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2012年10月

2012年10月31日 (水)

四畳半に炬燵置けなくなるが、あったかいよ

数日前のブログで、「お風邪など召しませんように」と書きましたが、実はここ数日風邪をひいて40℃近い熱を出して臥せっております。
昨日は「報恩講に向けてのおみがきの会」だったのに、私は不参加でした。お集まりくださった皆様には、有り難い気持ちと共に、申し訳ない気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。

さて、いつもは家族4人同じ部屋で寝ていますが、私を安静に寝かせるため(というより、娘たちにうつさないため)、妻と娘2人はリビングに布団を敷いて寝ています。いつも4人で寝ている寝室に、私ひとりで寝ています。
私より若い3人がいない部屋は、急激に冷え込みます。同じ寝室でありながら、まったく別の部屋のようです。
風邪と人のいない寒さに震え、天井を眺めながら、あることばを思い返しています。

四畳半に炬燵(こたつ)置けなくなるが、あったかいよ

1998年 蓮如上人500回御遠忌記念に真宗大谷派東京教区より出版された『わたしの出会った大切なひと言』(クレスト社)に掲載されている ことば です。
蓮如上人の500回御遠忌の際、“わたしの出会った大切なひと言”と、そのひと言にまつわるエピソードを公募しました。500通を超える応募があったと聞いています。そのうちの100編が納められています。

このことばのエピソードには、次のようにあります。

「一人口は喰えないが二人口は喰える」。仲人さんの説得で昭和33年に見合い結婚。なんと月給一万二百円だった。その言葉どおりで何とか喰えたが、翌年早々妊娠、「とても三人口は無理」と、堕胎すことを仲人さんに相談に行った。
総白髪、温和なその人は、生めとも生むなとも言及せず、にこやかに微笑みながら、静かに言った。
四畳半に炬燵(こたつ)置けなくなるが、あったかいよ」と。
その時は雷に打たれたようだった。仲人の手前もはばからず、妻は、わあわあ泣きだしてしまった…。
山崎俊定さん

本を読んだ当時からこころにしみた言葉ですが、今あらためて思い返し、久しぶりに本を手に取りました。
人がいて「うるさい」と思うのか、それとも「にぎやかだ」と感じるか。
人がいるときに「ぬくもり」を感じるのか、いなくなってから「ぬくもり」を、その有り難さを感じるのか。
風邪で寒さを感じながらも、一人休ませてくれる気持ちに温もりを感じる。
そんなことを想いながら眠りに就いています。
みなさん、お元気で。

2012年10月30日 (火)

便利になっても、情けを忘れてはいけない

携帯がない頃、急な事情で約束を果たせなくなったとき、病を押してでも、誰か事情を伝えられる人を必死で探してでも、約束を果たせないことを詫び、伝えましたよね。
携帯が普及して、すぐに連絡がつくのは助かりますが、約束を簡単に反古にする人が増えたように感じます。「あの約束なしね、ごめん」って、しかもメールで。
便利になっても、人間が無精してはいけないなと思います。

2012年10月29日 (月)

知識偏重の悲劇

今日、出遇ったことば

「何もかも知っている馬鹿」
(島崎藤村)

「はてさて困ったことには、知っていることは何の役にもたたず、肝心なことは何も知らない」
(ゲーテ 『ファウスト』より)

肝心なことは何も知らない・・・ということを知っていれば、まだいいけれど。

2012年10月28日 (日)

仏法聴聞の季節です

雨が降っていますね。
ちょっと前まで、暑い暑い言いながら、ウチワ片手にパソコンに向かっていたのに、
最近急に冷えてきました。パジャマの上に一枚羽織って、夜な夜なパソコンに向かっています。着るものや蒲団の冬支度をしなければいけませんね。
でも子どもたちは汗をかきながら遊んでいます。夜、蒲団をかけてあげても、はいでしまいます。あったかいのでしょうね。
報恩講の季節です。寒さ増しますが、お風邪など召しませんように。

2012年10月27日 (土)

共に生きるということ

幼稚園の父兄参観日
子どもたちの、幼稚園における日常の姿を見ることが出来て、部屋の隅で感涙。
クラスのみんなで大きな声歌っている歌声を聞きながら、世田谷区報(10月25日)の保坂区長のメッセージ「最近考え込んでいること」を思い出していました。
「保育園の子どもの遊ぶ声がうるさいので、なんとかしてほしい」という訴えがあるとのことです。
声を出してグランドを駆け回って遊ぶのは子どもたちにとって からだ全体を使って、生きていることを表わしています。保育園に限らず、幼稚園、小中学校においても同様です。
現場を預かる園長先生の話によると、近隣の方々に対するご挨拶やお詫びなど、細心の注意を払うことに、精神も時間も費やされるとのこと。近隣の方々との話し合いや、気を遣って、園庭に出ることを制限したり、園庭で遊ぶ時間を短くしているとのこと。園長先生や校長先生のご苦労には頭が下がります。それでいて不手際があったら、鬼もクビをとったかのように責められてしまうのですから。
訴えた方にとっては、日常の話ですから、訴えは切実でしょう。そこに住んでいない者が、「まぁまぁ、そうおっしゃらずに」と言える話ではありません。訴えを非難するつもりはありません。

思い返すに、保育園・幼稚園・小中学校は、住宅地から外れたところにあったわけではなく、日常の生活の中に、子どもたちの声は響いていました。さて、いつから「うるさい」と言われるようになったのでしょう。いつから「うるさい」と感じるようになったのでしょう。
「子どもは国の宝」とか「(保険制度や国の借金等)今の子どもたちに将来お世話になるのだから」などと言いますが、元気いっぱい遊んでいれば「うるさい」と一括されてしまう。静かに静かに暮らして、将来お金はいっぱい稼いでおくれよということなのでしょうか。
子どもたちがうるさいことが問題なのではなく、私に問題があるような気がします。よ~く考え込んでみましょう。

子供叱るな 来た道だもの 年寄り笑うな 行く道だもの

2012年10月26日 (金)

ウサギの家族

長女は幼稚園年少さん
今の幼稚園って、いろいろと習い事をさせてくれるのですね。書道・茶道・美術教室・読み書き教室・ピアノ教室・体操・バレエ・英会話。
娘にも何かやらせてあげたいなと思い、美術教室に入れてあげてます。絵を描いたり物を作ったりすることって、小さい人が自然に始めることだと思ったので。私自身が、絵を描いたり物を作ったりするのが好きな子どもだったこともありますが(1人で黙々と作業するのが好きだったようです。今もか)。
毎週水曜日、美術教室を楽しみにしています。
美術教室の先生から、月間の予定表をいただいています。「○日は何を作ります。△日は何を描きます。□日は藍染めをします」。「今日は○○をするよ」というと、娘は「たのしみ~」と嬉しそうです。

さて、10月24日(水) 予定表には「大きな紙に絵の具でウサギさんの家族を描きましょう」と書いてありました。大きな紙に、美術教室の生徒みんなで、思い思いにウサギさんの絵を描くのでしょうね。
「今日はウサギさんの家族を書くんだって」というと、
「じゃぁ、カエルさんの絵を描く!!」と娘が言うので、
「違うよ、ウサギさんの家族だよ」と私は言いました。言った瞬間に思いました。「カエルさんがウサギさんの家族でもいいじゃないか。おかしくないだろう」って。

“ウサギさんの家族”ということで、凝り固まった私の頭には、ウサギばかりの家族をイメージしていました。
“人間の家族”にしても、そこには犬やネコ、鳥やハ虫類などがいるわけで(最近は“ペット”というより“家族”と表現される方が増えましたよね)、“ウサギさんの家族”に他の動物がいても、なにもおかしくないし、素敵な話だと思います。
子どもたちは、どんな絵を描いたんだろう。はじめに私がイメージした、ウサギばかりの絵ではなく、いろいろな動物、いろいろな色、いろいろな大きさの動物が集まった“ウサギさんの家族”が、大きな紙(世界)に描かれたことでしょう。
人間ばかりの家族でさえも、そこには分かり合えない世界、通じ合えない世界があるのに、いろいろな動物がいる家族って、通じ合っているように思えます。なぜでしょう。特定の仲間内で固まるのではなく、いろいろな考え方、立場、嗜好を持つ者どうしが集まった方が、いろいろなものを生み出せる、会話が弾む、手を取り合えるのではないだろうか。そう感じます。

娘から、大切なことを教えられた水曜の朝でした。
美術教室から帰ってきた娘に、
「カエルさん描いてきた?」と聞くと、
「クマさん描いてきた」って。
「朝、カエルさんって言ったじゃん」って、突っ込みを入れてあげました(もちろん、クマさんが家族の一員でもなにもおかしくありません)。

美術はイメージです
生活(生きるということ)もイメージです

2012年10月25日 (木)

ともに手をとり

2012年10月23日(火) 西蓮寺コールリンデン(仏教讃歌を歌う会)
合唱団に入っていた住職・坊守の願いによって始まったコールリンデン。早くも2年が経ちます。
はじめの頃は、歌を知らなかったこともあるけれど、なかなか声が出ずにいました。でも、2ヵ月に1度、お寺の会館で声を出し続けているうちに、声が出るようになってきました。

私は、用事があってバタバタと会館を出たり入ったりしていました。いつもは会館で一緒に歌っているのですが、出たり入ったりしていたもので、会館の外でみんなの歌声を聞くご縁をいただきました。
会館の、開けた窓から響いてくる歌声。こころにしみます。すぐに会館に戻らずに、外から耳を澄ませて聞いていました。あぁ、いいなぁと想いました。涙が出るかのような(涙してはいないけれど)。

真宗宗歌、恩徳讃Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ、衆会、みほとけは、四弘誓願、芬陀利華(ふんだりけ)、朝の歌、夕べの歌、ともがきよ、いのち、みめぐみの、を歌いました。仏教讃歌だけでなく、童謡も歌っています。
次回は12月18日(火) 午後1時30分より


初めて「ともがきよ」伴奏を聞いたとき、ドキッとしました。
ご本山研修道場での修練などでの朝のBGM、「ともがきよ」ですよねぇ。なんだか、変な刷り込みが残っていました。

「ともがきよ」 (作詞 菊池祐恭/作曲 清水 脩)
 ともがきよ このゆるがざる
 大地に立ちて ともに手をとり
 涙しあおう 涙しあおう
 君がくるしみ 我がうれい
 かたみの いのちの いのちの深きもだえを

2012年10月24日 (水)

祝の島(ほうりのしま)

2012年10月22日(月) 白骨の会(西蓮寺仏教青年会)開催
普段は座談会をしていますが、今回は私のわがままでDVDを鑑賞しました。「祝の島(ほうりのしま)」というドキュメンタリー映画を観ました(参加者2人、リビングのテレビでお茶を飲みながら鑑賞しました。公の上映ではありません)。
東本願寺出版の『同朋』2012年6月号に、「祝の島」を監督された纐纈(はなぶさ)あや さんのインタビューが載っていて、映画を観たくなりました。購入したまま今まで観ずにいましたが、白骨レギュラーの方にも共有してもらいたくて、今回鑑賞しました。

