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2012年2月

2012年2月29日 (水)

2月29日

今年は閏(うるう)年 2月29日がある年ですね。
作成しなければならない書類がたくさんあるにも関わらず、最近出かけることが多かったので仕事に追われています。
でも、今日29日があるおかげで、月内に終わらせなければならない仕事をするために一日得した気分です。
って、早く片付けておけばいい話なんですけどね。
一日かけて仕事をしようと予定していますが、天気予報は雪だとか。雪かきと雪だるま作りに時間をとられそうです。現在午前2時30分。まだ雪は降っていません。さて、これからどうなることでしょう。4年に一度の2月29日。

(夜 追記)
朝起きて、窓の外を見ると一面銀世界。午前3時の時点で降っていなかったので、「天気予報外れだな」などとつぶやきながら寝たのですが、見事に降りました。しかも、降り続いている。朝、雪に大興奮の長女と共に雪かきに出陣したのですが、かいたすぐに雪が降り積もるので、雪かきはやめました。東京で、日中でもこれだけ雪が降り続くのは珍しくありませんか?
「昼過ぎからは雨になるでしょう」という予報は外れ、なおも雪が降り続いています。雪の降る様子を窓から眺めながら、日中は仕事をしていました。

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夕方、雪がやんだのを見計らって雪かき。境内の外の歩道を雪かきしてきました。会社帰りの皆さんが、「ありがとうございます」と声をかけてくださいます。こちらこそ「ありがとうございます。お帰りなさい」
雪はどかしたけれど、地面が凍って危なそうです。明朝お出かけの際は、お気を付けください。

夜中 腰が痛み出しました。張り切りすぎました。

2012年2月28日 (火)

生きとし生けるもの みなおなじように

2012年2月28日(火) 西蓮寺コールリンデン(仏教讃歌を歌う会)
初めて「いのち」(藪田義雄作詞/下総皖一作曲)という曲を歌いました。

1,野の花の ちいさな いのちにも
  ほとけはやどる
  朝影と ともにきて
  つつましい 営みをあたえる
  おなじように

2,野の鳥の おさない いのちにも
  ほとけはやどる
  涼風と ともにきて
  生きる身の 喜びをささやく
  おなじように

3,白露の はかない いのちにも
  ほとけはやどる
  月魄(つきしろ)と ともにきて
  ひと夜さの やすらぎをおしえる
  おなじように


仏教讃歌だけではなく、童謡・唱歌も歌っています。今日は「早春賦(そうしゅんふ)」も歌いました。声に出して歌うのは気持ちがいいものです。隔月開催ですが、参加される方々も楽しそうです。
親鸞聖人お誕生日とされている4月1日に、ご本山では春の法要(音楽法要)が勤まります。11月の報恩講とは雰囲気が違い、音楽法要の参詣もまた楽しいです。

2012年2月26日 (日)

人知の闇 人間の愚を知る

2012年2月23日(木) 本多雅人氏(蓮光寺住職)出版記念祝賀会
亀有にあります真宗大谷派 蓮光寺 本多雅人住職と東京大学の安冨歩教授の共著(講演録)『今を生きる親鸞』(樹心社)の出版記念祝賀会に参加させていただきました。

住職は、手に取りやすいものでは本山発行の「同朋新聞」に携わられています。「同朋新聞」を通して、親鸞聖人のおしえを、真宗僧侶・門徒だけのものではなく、生きとし生けるすべてのものに開いてくださっていると思います。あるいは、ご自坊だけでなく、全国各地にお話に出かけておられます。周りが心配するほどに、ハードなスケジュールで動いておられますが、ご本人は、その方が動きやすいのだと思います。
安冨教授は、ご本を読むことを通して初めてお会いしましたが、真宗とはまったく関わりのない人生を歩んでこられながら、自身の歩みを通して親鸞聖人が気になっておられたとのこと。自身の研究の果てに、親鸞聖人が見えてこられたそうです。体制に媚びない、ストレートな視線が魅力的です。
昨年暮れの出版と共に、住職よりご本を贈呈いただいたのですが、おふたりの対談から導き出される、震災後の日本人の歩みについての示唆が、決して避けてはいけないことを提示してくださっています。そこには、人知の闇を知ることの大切さ・必要性が語られています。

私は、このブログでもたまに原発からの脱却を訴えています。しかし、訴えながらも危惧がありました。ここで訴えるべきことなのだろうかと(反論されるかもしれないという危惧ではありません)。
このブログは、「親鸞聖人のおしえに出遇えてよかった。そうでなければ、今の私はいない(「今、私はいない」かな)。聖人に、聖人のおしえに、一人でも多くの人に触れてもらいたい。そのきっかけになれば」という想いで書いています。
原発推進にしても、脱原発・反原発にしても、そういうことを書くのは、ここにふさわしいのだろうか。ここで書くということは、私にそのつもりはなくても、親鸞聖人のおしえをバックに立ててしまうことになる。つまり、親鸞聖人を盾に、自分の主義主張をかざすこととなる。そんなことは、別のところでやればいい、と。
しかし、生きるということは、誰もが己の主義主張をもって生きているということ。原発問題に限らず、何を書くにしても、己の主義主張がある。大谷派僧侶の名を語り、このブログを書いているということは、そのこと自体、聖人を盾にしているようなもの。原発のことも、たまに社会問題のことも、偉そうに(そんなつもりは全くないのだけれど)書いている。家庭のことも。書いてはいけないことはない。でも、書いてある内容は、どこまでも白山勝久 私ひとりの主義主張。そう開き直っています。
ただ、自分の主義主張を正当化するために、聖人のおことばを使うことはしないでおこうと心がけています。そんなことが出来るほど勉強しているわけではないのですが。

