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2012年10月21日 (日)

たれか百年の形体をたもつべきや

蓮如上人(本願寺8世)の御文(お手紙)に、「白骨の御文」があります。

「白骨の御文」
 それ、人間の浮生(ふしょう)なる相(そう)をつらつら観ずるに、
 おおよそはかなきものは、この世の始中終(しちゅうじゅう)、
 まぼろしのごとく なる一期(いちご)なり。
 されば、
 いまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)をうけたりという事をきかず。
 一生すぎやすし。
 いまにいたりて たれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。

という書き出しです。
この「たれか百年の形体をたもつべきや」の部分を、「誰が100歳まで生きるでしょうか」のように受け止め、「100歳を超える人がたくさんいる現代に そぐわないよね。蓮如さんの頃は100まで生きる人なんてそんなにいなかっただろうけど」とおっしゃる方がいます。
でも、「たれか百年の形体をたもつべきや」の直前に「万歳の人身をうけたりという事をきかず」とあります。ここで、「誰が10000歳まで生きるでしょうか」ということを仰っています。さすがに、現代においても10000歳生きている方はいらっしゃらないでしょう。で、その後の「たれか百年の形体をたもつべきや」は、「いったい誰が、今の私の姿のままで100年の命を保つことができましょうか」と仰っているのだと思います。
「私、本当は〇〇歳なんです」といった類いのコピーを最近よく目にします。若く見られたい、若くいたいのでしょうね。でも、どんなに整形医療や美容器具や薬などが発達・発展しても、今の姿のままで肉体を保つことはできませんし、無理があります。細胞レベルでは、休むことなく細胞は死に変わり生まれ変わりしています。今の私と1年後の私では、細胞的に見ると、まったくの別人だそうです。

朝、どんなに元気であったとしても、
夕べにはいのちを終えてしまっているかもしれない。
そんないのちを生きていますと伝えてくださっている「白骨の御文」
どんなに寿命が延びようと、その事実に変わりはありません。
「100歳生きる人がたくさんいる現代に、『白骨の御文』はそぐわない」なんて仰らずに、じっと自分の手を眺めてください。細胞が一生懸命生きていますから。
誰も、今の姿のままでは生きていません。
「いったい誰が、今の私の姿のままで100年の命を保つことができましょうか(いいえ、そんな人はいません)」
老いに抗う必要はないのですよ。

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