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2013年3月

2013年3月31日 (日)

わたしは傷を持っている でもその傷のところから あなたのやさしさがしみてくる(星野 富弘)

今日の投稿は、「ことば こころのはな」ペーパーメディア2013年3月号に掲載しているものです。ブログでも掲載させていただきます。
   
    
      
今年も3月11日を迎えます。東日本大震災から2年が経ちます。震災・津波・原発事故に被災された方々にすれば、今もなお、表現し得ない時間の流れの中を過ごしておられることと思います。
今でも僧侶仲間が定期的に仮設住宅へ炊き出しに出かけています。ボランティアに行き、なにを感謝されるかというと、「忘れないでいてくれること」だと聞きます。「忘れないでいてくれてありがとう」「忘れられていないということを感じられるだけで、励みになります」と。被災された方々は、「覚えていてください」ではなく、「忘れないでください」と言われます。「忘れない」ということばと、「覚えている」ということばは、意味的には同義だと思います。しかし、「忘れない」ことと「覚えている」ことには、大きな違いがあります。
東日本大震災から2年が経ちましたと書きました。阪神淡路大震災にしても同じですが、私たち(被災していない者)は、3月11日や1月17日のその日に、新聞やテレビを見て、「あぁ、あれから○年か。早いなぁ。大変なことがあったねぇ」と、思い出すことができます。確かに「覚えている」のです。しかし、日常は忘れています。
「忘れない」ということは、その日を迎えずとも、ニュースによって知らされずとも、常にこころに刻まれていること。四六時中想っているということではなくて、私の生活(人生)の土台に、起きた出来事がシッカリとあることが「忘れない」ことなのだと思います。
起きた出来事を、無かったことにして歩むことはできません。起きた出来事の延長線上を生きることしかできません。
受けた傷を、無かったことにして生きることはできません。見た目の傷は癒えたとしても、傷を受けた事実はいつまでも事実としてあります。
“傷”と表現すると、つらい痛みをともなわせてしまうかもしれません。申し訳ありません。しかし、「こころに刻む」とか「目に焼き付ける」ということばがあります。「刻む」とか「焼き付ける」とは、つまりは「傷」ということ。その「傷」は、被災された方々だけが受けたものではありません。誰もが受けた「傷」です。起きた出来事(風景)を目に焼き付け、受けた傷をこころに刻む。その延長線上を生きる。つまりは、「忘れない」ということ。
記憶(「覚えている」ということ)は、記憶を重ねていくうちに埋没してしまいます。「忘れない」ということは、たとえ記憶を重ねていっても、常に新しい事実としてこころに残っていること。何年経とうが、常に新しい事実として想いをとどめる。そのことが「忘れない」ことなのだと、こころに刻んでいます。

2013年3月29日 (金)

さようなら 渋谷東急東横店屋上遊園地

渋谷東急東横店の屋上遊園地が閉店するそうです。
記憶に残る風景が、ひとつ、またひとつと消えてゆきます。
以下は、2011年6月11日にmixiに書いた文章です。屋上遊園地閉園のニュースを読み、そこで遊んだ日のことを思い出していました。

    
   
妻と娘2人と、お中元を頼むため渋谷の東急デパートに出かけました。
妻がお中元発送の手続きをしている間、私と娘2人は売り場をウロチョロしていました。

みほ(当時2歳4ヵ月)が、商品の見本にちょっかいを出し始め、売り場をウロチョロするのも限界が来ました。
みすず(当時2ヵ月)は、抱っこヒモの中で、気持ちよさそうに寝ています。
 
デパートの中を見渡し、外に出られることに気づきました。これで少しは時間がかせげると思い、外に出ました。みほは喜んで走り出します。
 
娘が走り出した先には、遊技場がありました。
 100円入れて、その場で動く乗り物
 柵の中だけで動き回る、足でボタンを踏んで動かす乗り物
 レール上をグルグル走る汽車や電車
 初期のUFOキャッチャー
  
今でもこんな遊技場があるんだ
目に飛び込んできた光景に感動してしまいました。
 
みほが、電車の乗り物に乗って、レバーやボタンを楽しそうにいじっています。「これがいいの?」と言って、100円を入れてあげました。
グウォン グウォンと動き出す電車。動くとは思っていなかったみほは、恐がって電車から降りてしまいました。
無人で動き続ける電車…なんだか切ないです。 
 
