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2012年5月22日 (火)

御遠忌団体参拝から一年 今、想うこと

2012年5月22日(火) 
宗祖親鸞聖人750回御遠忌 東京五組団体参拝から一年が経ちました。
今年、巷では金環日食とスカイツリー開業の話題で持ちきりでした。昨年の5月22日時点で、スカイツリーの開業日は決定していたのでしょうか? 「来年の今日は、スカイツリーの開業日なんだよ」など、まったく話題にも上りませんでしたね。

「一年経つのは早いなぁ」なんて、口で言うのは簡単ですが、誰もが一年 年を積み重ね、亡くなられた方もいれば、生まれたいのちもあるわけです。
私の周りにも、生死の境を彷徨った方もいれば、病院のお世話になり始めている方々もいます。私自身も、40歳を越えて急に病院のお世話になることが増えました。また、団体参拝前に誕生した次女がたくましく成長してもいます。

生死無常 諸行無常
時の流れの中を、今一瞬も同じ「わたし」であることはなく、「いのち」が生きています。

御遠忌が終わり、そこからまた新たな一歩が始まるのだと勇んで踏み出した足が、今止まっています(私のね)。

 あぁ、なにをしてきたのやら
 あぁ、なにをしているのやら
 あぁ、なにをしたいのやら

生まれたいのちは、やがて死に往く。
やがて死ぬからと言って、なにもしないでいい「いのち」ではない。
おしえに出遇うために生まれてきたいのちなのだから。

おしえに出遇えて、楽になるのではない。
おしえに出遇えたからこそ、この世の苦しみを、本当の苦しみと感じられる。
つまり、本当に生きるということ。
そこで初めて、南無阿弥陀仏と手が合わさり、念仏が出ます。

つらい・・・けど、
だからこそ生きられる

今更ゴチャゴチャ考えているけれど、御遠忌を経て、一年の移ろいがあってのこと。
何も変わらなければ、想いも変わらない、生き方も変わらない、私も変わらない。
生死無常 諸行無常のいのちを生きるからこそ、
想いも変わり、生き方も変わり、私も変わる。

人生に、聞法にゴールはないということ。
常にスタート。

歩みが止まっていると言うことは、常に出発点に呼び戻されるということか!
なるほど、今 書いていて想いました。

生涯聞法とは、
「生涯をかけての聞法」という意味であるうえに、
「常に出発点に呼び戻されるのが聞法」という意味が内包されているのですね。

南無阿弥陀仏

(おまけ)
「仏々相念(ぶつぶつそうねん)」と打とうとしたら、「ブツブツ壮年」と変換されました。まさに今の私。

南無阿弥陀仏

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