「祝の島」とは、山口県上関町の離島 祝島(いわいじま)のことです。
瀬戸内海に浮かぶ祝島の対岸4キロメートルのところに、1982年原子力発電所の建設計画が持ち上がります。
島に産業はなく、人口500人ほどの島の人々は、海や山の恵みでいのちの営みを続けています。原子力発電所が建設されてしまうと、海は汚染され、自分たちが代々受け継いできた自然を、これからを生きる子どもたちに渡してあげることができなくなってしまいます。島の人々は、原発反対を掲げ、計画が持ち上がってから今日に至るまで、反対デモを行ってきました。

内容だけ聞くと、震災後、原発事故後に作られた作品か?と思われるかもしれませんが、2010年の作品です。
今のように原発が議論の対象となる以前から、30年近くに亘って原発の反対を続けて来た人々がいるのです。
その、反原発のドキュメンタリーのつもりでいました。
しかし、DVDを観させていただいて驚きました。そこには、島に住む人々の日常が淡々と描かれているのです。
反原発のエピソードも盛り込まれていますが、その映像がメイン、反原発の叫びが主題なのではありません。
島の人々は海で魚を捕り、山で米を作り、お互いに身を寄せ合って生きているのですが、なにかを強調するのでもなく、日常の姿が描かれています。その姿の優しいこと、美しいこと。

原発推進の方々は、
「原発がなくなったら、江戸時代の暮らしに戻るんだぞ」
「五郎さんのような生活をしなければいけないんだぞ、その覚悟は出来ているのか!」
「スマートフォンが普及してますます電気が必要になる。やはり原発は必要だ」
などと仰いますが(スマートフォン、そんなに電力使うのでしょうか?)、原発のある生活はここ40年ほどの話です。江戸時代まで生活が遡るわけはありません。
“五郎さんのような生活”って、例えに出すことが失礼です。「北の国から」が放送されている当時は、「五郎さんのように慎ましく生きること」に憧れていたのに。

私たちの生活は、ここ40年ほどで大きく変化してきたわけですが、島の人々は、この40年間も、自分たちに必要なだけの資源(食べるものにしても、電気などのエネルギーにしても)で、暮らしてきたのです。
でも考えてみると、「祝島」が特別なのではなく、「祝島」の人々の姿は、島国である日本人の姿そのものであるはずです。特別頑張っている人たちがいる。時代の流れに抗っている人たちがいる。そんな話ではないのです。
映画が、島の人々の日常の姿・生きる姿を映し出したものであるゆえに、「原発は必要ですか?」というメッセージが自ずと聞こえてきます。
纐纈あや監督は、実際に島に住み(1年以上住まわれていたことと思います)、撮影をされました。カメラのファインダー越しに人々を眺めるのではなく、島の人々と共に生活し、人々の息づかいを生で感じたからこそ出来た作品なのだと感じました。

映画を観て、感想を語り合いました。みんな(といっても、私を含めて3人ですが)同じようなことを思っていました。

島の人々は助け合い、仲良く暮らしているように見える。
たしかに、離島での生活は不自由も多いことでしょう。だからこそ、助け合い、補い合い生きてきました。しかし、原発の建設計画は、推進派と反対派を生み出し、それまでの関係をいとも簡単に引き裂いてしまいました。何十年にも亘って築いてきた関係が、引き裂かれるのはあっという間です。
でも、映画の最後にインタビューを受けていた方が仰っています。
「反対派と推進派って別れてしまうけど、根っこの所では同じことを考えていると思うんです」
根っこのところ…みんなが より良い生活を出来るように、みんなで 仲良く楽しく生きられるように・・・そういうことかなって思います。不思議なものです。反対派と推進派の対立の構図は、まったく正反対の意見・主義・主張ゆえに生まれるのではないのです。同じ方向を向いている、同じ願いを持っている、それなのに対立が生じてしまう。いえ、だからこそ対立が生じるのでしょうね。まったく違う方向を向いて、まったく違う願いを持っていたならば、接点がないから、対立しようもありません。
そのことは、やはり「祝島」だけの話ではありません。現代日本のことです。
今の私の日常の生活は、いったい何を訴えているでしょうか。

2012年10月23日 (火)

あなかしこ あなかしこ

蓮如上人の御文(お手紙)は、「あなかしこ あなかしこ」で終わります。
あるご法事でのお話。
「あなかしこ~ あなかし~こ~」と御文を拝読し終わると、お参りにみえていた方が、「副住職、“あなかしこ”ってなんですか?」と尋ねられました。
想定外(嫌な響き)の質問にドキッとしました。「えぇと、“南無阿弥陀仏”とお念仏称えるときのお気持ちです」と、答になっていない応えをしてしまったような記憶があります。

それまで、「御文」を現代語に訳す際、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と書いていました。
「あなかしこ」に内包されている おこころとしては間違ってはいないと思うのですが、自分なりに そういただいて「南無阿弥陀仏」と書くのと、自分の中でいただけてもいないのに「南無阿弥陀仏」と書くのでは、まったく違います。
質問に応えたときの私はあきらかに後者です。

さて 「あなかしこ」とは、
「あな」は、「あぁ!」「あれ!」「まぁ!」「なんと!」という感嘆詞・感動詞です。
「かしこ」は、現代でも女性は手紙の最後に書きますよね。「かしこ」って。「謹んで申しあげます」といった意味です。これだけメールが普及してしまうと、手紙を書く人も、ましてや「かしこ」と書いて手紙を終える方もどれだけいらっしゃることか分かりませんが。
ですから、「謹んで申しあげます」という謹みの気持ちが、さらに(あな)強調されているのでしょう。

『御文』を書かれた蓮如上人としては、
「親鸞聖人のおしえをいただき、その聖人のおしえやお気持ちを、謹んであなたにお伝え申しあげます」という気持ちがあったことだと思います。
ですが、「謹んで“あなたに”お伝え申しあげます」というだけでは留まらないことと思います。

ご法話の席で、一番の聞法者は誰だと思いますか?
一番の聞法者は、お話をしている人だと思います。お説法をしているのですが、聴衆に向けて話しているのではありません(いえ、話してはいるのですが)。口に出して話すということは、口の一番そばに耳がある人、つまり自分が真っ先に聞き手となるのです。話すには、おしえに、そして自分に向き合わなくてはなりません。つらい作業です(報恩講の時期、ただいまつらさを迎えさせていただいています)。
話し手でありながら、かつ聞き手であるのです。もっともおしえに向き合わなければならない人物なのです。

お手紙の書き手は、誰に向けて手紙を書いていると思いますか?
一番の対象は、手紙を差し上げる方ではなく、書き手自身だと思います。手紙は、相手に対する思いやりの気持ちを表現します(励まし・注意・感謝・お礼等々)。自分の気持ちと向き合った上で、相手に向かうのが手紙を書くということです。
差出人でありながら、宛先人でもあるのです。自分の気持ちと向かい合わなければ、手紙は書けません。

蓮如上人の「御文」は数多くありますが、それぞれ誰に宛てての「御文」なのか、だいたい分かっています(想定されています)。
確かに、それぞれの方に対して、親鸞聖人のおしえをお伝えしたい気持ちいっぱい(あなかしこ)にお手紙を書かれているのですが、それは同時に、蓮如上人自身がおしえに、自分自身に真向かいになることであります。

蓮如上人は、本願寺8代目です。
本願寺9代目は、ご子息の実如上人が継がれるのですが、自分が蓮如上人の後継ぎであることにプレッシャーを感じる実如上人は、父蓮如にその気持ちを打ち明けます。
すると蓮如上人は、ご自分が書かれた「御文」の写しを実如上人に渡し、「ここに親鸞聖人のおしえの大事なことが書き綴ってあります。これを読んで、聖人のおしえを理解し、人々にお伝えなさい。そうすれば大丈夫です」と言われたそうです。
えらい自信家だなぁと思われるかもしれません。私もそう感じました。しかし、「私の書いた物こそ正しい」という思いで「御文」を託されたのではありません。蓮如上人自身が、ご自分の書かれたお手紙の中に、聖人のおしえ、阿弥陀如来の慈悲のおこころを感得されていったのだと思います。
蓮如上人の「御文」は二百数十通あると言われています。「御文」(手紙)と言ってはいますが、布教のためのおことばです。それを二百通以上書かれるということは、自分自身の中でのいただき、伝えたいというエネルギーがなければ書けません。「御文」の内容云々以前に、それだけのお仕事をされた背景にある蓮如上人のおこころと、阿弥陀の催促を、私たちは感じなければいけないと思います。

「あなかしこ」には、「謹んで“あなたに”お伝え申しあげます」という気持ちと共に、「弥陀の慈悲、親鸞聖人のおしえを、この蓮如、有り難くいただきました」という感謝の念が込められているように感じられます。
そのように感じられてこそ、「あなかしこ」が「南無阿弥陀仏」と聞こえてきます。

あなかしこ あなかしこ

2012年10月22日 (月)

阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて

蓮如上人(本願寺8世)の御文(お手紙)に、「白骨の御文」があります。

「白骨の御文」の最後に、
 されば、人間のはかなき事は、
 老少不定(ふじょう)のさかいなれば、
 たれの人も
 はやく後生(ごしょう)の一大事(いちだいじ)を心にかけて、
 阿弥陀仏(あみだぶつ)をふかくたのみまいらせて、
 念仏もうすべきものなり。
とあります。

いつ終わりを迎えてもおかしくない いのちを生きている事実は、老いも若いも幼いも関係ありません。
だからこそ、残されたいのちの尊さ有り難さを心にかけて、
阿弥陀如来をよりどころとして「南無阿弥陀仏」とお念仏申す生活(人生)をお送りください。
と、蓮如上人は仰っています。

ここの部分で よく話題に上るのは、
「明日とも知れぬいのちを生きている」ということは分かるけど、「だからこそ 阿弥陀如来をよりどころとして」っていうのは、唐突というか、急に話が変わったような印象を受けるね。
ということです。
明日とも知れぬいのちを生きているからこそ…阿弥陀如来をよりどころとし、南無阿弥陀仏とお念仏を称えなさい
「…」の部分がつながらないのでしょうね。

こういうことが話題に上った記憶が頭の中にこびりついているので、「白骨の御文」を拝読するとき、この部分を読む度に、「どうして つながらなく感じてしまうのだろう」と考えていました。

ふと思いました。
私たち(僧侶)は、「阿弥陀とは、衆生救済の“はたらき”です」と、阿弥陀とは“はたらき”であると説きます。。衆生救済に尽力された阿弥陀如来という人物がかつていらっしゃったのではありません。衆生救済といっても、人々の悩み苦しみを取り除くのが救済ではありません。悩み苦しみがある人生だけれども、悩み苦しみを抱えながらも、抱えたままに私を生かすはたらきがある。だからこそ生きていける。その、私に寄り添う慈悲のおこころを阿弥陀と申します。というふうに説きます。

ふと思ったというのは、以上のように説きながら、「白骨の御文」のこの部分になると、実体としての阿弥陀如来(救世主)をイメージしているのではないだろうか、と思ったのです。
「明日とも知れぬいのちを生きているということは、悲しい事実を自覚したあなた。だからこそ、その悲しみを癒やす(楽にしてくれる)阿弥陀如来をよりどころとしなさい」といった感じでイメージしてはいないだろうか。

