河村とし子さん「おしえに出遇えることは、当たり前のことではなく、有り難いことなのです」
2012年3月の掲示板は、甲斐和里子さんの「み仏の み名を称える わが声は わが声ながら 尊かりけり」という ことば を掲示させていただいています。
この ことば は、真宗大谷派の機関誌『真宗』の取材でお話をお聞かせいただいた住職から教えていただきました。取材中、住職がこの ことば を言われ、素敵な ことば だなぁと感じました。しかし、失礼なことに、甲斐和里子さんのことは存じ上げませんでした。
取材を終え、寺に戻って本棚を確認すると、以前読んだ本の中に、甲斐和里子さんのことも、今月のことばも書いてありました。そんなものですねぇ。
さて、甲斐和里子さんについて少し書こうと思ったのですが、甲斐さんに触れる前に、お一人紹介させていただきます。河村とし子さんという方です。
河村とし子さんは、明石の熱心なクリスチャンの家庭に生まれ、幼い頃からキリスト教の日曜学校に通われ、洗礼も受けられた方です。進学のため上京し、そこで萩出身のご主人と出遇われます。ご主人の家の宗旨が何であろうと、クリスチャンであり続けることを条件に結婚されました。
クリスチャンとして「信者はすなわち伝道者たれ」ということばが心に刻み込まれていた河村さんは、ご主人のご両親に、毎晩毎晩キリスト教の教えを説いて聞かせます。ご主人のご両親は、嫌な顔ひとつせず、ニコニコとお嫁さんのお話を聞き続けたそうです。
改宗させるのは時間の問題だと思ったのですが、話し続けているうちに、河村さんの方にこころの変化が起こります。なぜこんなにニコニコしているんだろう。義理の両親は、お寺で法座があると、畑仕事を休んででも出かけ、帰ってくると嬉しそうに法座の話をしている。いったいお寺とはどんな所なんだろう。お寺で何をしているんだろう…。
ある日、河村さんは思い立ってお寺での法座に出かけられます。その日のお話は「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」で有名な『歎異抄』第3章だったそうです。そうです。河村さんのご実家の宗旨は浄土真宗だったのです。
今まで、「善人は神に救われ、悪人は神の裁きを受ける」という おしえ に生きてきた河村さんにとって、「善人ですら救われるのですから、悪人が救われることは言うまでもありません」という おしえ は驚き以外ありませんでした。お話をされていた僧侶に、「今日の話のご本は何なのか、あなたたちの宗旨の開祖は誰なのか」尋ねたそうです。そのときに『歎異抄』をもらい、何度も何度も読み返しました。この出来事が、親鸞聖人との出遇いでした。
『歎異抄』を通して親鸞聖人に出会ったわけですが、畑仕事を休んでまで遠い遠いお寺まで法座に出かけるご両親の姿・キリスト教の話をし続ける嫁に対し、嫌な顔ひとつせず、それどころか温かく迎え入れてくれたご両親のこころ。それらに触れ、親鸞聖人に敬慕の念を抱きます。
(河村さんも言われていますが、決してキリスト教がダメで、真宗が良いと言っているのではありません。河村さんが抱いた人生の疑問に応えてくださったのが、親鸞聖人だったのです)
しかし、それで気持ちがスッキリした、すくわれたわけではありません。キリスト教を信じていた頃の疑問は氷解したけれど、親鸞聖人に出遇って、ますます分からないことが出てきた。なぜ浄土真宗なのか。なぜ念仏なのか。両親は起きてから寝るまで、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と言っているけれど、私の口からは念仏が出てこない。どうすれば念仏が出てくるのか。
河村さんは聴聞を続けます。でも、なかなか頷けない。そんな自分を嫌い、仏法聴聞に専念するために、離婚をしたいと両親に訴えます。
「仏法を聴聞したいという気持ちが出てきたと言いうことは、もうすでに仏さまの御手の中に抱かれているということです。離婚などということは考えないでいいから、子どものことも家事のことも私たちにまかせて、あなたは日本のどこまででも出かけていいから、仏法聴聞をしてください」と、ご両親から言われたそうです。
仏法聴聞を続けるある日、ふと念仏が出る不思議な瞬間がありました。今まで自分が、自分がの想いで生きてきたけど、自分の想いを超えた大きなはたらきの中を生かされていたんだということを、ふと思われたそうです。
何か明確な答えを、ある僧侶の話から得たというわけではありません。仏法聴聞を続ける中で、生き続ける中で、ふと出遇えたのです。仏法聴聞しても分からないというけれど、仏法聴聞しなければ分からないのです。仏法聴聞し続けていたから、念仏の声が出る瞬間(とき)が訪れたのです。
(参考『ほんとうのしあわせ―仏縁に恵まれて真の人生』河村とし子 東本願寺伝道ブックス24)
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