなど分かってくれないと嘆き
自分は孤独な生き物なのだと悲しみに沈む
そんな時間を生きる瞬間(とき)があるのではないでしょうか。程度の差、内容の違いはあるけれど。
私もそんな瞬間を生きていたときがありました。
そんなフラフラしているときにたどりついたのが、東本願寺
強くもないのに、お酒で現実をごまかそうと、京の都を徹夜で飲み歩く。気付けば東本願寺開門の時間。フラフラ御影堂内へ。親鸞聖人が視界に入る太い柱に寄りかかる。
やがて晨朝法要が始まり、声明の声は阿弥陀堂から御影堂へ。姿勢を正すでもなく、ボーッと声明の響きの中に身を置く。法要も終わり、人もまばらに。その後も柱に寄りかかり続けました。
どれほど時間が経ったことでしょう。堂内に、明るい、元気な声たちが響き渡ります。御影堂内に幼稚園の子どもたちが入ってきます。我先にと親鸞聖人の前に座り、手を合わせ、なむあみだぶつ。やがて子どもたちは歌い始めます。なんの歌か知りません、始めて聞く歌でした。子どもたちの歌を聞きながら、ワンフレーズだけでも覚えておかなければいけないと、なぜか思いました。歌の最後、「しんらんさまが~おわします~♪」を、自分一人不幸を背負っていると勘違いして、酔っ払って、寝ぼけた頭にかろうじて記憶させました。
家に帰って調べると、歌は、仏教讃歌「光の中に」のようでした(もしかすると違うかもしれません。でも、私にとって子どもたちが歌っていた歌は「光の中に」なのです)。
あたたかに あふれるめぐみ
春の陽を 両手にうけて
ああ すみわたる 空のひろさよ
おおらかな 光の中に
親鸞さまは おわします
子どもたちは、しんらんさまがどのような人なのか、いつの世を生きた人なのか、どのようなおしえを説かれたのか、おそらく知らないことでしょう。でも、そんなことは どうでもいいのです。そんなこと知らなくても、しんらんさまが大好きなのです。しんらんさまを大切に想い、手を合わせ、お念仏を称えている方々が、目の前にいるのです。
その光景を見ていて、「あぁ、自分は何を迷っていたんだろう。今まで何を聞いてきたんだろう。こんなこと(自分の中でつらいと感じていた現実)まで我が身に起きないと、おしえに向き合えない自分だったんだ」と、目からウロコでした(涙は流していないと記憶しているけれど)。
そのように思った瞬間、つらさを自分一人のものと勘違いしていたけれど、幾人もの人々につらい想いをさせていた自分であることに気付きました。
壁にぶち当たり、人生の先行きが見えず、涙が枯れるものではないことを知り、誰も自分のことなど分かってくれないと嘆き、自分は孤独な生き物なのだと悲しみに沈む・・・これは、自分が味わうことではなく、自分が誰かに味わせてしまっている事実。自分を視る眼、周りを見る目が転換しました(回心とまでは、自分で言うようなことではないけれど)。
このような こころの変化を与えてくれたのは、目の前にいる幼稚園の子どもたち。「ありがとう」と、手が合わさります。子どもたちに出会えたこと、おしえが開かれていたことに感謝です。私にとって、こどもたちは善知識。おしえに出遇わせてくださった大切な師なのです。
ホテルのチェックアウトを済ませ、再びご本山に足を踏み入れた私の目に入ってきたのは、子どもたちの姿でした。
当然、あの当時の子どもたちではありませんが、私にとっては“あのときの子どもたち”なのです。ご本山の白砂にひざまずき、手が合わさりました。南無阿弥陀仏
今回の聞法の旅は、再び子どもたちに遇うための(私を子どもたちに遇わせるための)旅だったのかもしれません。ということは、「お前、何か忘れてないか? 何か見落としてないか? 何か勘違いしていないか?」という、阿弥陀如来の声なのかもしれません。
以上、今思えば大したこともないことで悩んでいた、書くのも恥ずかしい私の過去ですが、
おしえを(に)聞き続けるということ
知識の積み重ねによって信心や転換を獲られるのではないということ
善知識(おしえに出遇わせてくださる師)とは、高名な先生に限らないということ
しんらんさまがおわしますこと
などをお伝え致したく、筆を執りました。
(朝7時の晨朝法要から、子どもたちのお散歩の時間 10時頃…私は3時間近くも御影堂の柱に寄りかかっていたのですね。あの当時、時間の感覚がなかったので、3時間も柱に寄りかかっていたなんて、今になって知りました)
白砂にひざまずき、手が合わさった後、急いで御影堂に入り、子どもたちと一緒にお念仏申すご縁をいただきました。
「な~む~あ~み~だ~ぶつ」 (^人^)
(おまけ)
文章書き終えてから いろいろ検索をしたら、『随想集』の私の文章がアップされていました(知らなかった…)。どうぞお読みください。
→「念仏もうすところに 立ち上がっていく力が あたえられる」
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