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2012年11月23日 (金)

一歩一歩 一音一音 一語一語

今日、出遇ったことば

「被災地に、出来上がりも、完成もないように思う。でもそれは音楽と同じだ。再生、消えてなくなる一音の次の音を奏でるように、生き続けること、前をすすみ続けること、被災地がそのような姿であってほしい」
(2012年11月23日 「東京新聞」朝刊「筆洗」より)

三重の高校に通う伊藤江里華さんは、昨年の震災後、何か出来ることがないかと迷われます。
指揮者の佐渡裕さん率いるスーパーキッズ・オーケストラでバイオリンを弾く彼女は、昨年夏と今夏、そのオーケストラで、被災地で演奏をする機会を得ます。
演奏をしたものの、目にした惨状の前に、自分の無力さ・罪悪感を感じるばかりでした。そんな彼女に、声を掛けてくれる女性がいました。
「悲しみは大きい。大きすぎる。でも生きていかなくてはならない。前に進む一歩、そのきっかけに、音楽が必要だった」と。

音も、ことばも、発した瞬間に流れ去ってゆきます。発する方としては、相手に届けという想いを込めていても、儚く消えてゆきます。そこに、自分の無力さを感じてしまいます。
でも、音やことばでもって、「出来上がりや完成」を成就させるわけでは無い。そう願うことも、おこがましい。
音やことばが、はじめの一歩を踏み出さしめるきっかけとなる。下を向いていた人に、前を(光の方を)向かせる一助となる。

「そんな力が音楽には込められている」…女性からかけていただいたことばをきっかけに、伊藤江里華さんは、自分が今まで感じていなかった音楽の力について考え始めます。その想いを綴ったエッセーが、東北大文学部が主催するコンクールで、最優秀賞に選ばれたそうです。はじめの文章は、そのエッセーの結びです。

たとえ発したその瞬間に忘却の彼方へ行ってしまうことばや音も、耳を、目を、こころを通過していないわけではない。聞いた人・見た人・感じた人のこころに、ほんの一瞬に深く刻まれる。前を向く、一歩を踏み出す力となるときがある。何も無ければ、始まらない。
伊藤江里華さんのエッセーに、前を向く勇気をいただきました。ありがとうございます。

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