でも違う。阿弥陀という“はたらき”は、明日とも知れぬいのちの自覚をした者だけに与えられるものではない。南無阿弥陀仏のお念仏を称えたものだけを包んでくださるものでもない。年齢も性別も国籍も宗教も貧富も貴賎も問わず、生きとし生けるものすべてに阿弥陀という“はたらき”はかけられている。既に。
だから、「明日とも知れぬいのちの自覚に立った。さぁ、では阿弥陀如来をよりどころとして念仏称えましょう」という順番的なことを仰っているのではなく、
「明日とも知れぬいのちの自覚に立ったとき、すでに阿弥陀の“はたらき”の中を生かされて生きてきた身であることを知らされるのです」と、蓮如上人は仰っておられるのだ!! と、御文を拝読しながら思ったことです。

自分で自覚して、信じて、よりどころとして、念仏申すのではない。
私が自覚しようがしまいが、信じようが信じまいが、そんなことに関係なく阿弥陀如来のすくいの御手の中にいるのです。
という喜びの表明であると、いただいています。
子どもが親を呼ぶのは、子どもが親を呼ぶに先だって、親から子に対する愛情があるからである(なんか、ハッキリそう言い切れない現代を悲しくも感じます)。
私がお念仏を称えるのは、私がお念仏称えるに先だって、阿弥陀如来から衆生に対する願い・慈悲があるからである(このことは、ハッキリ言える)。

目に見えぬ“はたらき”は信じられませんか? だから、「白骨の御文」の最後の部分が唐突に感じるのかもしれません。すでにかけられている“はたらき”。その感得・喜びの表明が、蓮如上人にとっての「白骨の御文」なのかもしれません。

2012年10月21日 (日)

たれか百年の形体をたもつべきや

蓮如上人(本願寺8世)の御文(お手紙)に、「白骨の御文」があります。

「白骨の御文」
 それ、人間の浮生(ふしょう)なる相(そう)をつらつら観ずるに、
 おおよそはかなきものは、この世の始中終(しちゅうじゅう)、
 まぼろしのごとく なる一期(いちご)なり。
 されば、
 いまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)をうけたりという事をきかず。
 一生すぎやすし。
 いまにいたりて たれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。

という書き出しです。
この「たれか百年の形体をたもつべきや」の部分を、「誰が100歳まで生きるでしょうか」のように受け止め、「100歳を超える人がたくさんいる現代に そぐわないよね。蓮如さんの頃は100まで生きる人なんてそんなにいなかっただろうけど」とおっしゃる方がいます。
でも、「たれか百年の形体をたもつべきや」の直前に「万歳の人身をうけたりという事をきかず」とあります。ここで、「誰が10000歳まで生きるでしょうか」ということを仰っています。さすがに、現代においても10000歳生きている方はいらっしゃらないでしょう。で、その後の「たれか百年の形体をたもつべきや」は、「いったい誰が、今の私の姿のままで100年の命を保つことができましょうか」と仰っているのだと思います。
「私、本当は〇〇歳なんです」といった類いのコピーを最近よく目にします。若く見られたい、若くいたいのでしょうね。でも、どんなに整形医療や美容器具や薬などが発達・発展しても、今の姿のままで肉体を保つことはできませんし、無理があります。細胞レベルでは、休むことなく細胞は死に変わり生まれ変わりしています。今の私と1年後の私では、細胞的に見ると、まったくの別人だそうです。

朝、どんなに元気であったとしても、
夕べにはいのちを終えてしまっているかもしれない。
そんないのちを生きていますと伝えてくださっている「白骨の御文」
どんなに寿命が延びようと、その事実に変わりはありません。
「100歳生きる人がたくさんいる現代に、『白骨の御文』はそぐわない」なんて仰らずに、じっと自分の手を眺めてください。細胞が一生懸命生きていますから。
誰も、今の姿のままでは生きていません。
「いったい誰が、今の私の姿のままで100年の命を保つことができましょうか(いいえ、そんな人はいません)」
老いに抗う必要はないのですよ。

2012年10月20日 (土)

「お焼香終わりました」のお声がけ

法要中、お焼香が終わったときに、私のそばに来て「お焼香終わりました」と声をかけてくださる方がいらっしゃいます。
お坊さんに知らせなくてはと思ってくださっているのかもしれませんが、「お焼香終わりました」のお声がけは必要ありません。引き続き法(おしえ)に耳をお傾けください。


「お焼香終わりました」の声がけは、浄土真宗以外の宗派ではされるのでしょうか(義務なのでしょうか)? ご丁寧に声をかけてくださる方がたまにいらっしゃいます。
「あっ、声をかけにくるな」と、気配で分かるのですが、読経中の身としては「分かりました」とも応えられず、軽く頷いて反応しています。

さて、そのお声がけで面白いなぁと感じていることがあります。
私が寺に戻ってきた当時、本堂にイスはありませんでした。法要中はみなさん正座でした。どうしても畳に直に座れない方のために、2、3脚だけイスがあったように記憶しています。
年を経てイスの数が増え、必要な方が、本堂の壁側に置いてあるイスを自分で持ってきて座っていただくかたちになりました。
そうなると、私も私もとなり、「もうイスはないのですか?」ということになります。法要が始まる前にイスを並べたり、譲り合いが始まったりするので、数年前からあらかじめイスを並べておいて、全員が座れるようにしてあります。(現在本堂でお使いいただいているイスは、当時の役員さんが30脚ご寄進くださったものです。皆さん重宝されています。ありがとうございます)

面白い話とはイスの話ではありません。お声がけのスタイルです。
イスが無く 皆さん正座されていた頃は、お声がけも、私のそばに来て 正座して「お焼香終わりました」と囁いておられました。
で、皆さんイスに座られるようになった今では、私のそばに来て、立ったまま「お焼香終わりました」と声をかけられるのです(住職も私も正座で読経しております)。

日本もイスの生活になったと言われて久しいです。
しかし、正座をしている人に対して立ったまま声をかけるというのは、あまり良い絵ではありません。
私が高いところから声をかけられて、それが嫌だから言っているのではありません。誰かと話をするとき、誰かに声をかけるとき、相手の目線と等しいところに身を置くことが会話の始まりではないでしょうか(声がけにしても)。
みんながみんな高いところから(立ったまま)声をかけるわけではありませんが、イスが定着すると、「みんなでそうしよう」と決めたかのように同じことをするから面白いですね。

立ったまま声をかける人ばかりではありません。正座して、声がけをしてくださる方もいらっしゃいます。
でも、その多くの方々が、「そうしよう」と決めたかのように、私の耳元で囁くのです。「お焼香終わりました」。
「あっ、来るな」と気づいているので、ビックリすることはないのですが、読経中に耳元に息を吹きかけるのはやめていただきたく、お願い致します。

2012年10月19日 (金)

川村妙慶さん

2012年10月18日(木)
真宗大谷派 横浜別院 公開講座へ 川村妙慶さんのお話を聞きに伺いました。

 

思い通りにならぬ我が身・我が人生
思い通りになることが幸せだという 迷いの中を生きている私
「好きだよ」「信じているよ」「裏切らないよね」と言って、お互いの関係が築かれていることを確認しようとするけれど、そのセリフが出るという そのことが、相手を疑っていることの表れです。
思い通りにしたい、こうあらねばならぬ、災いは困るという囚われの中で、実は、自分で自分を苦しめているのです。
この世で起こる物事は、すべて因があって、縁があって、果がある。いきなり果だけが現われるわけではありません。因・縁・果の道理を生きるということは、思い通りにならない、自分にとって都合の悪いことだって起こり得ます。それをどうにかしたい、無くしたいという気持ちもわかります。でも、それは出来ません。
親鸞聖人という方は、どうにかしたい、無くしたい現実をどうにかしようとされた方ではありません。どうにかしたい、無くしたい現実を引き受けて生きて行かれた方です。そんな私たちに、「ただおお念仏です」と説かれたのです。阿弥陀さまのおすくいは、すべての人に平等に開かれているのですから。
(以上、私のノートより)
 
 
 
私(白山勝久)は、「思い通りにならないこと、都合の悪いことをどうにかしたいと願うけど、そんなのは無理だし、自分さえ良ければいいのですか?」なんて、スパッと相手を切ってしまうような言い方をしてしまいますが、
川村妙慶さんは、優しい語り口の方でした。女性だからというだけでなく、相手に頷き、認め、そして声をかけられている(お話をされている)のだなぁと感じました。
お話の1時間があっという間でした。
ありがとうございます。

横浜別院の皆様にもお世話になりました。聞法の場を開いてくださいまして、ありがとうございます。
横浜別院では、18・19・20日と、報恩講が勤められます。
お近くの方はぜひご参詣ください。

2012年10月18日 (木)

仏法に遇って、虚しく過ぎる者はなし

子どもがいると、お風呂や砂場で遊ぶために、
プリンやヨーグルトの空きカップや、粉の洗剤に入っている計量スプーンなんかを取っておきます。
子どもたちはカップやスプーンを喜んで使います。
使い捨てないから、けっこう長いこと使います。壊れるまで使います。

子どもたちと一緒に、カップやスプーンで遊んでいて思いました。
これらカップやスプーンって、多くの人は使い捨てますよね。
基本的に使い捨てられるために作られたものでも、子どもたちが遊ぶため、調理用具として使うため、整理整頓のために等、とっておかれるものもあります。
仲間のほとんどが使い捨てられるのに、わずかな数だけど生き残るものもある。
その分かれ目ってなんだろう?って考えてしまいます。

今、東京五組同朋会の2013年のチラシを作っています。
チラシや、寺で発行している寺報にしても、同じようなことを思います。
大事に大事にとっておかれるチラシや寺報もあれば、ポイ捨てされたり、一度も手に取られることなく役目を終えてゆくものもあります。

大事にされるものもあれば、使い捨てされるもの、使われずに捨てられてゆくものもある。
その違いに、淋しさや悲しみを感じます。
物に対してそこまで感じる人もいないでしょうが、遊び道具として手にしているカップやスプーンを見ていると、そんなことを想います。

それとともに、物だけの話ではなく、人も同じだなぁって思います。
生涯を虚しくなく生ききる者もいれば、生涯を虚しく終えて往く者もいる。
その分かれ目って、なんでしょう (虚無感の有無でいえば、仏教に出遇うか否かに尽きるのですが)。

こんな ことばに出遇いました。
使い捨てをする者は、やがて使い捨てられる。

おしえに出遇わずとも、生きてはいけます。
でも、おしえに出遇わない生涯を歩む者は、やがて虚しさだけが残ります。
「やがて使い捨てられる」って、誰かが私を使い捨てるのではなく、私が私自身のいのちを使い捨てているという意味ではないでしょうか。そんな気がします。
報恩講の季節です。どうか おしえに出遇ってください。

2012年10月17日 (水)

教えてもいないのに

まだ ことばが出ない次女(1歳半)ですが、

熱いものを口にしたり、お風呂が熱かったりすると
「アチッ」

梅干しとか酸っぱいものを口にすると
「スッパ」

歩いていて つまずくと
「オット」

転んだり ぶつけたりすると
「イタッ」

など、突発的な表現には、教えてもいないのに そのことばを発します。
熱いときに「イタッ」とは言いません。
不思議です。

ことばだけでなく、
おかしいときは 顔をクシャクシャにして笑います。
泣きそうなときは、下唇をかんで、泣くよ泣くよって顔をします。
怒るときは、幼子といえど、恐い顔で怒ります。

