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2013年1月

2013年1月26日 (土)

欲深き 人の心と 降る雪は つもるにつけて 道を忘るる

欲深き 人の心と 降る雪は つもるにつけて 道を忘るる

成人式の日に降った雪もやっととけました。
瓦が落ち、雨樋が外れ、スコップが折れるなど、雪のイタズラにも困ったものです。
今もまた日本海側では大雪だそうですね。雪国の方々のご苦労と比べると、東京の雪など可愛いものだと思います。にもかかわらず、雪が降れば途端に生活に支障が出る脆弱さが情けないやら、可笑しいやら…。それにしても、成人式を迎えた若人やそのご両親にはお気の毒なことと、降る雪を眺めていました。

見た目には綺麗な雪ですが、瞬く間に降り積もり、行く手を阻む雪を、煩悩に譬えた短歌があります。先に書いた短歌です。
「欲深き 人の心と 降る雪は つもるにつけて 道を忘るる」
欲の心と雪、積もるほどに、道を見失ってしまいます。雪を綺麗なものとして譬える人は多くても、煩悩に譬える人はなかなかいないのではないでしょうか。感心してしまいます。

さて、雪がとけて、道が見えてきました。
道には、落ち葉やタバコの吸い殻やゴミが落ちています。雪が降る前から落ちていたのか、降っている間に捨てられたのか、降り積もっている雪に投げ捨てたのか。いづれにしても、雪が残っている間は、まともに掃除も出来ませんから、落ち葉やゴミは雪にたまってゆきます。そして、雪がとけると共に表われるのが、落ち葉やゴミです。たまりにたまったゴミが、一気に顔を出します。

煩悩をなくしたい人、煩悩を無くすことを良しとする人もいることでしょう。
しかし、雪(煩悩)がなくなって、そこで初めて見えてきたものは…煩悩の残骸でした。(“落ち葉”を残骸というのは、申し訳ないことですが)
雪という煩悩は、見た目 真っ白で綺麗です。煩悩といっても、決して否定されるものではありません。「大切な人を守りたい」という想いがなければ、親は子を育てられません。「生きたい」という欲がなければ、人は生きられません。煩悩というと、勝手に“黒”のイメージを持ってしまっていましたが、“白”いものなのかもしれません。
しかし、
「大切な人を守りたい」ゆえに、他者(ひと)を傷付けることがあり、
「生きたい」ゆえに、他者(ひと)を殺めることがある。
それが、縁(関係性)を生きているということなのでした。

煩悩がなくなったとして、清浄なるこころ・世界が開けてくるのかと思ったら、そこは煩悩の残骸(煩悩ばかり)の世界でした。煩悩がある世界以上の、さらに煩悩の世界でした。

煩悩や雪によって道を見失ってしまいます。
煩悩や雪がとけたら、道が開かれるのかなぁと思ったら、
今まで見えなかった、白いもので誤魔化していた、煩悩・ゴミばかりが目に飛び込んできました。
己の姿が浮き彫りになるのでした。

タバコの吸い殻を掃き集めながら、そんなことを思わせていただきました。南無阿弥陀仏

雪がとけたら…春が来ますよ^^
と言われたら、今日の文章が吹き飛んでしまいますが^^;

2013年1月21日 (月)

「わすれないでね」と「おぼえていてね」

2013年1月17日(木) 阪神淡路大震災から18年が経ちました。
私は、阪神淡路大震災の揺れを京都で経験しました。大谷大学での研鑽も終わりが近づき、東京へ戻る準備を始めた頃でした(ちなみに、地下鉄サリン事件が起きた日に、東京に引き上げてきました。東京駅に着いたときには、大変なことが起きていました)。
阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件からの経過年数が、大谷派僧侶としての歩みの年数に重なります。
「震災から(サリン事件から)○○年」と報道されるのを見て(耳にして)、「それだけの年数が経ったんだ」と、いろいろな想いが込み上げてきます。

今年の3月11日には、東日本大震災から2年が経ちます。
私の周りには、今でもボランティアに足繁く通う朋がいます。
ボランティアに行った方々から聞かせていただくのは、現地の方々の「(私たちのことを、震災が起きた事実を)忘れないでください」という声。
東日本大震災におけるボランティアに、私は行っていないのですが、かつて中越地震が起きた際、ボランティアに行ったとき、やはり「忘れないでください」という声をかけていただきました。
「来てくださってありがとうございます。私たちのことが忘れられていないと、そう思えるだけで力になります。どうか私たちのことを忘れないでくださいね」と。震災で家の中が散乱しているのに、お内仏だけが綺麗に整えられていたのが印象的でした。ご自身のことですら大変なときに、まずお内仏を、ご本尊を元に戻された。その姿と、そのようにさせる(そうせずにはおれない)はたらきが現にあることを感じました。

