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2012年3月 1日 (木)

2012年3月のことば

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み仏の み名を称える わが声は
わが声ながら 尊かりけり

甲斐 和里子

福島県二本松市眞行寺副住職・NPO法人「TEAM二本松」理事長の佐々木道範さん。彼は、原発による放射能汚染から子どもたちを守るために不断の活動をされています。子どもたちの口に入るものに放射性物質が混入していないかを調べ、除染活動をし、福島県に住む人々の叫びを知ってもらうために全国各地で講演をされています。耳に(目に)出来るかぎり、彼の講演やインタビューを聞いてきました。始めは、原発事故を起こした国や東電に対する怒りがあります。しかし、お寺と併設している同朋幼稚園に通う子どもたちが、外で遊べない姿を目の当たりにし、原発を許してきたのは自分であり、いのちをいのちと感じられずに生きてきた人生が、今、福島の子どもたちを苦しめているんだと見直されます。だから、自分がなんとかしなくてはいけないと立ち上がられます。
子どもたちを苦しめているのは、彼だけの話ではありません。私たち一人一人の想いや行為の積み重なりが、子どもたちを苦しめてしまいました。
彼の話を(本・新聞・HP等で)聞き続けてきましたが、最新の『同朋』2012年3月号(東本願寺宗務所発行)で、今まで聞いたことがないことを仰っています(私が聞いたことがなかっただけかもしれませんが)。

最近やっと、『真宗聖典』を開けるようになりました。震災後、ずっと僕は放射能の本しか読むことが出来ませんでした。でも、最近になってやっと、ちょっとずつ『真宗聖典』を開くことができました。
僕は国にも見捨てられて、いろいろな嫌がらせも受けて、でも、その中で親鸞聖人は福島県民を「われら」と言ってくれる人だなと思って。「愚禿(ぐとく)」と名告った親鸞聖人の精神、そしてその生き様が僕の勇気になっています。福島県の人たちと同じ大地に立って、福島県の人たちを「われら」と言ってくれるのが、僕は親鸞聖人なのかなって。

『真宗聖典』を開けるようになりました…この告白は、『真宗聖典』を読む時間的・精神的余裕ができたということではないと思います。親鸞聖人のことばが、直に胸に響いてきたということだと思います。
人間、誰もが苦悩を抱えて生きています。でも、その苦悩は、誰かが引き起こしているのではなく、この私自身が私を中心にして生きているからこそ生み出している苦悩です。私を中心に(善に)おいていることに目を向けず、そこで苦悩を取り除く方法・手段としておしえのことばを読んでも、「なにを言っているか分からない」ことでしょう。しかし、苦悩を引き起こしているのは、誰でもない、この私であったという自覚に目覚めたとき、おしえが、私を生かすためのものであったと見え方が変わります。
佐々木さんはお寺の副住職ですから、当然震災前から親鸞聖人のおしえに触れてきました。しかし、震災を通して、厳密に言うと、子どもたちの目を通して自分の罪業性に目覚めたときに、親鸞聖人のおしえが、私を支えてくれるものとして誕生したのです。
親鸞聖人は、「あなたたちは…」と諭すのではなく、「あなたが胸の内に抱いた罪業性は、この私にもあります」と告白してくださった方です。「われら」との呼びかけが、こんなにも温かく、こんなにも力強いものだったとは。私の中にある罪の目覚め…はじめは、つらく苦しいものです。押しつぶされそうです。罪の意識から誰々のためにと動くのですが、それだけでは心身共に持ちません。でも、私を支えてあるはたらきが、既にあった。一人で背負っていたものが、「われら」という呼び声によって、背負い続ける勇気となります。背負うものの重さが軽減されるわけではありません。重さは変わらなくても、両足がしっかりと大地に踏ん張っている感覚が生まれます。『真宗聖典』を開けるようになりましたという告白は、親鸞聖人に、そして阿弥陀如来に出遇えたという喜びのように聞こえてきました。つらく悲しい現実の中に開かれてくるのが、値遇(ちぐう:出遇い)の喜びです。

子どもが、親(というか、母親だと思います)を呼ぶ声「ママ」。「ママ」と声にできるのは、自分のことを想ってくれている存在がいてくれるからです。昨今、子どもへの虐待のニュースが後を絶ちません。客観的に報道を眺める私たちは、「ひどい親がいるものだ」と、他人事として嘆きます。でも、当事者はもっとつらいのです。つらさが子どもへの虐待として表われてしまう親自身も悲しいですが、虐待されてもそれでも子どもは、「ママ」と呼び続けます。行動としては虐待(あるいはそれに準ずること)をしていたとしても、子どもにとって母親は自分に想いをかけ続けてくれている存在なのです。生身の体という意味での存在ではなく、「想い」という存在として母親を感じているのです。だから、「ママ」という声が発せられるのです。
ママが好きだから、ママを頼りにしているから「ママ」と呼ぶのではなくて、かけられている想いがあるからこそ「ママ」と声が出ます。今月のことばを詠まれた甲斐和里子さんは、このようにも詠まれています。

 み仏をよぶわが声は 
  み仏の われをよびます み声なりけり

「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えることができるのは、私の想いに先立って、私を想ってくださっているはたらきがあるから。そういうはたらきに包まれて生きてきたのでした。「南無阿弥陀仏」の声が出るということは、耳に入るということ。「南無阿弥陀仏」という尊い声が、苦しみ悲しみを生きているからこそ響いてきます。きっと、佐々木さんにも聞こえてきたのだと思います。

甲斐和里子さんプロフィール
1868年~1962年
広島県深安郡 勝願寺(本願寺派)に生まれる。
明治期、仏教の根ざした学校が必要との想いから京都女子学園の前身「文中女学校」を設立

   

掲示板の人形
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3月の人形は、4羽のウサギです。京都で買ってきました。
2月29日は雪。一ヶ月経ち、3月が終わる頃には、「そういえば3月の頭は雪がのこってたねぇ」なんて会話するのかな。暖かくて穏やかな気候になっているといいですね。花粉症持ちにはつらいですが

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