「お焼香終わりました」のお声がけ
法要中、お焼香が終わったときに、私のそばに来て「お焼香終わりました」と声をかけてくださる方がいらっしゃいます。
お坊さんに知らせなくてはと思ってくださっているのかもしれませんが、「お焼香終わりました」のお声がけは必要ありません。引き続き法(おしえ)に耳をお傾けください。
「お焼香終わりました」の声がけは、浄土真宗以外の宗派ではされるのでしょうか(義務なのでしょうか)? ご丁寧に声をかけてくださる方がたまにいらっしゃいます。
「あっ、声をかけにくるな」と、気配で分かるのですが、読経中の身としては「分かりました」とも応えられず、軽く頷いて反応しています。
さて、そのお声がけで面白いなぁと感じていることがあります。
私が寺に戻ってきた当時、本堂にイスはありませんでした。法要中はみなさん正座でした。どうしても畳に直に座れない方のために、2、3脚だけイスがあったように記憶しています。
年を経てイスの数が増え、必要な方が、本堂の壁側に置いてあるイスを自分で持ってきて座っていただくかたちになりました。
そうなると、私も私もとなり、「もうイスはないのですか?」ということになります。法要が始まる前にイスを並べたり、譲り合いが始まったりするので、数年前からあらかじめイスを並べておいて、全員が座れるようにしてあります。(現在本堂でお使いいただいているイスは、当時の役員さんが30脚ご寄進くださったものです。皆さん重宝されています。ありがとうございます)
面白い話とはイスの話ではありません。お声がけのスタイルです。
イスが無く 皆さん正座されていた頃は、お声がけも、私のそばに来て 正座して「お焼香終わりました」と囁いておられました。
で、皆さんイスに座られるようになった今では、私のそばに来て、立ったまま「お焼香終わりました」と声をかけられるのです(住職も私も正座で読経しております)。
日本もイスの生活になったと言われて久しいです。
しかし、正座をしている人に対して立ったまま声をかけるというのは、あまり良い絵ではありません。
私が高いところから声をかけられて、それが嫌だから言っているのではありません。誰かと話をするとき、誰かに声をかけるとき、相手の目線と等しいところに身を置くことが会話の始まりではないでしょうか(声がけにしても)。
みんながみんな高いところから(立ったまま)声をかけるわけではありませんが、イスが定着すると、「みんなでそうしよう」と決めたかのように同じことをするから面白いですね。
立ったまま声をかける人ばかりではありません。正座して、声がけをしてくださる方もいらっしゃいます。
でも、その多くの方々が、「そうしよう」と決めたかのように、私の耳元で囁くのです。「お焼香終わりました」。
「あっ、来るな」と気づいているので、ビックリすることはないのですが、読経中に耳元に息を吹きかけるのはやめていただきたく、お願い致します。
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