みほは、さっそく次の乗り物にのり、レバーやボタン・ハンドルなどを動かしています。
動かなくてもいいんですね。
  
それなりに楽しんでいる娘を見守りながら、昔懐かしいデパートの屋上の光景を眺めていました。今どきの商業施設にも遊技場はあるけれど、なんか雰囲気が違うなぁ。 
自分が小さいころ、どこのデパートに連れて行ってもらっても、このような遊具場がありました。夢中で遊んでいたときのことを思い出していました。
 
感傷にひたっていると、お中元を頼み終えた妻が来ました。
「こんな遊技場があるなんて知らなかった!!」
渋谷東急に来慣れている妻も驚き、感動していました。
 
みすずを妻に預け、
みほに「これに乗ろう!」と声をかけました。
レールの上をグルグル走る電車です。

小さい頃、デパートの遊技場で夢中になって遊んでいた自分が、自分の娘と一緒に乗り物に乗っています。「ありがとう」…こころの中でつぶやきました。
そんなこと知らないみほは、やはり動く乗り物が嫌らしく、「もう降りる」と言い出しました。「これは途中で降りられないよ」となだめながら、止まるまで待ちました。
  
帰路、妻は言います。
「みほよりも、あなたの方が楽しそうだったね」
 
うん、とても楽しかったです
また行こうね

2013年3月24日 (日)

西蓮寺お彼岸の風景2013

春彼岸 例年より早く桜が開花したそうです
人間の感覚では早いのでしょうが、花自身は、いのちのままに生きています
この濁った眼に、春の彩りが色鮮やかに飛び込んできました
   
例年、白梅が散ってから紅梅が咲き始めるのですが、今年は白梅と紅梅を同じ日に撮影することができました(お彼岸の数日前の撮影になります)。
    
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西蓮寺の山門入って右手に池がありました。
しかし、池の水の循環器が故障し(何度修理しても、すぐに壊れてしまいます)、池の水も涸れてしまうため、取り壊してしまいました。
水の流れる音は、こころにとても優しくて、お気に入りの空間だったのですが、残念です。
池がなくなったことに驚いて「どうしたんですか?」と尋ねてくださる方、池の存在そのものを知らなかった方、両極端な方がいて面白かったです。人間の関心は人それぞれですね。だけど、見るもの 在るもの その存在に気付き、なんらかの感動を持てる人間でありたいと思います。
      
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参道の到る所に「沈丁花(じんちょうげ)」が咲いています。
お彼岸中、沈丁花の芳しい匂いが漂っていました。
   
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「どうだんつつじ」って、漢字で書くと「満天星」なんですね。
落合恵子さん(の文章)から教えていただきました。
「満天星(まんてんぼし)」って書くんだと思うと、「どうだんつつじ」の見え方も変わってきます。
(「灯台躑躅(どうだんつつじ)」とも書くそうです。知りませんでした)
   
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「海棠(かいどう)」も咲きました。
桜も綺麗ですが、海棠も美しいです。バラ科の植物だそうです。
花言葉は「美人の眠り」(どういう意味があるのでしょう?)
        
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娘たちと植えたチューリップの球根
お彼岸前に芽が出始めて、先ずは一輪 花が咲きました。娘たちも楽しみにしています。
      
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水仙も咲きそうです。
 
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枯れてしまった牡丹
でも、その根元から新しいいのちが!!
毎年永代経法要の頃(4月29日)に花を咲かせます。
今年の永代経法要は、川村妙慶さんにお話をお願いしています。お花のように美しい方です。
   
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お彼岸中、「うちの桜です」と、ご門徒さんが持ってきてくださいました。
さっそくお座敷に生けさせていただきました(坊守が)。
いただいてから3、4日のうちに一気に咲きました。お座敷でお花見ができそうです
    
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お彼岸中の3月18日、おばあちゃんの100歳の誕生日をお祝いしました。
「おばあちゃんは、みすず(2歳)の50倍、みほ(4歳)の25倍生きたんだね」なんて言いながら、おばあちゃんのことを思い出していました。
昨夏、阿弥陀さまの元へ還っていった おばあちゃん。お浄土から見てたかなぁ。
もっとも、無量寿のいのちを生きる身にとって、100歳とか何年とか、そんなこと考える必要もないことなんだろうなぁ。小さい小さい 
 
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2013年3月21日 (木)

善知識

前の投稿の続き
ご本山での晨朝法要参拝を終え、ホテルに戻りました。朝食・チェックアウトを済ませて、再びご本山へ(時間は10時頃でした)。
すると、涙がこぼれるような光景が。幼稚園の子どもたちが、先生に連れられて御影堂の中へ。我先にと、子どもたちが堂内に入ってゆきます。
東本願寺出版部発行の『法語カレンダー随想集 2013』 4月の原稿を書かせていただきました。お持ちの方は、先にそちらをお読みいただけたらと思います。
 