さて、話が横道にそれたようですが、何を書いているのか。
本を読むと、震災後、脱原発・反原発を訴える人が増えたが、「それが正しい」「そうでなければいけない」というところに立って脱原発・反原発を訴えるのは、原発を推進するのとまったく同じことだと、喝破されています。その暗部に気付かず、脱原発・反原発を訴えていても、もしそれが叶ったとしても、人類は原発を有するのと同じくらいに、いえ、それ以上に大変なものを作り上げてしまうだろうと、警鐘を鳴らされています。
原発推進の反対に、「反原発好き」という人間の姿を表現してくださっています。原発を反対するというその行為にしがみつき、原発推進派(者)を攻撃するのです。何を主張するにしても、反対の主張をする相手を攻撃するということは、そのことにしがみついている点では、反対の考え方をする人間とも根っこは同じなのです。また、他を攻撃することによって、自分を省みる必要はありません。自分を省みず、他を攻撃する姿を「反原発好き」と表現されていることに吹き出してしまうとともに、私自身がそうなっていないか考えてしまいました。そこが、私の危惧したところでもあります。

原発推進か反原発か、そこで争うのではなく、自分が持つ心の闇(人知の闇 人間の愚)に目を向け、人間にクエスチョンを付けるはたらき(阿弥陀さま)を持つことの大切さが語られています。
本の内容をまったく言い表せていませんが、身内だからいうのではなく、必読の書です。私以上に、妻が楽しそうに読んでいました。「親鸞聖人を知らない人・阿弥陀って何?って思う人が読むと、シックリくると思う」と申していました。坊さんが分かったふりして書く入門書よりも、感覚的にとても共感できるのだと思います。

安冨教授にお会いできることをワクワクしながら祝賀会に出かけたのですが、先生はインフルエンザによるドクターストップで欠席でした。残念でした。でも、これからもお会いする機会があると思います。
出席者の中に以前からお会いしたかった方がいらっしゃって、お話ができました。嬉しかったです。
安冨先生 本多住職 お体お大事に

2012年2月25日 (土)

亡き人に遇い、自己に遇う(廣瀬 杲先生お別れ会)

2012年2月22日(水) 廣瀬 杲先生 お別れ会 参列
京都大谷大学講堂にて、廣瀬 杲先生のお別れ会が開催されました。先生の教えを受けた聞光学舎の方々主催です。その先輩方と比べると、私は教えを受けたと言えるほどのものではありませんが、お別れ会の席に加えさせていただきました。
先生のご子息 玄様が、先生がお亡くなりになるこの2年ほどの先生のご様子をお話くださいました。先生のお姿が目に浮かび、涙がこぼれました。懐かしさ・無念さといった涙ではなく、私は、先生の何を見てきたんだろう・何を感じてきたんだろうという、自身に対する悔しさを感じていました。

かといって、生前「もっと聴聞しておけば」「もっと話していれば」「もっと一緒に吞んでいれば」といったことは感じない。そういう後悔は尽きないし、亡き人が身をもって示してくださった“生あるものはいつか滅びる”という身の事実を踏みにじることになると思っているから。
出遇えた事実に感謝し、今まで受けた教えを噛みしめ直したい。そう思うばかりである。(そう思うようにしている、とも言えるかもしれない)。

お別れ会に参列して、大学の先輩・後輩に久しぶりにお会いし、同じ東京教区人なのに、普段なかなか会えない人と会ったりもした。
亡き人との別れの場は、あらためて人と出遇い直す場なのだと、強く感じる。亡き人とだって、出遇い直せる。

先生がお亡くなりになってから、思い起こされたことがある。震災後の原発事故があるからだけど。
先生は一時期、ある新聞の一面記事の内容をよく語られていた。
その内容とは、「原発が建っている地域には老人を住まわせよう」というものだった。ハッキリ覚えていないので、どこの新聞だったかは書かないでおきます。
原発の事故で放射性物質があふれ出し、今後どのような影響が出るのか分からない日常を、今、私たちは生きています。しかし、被爆した影響が出るとして、それは数年後・数十年後のことと言われています。つまり、お年を召した方は、影響が出る前に寿命がくるということです(文章を打っていて、とても失礼なことを言っているような気がしてきました。申し訳ありません)。ですから、原発の事故など起きないように努めるけれど、もしもの時のために、原発の周辺にはお年寄りが住めばいいというような記事だったと思います。住めばいいという提言なのか、そういうことを政府が考えているという報告なのか(そのことに対する賛同なのか反対なのか)…そういうことは全く覚えていませんが、そのような記事が新聞の一面に載っていたと、先生が驚きと憤りをもって話しておられました。そのときのことを、最近思い出しています。

さて、その新聞の内容云々ではなく、
先生が話しておられた内容が、上記の通り私はうろ覚えなのです。つまりそれは、原発にまったく興味・関心がなかったことの表われです。今ならば、誰かに言われるまでもなく、注目するのでしょうが。
無関心ということの罪深さを思います。それとともに、関心を持つということには、人を想う気持ちが共なるのだなということを感じます。つまり、無関心とはどんなに人を想わずに生きているのかということです。

廣瀬先生は、大学の先生として生徒に向かい合うだけでなく、老若男女問わずあらゆる人々と向き合っておられました。差別を受けて苦しんでいる人とも、直に接し、直に語り合い、人と出遇われていました。そのような先生だから、上記の新聞記事が目に付き、許せず、声を大にして訴えておられたのだと、今更ながら感じます。

亡き人とも出遇えるのが、お別れの場だと書きました。しかし、そこで留まっていては、出遇ったとは言えませんでした。亡き人との出遇いを通して、自己に遇う。そこで初めて亡き人とも、私とも出遇えたと言えるのだと想います。涙の意味は、そういうことで。

久しぶりの京都は日帰りです。お別れ会が終わり、京都駅に向かいました。地下鉄「北大路駅」から「京都駅」まで乗っていまえば、外に出ることもないのですが、東本願寺の前を歩るこうと思い、「五条駅」で降り、地上に出ました。歩いていると、ポツリポツリと雨が降ってきました。東本願寺はすでに閉門されていましたが、門前で手を合わせ、雨に濡れながら京都駅に向かいました。

帰りの新幹線 参列者に配られた 廣瀬先生が書かれた『滴々抄(てきてきしょう)』を読ませていただきました。
そこには、他者を問うことばではなく、自己を見つめる眼がありました。
南無阿弥陀仏

2012年2月24日 (金)

