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2012年10月24日 (水)

祝の島(ほうりのしま)

2012年10月22日(月) 白骨の会(西蓮寺仏教青年会)開催
普段は座談会をしていますが、今回は私のわがままでDVDを鑑賞しました。「祝の島(ほうりのしま)」というドキュメンタリー映画を観ました(参加者2人、リビングのテレビでお茶を飲みながら鑑賞しました。公の上映ではありません)。
東本願寺出版の『同朋』2012年6月号に、「祝の島」を監督された纐纈(はなぶさ)あや さんのインタビューが載っていて、映画を観たくなりました。購入したまま今まで観ずにいましたが、白骨レギュラーの方にも共有してもらいたくて、今回鑑賞しました。

「祝の島」とは、山口県上関町の離島 祝島(いわいじま)のことです。
瀬戸内海に浮かぶ祝島の対岸4キロメートルのところに、1982年原子力発電所の建設計画が持ち上がります。
島に産業はなく、人口500人ほどの島の人々は、海や山の恵みでいのちの営みを続けています。原子力発電所が建設されてしまうと、海は汚染され、自分たちが代々受け継いできた自然を、これからを生きる子どもたちに渡してあげることができなくなってしまいます。島の人々は、原発反対を掲げ、計画が持ち上がってから今日に至るまで、反対デモを行ってきました。

内容だけ聞くと、震災後、原発事故後に作られた作品か?と思われるかもしれませんが、2010年の作品です。
今のように原発が議論の対象となる以前から、30年近くに亘って原発の反対を続けて来た人々がいるのです。
その、反原発のドキュメンタリーのつもりでいました。
しかし、DVDを観させていただいて驚きました。そこには、島に住む人々の日常が淡々と描かれているのです。
反原発のエピソードも盛り込まれていますが、その映像がメイン、反原発の叫びが主題なのではありません。
島の人々は海で魚を捕り、山で米を作り、お互いに身を寄せ合って生きているのですが、なにかを強調するのでもなく、日常の姿が描かれています。その姿の優しいこと、美しいこと。

原発推進の方々は、
「原発がなくなったら、江戸時代の暮らしに戻るんだぞ」
「五郎さんのような生活をしなければいけないんだぞ、その覚悟は出来ているのか!」
「スマートフォンが普及してますます電気が必要になる。やはり原発は必要だ」
などと仰いますが(スマートフォン、そんなに電力使うのでしょうか?)、原発のある生活はここ40年ほどの話です。江戸時代まで生活が遡るわけはありません。
“五郎さんのような生活”って、例えに出すことが失礼です。「北の国から」が放送されている当時は、「五郎さんのように慎ましく生きること」に憧れていたのに。

私たちの生活は、ここ40年ほどで大きく変化してきたわけですが、島の人々は、この40年間も、自分たちに必要なだけの資源(食べるものにしても、電気などのエネルギーにしても)で、暮らしてきたのです。
でも考えてみると、「祝島」が特別なのではなく、「祝島」の人々の姿は、島国である日本人の姿そのものであるはずです。特別頑張っている人たちがいる。時代の流れに抗っている人たちがいる。そんな話ではないのです。
映画が、島の人々の日常の姿・生きる姿を映し出したものであるゆえに、「原発は必要ですか?」というメッセージが自ずと聞こえてきます。
纐纈あや監督は、実際に島に住み(1年以上住まわれていたことと思います)、撮影をされました。カメラのファインダー越しに人々を眺めるのではなく、島の人々と共に生活し、人々の息づかいを生で感じたからこそ出来た作品なのだと感じました。

映画を観て、感想を語り合いました。みんな(といっても、私を含めて3人ですが)同じようなことを思っていました。

島の人々は助け合い、仲良く暮らしているように見える。
たしかに、離島での生活は不自由も多いことでしょう。だからこそ、助け合い、補い合い生きてきました。しかし、原発の建設計画は、推進派と反対派を生み出し、それまでの関係をいとも簡単に引き裂いてしまいました。何十年にも亘って築いてきた関係が、引き裂かれるのはあっという間です。
でも、映画の最後にインタビューを受けていた方が仰っています。
「反対派と推進派って別れてしまうけど、根っこの所では同じことを考えていると思うんです」
根っこのところ…みんなが より良い生活を出来るように、みんなで 仲良く楽しく生きられるように・・・そういうことかなって思います。不思議なものです。反対派と推進派の対立の構図は、まったく正反対の意見・主義・主張ゆえに生まれるのではないのです。同じ方向を向いている、同じ願いを持っている、それなのに対立が生じてしまう。いえ、だからこそ対立が生じるのでしょうね。まったく違う方向を向いて、まったく違う願いを持っていたならば、接点がないから、対立しようもありません。
そのことは、やはり「祝島」だけの話ではありません。現代日本のことです。
今の私の日常の生活は、いったい何を訴えているでしょうか。

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