一如のいたみ(全文)
山本美香さんの死後、テレビで、今年の2月に撮影されたインタビューを見て、何かがこころに突き刺さりました。
私の知らないところで苦しんでいる人がいる。
その人たちの姿を、身をもって伝えようとされている人がいる。
悲しみと傷みがこころを覆います。
山本美香さんの姿は、誰かに似ていました。佐々木道範さんとそのご家族でした。
いろいろな想いがわき起こり、書き綴りました。
長い文章になったので、ちょっとずつ分けて投稿しました。
長すぎて、想いがどこにあるのか分からなかったかもしれません。
でも悲しみと傷みがきっかけとなって沸き起こった想いのすべてです。
想いはとどまりませんから、投稿後も想い(書きたいこと)は出てきますが、このへんで止めておきます。
言うだけでなく、動き出さなければいけませんから。
全文を投稿しておきます。
13日間に亘ってお読みくださいました皆様、ありがとうございます。
「一如のいたみ」
①「知らなかったから仕方がない」というが、知ろうとしない私がいた。
2012年8月20日 日本人ジャーナリストの山本美香さんが、シリア内戦の取材中、北部のアレッポという都市で銃弾に倒れました。
彼女は、1991年に起きた雲仙普賢岳の取材を通し、被災して困難な生活を強いられている人々がいることを伝えることにより、「その人たちの生活が一刻も早く良い方向に向かってほしい」という想いを抱き、ジャーナリストとしての活動をはじめられました。
雲仙普賢岳の取材をきっかけに、弱い立場に追いやられている人々がいる現実を伝え、その状況が良い方向に向くことを、もっと言えば、弱い立場・状況に立たされるなどということが無いようになってほしい、そのような願いをもってジャーナリストをされていたそうです。それゆえ、イラク、アフガニスタン、コソボ、バグダート、シリアなどからレポートを続けられました。
お名前は聞いたことがありましたが、お仕事やその内容、背後にある想いなど、知るよしもありませんでした。しかし、知らなかったのだから仕方が無いという話ではありません。知らないというよりも、知ろうとしてこなかった自分がいるのです。
想いをもって活動をされている人がいるということ。困難な状況を強いられて生きている人々がいるということ。そのような人たちがいるという現実はこころに留めておくことができるはずです。
山本美香さんが亡くなられたことと、彼女の想いを知り、「目の前で起きている現実ではないけれど、私が息をしているこの間にも困難に直面している人がいる。それと共に、そのような人々に想いをかけている人がいる」という現実をあらためて知らされました。
彼女の死と想いを報道で知り、私のこころの中で、なにか想いを書かねばという衝動に駆られました。
なのに、彼女の死から一ヵ月が過ぎてしまいました。
何かが起きて、自分事と感じても、それなのに行動が他人事である。震災津波にしても、原発事故にしてもそうです。日常に埋没している自分に苛立ちを感じながらの一ヵ月でした。まだ書き終えていないのですが、想いを表現させていただきます。
②思いを馳せるということ
彼女が亡くなられた次の日の読売新聞の朝刊「編集手帳」に、次のように書いてありました。
◆内戦の続くシリアで女性ジャーナリスト山本美香さんが取材中に銃撃を受けて死亡した◆痛ましい知らせにしばし瞑目し、こうべを垂れつつ、忸怩たる思いが胸をよぎらぬでもない。シリアの内戦では2万人以上の犠牲者が出たといわれる。その2万人にこれまで、<いのちをふたつもちしものなし>のまなざしを向けてきたか。日本人の命が奪われるのと同量の関心を払ってきたかと問われれば、身を省みて沈黙するのみである 〔「読売新聞」 2012年8月22日(水) 編集手帳 より〕海外で事件事故や災害が起きた際、ニュースは日本人の安否について伝えます。 「この事件(事故・災害)による日本人の被害はありません」というように。 身内が海外にいる人にとって、有事の際の安否は気になるところです。安否の報道は必要です。しかし、身内が無事だから、日本人が被害に遭わなかったから“よかった”と胸をなで下ろしていい話ではありません。