東京五組同朋会 東日本大震災(2011.3.11)を心に刻む集い ご案内

2012年2月19日(日) 信光寺さまの定例聞法会 講師:清谷真澄住職
ご縁をいただいて、信光寺さまの聞法会には長いこと参加させていただいています。坊守さま・ご住職・ご参加の門徒さんたちに、いつも温かく迎え入れていただいています。
ご講師は清谷真澄住職。仙台のお寺のご住職でありますが、練馬にあります真宗会館でお勤めであり、昨年の震災後、「真宗大谷派現地復興支援センター」の主任として、仙台で活動をしておられます。ボランティアのコーディネート・救援物資の割り振りなど、現場で身をもって復興に携わられています。震災直後からこんにちに至るまで、現地の空気を肌で感じておられます。
信光寺さま聞法会では、立ち上げの時からご講師をされ、今でも隔月でご出講いただいています。


お話より
震災直後、仏教界においては「僧侶は傾聴しなければいけない」「僧侶が出来ることは傾聴である」ということがよく言われました。困っている人・苦しんでいる人の悲しみに身を添わせ、人々のお話に耳を傾ける。それが大事だと言うことです。
でも、私(清谷住職)は「そうかな?」と思いました。
確かに、傾聴は大切なことです。聞いてほしい苦しみ悲しみを、被災した方々は多く抱えています。でも、同じ被災している人には語れません。誰もが悲しみの中にいるのですから。どこの誰か分からない人の方が、語れることもあります。
そこで、仏教界としては、そういう人たちの声に耳を傾けようという声が出るわけです。
でも…傾聴に一番向かないのは“僧侶”だと私は思います。傾聴ではなく、説教してしまうのです。「ああすればいい」「こうすればいい」「こういう考え方をしてみましょう」・・・
傾聴の難しさを感じます。
“王舎城の悲劇”という物語があります。マガダ国国王ビンバシャラ王と、お妃のイダイケは、王子アジャセのクーデターにより、王(アジャセにとっては父)は殺され、イダイケ(アジャセにとっては母)は幽閉されてしまいます。
イダイケは、閉じ込められた牢の窓より お釈迦さまが説法をされているギシャクッセンを望み、お釈迦さまに話を聞いてもらいたいと願います。すると、ギシャクッセンでお話をされていたお釈迦さまがイダイケの要請を感じ、イダイケの前に現れます。
イダイケは、自身が抱える悲しみをお釈迦さまに話し始めます。が、悲しみの吐露というよりも、愚痴をこぼし始めます。「どうして私がこんな目に遭わなければいけないのか」「死んだ王にも責任がある」「アジャセがいけない」 挙げ句の果てに、アジャセをそそのかしたダイバダッタは、お釈迦さまの弟子であり親族でもあることから、「お釈迦さまにも責任がある」と、ののしり始めます。
イダイケの語りかけに、お釈迦さまは一言も答えません。黙して語らずです。
愚痴からののしりへと、イダイケのことばがエスカレートしても、ずっと黙って話を聞いている(傾聴している)お釈迦さま。そのお姿に、やがてイダイケの気持ちに変化が生じます。
「なにもかも他者(ひと)のせいにしていたけど、私にも責任があるのではないか…」
お釈迦さまの沈黙から、イダイケは自身を見つめる眼をいただきました。
そういうお話があります。「沈黙の説教」とも言われています。
傾聴とは、これほどのことだと思うのです。それだけ傾聴ということは難しいことであり、ついアドバイスや自分の想いを語ってしまう僧侶にとって、傾聴は難しいなと思いました。
しかし、震災から一年が経ち、ボランティアを継続してきた中で、被災され仮設住宅で住まいされている方々と、ボランティアに来てくれる人たちの間で、語り合える関係性が芽生えてきているように感じます。身近な人には話せなくても、ボランティアで来てくれる人には話せるということもあるものです。震災直後と比べれば物資は足りていますし、購入することもできるようになってきました。震災直後は炊き出しのボランティアが主でしたが、最近はでは居酒屋を開いてゆっくり話したり、足湯をしてお話を聞くという活動をしています。
お話を聞くということは、とても大切なことです。でも、頭から“傾聴”目的で聞くのではなく、関係性が出来たからこそ相手も話してくれるし、聞く方もゆっくり聞くことができるのだと感じています。
(以上 私のノートより)


清谷住職には、東京五組同朋会へのご出講をお願い致しました。
この一年の歩み・感じられたこと・現地の状況とその変化・これからの私たちにできることなどお話いただきます。
ぜひお出かけいただきたく、ご案内申し上げます。

【開催日】2012年3月15日(木)
【会 場】真宗大谷派 存明寺(ぞんみょうじ) (世田谷区北烏山4-15-1)
【時 間】13:30 受付 
      14:00 開会 東日本大震災追悼法要 お話
      17:00 閉会
【参加費】500円

東日本大震災を心に刻む集いご案内「higasinihondaisinnsaiwokokoronikizamutudoi.pdf」をダウンロード

東日本大震災を心に刻む集い会場「higasinihondaisinnsaiwokokoronikizamutudoikaijou.pdf」をダウンロード

2012年2月23日 (木)

2012年 東京五組同朋会①

長女を授かってから、基本的に寺にいるように心がけています。会合があっても夕飯には間に合うように、それがダメならお風呂に入れてあげられる時間に帰宅するようにしています。えぇ、自主的に。
しかし、今週は出かける用事が続きました。長女が生まれてから、こんなに出ずっぱりだったのは初めてじゃないかな。若坊守や娘たちには申し訳ないけれど、充実した日々を過ごさせていただきました。

