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2012年10月16日 (火)

お葬式って楽しいね

先日、「10月前半の真宗会館テレホン法話を担当させていただいています」と宣伝しました。
早いもので、10月も折り返してしまいましたね。私の担当は終わってしまいました。感想をくださった皆様、お耳を貸してくださった皆様、ありがとうございます。
テレホン法話の内容をここに掲載させていただきます。

   
 
真宗会館テレホン法話 10月前半(担当:東京五組 西蓮寺 白山勝久)

題名:「お葬式って楽しいね」
7月の終わり、母方の祖母が亡くなりました。99歳でした。私にとって、育ての親のような存在で、祖母の死は、私自身の死をも意味しているように感じました。
祖母が阿弥陀さまの元へ還ったその晩にお通夜が営まれました。祖母は長崎で生まれ育ちました。長崎での通夜葬儀には住職と坊守が参列したため、残念ながら私は祖母を送る場にはいられませんでした。でも、「あぁ、よかったなぁ」と思える話を聞きました。
祖母には、4人の子どもと、9人の孫と、14人のひ孫がいます。全員が揃ったわけではありませんが、通夜葬儀は大賑わいだったそうです。
幼いひ孫たちが、大きな声ではしゃぎながら走り回って遊んでいます。普段なかなか会うことがない親戚どうしが、葬送の場に集まります。幼い子どもたちにとって、お祭りのように感じたことでしょう。その、お祭りのような場で、ひ孫のひとりが言いました。「お葬式って楽しいね」。
「お葬式って楽しいね」というセリフだけを耳にすれば、「不謹慎な」と思われるかもしれません。でも、「ハレの日」という表現がありますよね。現代では、結婚式や成人式など、人生の新たな出発の、お祝いの日を限定して使われているように感じます。しかし、「ハレの日」とは、人生の節目を意味し、お葬式も欠かすことの出来ない「ハレの日」なのです。葬送の場には多くの親戚が集まり、故人やそれぞれの近況についてワイワイ語り合い、子どもたちは無邪気に走り回る。通夜葬儀って、そんな雰囲気じゃありませんでしたか? 悲しい中にも、気分の高揚がありませんでしたか?
葬送の場は、亡き人との関係性を振り返り、感謝し、感謝ばかりでなく怒りや罵りだってあることでしょう。そこで語り、怒り、泣き、笑い、頭を下げる、いえ、頭が下がる。一応の区切りをつけるための大切な儀礼であり、人の死を通して、私たちは多くのことに気づかされます。
葬送の場において流す涙は、悲しみの涙です。しかし、悲しみの涙が流れる背景には、亡き人と築いた記憶があります。記憶の下地があるからこそ涙が出て、涙を共有した人がそばにいてくれるからこそ笑顔がこぼれる。悲しみを無くして笑顔がこぼれるのではありません。悲しみがあるからこそ笑顔となれるのです。「お葬式って楽しいね」って、ひ孫が感じた場には、みんなが共有する悲しみがあるからこその笑顔があふれたことと思います。
ひ孫が楽しく感じるような場から祖母を送り出せたことは、祖母にとっても、ひ孫たちにとっても、周りの者にとっても、あらためて前を向くための節目となりました。
たとえ身は滅んでも、いのちは、想う人の心の中で生き続けます。ずっと一緒です。枯れることのない涙とともに。

   

真宗会館テレホン法話は、毎月1日と16日に担当が変わります。真宗大谷派の東京教区のお坊さんが担当しています。これからも流れ続けますので、月に2回、5分ほどのお時間をいただけましたら幸いです。

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コメント

私にも思い出が、夫のガン手術、12時間待合室で家族全員が集まりただひたすら待ちました。
大人の顔はこわばり、下を向き、
しかし、孫が一人、座っている大人の膝の上を、あちらにこちらに、飛び上がったり、飛び降りたり、きゃーきゃー
私達の顔はなごみ、12時間を耐え抜きました。子供の笑顔はすごいものです。

☆佐智子さま
老若男女共に(朋に)生きるということは、こういう意味(先往く人は、残される人にいのちの真実の姿を伝え、若き子どもたちは笑顔を植え付ける)があるに違いないと感じています。
南無阿弥陀仏

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