「シリアの内戦では2万人以上の犠牲者が出たといわれる。その2万人にこれまで、日本人の命が奪われるのと同量の関心を払ってきたかと問われれば…身を省みて沈黙するのみである」
③ジャータカ物語
山本美香さんのいのちと、シリアの人々のいのち…「編集手帳」を読みながら、『ジャータカ物語』の「行者とタカ」の話を思い出していました。
「ジャータカ物語」をご存じですか? お釈迦さまの前世物語と言われています。
お釈迦さまは、人間として生まれ、その生涯においてさとりを開き、ブッダ(仏陀:覚者…目覚めた者・さとりをえた者)となられました。
しかし、ひとりの人間として生きるわずかな時間の中では、さとりを開くまでの歩みをすることは不可能である。その前世において、語り尽くせないほどの善行を行っていたからこそ、シッダールタ王子として生まれたときに覚者となられたのであるという考えに基づいて語られたお話です。
その前世は、人間の姿だけとは限りません。いろいろな動物や、さまざまな立場の人間として、前世を生ききられました。
数ある「ジャータカ物語」の中に、「行者とタカ」というお話があります。
ある日、タカに追われたハトが行者(修行者)のもとへ逃げ込んできました。
かわいそうに思った行者はハトを助けようとします。
ハトを追いかけてきたタカは行者に迫ります。
「行者よ、あなたはハトの命を救い、良いことをしたつもりでいるかもしれないが、ハトの命を救うということは、ハトを食べなければ死ぬこの私、タカの命を見殺しにすることになるのですよ。ハトは救って、私は見殺しにする気ですか?」
困った行者はハトもタカも殺さずにすむ方法はないかと悩みます。
そしてタカに訴えます。
「タカよ、ハトと同じ重さの私の肉をお前にやろう。それで、このハトを助けてくれないか?」
「それなら いいだろう」とタカは応えます。
すると行者は、天秤の一方にハトを乗せ、もう一方に自分の肉を切り取って乗せはじめました。
小さな軽いハトだから、チョット乗せれば充分だろうと思っていましたが、いくら肉を切り取って乗せてもハトの方が重くて、同じ重さにはなりません。
ついに行者は自分の胸に刃を突き刺し、全身を天秤の片一方に横たえ、そうしてやっと同じ重さになりました。
④私のこころの天秤は…
ジャータカ物語の「行者とタカ」。この行者がブッダの前世です。ハトを助けようと思いながらも、こころのどこかで、ハトのいのちは人間よりは軽いと見くびっていた行者が、まさに身をもって、どのようないのちも、すべて同じ重さ(いのち)であることをさとったのです。
ハトのいのちと自分のいのちを比べたとき、誰もが自分(人間)のいのちを重く考えるのではないでしょうか。あるいは、自分の体の一部を天秤に乗せれば、ハトと釣り合うと考えるのではないでしょうか(実際に身を刻む人はいないでしょうが)。
しかし、そうではなかったのです。全身を投げ出して、そうしてやっとハトと同じいのちであると知られるのでした。
海外での有事、たまたまそこに居合わせた日本人のいのちと、そこに住む人々のいのち。どちらも同じいのちです。
身内・知り合いのいのちと、身内でも知り合いでもなかい人のいのち。どちらも同じいのちです。
恐ろしいことに、私のこころの天秤は、自分に近い者のいのちを重たい方に位置づけてしまうのです。
⑤生と死
「行者とタカ」の話は、私の中でとても気になっていて、ここ数年、寺の新盆法要の場でお話をしてきました(今年はしませんでしたが)。
「供養をする」と言うとき、「“生きている私が、亡き人のためにする”という想いがありませんか?」と、問い続けてきました。
「行者とタカ」の行者が、命に軽重をつけたように、「“生きている”ことに重きをおいていませんか?」と。