人は誰でも 
 壁にぶち当たり
 人生の先行きが見えず
 涙が枯れるものではないことを知り
 誰も自分のことなど分かってくれないと嘆き
 自分は孤独な生き物なのだと悲しみに沈む
そんな時間を生きる瞬間(とき)があるのではないでしょうか。程度の差、内容の違いはあるけれど。
 
私もそんな瞬間を生きていたときがありました。
そんなフラフラしているときにたどりついたのが、東本願寺
強くもないのに、お酒で現実をごまかそうと、京の都を徹夜で飲み歩く。気付けば東本願寺開門の時間。フラフラ御影堂内へ。親鸞聖人が視界に入る太い柱に寄りかかる。
やがて晨朝法要が始まり、声明の声は阿弥陀堂から御影堂へ。姿勢を正すでもなく、ボーッと声明の響きの中に身を置く。法要も終わり、人もまばらに。その後も柱に寄りかかり続けました。
どれほど時間が経ったことでしょう。堂内に、明るい、元気な声たちが響き渡ります。御影堂内に幼稚園の子どもたちが入ってきます。我先にと親鸞聖人の前に座り、手を合わせ、なむあみだぶつ。やがて子どもたちは歌い始めます。なんの歌か知りません、始めて聞く歌でした。子どもたちの歌を聞きながら、ワンフレーズだけでも覚えておかなければいけないと、なぜか思いました。歌の最後、「しんらんさまが~おわします~♪」を、自分一人不幸を背負っていると勘違いして、酔っ払って、寝ぼけた頭にかろうじて記憶させました。
 
家に帰って調べると、歌は、仏教讃歌「光の中に」のようでした(もしかすると違うかもしれません。でも、私にとって子どもたちが歌っていた歌は「光の中に」なのです)。
 あたたかに あふれるめぐみ
 春の陽を 両手にうけて
 ああ すみわたる 空のひろさよ
 おおらかな 光の中に
 親鸞さまは おわします

  
子どもたちは、しんらんさまがどのような人なのか、いつの世を生きた人なのか、どのようなおしえを説かれたのか、おそらく知らないことでしょう。でも、そんなことは どうでもいいのです。そんなこと知らなくても、しんらんさまが大好きなのです。しんらんさまを大切に想い、手を合わせ、お念仏を称えている方々が、目の前にいるのです。
その光景を見ていて、「あぁ、自分は何を迷っていたんだろう。今まで何を聞いてきたんだろう。こんなこと(自分の中でつらいと感じていた現実)まで我が身に起きないと、おしえに向き合えない自分だったんだ」と、目からウロコでした(涙は流していないと記憶しているけれど)。
そのように思った瞬間、つらさを自分一人のものと勘違いしていたけれど、幾人もの人々につらい想いをさせていた自分であることに気付きました。
壁にぶち当たり、人生の先行きが見えず、涙が枯れるものではないことを知り、誰も自分のことなど分かってくれないと嘆き、自分は孤独な生き物なのだと悲しみに沈む・・・これは、自分が味わうことではなく、自分が誰かに味わせてしまっている事実。自分を視る眼、周りを見る目が転換しました(回心とまでは、自分で言うようなことではないけれど)。
このような こころの変化を与えてくれたのは、目の前にいる幼稚園の子どもたち。「ありがとう」と、手が合わさります。子どもたちに出会えたこと、おしえが開かれていたことに感謝です。私にとって、こどもたちは善知識。おしえに出遇わせてくださった大切な師なのです。
 
ホテルのチェックアウトを済ませ、再びご本山に足を踏み入れた私の目に入ってきたのは、子どもたちの姿でした。
  
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当然、あの当時の子どもたちではありませんが、私にとっては“あのときの子どもたち”なのです。ご本山の白砂にひざまずき、手が合わさりました。南無阿弥陀仏
今回の聞法の旅は、再び子どもたちに遇うための(私を子どもたちに遇わせるための)旅だったのかもしれません。ということは、「お前、何か忘れてないか? 何か見落としてないか? 何か勘違いしていないか?」という、阿弥陀如来の声なのかもしれません。 
 
