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2012年3月23日 (金)

「東日本大震災(2011.3.11)を心に刻む集い」ご報告

3月15日(木) 「東日本大震災(2011.3.11)を心に刻む集い」開催(烏山 存明寺にて)
想うことがいくつもあり、つらつらと書かせていただきました。

存明寺 酒井住職(震災直後より、何度も被災地に足を運び、ボランティア活動をされています)の挨拶より

3月12・13日に、ボランティアで福島方面に行ってきました。高速を走っていると、「そこに、人がいる」と書いてありました。高速の補修工事をしているため、人がいるのでご注意をという意味なのですが、私には違う意味で聞こえてきました。「そこに、人がいる」。ボランティアを続けていると、自分たちのやっていることはこれでいいのだろうかと疑問を感じることもあります。しかし、人と人との出会いを通して、温もりを感じます。被災者何万人・死者行方不明者何人などと、数字で表されてしまう人数ではなく、想いをもった一人ひとりがいる。一人ひとりを感じること、「そこに、人がいる」ということを忘れないことが、支援なのだと思います。

清谷真澄さん(真宗大谷派 現地復興支援センター主任)お話より
現地でのこの一年間の動きと変化。これからの歩み。
地震・津波による被災と原発事故による現状は、切り離して考えなければいけないと思うということ。
関西に住む友人に、「報道によると、かなり復興が進んだように感じるけど、まだまだなんだな」と言われました。地域による温度差や、風化が進む現状も否定は出来ないけれど、「風化させてはならないことです」という強い一言をいただきました。
『末燈鈔』第6章を通して、我々の欲求の延長線上に原発の事故があり、「いのちの事実に立つ」ことの必然性をお話くださいました。
また、ある動画を紹介いただきました。たたみかける歌声に、「いのちの事実に立つ」という自己を問う声が聞こえてきます。

「最近、井元 麟之(いもと りんし)さんのことばが大事だなぁと感じています。そのことばを紹介させていただきます」と、最後に教えてくださいました。
    1年のはかりごとをなさんとする者は稲を植える。
   10年のはかりごとをなさんとする者は木を植える。
  100年のはかりごとをなさんとする者は人を植える。
復興まで、1年や2年の道のりではありません。何年かかるのかも分かりません。でも、それだけに長い目で見て、人の生きる道を見据えていくことが大事なのではないでしょうか。
(以上、私のメモより)

清谷さんには、東京教区駐在教導在任中いろいろとお世話になりました。東京教区における今の私があるのも、清谷さんのおかげです。今、決して万全ではないお体で、現地復興支援センターの主任としてお勤め(お努め)をされている姿を拝見し、個人的にできる限りのことをさせていただかなかればと感じています。などと言いながら、とんでもない紹介をしましたが。
囲む会で久しぶりに一緒に吞むことができて、安心しました。

清谷主任を囲む会にて
ある門徒さんが、「忘れてはならない、風化させてはならないということを否定するつもりは全くありません。私もその通りだと思います。でも、人間、忘れることによって前に進めるという一面も持っていますよね。忘れないという面と、忘れるという面と、その双方の想いが、私の中で行ったり来たりしています」と話してくださいました。
その方自身、20年ほど前に奥様を亡くされていて、「いつまでもクヨクヨしていたら、亡くなった妻に申し訳ないなと思って、前を向くことに決めました」ともお話くださいました。

忘れてはいけない・風化させてはいけないということ…
ボランティア活動に携わると、現地の方に「ボランティアに来ていただくと、私たちのことを忘れられていなかったと思えることが、なによりも嬉しいんです」と声をかけられます。ボランティアの内容以上に、来てくれたという事実が、「忘れられていなかった」という喜びを生みます。忘れられていないという想いが安心感を生みます。

忘れたいということ…
つらい事実は忘れて、早く過去のこととして、次の一歩を踏み出したい。
それも正直な気持ちだと思う。

その門徒さんと話していて、「立ち位置の違いかな?」と感じていました。
自分がつらい思いをした所に立っていれば、そこから早く立ち去りたいし、忘れたい。でも、つらい思いをした私のことは、温かく守ってほしいし、忘れないでほしい(でも、忘れてほしいと思う人もいるかなぁ)。
自分がつらい思いをした当事者でなかったならば、隣で悲しんでいる人を助けてあげたいと思う(思わない人もいるかなぁ)。
このときは、「立ち位置の違いかな?」と頭の中で考えていました。