「わすれないでね」
耳の底に留まる「わすれないでね」の響き。阪神淡路大震災から18年が経ち、あらためて噛みしめました。
そこで、ふと思いました。「わすれないでね」ということは、「おぼえていてね」ということ。でも、被災された方々の声として、「おぼえていてね」という声は聞いた覚えがありません。やはり、「わすれないでね」です。
どうしてだろう…。
「わすれない」「おぼえている」 ことばの意味としては同じかもしれません。しかし、決定的な違いがあるような気がします。
阪神淡路大震災も東日本大震災も、日本人なら、誰もが記憶に留めていることと思います。しかし、記憶に留める、「おぼえている」ということは、日常は忘れているのではないでしょうか。1.17 3.11の日を迎え、新聞やニュースを見て、「あぁ、震災から○年か」と思い出します。決して、「そんなことあったっけ?」とは思わないことでしょう。
記憶としては、たしかに「おぼえて」います。しかし、日常は忘れ、年に一回(或いは数回)思い出すことを「おぼえて」いるというのではないでしょうか。そのことは、「わすれない」こととは違います。
「わすれないでね」という響きは、いかなるときも忘れない、つらい想いをした人がいる、今も現に悲しみの中にいる人がいる。そのことを、いついかなるときも胸に刻まれていることが「わすれない」ことなのだと感じます。

「阪神淡路大震災から18年か。月日が経つのは早いものだね。でも、復興を果たし、よかったね」と言えてしまうのが「おぼえている」ということだと感じます。
18年経った今も、復興を果たしていない現場があります。仮の住まいから出て行かねばならない時が近づいていることを、“どうしよう” “どうしたらいいのだろう”と悩んでいる人が、今も現にいるのです。
そういう人がいることに想いを馳せることが、「わすれない」ことだと感じます。

「“わすれない”も”おぼえている”も同じでしょ」と言われば、たしかにそうです。
でも、「おぼえていてくださいね」と言うのではなく、「わすれないでくださいね」という声が出るということは、そこに明らかに違いがあります。
発言主(被災された方々)としては、「おぼえていてね」ではなく、「わすれないでね」と言った方がいいよなぁ などという作為はありません。
でも、聞く方、耳にする方としては、「わすれないでね」の響きは、いついかなるときも、耳の底にある響きであると思います。

記憶は、記憶を重ね、埋没していきます。
きっかけがあれば思い出しますが。
忘れないということは、たとえ記憶を重ねていっても、常に一番上に残っているのだと思います。
何年経とうが、常に新しい事実として想いをとどめることが、「わすれない」ことなのだと思います。


2013年1月14日 (月)

まず動く

2013年1月14日(月)
西蓮寺あたりは、午前9時頃に雨が雪にかわり、一日中降り続けていました。
今日はご法事がありました。ご法事の方々が歩けるように、ご法事が始まるギリギリまで参道の雪かきをしていました。ご法事中は、若坊守が娘たちと一緒に雪かきをしていましたが、雪は降り続けています。しばらくすると、雪かきを始める前以上の積雪が

降り続ける雪の中で雪かきをしても無駄、意味がないと仰る方はいるでしょう。しかし、たとえ無駄なように思えても、雪かきをせねばならないときがあるものです。無駄なことのように思えても、無駄なことなどありません。

などと思うのも、まもなく開催される東京教区親鸞聖人750回御遠忌法要について、「そんなことやって、どんな意味があるんですかね。無駄だと思うけどなぁ」と言う若いお坊さんがいると伝え聞いたからです(誰なのかは知りませんが)。 
その若いお坊さん、やる前から、或いは何も関わらずに無駄無駄いうのは止めましょう。やってみて無駄だと思ったなら、それはそれでいいことです(その段階で、もはや無駄ではありません)。
もし無駄だと思うなら、自分がこれこそ意味があると思う活動をすればいい。「意味があります? 無駄じゃありません?」と言う人に限って、何もしていないものです。