以上、今思えば大したこともないことで悩んでいた、書くのも恥ずかしい私の過去ですが、
おしえを(に)聞き続けるということ
知識の積み重ねによって信心や転換を獲られるのではないということ
善知識(おしえに出遇わせてくださる師)とは、高名な先生に限らないということ
しんらんさまがおわしますこと
などをお伝え致したく、筆を執りました。
(朝7時の晨朝法要から、子どもたちのお散歩の時間 10時頃…私は3時間近くも御影堂の柱に寄りかかっていたのですね。あの当時、時間の感覚がなかったので、3時間も柱に寄りかかっていたなんて、今になって知りました)

白砂にひざまずき、手が合わさった後、急いで御影堂に入り、子どもたちと一緒にお念仏申すご縁をいただきました。
「な~む~あ~み~だ~ぶつ」 (^人^)
      
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(おまけ)
文章書き終えてから いろいろ検索をしたら、『随想集』の私の文章がアップされていました(知らなかった…)。どうぞお読みください。
→「念仏もうすところに 立ち上がっていく力が あたえられる

2013年3月18日 (月)

聞法(出遇い)の旅

ご本山に足を運んだのは、大阪に用事があったから。
大阪教区の若手の会(難度会さん)が、「正信偈」のリレー発表会をされると聞き、どのような発表をされるのか、ぜひ その場に身を置きたくて、大阪へ行ってきました。

私が聴聞の席に加えていただいた 3月13日(水)は、「正信偈」の依釈段 七高僧のお話でした。
お一人の持ち時間 20分~25分で、9名の方がお話をされました。
全員の発表の内容が雑多にならないように、全員が共通の課題(語句の説明・現代語訳など)を成されたレジュメ集がキチンと用意されていました。手にしたときに、驚きでした。
皆さんがご自分のいただきをお話しされ、「正信偈」のお話に身を置かせていただき、身に染み入る5時間でした。
難度会の皆様、ありがとうございます。
      
 

発表会が終わって、夜8時前。宿を取っていなかった私。大阪の夜を楽しもうかとも思いましたが、明朝 ご本山(京都 東本願寺)の晨朝法要のご法話は、東京教区の本多雅人住職。聴聞に行こうと思い、京都に泊まることにしました。
携帯で宿を探し、予約して、いざ京都へ電車で移動。
京都に着き、京都駅地下通路を通り、ご本山前に出る出口へ。
階段を上ると、東京教区のF君が。
「やぁ、お待たせ!!」と声をかけると、ビックリした顔で、
「お待たせじゃないでしょ!! 何してるんですか!?」
と、立ち話。すると、ご本山でのお仕事を終えて帰宅途中のO君(以前、東京教務所に勤務)が通りかかり、
「何してるんですか!!」
と、また少し立ち話。久しぶりの顔合わせでした。

チェックインする頃には夜10時前。テレビでWBC(日本対オランダ)の試合を見て、お腹が空いていることに気付く。新幹線の中でお弁当を食べてから、何も食べていませんでした。夕飯を食べに、木屋町へ。
学生時代、大谷大学の近くにあった居酒屋と、同じ名前の居酒屋さんがありました。
「もう遅いけど、いい?」
「はい、大丈夫ですよ」
店内には、他に2組のお客さん。ビールと京都のおばんざいを注文し、店長と話す。
「このお店、前はここにはなかったよね。谷大のそばのお店にはよく行ったんだ」
聞くと、20年前(私が学生の頃)には京都に数店あったお店も、今では木屋町店のみ。店長さんは、大谷大学近くのお店の初代店長さんだったとのこと。
2組のお客さんも帰り、お客さんは私だけに。
「店長、仕事中でもお酒吞む?」と尋ねると
「はい」とのお返事。
「じゃぁ、生ビール1杯追加。一緒に吞みましょう」で、乾杯。
お店の名前の由来、お店の変遷の話、北大路周辺の話、大谷大学の話、木屋町界隈の移り変わりの話、京都の話
だし巻き玉子を作ってもらって、締め。思いがけず懐かしく、楽しい時間を過ごすことができました。
ホテルに戻って午前2時。晨朝法要は朝7時から。とりあえず寝ることに。
  
 
 
朝7時 快晴 ご本山へ
晨朝法要 堂内は、衣姿の若い人がたくさん 修練生でした。
本多雅人住職の法話を拝聴。
法要が終わって、移動がはじまると、東京教区の人・人・人…みんなは、ご本山の奉仕団であったり、職員であったり、でも、私がいる理由は、尋ねなければ分からない。
「何してるんですか?」
本多住職とも話せたけれど、やはり先ずは、
「何してるん?」 (結局、何度尋ねられただろう?)
  