「こういう感情の時は、こういう顔をするんだよ」なんて教えてもいないのに、ちゃんとそういう顔をするものですね。
当たり前のようだけど、不思議です。
笑顔で怒るなんてことはしません 「なんだバカヤロ~

2012年10月16日 (火)

お葬式って楽しいね

先日、「10月前半の真宗会館テレホン法話を担当させていただいています」と宣伝しました。
早いもので、10月も折り返してしまいましたね。私の担当は終わってしまいました。感想をくださった皆様、お耳を貸してくださった皆様、ありがとうございます。
テレホン法話の内容をここに掲載させていただきます。

   
 
真宗会館テレホン法話 10月前半(担当:東京五組 西蓮寺 白山勝久)

題名:「お葬式って楽しいね」
7月の終わり、母方の祖母が亡くなりました。99歳でした。私にとって、育ての親のような存在で、祖母の死は、私自身の死をも意味しているように感じました。
祖母が阿弥陀さまの元へ還ったその晩にお通夜が営まれました。祖母は長崎で生まれ育ちました。長崎での通夜葬儀には住職と坊守が参列したため、残念ながら私は祖母を送る場にはいられませんでした。でも、「あぁ、よかったなぁ」と思える話を聞きました。
祖母には、4人の子どもと、9人の孫と、14人のひ孫がいます。全員が揃ったわけではありませんが、通夜葬儀は大賑わいだったそうです。
幼いひ孫たちが、大きな声ではしゃぎながら走り回って遊んでいます。普段なかなか会うことがない親戚どうしが、葬送の場に集まります。幼い子どもたちにとって、お祭りのように感じたことでしょう。その、お祭りのような場で、ひ孫のひとりが言いました。「お葬式って楽しいね」。
「お葬式って楽しいね」というセリフだけを耳にすれば、「不謹慎な」と思われるかもしれません。でも、「ハレの日」という表現がありますよね。現代では、結婚式や成人式など、人生の新たな出発の、お祝いの日を限定して使われているように感じます。しかし、「ハレの日」とは、人生の節目を意味し、お葬式も欠かすことの出来ない「ハレの日」なのです。葬送の場には多くの親戚が集まり、故人やそれぞれの近況についてワイワイ語り合い、子どもたちは無邪気に走り回る。通夜葬儀って、そんな雰囲気じゃありませんでしたか? 悲しい中にも、気分の高揚がありませんでしたか?
葬送の場は、亡き人との関係性を振り返り、感謝し、感謝ばかりでなく怒りや罵りだってあることでしょう。そこで語り、怒り、泣き、笑い、頭を下げる、いえ、頭が下がる。一応の区切りをつけるための大切な儀礼であり、人の死を通して、私たちは多くのことに気づかされます。
葬送の場において流す涙は、悲しみの涙です。しかし、悲しみの涙が流れる背景には、亡き人と築いた記憶があります。記憶の下地があるからこそ涙が出て、涙を共有した人がそばにいてくれるからこそ笑顔がこぼれる。悲しみを無くして笑顔がこぼれるのではありません。悲しみがあるからこそ笑顔となれるのです。「お葬式って楽しいね」って、ひ孫が感じた場には、みんなが共有する悲しみがあるからこその笑顔があふれたことと思います。
ひ孫が楽しく感じるような場から祖母を送り出せたことは、祖母にとっても、ひ孫たちにとっても、周りの者にとっても、あらためて前を向くための節目となりました。
たとえ身は滅んでも、いのちは、想う人の心の中で生き続けます。ずっと一緒です。枯れることのない涙とともに。

   

真宗会館テレホン法話は、毎月1日と16日に担当が変わります。真宗大谷派の東京教区のお坊さんが担当しています。これからも流れ続けますので、月に2回、5分ほどのお時間をいただけましたら幸いです。

2012年10月15日 (月)

読み聞かせ

冬物衣料を仕入れに、ユニク○千歳台店に行きました。
千歳台店は広くて品数も多く、しかも子どものオモチャや本が置いてあるので、子連れの時は千歳台店に行きます。
妻は、次女をカートに乗せて一緒にお買い物。私は、長女と共に子どもコーナー(コーナーというほどではありませんが)へ。
絵本を読んでとせがむので、読んであげました。声に出して。
一冊・二冊・三冊と読んでいるうちに、周りでそれぞれに遊んでいた子どもたちが寄ってきました。ちょっと聞いて離れる子、片手にオモチャを持ち続けながらも聞いている子、私にくっついて真剣に聞いている子。読む方も張り合いが出てきます。

絵本の読み聞かせ
ここにいるどれだけの子どもが、親から読み聞かせをしてもらっていることでしょう。
うちは、妻の希望で、長女が生まれたときから絵本の読み聞かせをしています。
絵本は、長女が生まれてからは、長崎にある「祈りの丘 絵本美術館」にお願いしています。毎月1冊・2冊、絵本美術館チョイスの絵本が届きます(もちろん、持っている本は変更できます)。
次女の分は、落合恵子さん主宰の「クレヨンハウス」にお願いしています。同様に、毎月1、2冊の本が届くのですが、絵本と一緒に届くクレヨンハウスの会報に書かれている落合恵子さんの文章を私たちが読みたいという気持ちもあります。
「絵本美術館」と「クレヨンハウス」それぞれにチョイスの特徴と信念があります。絵本を声に出して読むのは親です。読み聞かせと言いますが、実は親に対してのメッセージが込められているのかもしれません。

まだ字が読めない長女ですが、自分が聞いてきた絵本を手に取り、妹に対してその本を読んであげています。自分の記憶の中にある文章で。でも、ほとんど合っています。ちゃんと聞いて、記憶しているのですね。

読み聞かせは、子どもにとって大切なことだと思います。
とはいえ、読む時間がない・読む気分でないというときもあります。でも、それは大人の事情に過ぎません。娘が「読んで」と絵本を手にしたときは、出来るだけ読むように努めています。
「時間がない」っていうのは、言い訳ですから。そんなに忙しい人、実はいないでしょう。
絵本はいいですよ。実は、親の方が楽しんでいるのかもしれません。とりあえず1冊買ってきて、読み聞かせてあげてください。

運動会でもユニク○でも、子どもにモテモテでした。
嬉しい反面、親に遊んでもらっているのかな?という不安も感じました。
特に、私にベタベタくっついてくる子に対しては、親に抱きしめてもらっているのかな?と思いました。
なんて書きつつ、自分に突き刺さるわけですが、子どもとの時間を大切にしてあげてください。
仕事とかは、子どもが寝てから出来ますから。

2012年10月14日 (日)

同じ目線で

娘(年少さん)の幼稚園の運動会がありました。
子どもと一緒に親も参加する親子競技がありました。
競技の順番まで、子どもたちは男女二列の列を作り並んで待っています。父兄は、自分の子どもの横(男の子の右側・女の子の左側)に、子どもと手をつないで一緒に待っています。
私以外の親御さんは、立ったまま子どもと会話したり、親どうしでおしゃべりして待っています。私は、腰が痛いこともあり、地べたに座っていました。すると、娘とほぼ同じ目線になります。はじめは、娘としゃべったり、地面に落書きをしたりして待っていました。楽しそうに
すると、娘の前後に並んでいる子どもたちが、私にちょっかいを出し始めました。話しかけてくる子、アッカンベーとか変な顔を見せつける子、一緒に地面に落書きを始める子、私にベタベタくっついてくる子、さまざまです。子どもたちにモテモテで、楽しい待ち時間でした。

考えてみるに、子どもたちと同じ目線の高さにいる大人は私ひとり。つまり、子どもたちの世界の中に、私が入ってきたのでしょうね。
私も、ふと見上げると、高い位置から子どもに話しかける大人か、大人どうしおしゃべりしている姿が目に入ってきました。これじゃぁ、子どもとしては楽しくないなぁと思いました。
子どもとお話するとき、何か伝えるときは、腰を下ろして、子どもの目を見て、お話しなければいけないなと、あらためて思いました。
子どもたちに遊んでもらったおかげで、グランドの砂でズボンと靴が真っ白になりました

2012年10月13日 (土)

目に見えないものも、かたちとなって現われる

「一如のいたみ」というタイトルで、長々と想いを綴ったときに紹介した福島県二本松市の佐々木道範さん(二本松市真行寺副住職 同朋幼稚園が併設されています)。
佐々木さんは、NPO法人「TEAM二本松」を立ち上げ、、「食品の放射能測定」「子供たちの生活空間の除染」「子どもたちの一時保養(疎開)」を中心に活動をされています。
しかし現実は、いまもなお屋外で、青空の下で思いっきり遊ぶことが出来ない福島の子どもたちがいます。
その子どもたちのために「TEAM二本松」は、「福島の子どもたちを思いっ切り外で遊ばせる活動」を目標とされました。
その内容は、以下の通りです。

「二本松市街から車で15分の岳温泉。二本松市街の空間線量が0.8マイクシーベルト/hであるのに比べ、この岳温泉地区は0.2マイクシーベルト/h。ここに空グランド(空地)を手に入れ、徹底的な除染で0.1マイクシーベルト/h未満の、子供たちが遊んでも全く放射能の心配のない、綺麗な芝生グランドを作りたい。そして、送迎手段として大型バスを手に入れ、二本松市街から15分で子どもたちが外遊び出来る環境を作りたい。」

この壮大な目標を立てられ、そして、子どもたちが思いっきり遊べるグランドが出来ました。
佐々木さんの幼稚園の運動会が10月20日に開催されるそうです。12日には運動会の練習を行いました。子どもたちの楽しそうな声が、青空の下響き渡ったそうです。

目標をお聞きしたとき、「そんなことできるの?」と正直思ってしまいました。でも、彼らは成し遂げました。
グランドを使えるようになるまでには、多くの人たちの協力と想いがありました。
グランドや大型バスの提供者・除染をし、土をならし、芝生を植え付けたボランティアの方々、佐々木さんと想いを共にする人々。
そして迎える幼稚園の運動会。
子どもたちが大声ではしゃぎながら走り回れることの幸せ。
そういう場を、想いのある人々が創り出し、維持していかなければいけない現実。
放射能は見えないけれど、原発事故後、いろいろなものが見えてきます。
(本当は、原発の事故が起こる前からいろいろなものが見えていたはずなのに、見えてなかった、見ようとしなかった私がいます。そのことも見えてきました)

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今日(2012年10月13日)は、娘が通う幼稚園の運動会が開催されます。
運動会なんて年中行事で、開催が当たり前のように思いがちです。でも、開催に際して多くの方々の協力があって初めて成り立つのですね。
TEAM二本松の活動報告を知り、運動会(だけではないけれど)開催の有り難さ・喜び・感謝を感じています。
 
  

TEAM二本松の活動はすべて募金・支援金で成り立っています。
TEAM二本松の活動に賛同いただけます方は、ご協力いただけましたら幸いです。
ゆうちょ銀行
【記号18260 番号14696471 名義チームニホンマツ】
他銀行からの場合
【ゆうちょ銀行 店番828 普通1469647 名義チームニホンマツ】

2012年10月12日 (金)