亡き人を大切に想う気持ちに偽りはありませんが、死を忌み嫌う生き方に、“生きている”ことに重きをおいているように感じて、「行者とタカ」の話から、そんな問いを発してきました。
⑥天秤という道具は…
「行者とタカ」の話を現代に置き換え、原発の話を考えてみると、反対派と推進派の姿が浮かんできます。論争が続いています。私も、反原発・脱原発の意見を発し、デモにも参加しました。しかし、反対と推進、どちらが正しいか(重たいか)という議論をしても、結論は出ないどころか、天秤が折れてしまいます。両者の溝が深まるだけで終わってしまいます。
賛成の数が多い方が重くなるのではありません
論理的に正しい方が重くなるのではありません
(主張し合う限り、それぞれが それぞれにおいて正しいのですから)
豊かな生活に近い方が重くなるのではありません
「行者とタカ」の話を思い返し、現代の問題(原発に限りません)に当てはめて考えたとき、どちらが重い(正しい)かという議論・論争・言い争いをしてしまいますが、そんな話ではないのです。
なぜならば、どちらも釣り合っているのですから。
立場の違い、環境の違い、意見の違いがあるけれど、同じいのちを生きているのでした。
そんな大前提を忘れ、自分の意見を押し通そうとしていました。
天秤が折れてしまっては、論争どころか、お話をすることさえもできなくなってしまいます。
悔しいけれど、被災して故郷を追われている人々と、
原発が事故を起こしたときに、被害に遭わないような所に住みながら原発推進を訴える人々と、
同じいのちなのでした。
ホント、悔しいんだけど…
どちらが重い(正しい)か量るための道具が天秤ではなく、
どちらも同じ重さであるということを知らせていただくのが天秤なのでした。
⑦私はどこにいましたか?
さて、私は大変な思い違いをしていました。
「行者とタカ」の話から、原発反対派と推進派を、天秤のそれぞれのお皿に乗っけてしまいました。
原発の話に限らず、あらゆる論争の、あらゆる争いの、あらゆる対立関係の、争っているそれぞれを、天秤の双方に乗せて考えていました。
そして、どちらが重い(正しい)ではなく、どちらも同じ重さなのだと言いました。
私は大変な勘違いをしていました。
「行者とタカ」の話を ちゃんといただいたのならば、争っているそれぞれを天秤に乗せるのではありませんでした。
この私自身を天秤の片一方に乗せねばならないのでした。そうでなければ、私は争いを俯瞰しているだけの傍観者になってしまいます。
天秤の、私の反対側のお皿に乗っているのは、私が助けようとしているハトなわけですから、私と同じ意見の方々になります(よね?)。
「それじゃぁ、釣り合って当然だろう」と言われそうですが、ハトの身代わりに我がいのちをタカ(自分と意見を異にする人々)に差し出すわけですから、結局はタカと私も釣り合っている、同じいのちということになります。
意見が異なると、「信じられない」「同じ人間とは思えない」「あんな奴 人間じゃない」などという怒りに満ちた声が出てくるわけですが、その「あんな奴人間じゃない」と同じいのちなのでした。
結論としては「同じいのち」の自覚という話になるのですが、
自分を抜きに考えるのではなく、「自分を天秤に乗っけて感じるという感覚」を無くしてはいけないのでした。
俯瞰する冷静さもときには必要ですが、傍観者となってはいけません。他国の内戦も、自国の原発も、他国と自国の領有権の主張も。
⑧一如のいたみ
天秤をイメージすると、天秤に乗っける双方の姿(主張や言い分など)を比べてしまいます。
まさにそんなことをしているときに、『同朋』 2012年8月号(東本願寺出版部発行)を読んでいたら、狐野秀存先生(この しゅうぞん先生:大谷専修学院長)の文章が目に留まりました。
「一如のいたみ」に思いをめぐらす