2012年2月18日(土) 東京五組同朋会 講師:橋本正博住職①
2012年の東京五組同朋会が始まりました。本年のご講師は鶴見区 智廣寺の橋本正博住職。テーマは「正信偈」
本来、東京五組の同朋会は、年度4回のお話しをお一人の先生にお願いします。先生も1年ごとに変わります。
現在東京五組教導をさせていただいている私は、「東京五組同朋会」の事務的な勤めをさせていただいています。門徒会の皆様にお話を聞きたいご講師や聞きたいテーマを話し合っていただきました。そのご意見を受けて、ご講師の選定・交渉をさせていただきました。
ご講師には、先ほども申し上げました橋本住職にお願い致しました。昨年、親鸞聖人の750回御遠忌に際し、東京教区では「親鸞聖人に人生を学ぶ講座」を開催致しました。教区内の30~40代の寺族が講師となり、教区内60数ブロックの各地でお話しをさせていただく講座でした。私も、2ブロックでお話しさせていただきました。
30~40代という、世間的に見れば中堅どころ、責任を持って仕事に当たる年代ですが、僧侶の世界においては、まだまだ若手と見られがちです。親鸞聖人のおしえを伝えるべく、お話しを、想いを語っていく責任がある年代だと思うのですが、上の年代が頑張っておられますので、なかなか難しい面があります。私も、教区で仕事をさせてもらっていた頃、「私の年代が話す場をつくらなけらばいけません」と訴えていたのですが、「若い者に話をさせると、何を話すか分からないからねぇ」と、何を言い出すか分からないご住職に一笑に付されたものでした。
話がそれました。そのような空気の中で、昨年「親鸞聖人に人生を学ぶ講座」が開催されたのは、橋本住職を始め数人の先輩住職方が、若手(30~40代ですから、けっして若手でもないのですが)に話をする場を作ってあげたいという想いが成就してのものでした。「講座」が立ち上がると聞いたとき、私は信じられない想いでした。そういう場が出来るなんて。私も講師のお話をいただいたとき、喜んでお受け致しました。
これから「講座」が始まるというとき、若手講師陣を前にして、橋本住職が「今、親鸞聖人のおしえを語り継いでくれる若い人たちが出てきてくれないとダメなんです。今だからこそ、あなたたちにおしえを語り伝えてほしいのです」と、涙ながらに語られた姿を覚えています(誰かさんに言わせると、センチメントなのかもしれませんが)。
本来ならば、「講座」の講師をされた“若手”に講師をお願いしていくことが、「講座」開催の意義に応えることだと思います。しかし、涙ながらに語られた橋本住職のお話を聞くことこそが、御遠忌後の第一歩を踏み出すことになると信じ、ご講師をお願い致しました。
そうした中、お話のテーマを決めるに当たり、橋本住職と話していて、「正信偈」をお話いただくことになりました。
本来ですと、3回ないし4回のお話しをいただくのですが、それでは「正信偈」のお話しを語り尽くせないと思い、教導(私)の独断で、来年度も含めて、全9回のお話をお願い致しました。東京五組教導は、多くの方にご迷惑をおかけしていると認識しつつも、ときに暴走致します。申し訳ありません。どうぞお付き合いくださいませ。

さて、前置きが長くなりました。
2月18日に、第一回目のお話をいただきました。
「正信偈」そのもののお話に入る前に、
「正(正しい)」とは? 「正信」とは? 「偈」とは? ということについて、自己を問われたお話をいただきました。
親鸞聖人のおしえをいただいて生きる者は、親鸞こそ正しいと、思いがちです。「親鸞こそ正しい」と思う私のこころの背景には、そのように言うことによって、自分は正しいと位置づけてしまいがちです。あるいは、自己を問うことなく闇雲に信じて、「正信」ならぬ「狂信」「盲信」に陥りがちです。
それがいけないと正されるのではなく、「そういう私である」「そういう聴き方をしてしまう私である」ということを、ハッキリとさせてくださったお話でした。
残り8回、橋本住職のお話をお聞きいただきたく、ぜひご参加ください。お待ちしています。

2012年 東京五組同朋会
【開催日】
第1回 2月18日(土)正徳寺(済)
第2回 4月14日(土)神足寺(中野区上高田4-11-1)
第3回 6月30日(土)髙德寺(中野区上高田1-2-9)
第4回 8月25日(土)徳玄寺(港区三田4-8-36)
第5回10月 6日(土)明福寺(港区三田4-4-14)
第6回12月15日(土)西福寺(港区南麻布2-14-17)
【日程】13:30受付 14:00開会 17:00閉会
【会費】1回 500円
【主催】真宗大谷派東京教区東京五組/東京五組門徒会

東京五組同朋会2012ご案内「gosodouhoukai.pdf」をダウンロード

東京五組同朋会2012会場案内「gosodouhoukaitizu.pdf」をダウンロード

2012年2月20日 (月)

いつか、霜柱を踏み走り、氷を割って遊べる世の中に

2012年2月19日(日) お納骨でお寺に集まられたご家族ご親族。子どもがが4人いました。境内で、元気いっぱい走り回っています。
立春を過ぎたとはいえ、まだまだ寒い日が続きます。土の地面が多いお寺には、霜柱がビッシリ立っています。子どもたちは、霜柱や、溜め池に張った氷に大興奮です。現代の子には珍しいのですね。ビニール袋に霜柱や氷を集めて、はしゃいでいます。

20日(月) 朝早く起きた長女と共に、境内の掃除をしました。
西蓮寺玄関向かって左手に、五右衛門風呂が置いてあるのをご存じですか? (全体さび付いていますが、あれ、五右衛門風呂なんですよ。私が4歳のときまで入ってました。住職に抱っこされながらお風呂に入っている記憶が残っています)
水の入った五右衛門風呂に、厚めの氷が張ってました。両手で抱えなければ持ち上げられないほど大きくて厚い氷を娘に見せました。
「おお!!」 娘は大興奮です。
「これで遊んでいいよ。割ってもいいんだよ」
「ほんと!?」 “割ってもいい”の一言に、娘は大喜びです。考えてみれば、壊してもいいんだよなんて言われて与えられる遊び道具なんて、ないですよね。手袋をしているとはいえ、寒い中、夢中で氷で遊んでいます。楽しそうに遊んでいる娘を視野に入れながら、私は掃き掃除をしていました。