晨朝法話で
「私は原発反対の立場に立っています。その上で、お話します。~自分の姿を見つめることなく、原発反対だと言っても、あるいは推進だと言っても、どっちも同じです」(ものすごく大雑把に書いています)
とお話をされました。
「反対も推進も、立場は違うけれど、やっていることは同じ」…日常の会話において、おしえに触れるご縁がない人にとって、「?」な話。しかし、おしえに触れ、「自分の姿を見つめること」によって、あらたに見えてくる道があります。
『これから おしえに生きていく修練生にとって、「?」な話だったかもしれない。でも、その「?」なところを、これからの自分の課題にしてもらえたらいいなと思うんだ』と、本多住職は仰っていました。
反対・推進、善・悪 等々、どっちが良い悪いと考えるのではなく、おしえをいただきながら自分の姿を見つめながら生きて行かれることを、願っておられました。南無阿弥陀仏

 
 
ホテルに戻り、チェックアウト そしてまたご本山へ。プラプラ歩いていると、
「これから参拝接待所でご法話がございます」と声をかけられました。で、参拝接待所へ。10名ほどの方と、一緒に聴聞させていただきました。参拝接待所でのご法話って、以前からありましたっけ? 知りませんでした。
午後から関西は天気が荒れるとのことだったので、早めに新幹線に乗りました。関西だけでなく。全国的に強い風の吹く一日でした。都内も、電車が止まっていましたが、なんとか帰れました。
 
ご法話(法座だけでなく、人との出遇いも含めて)にどっぷりつかった2日間でした。
きっかけをくださった難度会さん、「いってらっしゃい」と送り出してくれた家族、出遇った皆さん、そしておしえに感謝です。南無阿弥陀仏
 
もうひとつ 大きな出遇いが…それは 次にでも

2013年3月17日 (日)

真宗本廟 御影堂門修復④

2013年3月13日(水) ご本山へ

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御影堂門修復フェンスに、「東日本大震災~復興支援の今~展」の展示がされていました。
(参拝接待所、地下ギャラリーの通路にも)
ご本山にお出かけの際は、ご覧ください。


(追記)
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久しぶりにご本山にお参りしたら、こんな注意看板がありました(もしかしたら、ずいぶん前からあるのかもしれないけれど)。
キャリーバック、一気に普及しました。旅行には便利ですよね。
でも、周りに無神経でキャリーバックを引いている人が多いと思います。
キャリーバックに引っかけられて転倒したという門徒さん(おじいちゃん おばあちゃん)の声もよく聞きます。
また、地面を引いてたキャリーバックを、当然のように廊下や畳の上で引く人も、多々いらっしゃいます。
ご本山でも、そのような人が多いのでしょうね。そして、注意書きの看板が作られた。
注意の呼びかけをされる前に、自分で気をつけたいものです。
最近気になっていたのが、新幹線内でのアナウンス 「お降りの方は、座席のリクライニングを元にお戻しください」…言われなくても元に戻しましょうよ。それから、ゴミも持って降りましょう。ゴミを置いて降りる人って、後に座る人のこと、考えないのかな。

絆、絆と言うけれど、注意の呼びかけが溢れる世の中 
大きな目標として、美しく見える行動として「絆」を遠くに掲げるのではなくて、
日常の、わたしの生き方の、注意の呼びかけなどされないような生き方の積み重ねが、絆と成る。

2013年3月13日 (水)

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏
おはようございます
真宗本廟(東本願寺)にて朝のお参り

2013年3月 9日 (土)

勿忘の鐘2013

勿忘(わすれな)の鐘2013
3月11日(月)午後1時30分より 西蓮寺聞法会 東日本大震災追悼法要を開催いたします。
午後1時30分より法話会を始め、2時46分 喚鐘を叩いて参加者全員で勤行いたします。
西蓮寺聞法会は毎月第1あるいは第2水曜日に開催しています。が、住職と相談し、今年から3月の会は11日に開催することに決めました。そのため、3月だけ曜日が変わります。
勤行の後は、参加者どうし 想いを語り合いたいと思います。

「勿忘」…「忘れることなかれ」
起きた出来事を
その地で生きていた人々を
その地で生きる人々を
生まれ育った地を追われて生きる人々を
悲しい思いをする人を生み出したのは自分であるということを
忘れないため、
「勿忘の鐘」が、日本各地の寺院でつかれます。
   