元大谷専修学院長の信國淳(のぶくに あつし)先生は、こうしたことを「一如(いちにょ)のいたみ」という言葉で教えてくださっています。「一如」とは、「自分と他人」とか「善と悪」といった差別や矛盾がない、本来のいのちの在り方です。しかし、私どもはふだん、そのような自己の本来性に背いた生き方をしている。そのために感じる孤独や苦悩が「一如のいたみ」です。その痛みに思いをめぐらし、それが一如といういのちの根源的事実から沸き起こってくることを自覚したとき、「もはや自己においてだけ自己を生きようとするのではなく、他人と共に、他人と一つになって、自己を生きようと欲する」ような信心が成り立ち、「かくしてわれわれのうちに新しい主体的な生活がはじまる」と信國先生は述べておられます。
(『親鸞聖人のことば-歎異抄入門』1964年東本願寺出版部発行、現在品切)
抜粋ですので、“こうしたことを”という指示語で始まってしまいますが、お許しください(月刊『同朋』リニューアルされました。よろしかったらご購読ください)。
「一如」とは差別や矛盾がない世界です。その差別や矛盾とは、「自分と他人」とか「善と悪」という私自身の分別心によって生み出されるものであり、その分別心ゆえに孤独や苦悩を味わうのです。
しかし、その孤独や苦悩は、単に私を苦しめる(私が私自身を苦しめる)ものではなく、孤独や苦悩による“いたみ”の自覚を通してこそ、「他人と一つになって、自己を生きようと欲する」「主体的な生活がはじまる」のです。
“私”とは、私ひとりにおいて成り立つものではなく、
他人あるがゆえに、他人と共にありながら、私ひとりで在りきれるのです。
⑨「いたみ」あるがゆえに
先の文章で、
「天秤の双方に、争う両者を乗せていました。しかし私は勘違いをしていました。天秤の片方に乗せるべきは私でありました。私を傍観者にしてしまっていました」
というような気づきを書きました。
しかし、狐野先生と信國先生の「一如」についてのことばに出遇い、まだまだ勘違いをしている私に気付かせていただきました。
天秤に乗せるということで、比較するこころが働いてしまっていました。比較心・差別心・分別心の眼で天秤を見ていました。片方のお皿に自分を乗せつつも、まだ俯瞰・傍観していたのです。
天秤の双方のお皿に乗っかったものを見るのではなく、天秤そのものを、一如:ひとつのもの(いのち)として見るべきなのでした。いえ、見えるものなのです。
その眼には、反対派も推進派もありません。
だからといって、みんな仲良く手をつないで的なことを言おうとしているのではありません。そこには「いたみ」がありません。「いたみ」を消して手を取り合えるものでもありません。
「いたみ」を感じるところに、ひとつとなれるのです。
「いたみ」を抱えながらも、ひとりでいられるのです。
「いたみ」があるからこそ、「一如」たり得るのです。
⑩見る、知る、感じるところに「いたみ」が生じる
俯瞰している自分がいると書きました。
本当に冷静に俯瞰していたのなら、「いたみ」も感じられたのではないでしょうか。
つまり、なにも見ていなかったのです。
行者はハトを助けようとしました。しかし、こころのどこかでハトのいのちと人間のいのちの軽重を量っていました。
「行者はブッダの前世の姿で」と書いたけれど(ごめんなさい、実際そうなのでしょうか? 書きながら分からずにいました)、この文章を書きながら、タカこそブッダの前世の姿ではないかと感じ始めています。
タカは、本当にお腹が空いていたのなら、行者が止めようがハトを食べていたことでしょう。行者をも食い殺していたかもしれません。しかし、そうはせずに身を刻む行者を眺めていたのは、決して俯瞰・鳥瞰していたのではなく、行者の「いたみ」を感じていたのではないでしょうか。
自分が生きるために、ハトの命を奪わねばならない。そのことは、ハト一羽の命を奪うことだけでは済まない。自分が生きるためには、他のいのちと、そして いたみが必要なのだ。そのことを、身を刻む行者の姿を通して、タカは感じたに違いありません。