時間は経ち、囲む会はお開き。
場を共にしてくださった皆様、ありがとうございます。

④「ここに、人がいる
かつて、清谷主任と、親鸞聖人のおしえについて語り合っているとき、「私は、親鸞聖人のおしえは、“ここに、人がいる”ことを感知させるおしえだと思います」と言ったことがあります。
言ったのは覚えているのですが、その後のやりとりはなぜか覚えていません。どんなこと言い合ったけなぁ…。
と、思い返しながら、寺に戻りました。
清谷さん、わざわざ東京までご出講いただき、ありがとうございます。また、ゆっくりと。

⑤一人一世界観
寺に帰って、何気なくテレビをつけてみる。
Eテレで、「青春リアル」という番組の再放送をしていました。タイトルは、「いい加減、復興、復興、うるさいです。」

番組をすべて通しで見たわけではないのでコメントは書きませんが、被災していない人びとの間だけでなく、被災された方々の間においても、想いはさまざま、人の数だけあるんだなぁと、あらためて思いました。

テレビを見ながら、今日届いていた因速寺様の封書を開けると、寺報が入っていました。ありがとうございます。
寺報の住職のことばに中に、
「一人一世界観」とは、千人がいたら千の世界があるという見方だ。68億人いたら68億の世界がある。
と、ありました。
“絆”ということばが大切にされるように、“みなともに”という想い・世界を思い描いてきたかもしれない。この一年間。しかし、千人いたら千の世界がある、千の境遇が、千の考え方が、千の想いがある。どれひとつ重なり合うことのない世界を生きている。。だから“みなともに”になれないと言おうとしているのではない。「一人一世界観」を生きている現実を知るということが、“みなともに”の大前提になるのではないか。
「忘れてはならない、風化させてはならない」ということと、「忘れたい」ということ。
被災者・被災地支援を誓ったのに、原発推進・反対で争い、仮設住居に住む人びとを邪魔者扱いし(仮設住居ができることにより、その土地のスーパーが品薄になったり、病院が込むことが許せないそうです)、被災地の廃棄物の焼却に関して賛成・反対でもめている。結局、自分がかわいい。
「自分がかわいい」というところを生きているという意味で「一人一世界観」を生きていると言っているのではない。「誰も代わって生きることのできない世界」を、一人ひとり生きている。その人の想いは、その人の人生において生ずる。誰にも代わってもらえない、誰も代わってあげられない身を生きながら。そういう身だからこそ、私一人尊い。天上天下唯我独尊。

共通の(普遍的な)答えを見いだそうとしていたのだろうか。
でも、そうじゃなかった。

⑥根を養う大地
清谷主任が最後に紹介してくださった井元 麟之(いもと りんし)さんのことば。
    1年のはかりごとをなさんとする者は稲を植える。
   10年のはかりごとをなさんとする者は木を植える。
  100年のはかりごとをなさんとする者は人を植える。

「100年のはかりごとをなさんとする者は人を植える」…復興を目指す現場にあって、このことばを大切に感じられるということは、復興とは、町並みが元に戻ることではなく、人が元気になることと感じられているのだと思います。
このことばを思い返しながら、東本願寺の日めくりカレンダー「一語一遇」をめくったら、16日のことばは「根を養えば、樹は自ら育つ」でした。

「人を植える」…人を育てるということは、一人前の人間を育て上げることと勘違いしていました。
根を養えば、樹は自然と育つ。一人前に育て上げるのではなく、育つ土壌、寄って立つ大地の存在を教えてあげれば、人は育つのでした。
寄って立つ大地…この世で受ける様々な出来事・出会いを通して、そこから逃げる・それらを都合の良いように変えようとするのではなく、教えをいただきながら縁に生きる。南無阿弥陀仏の念仏をいただきながら、人生を生ききる。その姿を、その喜びを後世に伝えてゆくことが、「根を養う」ことであり、「人を植える」ことでした。