協力しなければダメなどと言っているのではありません。自分の頭の中で、「どういう意味があるのだろう」「どういうご縁の積み重ねで、このようなことをすることになったのだろう」「どのように動けばいいのだろう」って、考えましょう。
その結果、距離を置いたり、違うことを始めるのならば、それはそれでいいと思います。しかし、おそらく誰かの入れ知恵か、誰かが言ったことを鵜呑みにして、「意味があります? 無駄じゃありません?」と言い、しかも誰かを責めるのはやめましょう。そんなことして、意味あります? 無駄じゃありません?
降雪の中で雪かきをしながら、そのようなことを思っていました。

東京教区親鸞聖人750回御遠忌法要」に是非ご参詣ください。

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2013年1月10日 (木)

試練は乗り越えられる者にしか訪れない

昨年末の松井秀喜選手の潔い引退には驚かされました。
2013年のシーズンが始まるまでに所属球団が決まらなかったら…(引退が)あるかなぁ、とは思っていましたが、シーズン始まる前に引退を決意されるとは思ってませんでした。

昨シーズンは、小久保裕紀選手(ホークス)・金本知憲選手(タイガース)・城島健司選手(タイガース)・石井琢朗選手(カープ)など、記録や記憶に残る選手が大勢引退しました。いつかその日が来るものとはいえ、淋しいものです。

さて、タイガース城島選手が引退しました。前のシーズンから続く相次ぐ怪我や故障で、ろくにトレーニングすら出来ない状態だったようです。
城島選手がホークスに入団したときの王貞治監督自身、城島選手の大ファン。もう一度グランドでプレーする城島選手の姿を見たい王さんは、城島に声をかけました。
「試練は乗り越えられる者にしか訪れない」と。
恩師 王貞治さんからのことばを胸に、復帰を目指しましたが、現役バリバリのプレーヤーとしてグランドに立つことはできませんでした。

王さんが声をかけられた「乗り越え」るとは、怪我を克服し、レギュラー選手として復帰することを意味していたことでしょう。
世間一般で “試練を乗り越える”といったら、困難を克服すること・問題を解消することを意味するのかもしれません。

でも、困難を克服する・問題を解消することばかりが、「乗り越える」ではありません。
困難・問題を抱えたままに、生きる道を見いだせる、光明を感知する…そういうことが、あるものだと想います。
あるいは、困難・問題等との出会いを通して、あらたに見えてくるものがある。今までの傲慢な自分に気付けるということもあります。「人生で起こる何事も、無駄なことは何一つない」という先達のおことばは、困難・問題等との出会いを通して出てきたことばです。

王さんの「試練は乗り越えられる者にしか訪れない」ということばは、2012年こころに残ったことばのひとつです。
城島選手や、「人生で起こる何事も、無駄なことは何一つない」ということばを残された先達、福島で頑張っておられる方々に比べれば、かつての私の苦悩など比べるにも足りないものですが、自分的に思いっきり壁にぶち当たり、どこを歩いたらいいのか分からない時期がありました。
 
彷徨っていた当時、私の身に起きたことをすべて承知した上で、私に声をかけてくださった方がいます。その方は、こう仰いました。
「あなたの身に起きたことは、あなたならすべて引き受けられると思って、阿弥陀さまが与えてくださったことだと思います」と。
私は、そのことばにすくわれました。そのことばのおかげで、今の私がいます。いえ、今、私がいます。
その方自身、私の苦しみなんかとは比べものにならないほどの悲しみの中にいました。でも、
「私の身に起きたことも、私なら大丈夫だと思って、阿弥陀さまが与えてくださったのです」と仰いました。
私にとって、真宗と、親鸞聖人と、阿弥陀さまと出遇えたのは、この ことば のおかげです。もっと言うならば、阿弥陀さまと出遇えたのは、我が身に起きた出来事のおかげなのです。そう思えたとき、試練を乗り越えられました。現実は、まったく何も変わらないけれど。
 
王さんが城島選手に「試練は乗り越えられる者にしか訪れない」と声をかけられたとニュースで知ったとき、
「あなたの身に起きたことは、あなたならすべて引き受けられると思って、阿弥陀さまが与えてくださったことだと思います」ということばを思い出し、あらためて噛みしめていました。

「あなたの身に起きたことは、あなたならすべて引き受けられると思って、阿弥陀さまが与えてくださったことだと思います」
もしかしたら、なかなか受け容れられないことばかもしれません。でも、このことばの頷きが、“試練を乗り越える”ということだと想います。