霜柱や氷に夢中の子どもたち。とても楽しそうです。
こんな、なんてことない遊びが、許されない子どもたちがいます。福島の子どもたちです。
外で遊ぶこと自体が許されていないのですから、霜柱や氷遊びだけの話ではありませんが、屋外で子どもが遊べない環境って、なんだろう?と思います。そんな環境を作ってしまったのです。私たちは。
原発推進or反対の話をするとき、電力量の問題が出るけれど(原発を無くしたら電力量が足りなくなるとか、節電すればいいとか)、そこの話ではないと思うのです。
子どもたちが外で遊べない環境。いちいちガイガーカウンターで数値を調べてから遊ぶ(遊ばない)環境。原発は、そのような環境を作り出す。それでいいのですか? そういう話だと、私は思っています。
今、「子どもたちが」云々言いましたが、けっして「子どもたちのために」というつもりはありません。原発を享受してきた私に、そんなことを言う資格もありません。「子どもたちのために」と本気で思った人の結晶が、原発であったかもしれません。結果、現実の惨状を生み出してしまったわけですが。
「○○のため」は、危ういです。自己正当化の隠れ蓑ですから。「子どもの代まで考えると原発は必要」? まだそんな話か…。子どもの代などと悠長なことを言ってられない状態にあるのに。
それに、「○○のため」は、そこからあぶれる、そこに当てはまらない人を生み出す。すべての人のためになることなんて、ありえない。原発推進でも反対でも、子どものため・家族のため・地域のため・仲間のためでも、自己正当化によって(自分は正しいと思って主張することの背景に)踏みにじられる多くの人々が存在することを抱えなければいけない。
原発反対を主張するということは、現場で働く人たち、部品を作る工場で働く人たちの仕事を奪うことになる。子どものためと言いながら、親が職を失ってしまう子どもたちを生み出すことも事実。
何を主張しても、どこに向かって歩もうと、すべての人々にとって丸く収まることはない。でも、それが、関係を生きているということの持つ姿。
「絆」がすばらしいことと思われている現状に、警鐘を鳴らしたことがある。「絆」という漢字は、馬や牛の足を結ぶ紐から成っているという。私たちの生活でいえば、しがらみであり、他人の目を気にする 私のこころ。「絆」とは、手と手を取り合って、みんな仲良くというイメージではなく、お互いを気にしながら生きて行くことを表す。
「絆」をいらないと言っているのではない。みんなが丸く収まる、みんなが幸せになるというイメージで「絆」を求めるのではなく、こっちに立てばあっちが沈み、これを選べばあれを失う、そのようなつながりを生きているものとして、「絆」を感じたい。それが、絆を生きるということ、関係を生きるということ、縁を生きるということ。
つまり、笑顔の背景に、涙する人が必ずいるということ。自分の主張によって、傷つく人がいるということ。そういう真実を、もっとギュッと抱きしめなければいけない。そう、抱きしめることによって、私が傷つく。子どもたちの笑顔を見ながら、そんなことを感じたのです。「子どもたちのため」なんて、言える私ではない。でも、子どもたちは私のために全身でもってはしゃぎ回っている。抱きしめることによって付く傷は、温もりを内包した痛みであり、苦しみを伴った笑顔でもある。
「幸せを求めて生きるのが人間でしょう」と言ったよね。その「幸せ」ってなんだ? 内容は人それぞれ違うだろうけど、他者(ひと)の悲しみに鈍感で、自分さえ良ければいいという感覚で「幸せ」を考えていないだろうか。
「幸」という漢字は、「手かせ」から成る。「手かせ」をはめられている状態とは、刑を受けているということ。そこからの解放が「幸せ」の意味だと聞いていたけれど、いえ、そうではない。「手かせ」をされている状態、刑を受けている状態、絆を生き・関係を生き・縁を生きている状態の中にこそ、「幸せ」はある。一般的に考えられているような幸せではなく、つらさ悲しさを抱えながらも、そこに生きる道筋を見いだすことが、“幸せ”。

なんて、思いのままに書いたけれど、こんなグダグダ言う必要はない。
霜柱を踏みながら走り回り、手を真っ赤にしながら素手で氷を手にとって、調子に乗ってその氷を口に含んでもなんにも心配いらない。それって、幸せじゃない?
原発の有る生活って、たかだか30年から40年ほど。私が五右衛門風呂に入っていた頃に遡るだけなんだけど、それでも耐えられないかなぁ。

2012年2月13日 (月)

人(いのち)を感じ、責任(希望・願い)が芽生える

2012年2月9日(木) 東京都で原子力発電所稼働の是非を問う住民投票を目指す市民グループ「みんなで決めよう『原発』国民投票」は、署名数が必要な人数分を超えたと発表しました。
必要な署名数は、21万4000人文(有権者の50分の1)。私も、署名をさせていただきました。
署名活動は2ヵ月間の規定を過ぎましたが、市長選の影響で署名活動の期限が延びた府中市・八王子市では、署名活動が続けられます。〔そこにお住まい(住民登録がしてある)方でないと署名できません〕
府中市(3月23日まで)八王子市(3月24日まで)の期限を経て、署名簿を都内の区市町村選挙管理委員会に本提出し、有効署名数が必要数を上回っていることが確認されれば、石原慎太郎都知事に住民投票条例制定の直接請求をすることとなります。
 
東京都で、「原発稼働の是非を問う住民投票を行うための条例案が都議会に提出される」のに必要な署名数が、必要数を上回る見通しになったことを受けて、石原都知事は、否定的な見解を示しました。

「そんな条例を作れるわけもないし、作るつもりもない。人間で一番厄介なのは、センチメントだ。原爆のトラウマがあるから、恐怖感で(原発反対を)言う」と。
センチメントとは、感情や感傷などという意味ですが、どのような意味で使ったんだか…。

市民グループは、原発稼働の是非を問うための住民投票をしましょうと訴えています。
想いの根っこは原発反対ですが、「原発を反対しましょう」と訴えているのではありません。原発反対の署名を集めているのでもありません。是非を問いましょう、問わせてください、と訴えているのです。
選挙において、「投票しても、国も、政治も変わらない」と、1票の重さに実感と責任を持てなくなっていた日本国民が、想いの集結によって何かが変わるかもしれないという希望や願い、そして責任を持ち始め、現実に動き始めたのが、今回の署名数となって表われていると思います。
それを、センチメントだ、トラウマだと、一時の気の迷い程度に受け流し、「できるわけもないし、作る気もない」と言い放つ。そのようなセリフは、どうして出てくるのでしょう。
原発反対に反対ならば、それは石原さん自身の思想だから、どうこう言うつもりはない。でも、是非を問う手続きをさせてくれという声が聞こえないのならば、“そこに人がいる”ことすら見えていない人なのだなと思うしかありません。
原発の事故後、命がけで放水作業に当たった自衛隊員を、深く頭を下げ、涙を流しながら迎えた都知事に、どうしてこの声が届かないのだろう。
原発の存続は、命がけで作業に当たられた自衛隊員のような存在を、今もなお苦しんでいる方々を、今後も生み出し続けてゆくことです。その都度涙を流せばいいのではなく、このような涙を流す必要のない世の中を作っていくことに尽力する。そのように歩みを変えていくための涙だったのではなかったのですね。
芥川賞の選考委員を退任された石原都知事。その際、「新しい文学の刺激がほしいと思ったけど、あまりなかった」と仰っていましたが、刺激がなかったのではなく、刺激を感じるこころを失われたのではないでしょうか。

刺激(あらゆる境遇で生き抜こうと努めている人々の息吹)を、感じ続ける私でありたい。
そういう意味で、センチメントでいいじゃないか!!