夏の暑さも過ぎ、はや来年の足音が

2013年のカレンダーを目にするようになりました。
おせち料理の受付も始まりました。
年賀状も予約受付中ですってね。
本屋さんに行ったら、2013年の手帳を販売してました。ずっと使い続けている手帳を買いました。
日記も、終わりに近づいてきました。

ふと机の上に目をやると、折々に備忘書きしている「やるべきこと」メモが。
まだまだやろうとしていることが残っています…。
残り少ない日々と、残り多い雑務
2013年の足音が聞こえてきました

2012年10月11日 (木)

西蓮寺聞法会 「共に」

2012年10月10日(水) 西蓮寺聞法会
「共に」ということでお話

「共に」とか「同朋」と言ったとき、
「正義」を掲げて生きている私たちが、掲げている「正義」を下ろし、衆生(生きとし生けるもの)と手を取り合って、仲良く生きる姿が連想されませんか?
その姿は究極の理想かもしれませんが、そうはなれないというところに立ち、苦しむところに、すべての人々にかけられている阿弥陀の慈悲・本願が見えてきます。
念仏のおしえに出遇い、その慶びを説かれた聖人。
念仏によって悩みや苦悩をなくされた方と思われがちですが、そうではありません。
念仏によって、阿弥陀との出遇いによって、ますます自身の苦悩が明らかになったのです。
聖人は、生涯を通して苦悩の自分を見つめ、だからこそ、阿弥陀に出遇われ続けました。
苦悩の衆生一人ひとりに、阿弥陀の慈悲は届いています。
弥陀の本願は、すべての衆生が対象です。
そこにこそ、「共に」とか「同朋」ということが成り立っていると感じるのです。
私たち衆生が「共に」と言うと、そこには共になれない者を生み出す落とし穴があります。
阿弥陀如来からの目線だからこそ、「共に」ということが成り立つ。
その頷きにおいて、「同朋」として朋に聴聞できるのだと感じています。

2012年10月10日 (水)

私を映し出す鏡は、自然界にあふれている

2012年10月9日(火) 墓地に彼岸花が咲いていました。
どんなに気候不順でも、どんなに悪天候でも、律儀に秋のお彼岸中に花を咲かせ続けてきた彼岸花。
でも今年は、10月に入ってから咲き始めました。
流石に、彼岸花の体内時計も狂ってしまったのでしょうか。

だからといって、「地球温暖化の影響」なんてことばで済ませたくはありません。
海の温度があがって、暖かい南の海で泳いでいた魚たちが北上しているといわれます。
海水温の上昇は、原発から排水される温水の影響が大きいのです。
100万キロワットの原発1基から排出される温水は、1秒間に70トンの海水を7℃温めているそうです。
二酸化炭素を排出しないクリーンエネルギーを標榜していた原発は、「海暖め装置」(水戸巌先生)なのでした。

彼岸花の咲く時期がずれたのも、魚の北上も、自然界のバランスが崩れているのも、「地球温暖化の影響」ではなく、「人間の影響」であることに目を向けなければいけないと、色あせた彼岸花を見て感じます。
人間は「環境破壊装置」だと、人間以外の生きとし生けるものたちから言われないためにも。

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2012年10月 9日 (火)

戦争前夜のにおい

ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争・・・戦争はずっと続いています。
犠牲になる人の身になって考えてみてください。
今の日本人には、その危機感がありません。
戦争の悲惨さを知らない日本人の安穏さは危険です。
今は昭和初期と時代の雰囲気はかなり似てますよ。

大滝秀治さん(1925.6.6~2012.10.2 87歳)

昭和初期の雰囲気は知らないけれど、
戦争前夜のにおいがプンプンする。
時代は繰り返すというけれど、忘れてしまうから繰り返すのだろうか…
戦後67年というけれど、戦争はずっと続いてきた。
日本と関係のない戦争なんてない。
今も、地球のどこかで、誰かが犠牲になっている。
権力を巡り、土地を巡り、経済を巡り…
忘れてしまうから繰り返すんじゃないんだ。
欲望は、どんなに悲惨な出来事も、見えないものにしてしまう。
たちが悪いのは、権力・土地・お金…欲望の源を欲する人間は、危険な場所に立たないということ。
欲望のままに生きるヒトのために、必死で生きている人々が悲惨な目に遭う。
死を省みずに生きるヒトのために、死に直面しながら生きる人々がいる。

戦前を生きた方が、戦前の空気が現代には流れているという。
それを「バカな」と笑えるか。
戦前を知らない、戦後生まれの人間が多数いる。
忘れたから、知らないからまた同じ過ちが繰り返されてしまうのか。
でも、戦前は知らなくても、あの震災を、津波を、原発被害を知っている人間は、この国の大多数を占める。
忘れたから 他者(ひと)が見えない生活をしているわけではないだろう。
知らない(自分が被災したわけではない)から 安穏としているわけではないだろう。
あの震災後の被害は、今も続いている。
忘れたわけでもない、知らないわけでもないのに、震災直後の想いがどこかに行ってしまった。
戦争を知らない世代が増えたとはいっても、情報として、その悲惨さをまったく知らない人は少ないだろう。
そこに傷みを感じるか否かは別にして。
つまり、先の大戦を忘れたわけでも、知らないわけでもないのに、その悲惨さ・危うさ・悲しみがどこかに行ってしまっている。

“どこかに行ってしまっている”と書いたけど、
どこかに行ってしまったわけではない。
ここにあるのに、見えなくしてしまっている。
自分の欲や、忙しさというごまかしや、自分には関係ないという傲慢さで。
だからこそ同じ過ちを繰り返してしまう。忘れてしまうからではなくて。
欲や、忙しさというごまかしや、自分には関係ないという傲慢さで、大切なものを、大切な人を見えなくしてしまってはいないだろうか。

大切なものを見続けてきた人が往きました。
そういうことを言ってくれる人(警鐘を鳴らしてくれる人)がいなくなって、
私はますます大切な者を見失い、同じ過ちを繰り返すのだろうか。
大滝秀治さんのことばを胸に刻みます。
大滝秀治さん、ありがとうございます。

2012年10月 8日 (月)

真宗会館テレホン法話

真宗会館テレホン法話を久しぶりに担当させていただきました。
10月1日から15日まで流れています。
4分ほどのお話です。お時間ございましたら、お付き合いくださいませ

 03-3997-0874 (サンキュー 急な おはなし♪)

2012年10月 7日 (日)

難の中の難…“可能”ということ

2012年10月6日(土) 東京五組同朋会 「正信偈」を縁として
お話 橋本正博住職(横浜組 智広寺)

「正信偈」依経段 最後のお話でした(次回から七高僧のお話に入ります)
 信を獲れば見て敬い大きに慶喜せん、
 すなわち横に五悪趣を超截す。
 一切善悪の凡夫人、
 如来の弘誓願を聞信すれば、
 仏、広大勝解の者と言えり。
 この人を分陀利華と名づく。
 弥陀仏の本願念仏は、
 邪見憍慢の悪衆生、
 信楽受持すること、はなはだもって難し。
 難の中の難、これに過ぎたるはなし。
 
人と人とが付き合えば、手を取り合えることもあれば、争いも起こる。
争いとは、正義と悪の対立ではなく、正義と正義が対立して起こるのです。
平野修先生(故人)は教えてくださいました。
我々には、自分が考えたことは“正しい”と思う 悪い癖がある
自分が正しい、誰もがそんな狭い考えの中を生き、対立を生んでいるのです。
しかし、そんな私(一切善悪の凡夫人)ですが、弥陀の本願に包まれ、信心を獲得したら大慶喜すると説かれています。
その喜びとは、信心を獲た人だけに起こる個人的な喜びではありません。
「大」には、「個人を超えた全ての人々に開かれた」という意味が内包されています。
「慶」には、「自他共によろこぶ」という意味があり、個人的な喜びに対しては使いません。
信心を獲て“喜ぶ”のではなく、信心を獲て“大慶喜”する…他の人々と、多くの人々と喜べる身となると説かれているのです。
自分にとっての正義で、他者との対立を生んでいる私。誰もがそういう姿を生きている。
でも、それにもかわらず、そのままの姿で、阿弥陀に摂め取られるのです。
蓮の花は、清らかな水の中には咲きません。卑湿の淤泥にこそ咲くのです。
自分の正義で着飾らず、誰とでも仲良く生きられるような清らかな身となることが目的ではありません。
自分の正義で飾り立て、他者との対立の中で生きつつも、そういう生き方しか出来ない私を、私のままにおすくいくださる。それが弥陀の本願です。
信心を獲ること。それは「難の中の難」です。でも、「不可能」ではないのです。不可能ならば、「不可能」だと書かれます。「不可能」ではなく、「難の中の難」と説かれるということは、誰の身にも起こり得ることなのです。
南無阿弥陀仏

以上、私のノートより。明福寺様お世話になりました。
次回は12月15日(土)西福寺様(港区南麻布2-14-17)を会場に午後2時より開催されます。
会場でお会いしましょう。

2012年10月 6日 (土)

東京五組同朋会ご案内

本日2012年10月6日(土)は、東京五組同朋会が開催されます。
横浜組 智広寺 橋本正博住職に「正信偈」のお話をいただく第5回目です。
会場 明福寺(港区三田4-4-14)
受付 13:30
開会 14:00
閉会 17:00
会費 500円です
ご参加お待ちしています。

来年2013年の開催日と会場も決まりました(第6回分も併記しておきます)。
第6回 2012年12月15日(土) 西福寺(港区南麻布2-14-17)
第7回 2013年 2月 9日(土) 佑浩寺(港区南麻布4-2-38)
第8回        4月13日(土) 圓林寺(港区六本木3-4-9)
第9回(最終回)  6月1日(土) 西蓮寺(世田谷区北烏山2-7-1)
今からご予定ください。

2012年10月 5日 (金)

法湯

2012年10月4日(木)
大谷大学 三木彰円先生にお話をいただく「『選択集』に学ぶ」に参加(於 真宗会館)。
久しぶりにどっぷり法湯につかった気持ちになりました。「極楽 極楽♪」ならぬ「お浄土 お浄土♪」といった気持ちでした。
大谷大学在学中にお世話になった三木先生とも久しぶりにお話ができ、京都や谷大の空気も吸収し、エネルギーが満ちた感じです。
家に帰った私の顔を見て妻は、「楽しかったみたいね^^」と言いました。顔に出ていたようです。

おしえに触れると、こころが喜びます。
今の状況や悩み苦しみそのものは、なんにも変わらないけれど、その、変わらないところに変化が訪れる。

「禍福はあざなえる縄のごとし」
「人生、結果的には良いことも悪いことも半々」と言うけれど、
その半分半分のことが、おしえに触れると、禍(災い)が禍のままに、生きる道筋を照らし出してくれる。
つらいことと喜びが半々ならば、つらいことの方が強烈にこころにのしかかるから、つらい想いの方が重く私にのしかかる。人生はつらいことだけのように感じてしまう。
でも、おしえに出遇うことによって、つらいことがつらいままに生きてゆけるようになる。そういう道筋が見えてくる。
決して、おしえに触れることによってつらいことが無くなって喜びが満ちるのではなくて。

そういう場に、人に、おしえに出遇えてよかった。お浄土 お浄土♪

2012年10月 4日 (木)