   
(ご報告)
2011年3月11日(月)
勿忘の鐘2013 西蓮寺聞法会 東日本大震災追悼法要をお勤めいたしました。

ご参加くださった7名の門徒さんと、西蓮寺の家族6人で、ご本尊の前で法要をお勤めいたしました。
2年前の今日はまだ若坊守のお腹の中にいた次女みすずが、お焼香して手を合わせてくれました。いのちは つながっていることを実感しました。
 
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

2013年3月 6日 (水)

2013年3月のことば

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五濁を生きる我が眼
 弥陀の大悲に包まれて
 光り輝く美しさを見ゆ

有り得ないことが起きている
首都東京を混乱させた、成人の日(1月14日)の大雪。雪国の方々からすれば、「この程度の雪で」と笑われそうな醜態でした。首都機能と、そこに住まう者の弱さを、雪は明らかにしてくれます。
その後も何度か雪が降り、立春を過ぎたとはいえ、まだまだ寒い日が続いています。しかし、いのちは、厳しい寒さを経て花開くもの。人間が「寒い寒い」と震えている間にも、境内では、梅の蕾が花開き、チューリップの芽が出てきました。
桃の節句を迎え、梅が咲き、チューリップが芽を出し、お彼岸を過ぎるころには桜が花開きます。春の色彩は、私たちの目に飛び込み、こころを和ませます(あぁ、花粉症さえなければ、春はなんて待ち遠しい季節なのでしょう)。
春のぬくもりに気持ちが高ぶり、花を見て綺麗だと感じるこころが起こる。春を迎えて、当たり前のことのように感じています。しかし、よく考えてみると、有り得ないことが、私のこころの中で起きているのだと思います。だって、私の眼を通して春への彩りの変化を見ているのですよ。

五濁(ごじょく)の世
お釈迦さまは、この世の汚れを「五濁(ごじょく)」と教えてくださっています。「五濁」とは、「劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁」の五つの濁りを言います。

【劫濁(こうじょく)】 時代の汚れ
 飢饉・疫病などの天災 動乱・戦争などの社会悪
【見濁(けんじょく)】 考え方の汚れ
 邪悪な考えがはびこり、それが常識とされる風潮
【煩悩濁(ぼんのうじょく)】 煩悩があふれる汚れ
 欲望が優先され、悪徳が横行する状況
【衆生濁(しゅじょうじょく)】 人々のあり方そのものの汚れ
 人々の資質が低下する状態
【命濁(みょうじょく)】 寿命の汚れ
 生きる意義が見失われ、充実しない空しい生涯

震災・津波が起こり、それに伴い原発の事故が起こり(劫濁)
正しい情報・詳しいデータが隠され、「大丈夫」のひと言で放射能を浴びせ続けられ(見濁)
原発によって苦しめられている人々がいるのに、原発政策は続けられ、しかも、こんなにも危険な代物を、他の国にも建設しようとし(煩悩濁)
原発がなければ、今の生活も、経済の維持・発展もないからと、原発に頼る生活を良しとし(衆生濁)
原発を推進するということは、ウラン採掘場や原発の現場で働く、放射能を浴びながら働く人を生み出します。また、事故後、住む場所・故郷を追われた人がいます。今現に、福島の地で除染作業に努め、子どもたちが安心して遊べるように命をかけている人々がいます。そのような現実を、自分の生活と切り離して生きるということは、つらい想いをしている人々のいのちを踏みにじるだけでなく、自分自身のいのちをも軽んじていることになります。つらい想いをしている人々がいる。その人たちのおかげで、今の私がいる。そのようなことに想いを馳せることなく生きるということは、空しさを抱えながら生きるということになります(命濁)。
 
「五濁」について考えたとき、原発に関することが頭から離れなかったので、書かせていただきました。しかし、例を挙げることの良し悪しも思いました。例を挙げてしまうことによって、特定の時代・特定の人に対して、「五濁」の姿を見てしまいそうだからです。
「五濁」とは、そうでない時代があったり、「五濁」の時代が来たりというものではありません。「五濁」とは、特定の誰かを指しているのではありません。いつの時代も、いつの世も、誰もが「五濁」を生きています。「五濁」にならない生き方を求めるのではなく、「五濁」を生きている自覚から、いのちは始まります。そういう意味では、2011年3月11日の震災・津波から、私たちは生き始めているのかもしれません。