2012年2月10日 (金)

人の世にいのちのぬくもりあれ

2012年2月8日(水) 西蓮寺聞法会
来月には東日本大震災から1年を迎えます。誰もが、震災後の出来事を顧み、想いを新たにすることと思います。しかし、今(2月8日)から1年前頃、震災が起こることを考えていた人はいるでしょうか、震災後に起こった原発問題からの運動を予期していた人はいるでしょうか。
震災という出来事がなかったならば、今も私たちは、震災や津波など起こらないだろうという思いに立ち、電力のある生活を享受し、原発があることによって苦悩を抱えている人々が現にいるという現実を知らずに生きていたのではないでしょうか。
悲しいことですが、大きな災いによって見えてくること、知ることができることがたくさんあります。
悲しみに想いを寄せることは大切なことですが、気をつけなければいけないことがあります。
たとえば原発の問題。震災後もなお、原発を推進する人がいます。反対に、脱原発・反原発を訴える人が増えてきました。脱原発・反原発は、今のような状況になる前から、訴えてきた人々がいます。でも、そのような人たちに対し、「安全だから大丈夫だよ」「電気の供給が足りなくなったらどうするんだ」と考えたり、そのような活動をしている人がいることを知らずに電気のある生活を享受してきた私が、こういう事態になってから脱原発・反原発を訴え始めたときに、今まで活動してきた人と、すぐに協力が出来るでしょうか。同じ想いに立ったのだから、これから協力させていただきます。という、その協力の前に、「申し訳ありませんでした」という懺悔に立たなければいけないと思います。
そのような観点から、推進するにしても、脱原発・反原発を訴えるにしても、対立し合うのではなく、お互いが自身の懺悔に立たなければ、先に進まないのではないでしょうか(脱原発・反原発に立つ私としては、「先に進む」とは原発がなくなることを意味してしまいます。推進の側に立てば、原発が有ること・増えることが「先に進む」ことになってしまいます。しかし、そういうことが言いたいのではなくて、自身への懺悔と相手への讃歎が、今、大切なことだと思います)。

方向性が同じだから、手を取り合える…
のではなくて、
同じ方向性の人に対しても、あるいは反対の方向性の人に対しても、
自身への懺悔 他者への讃歎の視点が大切なことだと思います。
法然上人や親鸞聖人が「愚者」になることを大切なことであると教えてくださったのは、
懺悔と讃歎の視点を持つことを言われたのだと、今、感じています。

と、前置きが長くなりました。
西蓮寺聞法会では、東本願寺発行の『真宗の生活』をテキストにしています。
2月は、宮城 顗(みやぎ しずか)先生のお話が紹介されていました。
宮城先生のお話から、水平社宣言の宣言文より、西光万吉さんのことばに出遇わせていただきました。

人の世に熱あれ、人間に光あれ。

このことばをいただいて、宮城先生の友人の藤元正樹先生は、

人の世にいのちのぬくもりあれ、
人間にいのちの輝きあれ。

と表現してくださいました。
宮城先生は、便利な世の中・文明の発達した世の中を、現にそこを生かさせていただいている意味において、ありがたいことである反面、先人が遺してくださったことから何かを学び、隣に生きる人の息吹を感じているだろうか(いえ、学んでないし、感じてもいない)と仰っています。
携帯のメールばかりが気になり、母親がせっかく作ってくれた食事を見ることも味わうことも感想を言うこともない。
携帯に電話番号やメアドを登録してある人数を競うけれど、その中に、本当につらいときに面と向かって話を出来る人が何人いることか。
唯一の被爆国と言われている国が、戦後66年経って、今度は自ら放射能による苦悩を受けている。
便利な世の中・文明の発達した世の中とは、イコール住みやすい 生きやすい世の中ではなかった。
文明の発達により、人と人との関係の中に、機会が入り込み、生身の人間(いのち)どうしの交流が持てなくなった。そこには、熱も光も生まれません。

自分たちが生きるために、他者を差別してきた歴史がある。その歴史を省みず、さらに差別の歴史を作っている。
主義主張の違う者を、ただ批判しあうだけならば、そこからは恨みや憎しみ、あるいは同じ過ちしか生まれない。
この「愚」かな繰り返しから、抜け出すことはできないのだろうか。
差別の根は誰にでもある。だからといって、「誰にでもありますからね」で終わらせていい話でもない。

人の世に熱あれ、人間に光あれ。

人の世にいのちのぬくもりあれ、
人間にいのちの輝きあれ。

人と人とがふれあうところ…
ふれあいとは、仲良く手を取り合うことばかりではない。
主義主張の言い合いも、ぶつかり合いも、ののしり合いも、
直接に、全身をもって為すところに、
熱や光が生じる。

水平社宣言の宣言文が採択されたのが、大正11年(1922)。
先人から何も学ばず、文明が発達しても生きやすい世の中にはならないと警鐘を鳴らされた宮城先生は2008年にお淨土に還られている。
2011年3月11日を経るまでもなく、人の世の熱を光を願求礼讃された人がいる。
先に進む…ぬくもりと輝きの生じる世とならんことを!!

