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2013年3月31日 (日)

わたしは傷を持っている でもその傷のところから あなたのやさしさがしみてくる(星野 富弘)

今日の投稿は、「ことば こころのはな」ペーパーメディア2013年3月号に掲載しているものです。ブログでも掲載させていただきます。
   
    
      
今年も3月11日を迎えます。東日本大震災から2年が経ちます。震災・津波・原発事故に被災された方々にすれば、今もなお、表現し得ない時間の流れの中を過ごしておられることと思います。
今でも僧侶仲間が定期的に仮設住宅へ炊き出しに出かけています。ボランティアに行き、なにを感謝されるかというと、「忘れないでいてくれること」だと聞きます。「忘れないでいてくれてありがとう」「忘れられていないということを感じられるだけで、励みになります」と。被災された方々は、「覚えていてください」ではなく、「忘れないでください」と言われます。「忘れない」ということばと、「覚えている」ということばは、意味的には同義だと思います。しかし、「忘れない」ことと「覚えている」ことには、大きな違いがあります。
東日本大震災から2年が経ちましたと書きました。阪神淡路大震災にしても同じですが、私たち(被災していない者)は、3月11日や1月17日のその日に、新聞やテレビを見て、「あぁ、あれから○年か。早いなぁ。大変なことがあったねぇ」と、思い出すことができます。確かに「覚えている」のです。しかし、日常は忘れています。
「忘れない」ということは、その日を迎えずとも、ニュースによって知らされずとも、常にこころに刻まれていること。四六時中想っているということではなくて、私の生活(人生)の土台に、起きた出来事がシッカリとあることが「忘れない」ことなのだと思います。
起きた出来事を、無かったことにして歩むことはできません。起きた出来事の延長線上を生きることしかできません。
受けた傷を、無かったことにして生きることはできません。見た目の傷は癒えたとしても、傷を受けた事実はいつまでも事実としてあります。
“傷”と表現すると、つらい痛みをともなわせてしまうかもしれません。申し訳ありません。しかし、「こころに刻む」とか「目に焼き付ける」ということばがあります。「刻む」とか「焼き付ける」とは、つまりは「傷」ということ。その「傷」は、被災された方々だけが受けたものではありません。誰もが受けた「傷」です。起きた出来事(風景)を目に焼き付け、受けた傷をこころに刻む。その延長線上を生きる。つまりは、「忘れない」ということ。
記憶(「覚えている」ということ)は、記憶を重ねていくうちに埋没してしまいます。「忘れない」ということは、たとえ記憶を重ねていっても、常に新しい事実としてこころに残っていること。何年経とうが、常に新しい事実として想いをとどめる。そのことが「忘れない」ことなのだと、こころに刻んでいます。

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