松井選手には長嶋さんがいて、城島選手には王さんがいる。
私には、声をかけてくださった○○さんがいる。
ただ顔と顔を付き合わせるだけの出会いではなく、人と人とは、困難を通してこそ本当に出遇えるのかもしれません。


「あなたの身に起きたことは、あなたならすべて引き受けられると思って、阿弥陀さまが与えてくださったことだと思います」
と、声をかけていただいた時期(とき)と、ご本山から出版されている法語カレンダー随想集『今日のことば』(4月の項)に書いた、幼稚園児たちが歌ってくれた親鸞聖人の歌を耳にした時期(とき)は、時期(とき)を同じくしています。
彷徨いつつも、(それを受け容れようというほどの強い意志もありませんでしたが)苦悩を無くそうとはしていませんでした。この状況の延長線上に、私はいるのだと想っていました。その想いによって、ことばに、歌に、人に、そして起きた出来事に向き合えました。
「乗り越える」とは、そういうことだと想います。

2013年1月 1日 (火)

2013年1月のことば

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深海魚 光に遠く 住むものは つひにまなこも 失ふとあり
                                     堀口 大學

   
民意と現実
明けましておめでとうございます。暮れの国政選挙の喧騒を経て、新しい年を迎えました。本年もよろしくお願いいたします。
さて、選挙の結果は、皆さんご存じの通り自民党の圧勝となりました。民主党政権に愛想を尽かした民衆が、長きに亘り政権を担っていた自民党に再び期待を込めた結果なのでしょうか。
2011年3月11日の東日本大震災と、その後に起きた原発事故。世間は、当時の与党の不手際を厳しく責めます。責められて仕方ない側面もありますが、さて、あの大惨事の渦中、誰が手際よくタクトを振ることが出来たでしょう。今も続く原発事故の被害も、最悪の場合を想定せず、地震大国日本に54基もの原発の建設を推進してきたのは、どこの誰でしょう。
毎週金曜日の国会前や首相官邸前での反原発デモは続いています。その他にも、さまざまな抗議活動が起きています。自分が反原発の意思表示をしているせいか、民意は反原発・脱原発・卒原発に向いているものとばかり思っていました。しかし、情勢はまったく正反対の方を指し示しました。あぁ、私は何も見えていませんでした。

深海魚に見る私
今月のことばは、昭和42年(1967年)の歌会始において、詩人の堀口大學氏が詠まれた歌です。お題は「魚」でした。
太陽光が届かない深く暗い海の底に生きる深海魚は、視力を失います。大學の歌は、まさに深海魚のことを詠っているのでしょうが、それと同時に、なにも見えずに生きている人間の有り様を歎き悲しんで詠んだようにも聞こえてきます。
イメージが大切だ
原発の事故により、故郷を奪われた人々がいます。被害を受けない地域に住んでいる人は、「そんな危ない所からは早く逃げなさい」と言います。しかし、離れられない場所・いつかは帰りたい土地こそが、故郷なのではないでしょうか。捨てられないのです。あきらめきれないのです。
ということを言うと、「自己責任でそこに住んでいるのだから、覚悟があるのでしょう」と言われてしまいます。他者(ひと)の故郷を、早々に避難した方がよい環境に変えてしまったのは、どこの誰でしょう。この私なのです。我が身の振る舞いが見えずに、他者を責める。つひに眼を失っているのは、この私です。他を責めるのはたやすいですが、自分を責める(自分の姿に気づく)ことは、難しいことです。
原発事故後、「原発の事故や、悲しみの中にいる人がいることを忘れてはいけない」と耳にします。悲しみに寄り添って生きてくださる方もたくさんいらっしゃいます。しかし、投票において、「なんの政策に重きを置きましたか?」という問いに、多くの人が「経済政策」と応え、「原発問題」と応えた人は僅かでした。
「他者(ひと)のことも大切だけど、先ずは自分が生きることを考えなければいけないでしょう」と言われれば、確かにその通りかもしれません。
(こういう話をするとき、宮沢賢治さんの「世界全体が幸福にならないかぎりは、個人の幸福はありえない」ということばが突き刺さってきます)
しかし、経済や雇用を優先して投票した結果が、暮れの選挙結果ですか…。経済のために、また新たな争いを起こそうというのですね。これからの日本が、世界がどのような方向に進んでいくのか分かりません。どの政党が政権を担うべきなのか、正解だってありません。しかし、私たちはもっともっと考えなければいけません。先が読める訳ではないけれど、正解が導き出せる訳ではないけれど、イメージしなければいけません。何も見えていない私を自覚しながら。