2012年2月 7日 (火)

ちょっとしんこきゅう♪

幼い子どもがいると、Eテレをよく見ます。
「フックブックロー」は、古書店を舞台にしたパペットと人間の物語。番組中に歌われる歌がこころにしみます。
特にオープニングの歌が好きで、番組が始まると娘と一緒に歌っています。

「青空しんこきゅう」
はしっても あるいても
ちきゅうのスピードは おなじです
あせっても のんびりでも
ちゃんとあしたは くるんです
いそぐときほど くちぶえふこう
かなしいときほど にっこりえがお
フック ブック ロー
しあわせはいつも うしろから
フック ブック ロー
おいついてくるよ
だからここらで そよかぜを あおぞらを
ちょっとしんこきゅう


フック ブック ロー
しあわせはいつも
うしろから
フック ブック ロー
おいついてくるよ♪

娘と一緒に歌っていると、ハッキリ発話できない娘は、
「しわよせはいつも」
と歌っているように聞こえます。

しわよせはいつも うしろから おいついてくるよ♪

う~ん、それも言い得て妙だな!と思いました。
(そっちの方が真実っぽいような)

2012年2月 6日 (月)

でんでらりゅうば でてくるばってん♪

幼い子どもがいると、Eテレをよく見ます。
「にほんごであそぼ」を見ていると、おおたか静流さんや子どもたちが

でんでらりゅうば でてくるばってん

と歌っています。なにかしら手も動かしています。
この手遊び歌はなんだろう? 「ばってん」とか言ってるし、映像に長崎くんちの蛇踊りの龍も出てきているので、長崎の歌かなぁと思っていました。

今、トヨタ PASSO のコマーシャルで、仲里依紗さんが同じ歌を歌っています。同じように手を動かしながら。
坊守(母:長崎出身)と娘たちと自分とで、居間でテレビを見ていたら、このコマーシャルが流れました。
すると坊守が

でんでらりゅうば でてくるばってん

と歌い出し、手も動かしています。
「しっとっと? (知ってるの?)」と私が尋ねると、
「しっとっと! (知ってるわよ)」と母が応えました。
長崎の遊び歌だそうです。
長女もたまに、ハッキリとは覚えきれていませんが、

でんでらりゅうば でてくるばってん

と口ずさんでいます。楽しいみたいです。

でんでらりゅうば でてくるばってん でんでられんけん でてこんけん こんこられんけん こられられんけん こ~ん こん!

2012年2月 4日 (土)

立春・・・身が動くとき

そのうち 相田みつを

そのうち お金がたまったら
そのうち 家でも建てたら
そのうち 子供が手を放れたら
そのうち 仕事が落ちついたら
そのうち 時間のゆとりができたら

そのうち・・・・・
そのうち・・・・・
そのうち・・・・・と、
できない理由を
くりかしているうちに
結局は何もやらなかった
空しい人生の幕がおりて
頭の上に 淋しい墓標が立つ

そのうちそのうち
日が暮れる
いまきたこの道
 かえれない

人生の幕がおり、
墓標が立ち、
日が暮れる。

幕 墓 暮と、漢字の韻も美しい…

そんなことを感じていたら、以下の金言を思い出しました。

「僕はずっと山に登りたいと思っている。…でも明日にしよう」
おそらくあなたは永遠に登らないでしょう。

レオ・ブスカリア(アメリカの教育学者・『葉っぱのフレディ』の作者)

2012年2月 3日 (金)

氷点下

お寒うございます。今朝は特に寒かったですね。

墓地のお花が枯れていたので、集めようとしました。
お花を手に取り、引っ張った瞬間…花立てからお花が抜けませんでした。
花立ての中にわずかに残っていた水・花自身の水分。それらの水分が凍って、花立てからお花を抜くことができませんでした。 

それならば水汲み場の掃除をしようと思いました。泥で汚れていたので。
デッキブラシとバケツを持ってきて、井戸水を汲みだそうとポンプに手をかけた瞬間…昔懐かしい井戸ポンプのレバーが動きませんでした。カチンカチンに凍っていました。掃除をすることができませんでした。

それならば掃き掃除をしようと思いました。
ホウキとチリトリを持ってきて、ホウキで掃こうとした瞬間…塵が凍っていて、掃き集められませんでした。

掃除が出来ない朝でした。

朝のお勤めをするために本堂へ。
輪灯に火をともすため、ライターを手にして火を点けようとした瞬間…手がかじかんで、ライターの火が点けられませんでした。

なにも出来ない朝でした。

もっともっと寒い地域もあります。
例年以上の降雪に苦しんでいる方々がいます。
私も、この程度の寒さに負けてはいられないと思いました。

2012年2月 2日 (木)

出会いは、一生のもの

ここ数日、強い風が吹いていますね。時折吹き抜ける突風は、恐ろしくもあります。
西蓮寺では、寺報を発行しています。門前の掲示板に「ご自由にお持ちください」状態で、「寺報」とご本山発行の「同朋新聞」を置いてあります。
当然、雨や雪の降る日・風の強い日など、天候の悪い日は外には置かないのですが、今日は昼前あたりから風が強くなり始めたので、朝から置いたままになっていました。
午後、寺報をさげた方がいいなぁと思っていると、うなりをあげた突風が吹きました。
「寺報、飛んじゃったかなぁ」などと思っていると、ドアフォンが鳴りました。
玄関に出ると、ご婦人が、
「お寺さんの新聞が風で飛んじゃったから集めてきました。しまっておいた方がいいかと思って、お持ちしました」
有り難いことです。感謝の気持ちでいっぱいです。
それからご婦人が、
「白山君ですか? 私、武蔵丘小学校の…」
と、そこまで仰ってから思い出しました。
「遠藤先生!」(お名前、書いてもかまわないですよね)
「はい、そうです」
小学生の時の図工の先生でした。すぐに気付かず失礼いたしました(玄関に一緒に出た妻は、「よく先生の名前がすぐに出たわね」と驚いていましたが)。

お話ししてると、毎月寺報をお持ちくださっているとのこと。お恥ずかしい限りです。
お勉強が出来ず、物を作ることが好きな私にとって、図工の時間は楽しみな時間でした。でも、遠藤先生はとっても厳しく、図工の時間を苦手にしているクラスメイトもいました。思い返せば、先生が厳しく指導してくださったことは、今でも身についています。小学生にとっては厳しく感じた先生のことばも、今となっては想いが込められたことばなのだと感じられます。
美化委員会の担当の先生だったし、小学校代表の図工作品として私が作ったものをよく選んでくださっていました。懐かしいですね。いろいろ思い出しました。

