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2012年9月25日 (火)

一如のいたみ⑥

⑥天秤という道具は…

「行者とタカ」の話を現代に置き換え、原発の話を考えてみると、反対派と推進派の姿が浮かんできます。論争が続いています。私も、反原発・脱原発の意見を発し、デモにも参加しました。しかし、反対と推進、どちらが正しいか(重たいか)という議論をしても、結論は出ないどころか、天秤が折れてしまいます。両者の溝が深まるだけで終わってしまいます。

賛成の数が多い方が重くなるのではありません
論理的に正しい方が重くなるのではありません
(主張し合う限り、それぞれが それぞれにおいて正しいのですから)
豊かな生活に近い方が重くなるのではありません

「行者とタカ」の話を思い返し、現代の問題(原発に限りません)に当てはめて考えたとき、どちらが重い(正しい)かという議論・論争・言い争いをしてしまいますが、そんな話ではないのです。
なぜならば、どちらも釣り合っているのですから。

立場の違い、環境の違い、意見の違いがあるけれど、同じいのちを生きているのでした。
そんな大前提を忘れ、自分の意見を押し通そうとしていました。
天秤が折れてしまっては、論争どころか、お話をすることさえもできなくなってしまいます。

悔しいけれど、被災して故郷を追われている人々と、
原発が事故を起こしたときに、被害に遭わないような所に住みながら原発推進を訴える人々と、
同じいのちなのでした。
ホント、悔しいんだけど…

どちらが重い(正しい)か量るための道具が天秤ではなく、
どちらも同じ重さであるということを知らせていただくのが天秤なのでした。

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