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2012年10月 2日 (火)

一如のいたみ⑬(了)

⑬「海」の中に「母」がいる

「一如のいたみ」に無自覚な私でした。
どのような境遇にあろうとも、どのような行為を為してしまおうとも、阿弥陀と一味のいのちでした。

一如・一味なるところに、山本美香さんとシリアの人々、日本人と他国の人々、知り合いと赤の他人、意見を同じくする人々と異なる人々…そんな違いは本来ないのでした。

しかし、現実には違いを見つけ、違いを必要とし、違いを生きています。
山本美香さんの死に衝撃を受け、何かを書かねばと、漠然とした想いに駆られたのでした。

彼女を、危険だとされる場に押し出したのは私でした。
彼女が伝えてくれた、弱い立場に追いやられている人々、その環境を作り出しているのは私でした。
原発反対を訴えながらも、訴えなければならない環境を作ってきたのは私でした。

自己内省・自己反省でこのようなことを言っているのではありません。
単なる自己内省・自己反省に「いたみ」はありません。

山本美香さんの姿に、「いたみ」を見たのでした。
彼女こそ、弱い立場に立たされている人々がいるのは、この私自身のせいなのだと感じていたはずです。天秤の一方に、自分を乗せていたのです。

福島県二本松でNPO法人「TEAM二本松」を立ち上げ、子どもたちが放射線を気にすることなく野外で遊べるようにグランドを整備し、除染活動をし、福島の人々の声を届けるために不断の努力をしている佐々木道範さん(真宗大谷派真行寺副住職)がいます。
彼は、原発事故直後、国や東電に対して怒りを感じます。しかし、外で遊ぶことを許されなくなってしまった子どもたちの目を見て、「この事故は、原発を必要とした生活をしてきた私自身が起こしたのだ。この子たちを外で遊べなくしてしまったのは、この俺なんだ」という「いたみ」を感じ、子どもたちのために、福島の人々のために活動しています(彼も、彼の奥様も。そして子どもたちも)。
佐々木君ごめん。どうしてそんなに頑張れるんだい?って、正直思っていた。でも、頑張らざるをえなくさせていたのは、この私だったんだ。
彼も、彼の奥様も、そして子どもたちも、みんな天秤の一方に自分を乗せているのです。

「一如のいたみ」を知る。
知ったつもりには、なれるかもしれない。しかし、たいていは 私は 天秤を眺めるところに突っ立っている。そこに、現実の「いたみ」は感じない。
自分を天秤に乗せ、感じた「一如のいたみ」を通し、阿弥陀と一味なる真実を知る。
いたみ・悲しみ・つらさを感じるところに、「他人と一つになって、自己を生きようと欲する」「主体的な生活がはじまる」のは、阿弥陀如来と一味なる世界が、すでに開かれているから。

単なる自己内省・自己反省に「いたみ」はないと、分かったふうなことを書いた。
自己内省・自己反省をして見えてくるのは、「自分はダメな者だ」「このままの自分ではいけない」などという自分の弱い姿ではない。
自己内省・自己反省を通して、一味なる世界を与えてくださっていた阿弥陀の慈悲が見えてくる。その先に、自分の歩むべき道が開かれてくる。
だからこそ山本美香さんは一本の道を歩み続けてきた
だからこそ佐々木道範さんとそのご家族は、あんなにもまっすぐ突き進んでいる

天秤に自分を乗せ、「いたみ」を知り、阿弥陀(と表現しなくても、自分を包み込む慈悲)を感じ、自分の歩むべき道を歩んでいる人がいる。
彼女たちの姿が、私(生きとし生けるもの)を導く。
彼女たちとも…一味なる私がいました

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