そのように想うと、タカもブッダの前世の姿のように見えてきます。
今、現に、弱い立場に追いやられている人々がいます。
そのことを伝えるために、身をもって活動をされている人がいます。山本美香さんのように。
そういう人たちがいることに思いも馳せずに暮らしている私。
なかには、「かわいそうに」「なんとかしてあげたい」「伝えてくれてありがとう」という想いを抱いてくれる人も現れることでしょう。
しかし、
「弱い立場に追いやられている人々がいる」のは、私の「無関心」があったから。
「そのことを伝えるために、身をもって活動をされている人がいた」のは、「いたみ」を感じるこころを失いながら生きている私がいるから。
その現実を、見てみないふりをしてはいけない。
⑪一味
「一如」のおしえをいただき、「一味」ということを想いました。
名号不思議の海水は
逆謗の死骸もとどまらず
衆悪の万川帰しぬれば
功徳のうしおに一味なり
(親鸞聖人「曇鸞和讃」)
尽十方無碍光の
大悲大願の海水に
煩悩の衆流帰しぬれば
智慧のうしおに一味なり
(親鸞聖人「曇鸞和讃」)
乱暴に現代語訳しますと以下のようになるでしょうか。
濁った川も海に流れ出れば、清浄なる海とひとつとなるように、
阿弥陀如来を信じない、おしえを謗る(そしる)、煩悩によって濁りきっている私でさえも、阿弥陀如来の、衆生をすくいたいと願う海のような慈悲のこころに摂め(おさめ)取られて一味となります。
どちらの和讃にも「一味」と出てきます。現代では、“悪者の一味”のように、どちらかというとマイナスのイメージで使われるのではないでしょうか。しかし、現代語訳で書いたように、阿弥陀如来に摂め取られる、つまり、阿弥陀如来と共なる世界を生きる身となるというような味わいで「一味」と表現されます。
お釈迦さまも親鸞聖人も、死後については語られていません。「自分も行ったことないから、どんな世界か知らないよ」と。
お釈迦さまは、すべての物事・事柄は、縁によって起こると、縁起の道理を語られました。
親鸞聖人は、出遇う縁によっては、なにをしでかすか分からぬ身であると、明らかにしてくださいました。さまざまな縁の中を生かされるということは、私の行為によって、別の誰かが何かしらの縁を被るものである。縁を生きる(生かされている)私の生き様を見つめよと、親鸞聖人は教えられました。
死後の安楽のためにどうこうせよとは、お釈迦さまも親鸞聖人も言われてはいないのです。
さて、死後について語らぬ親鸞聖人が、どうして「阿弥陀如来と一味となれる」と書かれたのか、私の中での疑問でした。
この文章を書いている(考えている)うちに気付きました。私は、「“死後に”阿弥陀と一味となれる」と受け止めていたのでした。「死後」ではありません。まさに“今”阿弥陀と一味となれる、いえ、なっているのでした。その感得・自覚・信心獲得があったからこそ、「一味なり」という味わいが、親鸞聖人自身にあったのです。
⑫我が身を波に重ね合わせる
「一味」ということ…阿弥陀如来の元に、ひとつひとつのいのちが、それぞれにあるのではありません。
「一味」なのです。すべてが溶け合い、混ざり合い、阿弥陀と共なるひとつのいのちとなるのです。いのちであるのです。
「一味」をおもうとき、親鸞聖人の思想に影響を与えた「海」を思います。
和讃でも「うしお(海)に一味なり」とありますね。
すべてのいのちが、うしおに一味となるのです。
海は、常に、いつまでも、穏やかなわけではありません。
海は波の形をとり、浜辺で人々の足元をくすぐる柔らかな波となるときもあれば、あらゆる建物 あらゆる自然 あらゆるいのちを飲み込む波となることもあります。さまざまな形をとります。穏やかなときもあれば、恐ろしい勢いを示すときもある。そして、どのような姿を見せたとしても、波は、元の海へと還ってゆきます。
波の話ですが、波だけの話ではありません。波に、人の姿が重なります。