コンセントの向こう側
ある朝、妻から「あなた、夜、ポットのコンセントを抜くの忘れたでしょ」と注意されました。べつにいいじゃんと思いつつ、「ごめん」と返事をする私に妻は言います。「コンセントの向こうを想像してご覧なさい」と。
妻の戒めのことばは、「さようなら原発集会」における武藤類子さんのスピーチからの引用です。
「私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を、想像しなければなりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っている事に思いをはせなければなりません。原発はその向こうにあるのです」。
このスピーチを耳にしたとき、原発問題に無自覚・無関心でいた私を思い知らされました。大切な訴えでした。肝に銘じたつもりでした。でも、忘れてしまっていました。思い切り頭を殴られたような朝でした。

無明(むみょう)
「真理に暗いこと」「何も見えていないこと」を「無明」といいます。「自分さえ良ければいい」と、自分しか見えていない(実は自分すら見えていないのですが)私の姿を教えてくださることばです。
光届かぬ深海で視力を失う深海魚のように、無明なる生き様をさらす私は、他者(ひと)のみならず、自分自身も見失って生きています。

すでに光の中
深海魚は、現実に光から遠く離れて住んでいます(生きています)。でもね、私たち人間は、光に照らされながら生きているのです。誰をも平等に照らす光、阿弥陀の慈悲の光を浴びながら生きているのです。それなのに、光から遠く離れ、眼を失う生き方をしている私なのです。

光があるからこそ、見えてくるものがある
「無明」とは、「他者が見えない生き方」のみを言うのではありません。悲しみに襲われ、孤独に身を置く私も、「無明」のただ中と言えるでしょう。
生きていれば、人と関わりを持っていれば、つらいこと悲しいこと腹立たしいこと、たくさんあります。嬉しい記憶・幸せな時間など、悲しい出来事によって一瞬で吹き飛んでしまいます。愕然とする現実の中で、それでも私は生きていかねばいけません。年間の自死者が何年にも亘り三万人を超す日本です。「自殺はいけないよ」と声を掛けることは、もしかしたら「そんな危ない所からは、早く逃げなさい」と言い放つことと同質なのかもしれません。自死を止めること、とがめることは、相手が見えていないことなのかもしれません。
自死を選ぶほどの苦しみを抱えた人は、何が見えているのでしょう。悲しい現実だけなのでしょうか。我が身に降り注ぐ阿弥陀の慈悲の光を感知して欲しい。
もちろん、感知したところで、悲しみやその原因が解消するわけではありません。現実は現実のままです。しかし、光の感知によって、「こっちの道に行ってみようかな」「立ち止まってもいいんだ」「独りじゃなかった」と、今まで見えていなかった生き方が見えてくるものです。
悲しみは・・・つらいです。でも、悲しみがつらいのは、悲しい出来事そのものよりも、悲しみによって周りが見えなくなってしまうことなのかもしれません。
悲しみ(苦しみ・悩み)にぶつかると、何も見えなくなってしまいます。悲しみのただ中にいる私に見える道は…一本。でも、他にも道はあります。道ではない所も、私が歩めば道になります。
先に進むばかりが歩みではありません。立ち止まることも、来た道を戻ってみることも、悲しみを抱えながらも越えてゆく歩みです。
「誰も助けてくれない」「こんなに頑張っているのに」と、孤独に陥っているときも、実は周りに人はいます。自分自身で壁を作って、独り閉じこもってしまっているだけのことなのでした。

これからが これまでを決める
堀口大學の詩に、「つひに」とあるのが、希望だと感じます。「遂に(終に)」ということは、「まだ」眼を失わずに生きているとも受け取られます。
他者(ひと)を人と思わず、自分の利益のために他者を傷付け、悲しみをきっかけに自ら悲しみを深めてしまう私。そんな私の姿に目覚めてくださいと、呼びかけられている(光の中にいる)我が身なのでした。暗くて見えないのではなく、自ら眼を閉じていました。すでに光の中を生きています。
南無阿弥陀仏
 
   

掲示板の人形
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いろいろ飾りすぎて、とても賑やかになりました

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