2012年10月のことば

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機嫌が悪いのも、もとは全部 自分から出ている

太陽がまぶしかったから
暑い夏でしたね。体にとても負担がかかりました。すると、気持ちにも負荷がかかってしまいます。
愛おしい妻の、娘たちを叱る声に、可愛い娘たちの、耳に突き刺さるような泣き声・出かけるときのルーズな仕草・かがんだときにバッと抱きついてくる行為(腰痛持ちなので、とても恐ろしい行為なのです)に、苛立ちを感じてしまうこともありました。ちょっとしたことでムッとしたり、イライラしたり、自分で自分が嫌になるような、夏の暑さでした。
機嫌が悪くなることもあります。が、しかし、その機嫌の悪さの原因は何でしょう? 妻でしょうか? 娘でしょうか? いえ、違います。妻のせいでも、娘が引き起こしているのでもありません。自分で起こしているのです。自分から出てきている不機嫌さなのです。

こんなことがありました①
某ファストフード店で注文をしていると、隣のレジにご機嫌斜めなお客さんがいました。注文した品物がなかなか出てこないのです。「急いでいるんだから、早くしてよ!」と怒鳴っています。
急いでいるからファストフード店に入ったのでしょうが、急いでいるのは自分の都合です。それを店員さんに押し付けるのは迷惑な話です。
そんなに急いでいるのなら、コンビニで何か買うか、何も食べずに我慢すればいいのに。あぁ、お腹が空いてご機嫌斜めだったのか。
機嫌が悪いのは、すぐに品物が出てこないお店のせいではありません。自分の中から出てきているのです。

こんなことがありました②
今年の秋彼岸は、不安定な天気でしたね。でも、不安定な天気にもかかわらず、大勢の方がお寺参りにみえました。お彼岸には、天気が悪くても、用事があっても、多くの方々がなんとかしてお参りにみえます。当然、公共の交通機関も人でいっぱいですし、道路も渋滞します。車でみえる方は、普段の二倍三倍(それ以上)の時間をかけて、お寺に来られます。
数年前のお彼岸の出来事です。駐車場にたまたま私がいたのですが、渋滞に巻き込まれ、やっと寺に辿り着いた方が、車から降りるなり私に向かって「どうしてこんなに混んでいるんだ!」と怒鳴りました。まるで私が渋滞を作ったかのように。
車の渋滞や道行く人の多さに辟易としたことがある人は多いことでしょう。疲れる気持ち・イライラする気持ちは分かります。でも、この私自身が混雑を作っている張本人であることを忘れてはいけません。
渋滞にしろ、道が混んでいることにしろ、その混雑を作っている要因の一人は、「どうしてこんなに混んでるんだ!」と怒鳴ったあなたなのです。

子どもがいるから擁護するわけではありません
この夏、ネット上である論争が起こりました。「電車内でのベビーカーの利用について」です。電車内でのベビーカー利用について理解を求めるように、鉄道各社がポスターを掲示したところ、賛同されるどころか、ベビーカーの利用を非難する声が噴出しているのです。
そもそも、そのような啓発ポスターを作らなければいけない時点で、悲しい現実が浮き彫りになっているのですが、論争になるほどベビーカー利用に関する非難の声が挙がるとは思いませんでした。
もちろん、論争になるということは、ベビーカー利用者にも非があるからです。スペースを取るものですから、邪魔にもなります。通勤ラッシュ時に、広げたベビーカーで乗り込む親もいるそうです。その時間に乗らなければいけない理由があるのでしょうが、配慮が必要です。でも、渋滞の話でも書きましたが、ラッシュの要因は、ベビーカーだけでなく、そのときその車両にいる一人ひとりがラッシュの構成者です。ベビーカーだけを悪者にするのは筋違いです。
一方、ベビーカー利用者からは、専用車両を作ってほしいという声もあるそうですが、なんでも専用化してしまうと、譲り合いの気持ちや、他者(ひと)の力を必要とする人がいるという思いやりのこころが薄れてしまうのではないかと思います。だって、そういう人が目の前にいなくなってしまうのですから。それに、ベビーカー専用車両が出来てしまったら、「専用車両に乗れ!」と、怒鳴られてしまうことでしょう。
ベビーカー論争に限らず、自分以外の他者(ひと)がいるという思いやりが希薄です。悲しいです。

来た道なのに 行く道なのに
「子供叱るな 来た道だもの 年寄り笑うな 行く道だもの」という法語があります。
「子どもを大切に、お年寄りを大事に」というだけのことばではありません。私自身の姿を映し出したことばです。来た道なのに、行く道なのに、ベビーカー(子ども)を邪魔者扱いし、前を歩くお年寄りに「もたもた歩くな」などと言ってはいないでしょうか。
イライラ、むしゃくしゃ、機嫌が悪いことの原因を、他者のせいにしていませんか? 他者のせいにすれば簡単ですよね。勝手に不機嫌になっていればいいのですから。
誰にだって機嫌が悪いときはあります。それを無くす術はありません。機嫌悪くなったときは、落ち着くのを待つしかありません。でも、他者に原因があるのではなく、自分から出てきているものだということを忘れずに生きたいものです。
それにしても、余裕がないというか、自分さえ良ければいいというのか…機嫌が悪くなってしまいます。あぁ、これも自分から出たものでした。

   

掲示板 今月の人形
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写真を撮っていたら、蜂が受粉しに飛んできました。花は芙蓉です。

2012年10月 3日 (水)

一如のいたみ(全文)

山本美香さんの死後、テレビで、今年の2月に撮影されたインタビューを見て、何かがこころに突き刺さりました。
私の知らないところで苦しんでいる人がいる。
その人たちの姿を、身をもって伝えようとされている人がいる。
悲しみと傷みがこころを覆います。
山本美香さんの姿は、誰かに似ていました。佐々木道範さんとそのご家族でした。
いろいろな想いがわき起こり、書き綴りました。
長い文章になったので、ちょっとずつ分けて投稿しました。
長すぎて、想いがどこにあるのか分からなかったかもしれません。
でも悲しみと傷みがきっかけとなって沸き起こった想いのすべてです。
想いはとどまりませんから、投稿後も想い(書きたいこと)は出てきますが、このへんで止めておきます。
言うだけでなく、動き出さなければいけませんから。
全文を投稿しておきます。
13日間に亘ってお読みくださいました皆様、ありがとうございます。
 
   

「一如のいたみ」

①「知らなかったから仕方がない」というが、知ろうとしない私がいた。

2012年8月20日 日本人ジャーナリストの山本美香さんが、シリア内戦の取材中、北部のアレッポという都市で銃弾に倒れました。
彼女は、1991年に起きた雲仙普賢岳の取材を通し、被災して困難な生活を強いられている人々がいることを伝えることにより、「その人たちの生活が一刻も早く良い方向に向かってほしい」という想いを抱き、ジャーナリストとしての活動をはじめられました。
雲仙普賢岳の取材をきっかけに、弱い立場に追いやられている人々がいる現実を伝え、その状況が良い方向に向くことを、もっと言えば、弱い立場・状況に立たされるなどということが無いようになってほしい、そのような願いをもってジャーナリストをされていたそうです。それゆえ、イラク、アフガニスタン、コソボ、バグダート、シリアなどからレポートを続けられました。

お名前は聞いたことがありましたが、お仕事やその内容、背後にある想いなど、知るよしもありませんでした。しかし、知らなかったのだから仕方が無いという話ではありません。知らないというよりも、知ろうとしてこなかった自分がいるのです。

想いをもって活動をされている人がいるということ。困難な状況を強いられて生きている人々がいるということ。そのような人たちがいるという現実はこころに留めておくことができるはずです。
山本美香さんが亡くなられたことと、彼女の想いを知り、「目の前で起きている現実ではないけれど、私が息をしているこの間にも困難に直面している人がいる。それと共に、そのような人々に想いをかけている人がいる」という現実をあらためて知らされました。


彼女の死と想いを報道で知り、私のこころの中で、なにか想いを書かねばという衝動に駆られました。
なのに、彼女の死から一ヵ月が過ぎてしまいました。
何かが起きて、自分事と感じても、それなのに行動が他人事である。震災津波にしても、原発事故にしてもそうです。日常に埋没している自分に苛立ちを感じながらの一ヵ月でした。まだ書き終えていないのですが、想いを表現させていただきます。

②思いを馳せるということ

彼女が亡くなられた次の日の読売新聞の朝刊「編集手帳」に、次のように書いてありました。

◆内戦の続くシリアで女性ジャーナリスト山本美香さんが取材中に銃撃を受けて死亡した◆痛ましい知らせにしばし瞑目し、こうべを垂れつつ、忸怩たる思いが胸をよぎらぬでもない。シリアの内戦では2万人以上の犠牲者が出たといわれる。その2万人にこれまで、<いのちをふたつもちしものなし>のまなざしを向けてきたか。日本人の命が奪われるのと同量の関心を払ってきたかと問われれば、身を省みて沈黙するのみである 〔「読売新聞」 2012年8月22日(水) 編集手帳 より〕
海外で事件事故や災害が起きた際、ニュースは日本人の安否について伝えます。 「この事件(事故・災害)による日本人の被害はありません」というように。 身内が海外にいる人にとって、有事の際の安否は気になるところです。安否の報道は必要です。しかし、身内が無事だから、日本人が被害に遭わなかったから“よかった”と胸をなで下ろしていい話ではありません。

「シリアの内戦では2万人以上の犠牲者が出たといわれる。その2万人にこれまで、日本人の命が奪われるのと同量の関心を払ってきたかと問われれば…身を省みて沈黙するのみである」

③ジャータカ物語

山本美香さんのいのちと、シリアの人々のいのち…「編集手帳」を読みながら、『ジャータカ物語』の「行者とタカ」の話を思い出していました。

「ジャータカ物語」をご存じですか? お釈迦さまの前世物語と言われています。
お釈迦さまは、人間として生まれ、その生涯においてさとりを開き、ブッダ(仏陀:覚者…目覚めた者・さとりをえた者)となられました。
しかし、ひとりの人間として生きるわずかな時間の中では、さとりを開くまでの歩みをすることは不可能である。その前世において、語り尽くせないほどの善行を行っていたからこそ、シッダールタ王子として生まれたときに覚者となられたのであるという考えに基づいて語られたお話です。
その前世は、人間の姿だけとは限りません。いろいろな動物や、さまざまな立場の人間として、前世を生ききられました。
数ある「ジャータカ物語」の中に、「行者とタカ」というお話があります。

   

ある日、タカに追われたハトが行者(修行者)のもとへ逃げ込んできました。
かわいそうに思った行者はハトを助けようとします。
ハトを追いかけてきたタカは行者に迫ります。
「行者よ、あなたはハトの命を救い、良いことをしたつもりでいるかもしれないが、ハトの命を救うということは、ハトを食べなければ死ぬこの私、タカの命を見殺しにすることになるのですよ。ハトは救って、私は見殺しにする気ですか?」
困った行者はハトもタカも殺さずにすむ方法はないかと悩みます。
そしてタカに訴えます。
「タカよ、ハトと同じ重さの私の肉をお前にやろう。それで、このハトを助けてくれないか?」
「それなら いいだろう」とタカは応えます。
すると行者は、天秤の一方にハトを乗せ、もう一方に自分の肉を切り取って乗せはじめました。
小さな軽いハトだから、チョット乗せれば充分だろうと思っていましたが、いくら肉を切り取って乗せてもハトの方が重くて、同じ重さにはなりません。
ついに行者は自分の胸に刃を突き刺し、全身を天秤の片一方に横たえ、そうしてやっと同じ重さになりました。