むなしくすぐるひとぞなき
「命濁」の説明に、「生きる意義が見失われ、充実しない空しい生涯」と書きました。「五濁」の世ゆえに空しいのではなく、「五濁」の世を生きる自覚がないゆえに、空しいのです。「五濁」の世を生きる自覚があれば、そこに、真によりどころとするべきものを求める歩みが始まります。
私たちが普段よりどころ(頼り)としているものはなんでしょうか? お金・健康・家族・地位・名誉…いろいろあると思います。しかし、ひとたび地震や津波が来れば、そんなものは一瞬でひっくり返ってしまいます。自分が頼りとしてきたものが、いかに脆い(もろい)ものか、いかに永遠でないものか、誰もが感じたはずです。
真によりどころとするべきもの、真のよりどころを、親鸞聖人は阿弥陀如来と顕らかにしてくださいました。いかなる困難な状況に置かれても、どこの国の人でも、どんな教えを信じていようとも、性別や貧富や地位に関係なく、生きとし生けるものをすくうと誓われた阿弥陀如来。時代の隔たりのない、広く深い慈悲で、いのちを包んでいます。
「五濁」の世を生きる私たち。さまざまな悩み苦しみを抱えています。しかし、それらは無くせるものでしょうか? すべて他者(ひと)に原因があると言い切れるでしょうか? 
東日本大震災以降、「絆」という漢字(ことば)が大切にされています。人と人とのつながりによって、震災からの復興を目指そうという気持ちの表われだと思います。しかし、「手に手をとって、仲良く助け合おう」というイメージで「絆」と言うのであれば、それは違います。
「絆」という漢字は、家畜を木につないでおくための綱を象っています。本来「絆」には、「しがらみ」とか「世間体を気にしながらの付き合い」などという意味が内包されています。そういう意味が込められていることを知ったうえで「絆」を大切にするのであれば、意味があると思います。
私たちの日常は、世間体を気にしながら、しがらみを生きています。「絆」を大切にするということは、つまりは、生活の場の再認識なのだと思います。そこに、真によりどころとするものが感じられてきます。
親鸞聖人は、真のよりどころ、阿弥陀如来に出遇えたよろこびを和讃に書かれました。

 本願力にあひぬれば
  むなしくすぐるひとぞなき
  功徳の宝海みちみちて
  煩悩の濁水へだてなし

 
阿弥陀如来の、生きとし生けるものをすくいたいという願いに出遇えたならば、いのちを空しく過ごす人はいません。阿弥陀如来の慈悲のこころは、海のように広く際限がありません。五濁の世を生きるこの私をも、その海のように広く大きい慈悲のこころの中に受け止めてくださいます。
 
阿弥陀如来の大悲に受け止められているからこそ、見るもの、聞くもの、触るもの、すべてが美しく感じられます。空しく過ごす人はいません。
時節柄、春の彩りで文章を書き出しましたが、目がくらむほどの夏の暑さも、落ち葉に見る秋の切なさも、冬の暮れゆく淋しさも、いのちの営みすべてが美しく感じられます。
  
   
 
掲示板の人形
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仲の良いワンちゃん2匹
田崎由紀子様よりちょうだいいたしました。ありがとうございます。
 
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2013年3月 1日 (金)

二階堂行邦先生 「真宗聖典を毎日3ページずつ、お内仏の前で声に出して読んでいたときがあるんだ」

今、手元に一冊のアルバムがあります。
「スリランカ旅行 2003年2月15日~22日」
もう10年経つのか、懐かしいなぁ…
二階堂行邦先生と奥様とご一緒したんだよなぁ。
 
2013年2月22日 真宗大谷派東京教区専福寺 二階堂行邦前住職が還浄されました。
体調がよくない旨お聞きしていました。1月27日の教区御遠忌も、ご出講のご予定が叶わず、心配していました。訃報を伝え聞いたときは、冷静に受け止めつつ、その中でも驚きを隠せませんでした。
二階堂先生にお世話になった方は数知れず。多くの方がご葬儀に参列されていました。
 
東京教区で、今、率先して身をもって教化活動に当たられている方の多くが、二階堂先生の教えを受けてこられたと思います。厳しい方だったとお聞きしています。
「お聞きしています」というのは、私の世代くらいが教区に出てくる頃には、優しく接してくださった感じがあるからです。私よりも10歳ほど上以上の方々と、私くらいの世代では、先生に対する印象が違うかと思います。
何を言っているかといえば、先生との思い出を思い返すとき、一緒に吞みに行ったときのことを思い出すからです。
私が京都から戻って間もなく(20年ほど前)、二階堂先生を含めて数人で吞みに行ったとき、先生が私を指さして怒りました。「だいたいお前はなぁ…」 
その瞬間、「指をさしたら、他の3本の指は自分に向いてるんだぞ!!」と私は言い返しました。
周りにいる、先生に厳しく育てられた世代の方々は、酔いが覚めたような顔をしていました。怒鳴り返されるかと思いきや…
「そうか! そうだなぁ、俺の方向いてたわ!!」
アッハッハッと笑って、吞み続けられました。そのときのお顔が、記憶に残っています。私も、バカなことを言い返したものです。
優しく受け容れてくださったことへの感謝と、厳しく育てられた方々と同時期に育てられたかったなぁという想いがあります。
   
