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2012年3月10日 (土)

甲斐和里子さん 「ほかのことは、みんな、こまい こまい」

(昨日の続き)
さて、甲斐和里子さんの紹介を書く前に、河村とし子さんの紹介をさせていただきました。
仏縁によって親鸞聖人に出遇った河村さん。聴聞生活を続ける中で、どうしてもお会いしたい人がいました。それが、甲斐和里子さん(明治元年~昭和37年)でした。
甲斐さんは、広島県勝願寺(本願寺派)にお生まれになります。ご法義の篤いご両親(住職・坊守)、ご兄弟に囲まれ、生まれながらにしてお念仏の生活をされていました。明治29年 芸術家の甲斐虎山氏と結婚され、明治32年 夫虎山氏と共に文中女学校(京都女子学園の前身)を創設、大正9年 京都女子専門学校を新設されました。学校設立の背景には、仏教精神を土台とした学びの場が必要であるという想いがあり、自らも教鞭を執りました。
甲斐さんの著書『草かご』『草かご その2』『落葉かご』を通して、その温かく包み込むような人柄に触れた河村さんは、どうにかして甲斐さんにお会いしたいという想いが募ります。京都に住む師に紹介をお願いし、そして想いが叶う日がきました。
河村さんが住む山口県萩市から、甲斐さんの居られる京都まで、まだ新幹線のない時代、時間をかけて甲斐さんの住まいを尋ねました。甲斐さんにお会いしたらあれを聞こう これを聞こうと、質問したいことをたくさんメモしていきました。
そして、挨拶を交わし、甲斐さんが河村さんに話しかけられました。
「遠いところをよう来られましたのう。聞けば、キリスト教から浄土真宗にうつられたとか。よう念仏に出遇われたことよのう。よかったのう、よかったのう。ほかのことは、みんな、こまい こまい」

そのお姿、声、言葉、仕草に河村さんは言葉をなくします。胸がいっぱいになり、涙があふれ、「ありがとうございます」とお礼を言うのが精一杯で、何も話を聞かずにその場を去ったそうです。
間に立ってくださった師が、「聞きたいことがたくさんあったんじゃないのか? あれでよかったのか? 今なら引き返せるぞ」と声をかけてくださったそうですが、河村さんには充分でした。

「ほかのことは、みんな、こまい こまい」
そのことばのみが、河村さんの耳の底に留まりました。
念仏のみぞまこと。念仏に出遇わせていただいた身にとって、ほかのことはこまい こまい。とるに足りないことでした。

その後、河村さんが甲斐さんにお会いすることはありませんでした。甲斐さんは昭和37年11月27日 95歳の生涯を閉じられます。河村さんの耳の底には、甲斐和里子さんのことばの響きが、いつまでも残っています。
「ほかのことはこまい こまい」


み仏の み名を称える わが声は わが声ながら 尊かりけり

み仏をよぶわが声は み仏の われをよびます み声なりけり

(参考『親鸞に出遇った人びと』③ 同朋舎)

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