④私のこころの天秤は…

ジャータカ物語の「行者とタカ」。この行者がブッダの前世です。ハトを助けようと思いながらも、こころのどこかで、ハトのいのちは人間よりは軽いと見くびっていた行者が、まさに身をもって、どのようないのちも、すべて同じ重さ(いのち)であることをさとったのです。
ハトのいのちと自分のいのちを比べたとき、誰もが自分(人間)のいのちを重く考えるのではないでしょうか。あるいは、自分の体の一部を天秤に乗せれば、ハトと釣り合うと考えるのではないでしょうか(実際に身を刻む人はいないでしょうが)。
しかし、そうではなかったのです。全身を投げ出して、そうしてやっとハトと同じいのちであると知られるのでした。

海外での有事、たまたまそこに居合わせた日本人のいのちと、そこに住む人々のいのち。どちらも同じいのちです。
身内・知り合いのいのちと、身内でも知り合いでもなかい人のいのち。どちらも同じいのちです。
恐ろしいことに、私のこころの天秤は、自分に近い者のいのちを重たい方に位置づけてしまうのです。

⑤生と死

「行者とタカ」の話は、私の中でとても気になっていて、ここ数年、寺の新盆法要の場でお話をしてきました(今年はしませんでしたが)。
「供養をする」と言うとき、「“生きている私が、亡き人のためにする”という想いがありませんか?」と、問い続けてきました。
「行者とタカ」の行者が、命に軽重をつけたように、「“生きている”ことに重きをおいていませんか?」と。
亡き人を大切に想う気持ちに偽りはありませんが、死を忌み嫌う生き方に、“生きている”ことに重きをおいているように感じて、「行者とタカ」の話から、そんな問いを発してきました。

⑥天秤という道具は…

「行者とタカ」の話を現代に置き換え、原発の話を考えてみると、反対派と推進派の姿が浮かんできます。論争が続いています。私も、反原発・脱原発の意見を発し、デモにも参加しました。しかし、反対と推進、どちらが正しいか(重たいか)という議論をしても、結論は出ないどころか、天秤が折れてしまいます。両者の溝が深まるだけで終わってしまいます。

賛成の数が多い方が重くなるのではありません
論理的に正しい方が重くなるのではありません
(主張し合う限り、それぞれが それぞれにおいて正しいのですから)
豊かな生活に近い方が重くなるのではありません

「行者とタカ」の話を思い返し、現代の問題(原発に限りません)に当てはめて考えたとき、どちらが重い(正しい)かという議論・論争・言い争いをしてしまいますが、そんな話ではないのです。
なぜならば、どちらも釣り合っているのですから。

立場の違い、環境の違い、意見の違いがあるけれど、同じいのちを生きているのでした。
そんな大前提を忘れ、自分の意見を押し通そうとしていました。
天秤が折れてしまっては、論争どころか、お話をすることさえもできなくなってしまいます。

悔しいけれど、被災して故郷を追われている人々と、
原発が事故を起こしたときに、被害に遭わないような所に住みながら原発推進を訴える人々と、
同じいのちなのでした。
ホント、悔しいんだけど…

どちらが重い(正しい)か量るための道具が天秤ではなく、
どちらも同じ重さであるということを知らせていただくのが天秤なのでした。

⑦私はどこにいましたか?

さて、私は大変な思い違いをしていました。
「行者とタカ」の話から、原発反対派と推進派を、天秤のそれぞれのお皿に乗っけてしまいました。
原発の話に限らず、あらゆる論争の、あらゆる争いの、あらゆる対立関係の、争っているそれぞれを、天秤の双方に乗せて考えていました。
そして、どちらが重い(正しい)ではなく、どちらも同じ重さなのだと言いました。

私は大変な勘違いをしていました。
「行者とタカ」の話を ちゃんといただいたのならば、争っているそれぞれを天秤に乗せるのではありませんでした。
この私自身を天秤の片一方に乗せねばならないのでした。そうでなければ、私は争いを俯瞰しているだけの傍観者になってしまいます。

天秤の、私の反対側のお皿に乗っているのは、私が助けようとしているハトなわけですから、私と同じ意見の方々になります(よね?)。
「それじゃぁ、釣り合って当然だろう」と言われそうですが、ハトの身代わりに我がいのちをタカ(自分と意見を異にする人々)に差し出すわけですから、結局はタカと私も釣り合っている、同じいのちということになります。
意見が異なると、「信じられない」「同じ人間とは思えない」「あんな奴 人間じゃない」などという怒りに満ちた声が出てくるわけですが、その「あんな奴人間じゃない」と同じいのちなのでした。

結論としては「同じいのち」の自覚という話になるのですが、
自分を抜きに考えるのではなく、「自分を天秤に乗っけて感じるという感覚」を無くしてはいけないのでした。
俯瞰する冷静さもときには必要ですが、傍観者となってはいけません。他国の内戦も、自国の原発も、他国と自国の領有権の主張も。

⑧一如のいたみ

天秤をイメージすると、天秤に乗っける双方の姿(主張や言い分など)を比べてしまいます。
まさにそんなことをしているときに、『同朋』 2012年8月号(東本願寺出版部発行)を読んでいたら、狐野秀存先生(この しゅうぞん先生:大谷専修学院長)の文章が目に留まりました。

「一如のいたみ」に思いをめぐらす
元大谷専修学院長の信國淳(のぶくに あつし)先生は、こうしたことを「一如(いちにょ)のいたみ」という言葉で教えてくださっています。「一如」とは、「自分と他人」とか「善と悪」といった差別や矛盾がない、本来のいのちの在り方です。しかし、私どもはふだん、そのような自己の本来性に背いた生き方をしている。そのために感じる孤独や苦悩が「一如のいたみ」です。その痛みに思いをめぐらし、それが一如といういのちの根源的事実から沸き起こってくることを自覚したとき、「もはや自己においてだけ自己を生きようとするのではなく、他人と共に、他人と一つになって、自己を生きようと欲する」ような信心が成り立ち、「かくしてわれわれのうちに新しい主体的な生活がはじまる」と信國先生は述べておられます。
(『親鸞聖人のことば-歎異抄入門』1964年東本願寺出版部発行、現在品切)


抜粋ですので、“こうしたことを”という指示語で始まってしまいますが、お許しください(月刊『同朋』リニューアルされました。よろしかったらご購読ください)。
「一如」とは差別や矛盾がない世界です。その差別や矛盾とは、「自分と他人」とか「善と悪」という私自身の分別心によって生み出されるものであり、その分別心ゆえに孤独や苦悩を味わうのです。
しかし、その孤独や苦悩は、単に私を苦しめる(私が私自身を苦しめる)ものではなく、孤独や苦悩による“いたみ”の自覚を通してこそ、「他人と一つになって、自己を生きようと欲する」「主体的な生活がはじまる」のです。

“私”とは、私ひとりにおいて成り立つものではなく、
他人あるがゆえに、他人と共にありながら、私ひとりで在りきれるのです。

⑨「いたみ」あるがゆえに

先の文章で、
「天秤の双方に、争う両者を乗せていました。しかし私は勘違いをしていました。天秤の片方に乗せるべきは私でありました。私を傍観者にしてしまっていました」
というような気づきを書きました。
しかし、狐野先生と信國先生の「一如」についてのことばに出遇い、まだまだ勘違いをしている私に気付かせていただきました。
天秤に乗せるということで、比較するこころが働いてしまっていました。比較心・差別心・分別心の眼で天秤を見ていました。片方のお皿に自分を乗せつつも、まだ俯瞰・傍観していたのです。
天秤の双方のお皿に乗っかったものを見るのではなく、天秤そのものを、一如:ひとつのもの(いのち)として見るべきなのでした。いえ、見えるものなのです。
その眼には、反対派も推進派もありません。
だからといって、みんな仲良く手をつないで的なことを言おうとしているのではありません。そこには「いたみ」がありません。「いたみ」を消して手を取り合えるものでもありません。

「いたみ」を感じるところに、ひとつとなれるのです。
「いたみ」を抱えながらも、ひとりでいられるのです。
「いたみ」があるからこそ、「一如」たり得るのです。

⑩見る、知る、感じるところに「いたみ」が生じる

俯瞰している自分がいると書きました。
本当に冷静に俯瞰していたのなら、「いたみ」も感じられたのではないでしょうか。
つまり、なにも見ていなかったのです。

行者はハトを助けようとしました。しかし、こころのどこかでハトのいのちと人間のいのちの軽重を量っていました。
「行者はブッダの前世の姿で」と書いたけれど(ごめんなさい、実際そうなのでしょうか? 書きながら分からずにいました)、この文章を書きながら、タカこそブッダの前世の姿ではないかと感じ始めています。
タカは、本当にお腹が空いていたのなら、行者が止めようがハトを食べていたことでしょう。行者をも食い殺していたかもしれません。しかし、そうはせずに身を刻む行者を眺めていたのは、決して俯瞰・鳥瞰していたのではなく、行者の「いたみ」を感じていたのではないでしょうか。
自分が生きるために、ハトの命を奪わねばならない。そのことは、ハト一羽の命を奪うことだけでは済まない。自分が生きるためには、他のいのちと、そして いたみが必要なのだ。そのことを、身を刻む行者の姿を通して、タカは感じたに違いありません。
そのように想うと、タカもブッダの前世の姿のように見えてきます。


今、現に、弱い立場に追いやられている人々がいます。
そのことを伝えるために、身をもって活動をされている人がいます。山本美香さんのように。
そういう人たちがいることに思いも馳せずに暮らしている私。
なかには、「かわいそうに」「なんとかしてあげたい」「伝えてくれてありがとう」という想いを抱いてくれる人も現れることでしょう。
しかし、
「弱い立場に追いやられている人々がいる」のは、私の「無関心」があったから。
「そのことを伝えるために、身をもって活動をされている人がいた」のは、「いたみ」を感じるこころを失いながら生きている私がいるから。
その現実を、見てみないふりをしてはいけない。

⑪一味

「一如」のおしえをいただき、「一味」ということを想いました。

 名号不思議の海水は
 逆謗の死骸もとどまらず
 衆悪の万川帰しぬれば
 功徳のうしおに一味なり
  (親鸞聖人「曇鸞和讃」)

 尽十方無碍光の
 大悲大願の海水に
 煩悩の衆流帰しぬれば
 智慧のうしおに一味なり
  (親鸞聖人「曇鸞和讃」)

乱暴に現代語訳しますと以下のようになるでしょうか。
濁った川も海に流れ出れば、清浄なる海とひとつとなるように、
阿弥陀如来を信じない、おしえを謗る(そしる)、煩悩によって濁りきっている私でさえも、阿弥陀如来の、衆生をすくいたいと願う海のような慈悲のこころに摂め(おさめ)取られて一味となります。


