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2012年4月22日 (日)

三毒

「貪欲(とんよく)」…貪り(むさぼり)のこころ
物を欲するということは、本当にその物が欲しいのだろうか。
 誰かが持っているくらいなら、私が持っていたい。
 いらないけれど、周りが持っているから私も持っておきたい。
 持っていることによる優越感をこそ味わいたい。
貪りのこころを見つめていたら、物を欲しがるというよりも、優越感を味わいたい気持ちなんだなぁと思いました。

「瞋恚(しんに)」…怒りのこころ
怒りって、怒りの対象である人や物事・事柄に対する怒りそのものよりも、
自分の機嫌が悪いとか、ムシャクシャしているとか、
そのイライラを他者にぶつけていることのような気がする。
確かに、対象に対する怒りもあるけれど、冷静なとき、落ち着いているときって、声も荒立てないし、手も出ない。イライラしているときって、大したことないことでも、相手をおとしめる。

「愚癡(ぐち)」…真理に暗いこと
本来「ぐち」とは「愚癡」と書き、仏教のおしえからきています。
真理に暗く無知である。人間の根源的な愚かさをいいます。
現代では「愚痴をこぼす」という言い方をしますが、本来のおしえとは関係ありません。
でも、「愚痴をこぼす」ということについて考えたとき、「愚痴って、自分を正義に立てて こぼしているなぁ」と思いました。自分が正しいと思って生活していれば、周りはみんな曲がって見えます。そりゃぁ、愚痴もたくさんこぼしたくなります。

仏教で「三毒」というものがあり、「貪欲・瞋恚・愚癡」を意味します。克服すべき、人間が持つ根源的な煩悩のことです。
ここに書いたことは、「貪欲・瞋恚・愚癡」が持つ、根源的な意味からすれば卑近すぎて、本来の意味からすれば浅いことかもしれません(「愚癡」ではなく、「愚痴」について書いているし)。
ただ、「三毒」について考えていたとき、その毒は、周りにあるんじゃなくて(他者のせいではなくて)、この身に持っている物なんだなぁと思いました。
埃だけでなく、毒まで持ち合わせている身でした。

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コメント

私がずっと持ち続けているもの、それは怒りです。
この20数年間、ずっと持ち続けています。
自分以外の要因でもたらされた結果について、「どうしてこんな目にあわなくてはならないのか、自分のせいではないことをどうして背負わなくてはならないのか」と、ずっと思ってきました。
怒りを持ち続けることは決して良いことではないことはわかります。
しかし、自分がまいた種ではないのに、そのことによって不利益を被らされてきたことについての怒りは、今後一生消えることは無いです。

江戸時代だと思いますが、賢蔵和上という方の「三毒五欲を木魚として称名を相続させよ」という話があります。節談説教だと、多分、「浄土真宗にも木魚あり」ではないかと思います。

おそらく、浄土宗のお坊さんが、真宗は木魚をな・む・あ・み・だ・ぶーと叩かないから、念仏行に気合が入らないんじゃないかねという素朴な疑問に対する回答だと思います。

おそらく、木魚は、造形的に、ビジュアル的に、玉を口にくわえているというか、玉に丸めて吐き出しているような絵面だったりするが、三毒を、結晶化して、分離して、口から吐き出すなんてことは、大抵の人間にはそもそもできない、三毒=自分というか、三毒エネルギー充填120%なので、外部に、物体として木魚は不要。むさぼっちゃったよ、と思ったら、なんまんだぶ。怒っちゃったよと思ったらなんまんだぶ。それで良いじゃん。自分が木魚。自分の三毒で拍を取れ。自宅に設置しなくて良いし、一日中持ち歩いて電車の中でもポクポクは不要。

というようなお話ではないかと。

↑ 「真宗は木魚をな・む・あ・み・だ・ぶー」

多分、間違ってました…。

浄土宗、鎮西義の別事念仏会にお参りさせて頂いてから書いたのですが、多分、なむ(木魚ポク)・あみ(木魚ポク)・だぶ(木魚ポク)、のタイミングが正解だったような…。木魚のポク一回を一秒とすると、3秒ごとに、なむ・あみ・だぶ、一念、くらいが、多分、正解。1000念だと、3000秒くらい?

五體投地礼は、なぁーむあー、みだぁーぶ、なー、むぅあー、みだぁーぶ、なー……ですか。これは流石に、スローペースですね。正座→合掌したまま立つ→一礼から合掌したまま座る→合掌を崩しつつ、手のひらを上に向けて前に出しつつ深く礼拝→額を畳みにつけつつ、両手をちょっと上に上げ戻す→礼拝から直りつつ合掌→合掌したまま立つ→リピート、なので、3秒で一念は無理。

私が後ろの椅子席(後ろの椅子席に腰掛けるような安易な人物はほぼ私だけ)でお参りさせていただいた別時念仏会は1時間くらいでしたが、他に一泊二日とかあるみたいです。

http://www.ne.jp/asahi/sakura/fuji/sinsei/event/123bukkyo/123bukkyo120503.pdf
観智院・一泊二日仏教三昧 5月3日(木・祝)午後 2:00〜4日(金・祝) 念仏・写経・勤行・礼拝を行う他、増上寺の朝勤行にも参加します。修行衣貸与あり。正座・礼拝に堪える服装で参加してください。

http://jodo-tokyo.jp/info/archives/3502
1時間30分~2時間のお念仏を1日6座勤めます。私語厳禁、休み時間もお風呂もトイレもすべてお念仏をお称えいたします。法話なし。つまり1日中お念仏。七日間、日々の仕事の事を忘れ、人との会話も断ち、時間の観念すらなくなっていく生活を送ります。

http://www.ne.jp/asahi/sakura/fuji/sinsei/event/24fudan/24hours120314.pdf
東京の中心で、仏の名を呼ぶⅦ(第7回 24 時間不断念仏会)
5月12日(土)13:00~13日(日)13:00
 
鎮西義、すごいなぁと思いましたが、私は怠け者なので、来月の別時念仏会でも、後ろの椅子席に腰掛けることにします、とほほ。


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