人は、誰もが常に怒り続けているわけではありません。主張し続けているわけではありません。ときに怒り、ときに主張し、ときに大きな波となって現われ、元のいのちへと還ってゆきます。
かたや夏の思い出を与えるさざ波があり、かたやいのちを飲み込む津波があるのではありません。ときに どのような姿形をとろうとも、阿弥陀如来と一味のいのちなのでした。
⑬「海」の中に「母」がいる
「一如のいたみ」に無自覚な私でした。
どのような境遇にあろうとも、どのような行為を為してしまおうとも、阿弥陀と一味のいのちでした。
一如・一味なるところに、山本美香さんとシリアの人々、日本人と他国の人々、知り合いと赤の他人、意見を同じくする人々と異なる人々…そんな違いは本来ないのでした。
しかし、現実には違いを見つけ、違いを必要とし、違いを生きています。
山本美香さんの死に衝撃を受け、何かを書かねばと、漠然とした想いに駆られたのでした。
彼女を、危険だとされる場に押し出したのは私でした。
彼女が伝えてくれた、弱い立場に追いやられている人々、その環境を作り出しているのは私でした。
原発反対を訴えながらも、訴えなければならない環境を作ってきたのは私でした。
自己内省・自己反省でこのようなことを言っているのではありません。
単なる自己内省・自己反省に「いたみ」はありません。
山本美香さんの姿に、「いたみ」を見たのでした。
彼女こそ、弱い立場に立たされている人々がいるのは、この私自身のせいなのだと感じていたはずです。天秤の一方に、自分を乗せていたのです。
福島県二本松でNPO法人「TEAM二本松」を立ち上げ、子どもたちが放射線を気にすることなく野外で遊べるようにグランドを整備し、除染活動をし、福島の人々の声を届けるために不断の努力をしている佐々木道範さん(真宗大谷派真行寺副住職)がいます。
彼は、原発事故直後、国や東電に対して怒りを感じます。しかし、外で遊ぶことを許されなくなってしまった子どもたちの目を見て、「この事故は、原発を必要とした生活をしてきた私自身が起こしたのだ。この子たちを外で遊べなくしてしまったのは、この俺なんだ」という「いたみ」を感じ、子どもたちのために、福島の人々のために活動しています(彼も、彼の奥様も。そして子どもたちも)。
佐々木君ごめん。どうしてそんなに頑張れるんだい?って、正直思っていた。でも、頑張らざるをえなくさせていたのは、この私だったんだ。
彼も、彼の奥様も、そして子どもたちも、みんな天秤の一方に自分を乗せているのです。
「一如のいたみ」を知る。
知ったつもりには、なれるかもしれない。しかし、たいていは 私は 天秤を眺めるところに突っ立っている。そこに、現実の「いたみ」は感じない。
自分を天秤に乗せ、感じた「一如のいたみ」を通し、阿弥陀と一味なる真実を知る。
いたみ・悲しみ・つらさを感じるところに、「他人と一つになって、自己を生きようと欲する」「主体的な生活がはじまる」のは、阿弥陀如来と一味なる世界が、すでに開かれているから。
単なる自己内省・自己反省に「いたみ」はないと、分かったふうなことを書いた。
自己内省・自己反省をして見えてくるのは、「自分はダメな者だ」「このままの自分ではいけない」などという自分の弱い姿ではない。
自己内省・自己反省を通して、一味なる世界を与えてくださっていた阿弥陀の慈悲が見えてくる。その先に、自分の歩むべき道が開かれてくる。
だからこそ山本美香さんは一本の道を歩み続けてきた
だからこそ佐々木道範さんとそのご家族は、あんなにもまっすぐ突き進んでいる
天秤に自分を乗せ、「いたみ」を知り、阿弥陀(と表現しなくても、自分を包み込む慈悲)を感じ、自分の歩むべき道を歩んでいる人がいる。
彼女たちの姿が、私(生きとし生けるもの)を導く。
彼女たちとも…一味なる私がいました
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