どちらの和讃にも「一味」と出てきます。現代では、“悪者の一味”のように、どちらかというとマイナスのイメージで使われるのではないでしょうか。しかし、現代語訳で書いたように、阿弥陀如来に摂め取られる、つまり、阿弥陀如来と共なる世界を生きる身となるというような味わいで「一味」と表現されます。

お釈迦さまも親鸞聖人も、死後については語られていません。「自分も行ったことないから、どんな世界か知らないよ」と。
お釈迦さまは、すべての物事・事柄は、縁によって起こると、縁起の道理を語られました。
親鸞聖人は、出遇う縁によっては、なにをしでかすか分からぬ身であると、明らかにしてくださいました。さまざまな縁の中を生かされるということは、私の行為によって、別の誰かが何かしらの縁を被るものである。縁を生きる(生かされている)私の生き様を見つめよと、親鸞聖人は教えられました。
死後の安楽のためにどうこうせよとは、お釈迦さまも親鸞聖人も言われてはいないのです。

さて、死後について語らぬ親鸞聖人が、どうして「阿弥陀如来と一味となれる」と書かれたのか、私の中での疑問でした。
この文章を書いている(考えている)うちに気付きました。私は、「“死後に”阿弥陀と一味となれる」と受け止めていたのでした。「死後」ではありません。まさに“今”阿弥陀と一味となれる、いえ、なっているのでした。その感得・自覚・信心獲得があったからこそ、「一味なり」という味わいが、親鸞聖人自身にあったのです。

⑫我が身を波に重ね合わせる

「一味」ということ…阿弥陀如来の元に、ひとつひとつのいのちが、それぞれにあるのではありません。
「一味」なのです。すべてが溶け合い、混ざり合い、阿弥陀と共なるひとつのいのちとなるのです。いのちであるのです。

「一味」をおもうとき、親鸞聖人の思想に影響を与えた「海」を思います。
和讃でも「うしお(海)に一味なり」とありますね。

すべてのいのちが、うしおに一味となるのです。
海は、常に、いつまでも、穏やかなわけではありません。
海は波の形をとり、浜辺で人々の足元をくすぐる柔らかな波となるときもあれば、あらゆる建物 あらゆる自然 あらゆるいのちを飲み込む波となることもあります。さまざまな形をとります。穏やかなときもあれば、恐ろしい勢いを示すときもある。そして、どのような姿を見せたとしても、波は、元の海へと還ってゆきます。
波の話ですが、波だけの話ではありません。波に、人の姿が重なります。
人は、誰もが常に怒り続けているわけではありません。主張し続けているわけではありません。ときに怒り、ときに主張し、ときに大きな波となって現われ、元のいのちへと還ってゆきます。
かたや夏の思い出を与えるさざ波があり、かたやいのちを飲み込む津波があるのではありません。ときに どのような姿形をとろうとも、阿弥陀如来と一味のいのちなのでした。

⑬「海」の中に「母」がいる

「一如のいたみ」に無自覚な私でした。
どのような境遇にあろうとも、どのような行為を為してしまおうとも、阿弥陀と一味のいのちでした。

一如・一味なるところに、山本美香さんとシリアの人々、日本人と他国の人々、知り合いと赤の他人、意見を同じくする人々と異なる人々…そんな違いは本来ないのでした。

しかし、現実には違いを見つけ、違いを必要とし、違いを生きています。
山本美香さんの死に衝撃を受け、何かを書かねばと、漠然とした想いに駆られたのでした。

彼女を、危険だとされる場に押し出したのは私でした。
彼女が伝えてくれた、弱い立場に追いやられている人々、その環境を作り出しているのは私でした。
原発反対を訴えながらも、訴えなければならない環境を作ってきたのは私でした。

自己内省・自己反省でこのようなことを言っているのではありません。
単なる自己内省・自己反省に「いたみ」はありません。

山本美香さんの姿に、「いたみ」を見たのでした。
彼女こそ、弱い立場に立たされている人々がいるのは、この私自身のせいなのだと感じていたはずです。天秤の一方に、自分を乗せていたのです。

福島県二本松でNPO法人「TEAM二本松」を立ち上げ、子どもたちが放射線を気にすることなく野外で遊べるようにグランドを整備し、除染活動をし、福島の人々の声を届けるために不断の努力をしている佐々木道範さん(真宗大谷派真行寺副住職)がいます。
彼は、原発事故直後、国や東電に対して怒りを感じます。しかし、外で遊ぶことを許されなくなってしまった子どもたちの目を見て、「この事故は、原発を必要とした生活をしてきた私自身が起こしたのだ。この子たちを外で遊べなくしてしまったのは、この俺なんだ」という「いたみ」を感じ、子どもたちのために、福島の人々のために活動しています(彼も、彼の奥様も。そして子どもたちも)。
佐々木君ごめん。どうしてそんなに頑張れるんだい?って、正直思っていた。でも、頑張らざるをえなくさせていたのは、この私だったんだ。
彼も、彼の奥様も、そして子どもたちも、みんな天秤の一方に自分を乗せているのです。

「一如のいたみ」を知る。
知ったつもりには、なれるかもしれない。しかし、たいていは 私は 天秤を眺めるところに突っ立っている。そこに、現実の「いたみ」は感じない。
自分を天秤に乗せ、感じた「一如のいたみ」を通し、阿弥陀と一味なる真実を知る。
いたみ・悲しみ・つらさを感じるところに、「他人と一つになって、自己を生きようと欲する」「主体的な生活がはじまる」のは、阿弥陀如来と一味なる世界が、すでに開かれているから。

単なる自己内省・自己反省に「いたみ」はないと、分かったふうなことを書いた。
自己内省・自己反省をして見えてくるのは、「自分はダメな者だ」「このままの自分ではいけない」などという自分の弱い姿ではない。
自己内省・自己反省を通して、一味なる世界を与えてくださっていた阿弥陀の慈悲が見えてくる。その先に、自分の歩むべき道が開かれてくる。
だからこそ山本美香さんは一本の道を歩み続けてきた
だからこそ佐々木道範さんとそのご家族は、あんなにもまっすぐ突き進んでいる

天秤に自分を乗せ、「いたみ」を知り、阿弥陀(と表現しなくても、自分を包み込む慈悲)を感じ、自分の歩むべき道を歩んでいる人がいる。
彼女たちの姿が、私(生きとし生けるもの)を導く。
彼女たちとも…一味なる私がいました

2012年10月 2日 (火)

一如のいたみ⑬(了)

⑬「海」の中に「母」がいる

「一如のいたみ」に無自覚な私でした。
どのような境遇にあろうとも、どのような行為を為してしまおうとも、阿弥陀と一味のいのちでした。

一如・一味なるところに、山本美香さんとシリアの人々、日本人と他国の人々、知り合いと赤の他人、意見を同じくする人々と異なる人々…そんな違いは本来ないのでした。

しかし、現実には違いを見つけ、違いを必要とし、違いを生きています。
山本美香さんの死に衝撃を受け、何かを書かねばと、漠然とした想いに駆られたのでした。

彼女を、危険だとされる場に押し出したのは私でした。
彼女が伝えてくれた、弱い立場に追いやられている人々、その環境を作り出しているのは私でした。
原発反対を訴えながらも、訴えなければならない環境を作ってきたのは私でした。

自己内省・自己反省でこのようなことを言っているのではありません。
単なる自己内省・自己反省に「いたみ」はありません。

山本美香さんの姿に、「いたみ」を見たのでした。
彼女こそ、弱い立場に立たされている人々がいるのは、この私自身のせいなのだと感じていたはずです。天秤の一方に、自分を乗せていたのです。

福島県二本松でNPO法人「TEAM二本松」を立ち上げ、子どもたちが放射線を気にすることなく野外で遊べるようにグランドを整備し、除染活動をし、福島の人々の声を届けるために不断の努力をしている佐々木道範さん(真宗大谷派真行寺副住職)がいます。
彼は、原発事故直後、国や東電に対して怒りを感じます。しかし、外で遊ぶことを許されなくなってしまった子どもたちの目を見て、「この事故は、原発を必要とした生活をしてきた私自身が起こしたのだ。この子たちを外で遊べなくしてしまったのは、この俺なんだ」という「いたみ」を感じ、子どもたちのために、福島の人々のために活動しています(彼も、彼の奥様も。そして子どもたちも)。
佐々木君ごめん。どうしてそんなに頑張れるんだい?って、正直思っていた。でも、頑張らざるをえなくさせていたのは、この私だったんだ。
彼も、彼の奥様も、そして子どもたちも、みんな天秤の一方に自分を乗せているのです。

「一如のいたみ」を知る。
知ったつもりには、なれるかもしれない。しかし、たいていは 私は 天秤を眺めるところに突っ立っている。そこに、現実の「いたみ」は感じない。
自分を天秤に乗せ、感じた「一如のいたみ」を通し、阿弥陀と一味なる真実を知る。
いたみ・悲しみ・つらさを感じるところに、「他人と一つになって、自己を生きようと欲する」「主体的な生活がはじまる」のは、阿弥陀如来と一味なる世界が、すでに開かれているから。

単なる自己内省・自己反省に「いたみ」はないと、分かったふうなことを書いた。
自己内省・自己反省をして見えてくるのは、「自分はダメな者だ」「このままの自分ではいけない」などという自分の弱い姿ではない。
自己内省・自己反省を通して、一味なる世界を与えてくださっていた阿弥陀の慈悲が見えてくる。その先に、自分の歩むべき道が開かれてくる。
だからこそ山本美香さんは一本の道を歩み続けてきた
だからこそ佐々木道範さんとそのご家族は、あんなにもまっすぐ突き進んでいる

天秤に自分を乗せ、「いたみ」を知り、阿弥陀(と表現しなくても、自分を包み込む慈悲)を感じ、自分の歩むべき道を歩んでいる人がいる。
彼女たちの姿が、私(生きとし生けるもの)を導く。
彼女たちとも…一味なる私がいました

2012年10月 1日 (月)

一如のいたみ⑫

⑫我が身を波に重ね合わせる

「一味」ということ…阿弥陀如来の元に、ひとつひとつのいのちが、それぞれにあるのではありません。
「一味」なのです。すべてが溶け合い、混ざり合い、阿弥陀と共なるひとつのいのちとなるのです。いのちであるのです。

「一味」をおもうとき、親鸞聖人の思想に影響を与えた「海」を思います。
和讃でも「うしお(海)に一味なり」とありますね。

すべてのいのちが、うしおに一味となるのです。
海は、常に、いつまでも、穏やかなわけではありません。
海は波の形をとり、浜辺で人々の足元をくすぐる柔らかな波となるときもあれば、あらゆる建物 あらゆる自然 あらゆるいのちを飲み込む波となることもあります。さまざまな形をとります。穏やかなときもあれば、恐ろしい勢いを示すときもある。そして、どのような姿を見せたとしても、波は、元の海へと還ってゆきます。
波の話ですが、波だけの話ではありません。波に、人の姿が重なります。
人は、誰もが常に怒り続けているわけではありません。主張し続けているわけではありません。ときに怒り、ときに主張し、ときに大きな波となって現われ、元のいのちへと還ってゆきます。
かたや夏の思い出を与えるさざ波があり、かたやいのちを飲み込む津波があるのではありません。ときに どのような姿形をとろうとも、阿弥陀如来と一味のいのちなのでした。

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