西蓮寺コールリンデンでご指導いただいている中川先生は小学生の時の音楽の先生です。
遠藤先生 中川先生 小学生の頃にお世話になった先生に、今も尚お世話になっています。
おふたりとも寺報を読んでくださっているとのこと。少しは小学生の頃のご恩が返せているでしょうか。
これからもよろしくお願いいたします。

2012年2月 1日 (水)

2012年2月のことば

Img007
浄土宗のひとは愚者になりて往生す
                   法然上人

今月のことばは、宗祖親鸞聖人の先生、法然上人のことばです。
「南無阿弥陀仏のお念仏をいただいた人は、〝愚者〟の自覚に立って人生を歩む者となる」
現代を生きる我々の感覚では、「愚者」ではなく「知者」となることが大事なことと考えるのではないでしょうか。しかし、「愚者になりて往生す」と法然上人は仰います。どのような想いが込められていることでしょう。

昨年あたりから、自転車に乗る人に対する風当たりが強くなってきました。自転車は車両の一種なので、歩道と車道の区別のある道路では車道の左側端を走る。やむをえず歩道を通行するときは、歩道の車道側をすぐに止まれる速度で徐行すること。歩行者の通行を妨げるおそれのある時は、一時停止をすること。これらのことを守りながら自転車に乗りましょう。
言われてみれば至極当然のことなのですが、それが出来ていないのですから、規制が強化されても仕方ありません。しかし中には、「なぜそこまで規制されなければいけないのか」などと文句を言う人もいることでしょう。
自転車に乗ることの規制が強まって、思うことがあります。喫煙のマナーです。喫煙者にとって、タバコを吸う環境は、日に日に面倒になっています。飛行機や列車などでは吸えなくなりましたし、公共の場においても分煙化が進んでいます。吸わない人間からしてみれば、分煙化・禁煙化はありがたいし、至極当然のことですが、愛煙家にとっては、「なぜそこまで規制されなければいけないのか」と文句の一つも出ることでしょう。タバコ税は「一般財源」に納められ、国の借金返済、公共の施設の建設費・運営費などに使われているそうです。つまり、タバコ税は愛煙家にのみ還元されるのではなく、すべての国民に還元されているのです。そういう意味では、愛煙家からすれば、「自由に吸わせてくれよ」というのが本音でしょう。
さて、愛煙家を擁護しているわけではありません。タバコを吸うのに苦労するのは、周りにいる人のことなど考えず、自分が良ければいいという吸い方をしてきた結果です。
タバコにしても自転車にしても(それだけの話ではありませんが)、ルール無視・他者の安全を顧みない行動の積み重ねが、結局は自分に返ってきます。しかし、自分に返ってくるまで、他者(ひと)を人と見ない生き方をしている自分に気付かないものです。いえ、そうなっても気付かないヒトもいることでしょう。
あるいは、嫌煙家であり自転車のユーザーである人が、タバコの規制に対して「当然だ」と躍起なのに、自分も使用する自転車を規制されると、「どうして!」と文句を言ったりします。火の粉が自分に降りかからないときは相手を責められるけど、少しでも自分に火の粉が降りかかってくると、我慢できないものです。自分の姿って、なかなか見えないものです。
地球上に「いのち」ある限り、もはや消えることがない原発(放射能)問題。いまだ原発推進の動きがある反面、反原発・脱原発の声も盛り上がってきました。しかし、昨年の震災後からの一連の動きに、先輩僧侶が警鐘を鳴らしてくださいました。
「原発の事故が起こり、〝国は、東京電力はけしからん〟と言うけれど、自分の親族の誰か一人でも東電に勤めていたとしたら、そんなこと言わないでしょう。反原発・脱原発は、これから日本が歩むべき道です。しかし、自分が置かれている環境や立場によって、私の想いというものは変わってしまうのです。そういう自分であることを、しっかり見つめなければいけません。そうでなければ、人間は原発に代わる別の問題を作り出しかねません」
他者(ひと・いのち)が見えないどころか、他者を傷つけながら生きていた。そして、結局は自分をも傷付ける。そのような生き方をしている私に無自覚で、「自分さえよければいい」とばかりに振る舞っている。そのような姿を「愚者」と言います。

と、今まで「愚者」の意味するものを、このように考えてきました。でも思います。このような生き方は、「愚者」ではなく「愚か」なのだと。法然上人や親鸞聖人が生涯を通して歩まれた「愚者」の歩みとは、生きる上でのもっと根本的な内容を表現しているように感じます。

宮城 顗(みやぎ しずか)先生(1931~2008 九州大谷短期大学名誉教授)は、教えてくださいます。
「私は、人間の愚かさというものは、答えを持っていないことにあるのだと思っていました。しかし、ミラン・クンデラ(チェコスロバキアの作家)は言います。『人々の愚かしさというものは、あらゆるものについて答えをもっているということからくるのだと自分は思う』と。答えを持ってしまうと、人間はあらためてその事柄を理解しようと耳を開き、眼を凝らして事実を見つめ直し出会い直すというこころを失ってしまいます」

答えを持つ、あるいは答えを獲得するための歩みをする者を 「知者」であると思い込んできました。しかし、幸せになるための答えを探し続け、これこそ幸せの道だと答えを出したところに待っていたのは、人が見えない世界でした。おかしなものです。人の世の幸せを願いながら、人が不在となるのですから。答えと思い込んでいたものが崩れ、右往左往しているのが現代の私たちです。
答えは、周りを見る眼を塞いでしまいます。問いを持ち続けるということは、眼を見開くことになります。答えを持って生きるのではなく、生きながらにして起こる様々な出来事を縁として生まれた問いを持ち続けながら生きる。その姿が、「浄土宗のひとは、愚者になりて往生す」る生き方なのではないでしょうか。
阿弥陀如来は、すべての「いのち」の救済を願ってやみません。その願いという温もりに、今、現に抱かれています。その温もりに包まれているからこそ、答えという終着点ではなく、問いを持つという一道を歩み続ける(往生する)ことができるのです。

   

Dsc_0513
今月の人形はおひなさまです。
背後に雪だるまが見えます。

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