⑦こんな私のこころに、変化を生じさせてくれた出来事
糸井重里さんのインタビュー記事より 〔「読売新聞」2012年3月21日(水)朝刊より〕
糸井さんが今、とても重要だと考えているのは、「忘れないこと」だという。忘れないことが、被災者の励みになるとわかったからだ。あの日起きたこと、あの日、自分が抱いた思いを忘れないよう努力することは、誰にでもできる。

「忘れてはいけない・風化させてはいけない」と言った場合、起きた事件・事故のこと、被災し(被害に遭い)つらい想いをしている人がいること、それらを「忘れない・風化させない」と考えてしまいがちではないだろうか。
でも、事件・事故を知り、つらい想いをしている人がいることに気付いたとき、この私のこころの中に、なんらかの想いが湧き起こっているはずだ。何も感じない人は…いないだろう。その、私のこころの中に何らかの想いが湧き起こった事実。その事実を忘れないようにする。
起きた出来事は、風化しない。起きてしまったのだから。風化してしまうのは、私の心の中であり、私の想い。1年前と、今の私の暮らし(姿勢)の変化を見れば、そのことはハッキリしている。
1年前、何を思った? 何を感じた? どうしたいと思った?  思ったことを為したかどうかが問われるのではない。こころに変化が生じた その事実を、忘れてはならない。

⑧今悲しいことより、この悲しみを忘れてしまうことが悲しい
最近ふと気付いた。泣かなくなった。あの日以来、ちょっとしたことで涙が出て、夢で何度も涙して、嗚咽して目を覚ますことがしょっちゅうだったのに。気付けば…泣かなくなった。
涙止まらぬ頃は、「この涙が止まる日が来るのだろうか」などと思ったが、涙が止まってみれば、そんな自分が悲しく感じる。
起きた出来事が解決したわけではない。無くなったわけではない。忘れたわけではない。なにも変わっていないはずなのに、なぜ涙が止まってしまったんだろう。そんな自分が、とても嫌だ。

自分が経験したことは、被災した方々の悲しみと比べれば、たいしたことではない。その程度のことだから、「涙止まる日も来たのでしょう」と言われれば、「そうですね」と返すだけ。
でも、悲しみの涙を流せる日々は、私を生かそう生かそうと働きかけている力を感じているときではないだろうか。悲しみの涙が止まったからといって、その感知がなくなったというわけではないだろう。でも、涙していた頃のこころの動きを、忘れたくはない。
ふと気付けて…よかった。

⑨すべてがつながっている
『「東日本大震災(2011.3.11)を心に刻む集い」ご報告』というタイトルをつけながら、その後の想いや出遇ったことばをダラダラと書きました。しかし、「集い」があって、それをきっかけに思い巡らすことがあり、それをきっかけに文章や人に出遇ったならば、それらすべてひっくるめて「集い」。
親鸞聖人の750回御遠忌法要団体参拝の記事を書いたときにも書きました。東本願寺御影堂で執り行われた御遠忌法要だけが御遠忌ではないと。今に届くまでおしえが伝わってきた流れも、御遠忌の準備も、御遠忌法要に接して自分の中に生じた想いも、御遠忌があったからこそ出遇えた人も、それらすべての縁をいただいてある これからの歩みも、すべてが御遠忌です。
東日本大震災の追悼法要・イベント・セレモニーの乱立を歎く声も聞こえます。しかし、乱立が問題なのではありません。自分のこころの中に生じた想いの変化を思い出すこともなく、法要・イベント・セレモニーをきっかけにあらためて想い巡らすことがないならば、それこそが歎くべきところでしょう。
今もまだ、つらい生活をしている人がいる、悲しい想いをしている人がいる。そして、温かい手に感謝しながらも、その状況を受け止めきれない人もいる。
一人ひとり想いの違う人が、生きている。
「そこに、人がいる」ということを忘れてはいけない。「そこに」って、「遠い被災地に」ってことではない。「私の隣に」ということ。人と人は、つながっている。

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