  
なんのときか忘れましたが、二階堂先生が
「真宗聖典を毎日3ページずつ、お内仏の前で声に出して読んでいたときがあるんだ。声に出して読んでいると、意味は分からなくても、こころに響いたもんだ」
声に出して聖教(しょうぎょう)を読む。先生もそういうことをしてたんだぁと思って、私もマネをしました。始めはただ読んでいるだけでした。しばらくして、私は肝臓を患い、伏せてしまいました。それでも、体が動くときは、お内仏の前で、真宗聖典を読んでいました。読みながら、自然と涙がこぼれてきました。『教行信証』…なんてすごいものを親鸞聖人はお書きになられたんだ!! って想いました。
その感動は今でも覚えているのですが、残念ながら、『教行信証』に何が書かれているのか説けと言われると、まったくお話できません。
そのときの涙があるので、「お経って、何を言っているか分かりません。どうして現代語で訳して、それを読まないんですか?」などと言われるとつい反論してしまいます。「お聖教を声に出して読んでください」と。
ネット情報が氾濫する現代です。ちょっと調べれば、お経の現代語訳はけっこう手に入ります。現代語で知りたい気持ちは分かります。その学びも大切です。しかし、現代語は訳した人の想いや考え方が入ってしまいます。現代語訳した時点で、お聖教でありつつも、お聖教ではなくなってしまいます。
お聖教を声に出して読んでみてください。きっと、感じることがあるはずです。

先の、先生に言い返してしまったエピソードは、すぐに思い出しました。この、お聖教を声に出して読む話は、二階堂先生のお通夜で、正信偈をお勤めしているときに思い出しました。
「あぁ、お聖教から遠ざかった生き方をしていたなぁ…」
お通夜のお勤め中に、そんなことを想いました。先生からの宿題だと想っています。
   
  
リーフレット委員会に籍を置いていたとき、スタッフ全員で、先生にお話を伺いました。
私は勝手に、「こういうものが必要だ」「こういうものはダメだ」と、方向性を示していただけるものと思い込んでいました。しかし、「こうあらねばならない、ということは全くありません。あなたたちの力で、たくさんリーフレットを作ってください」と先生は仰いました(と、私は受け止めました)。
若い力が何かしようとすることを、温かく見守ってくれていたのだと思います。それは同時に、責任を背負う覚悟があってのメッセージだったのだと、今更ながらに想います。
周りに向く優しさとは、内なる厳しさの表われなのですね。
   
   
ホームページ班 スタッフとしてお話を伺ったとき。今思い返せば、このときが、ゆっくりとお話をした最後になります。先生とお話をしていて、お話の内容を、一刻も早く、ご縁ある方(教区HPを訪ねてくださった方)にお伝えしたくて、インタビューから帰ってすぐにパソコンに向かい、テープ起こしをしたことを覚えています。
東京教区HP「くらしにじぃーん」 筆者をたずねて 二階堂行邦先生
  
  
思い出すままに書いています。あぁ、かわいがってもらってたんだなぁ。
今、手元に一冊のアルバムがあります。先生と共にスリランカを旅行した際のアルバムです。
悔しいんだけど、旅行の記憶があまりありません。
シギリヤロックに登ったとか、現地の日本料理屋の料理とか、ホテルのロビーに立派なひな壇が飾ってあったとか(異国にいながら、日本に触れていました)、そういう記憶はあるのだけど…。
せっかく一週間近く一緒に旅行しながら、二階堂先生と何を話したか、何を言われたか、先生の仕草…そういうことが思い出せません。悔しいなぁ。
旅行に行ったら、観光もいいけれど、共に旅する人と語り合う。それが旅行の醍醐味なんですね。
  
阿弥陀さまのもとで、奥様と会われたかなぁ。
うん、よかった。
 
二階堂行邦先生、お世話になりました。ありがとうございます。
あらためてお聖教に向き合います。

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