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2012年2月10日 (金)

人の世にいのちのぬくもりあれ

2012年2月8日(水) 西蓮寺聞法会
来月には東日本大震災から1年を迎えます。誰もが、震災後の出来事を顧み、想いを新たにすることと思います。しかし、今(2月8日)から1年前頃、震災が起こることを考えていた人はいるでしょうか、震災後に起こった原発問題からの運動を予期していた人はいるでしょうか。
震災という出来事がなかったならば、今も私たちは、震災や津波など起こらないだろうという思いに立ち、電力のある生活を享受し、原発があることによって苦悩を抱えている人々が現にいるという現実を知らずに生きていたのではないでしょうか。
悲しいことですが、大きな災いによって見えてくること、知ることができることがたくさんあります。
悲しみに想いを寄せることは大切なことですが、気をつけなければいけないことがあります。
たとえば原発の問題。震災後もなお、原発を推進する人がいます。反対に、脱原発・反原発を訴える人が増えてきました。脱原発・反原発は、今のような状況になる前から、訴えてきた人々がいます。でも、そのような人たちに対し、「安全だから大丈夫だよ」「電気の供給が足りなくなったらどうするんだ」と考えたり、そのような活動をしている人がいることを知らずに電気のある生活を享受してきた私が、こういう事態になってから脱原発・反原発を訴え始めたときに、今まで活動してきた人と、すぐに協力が出来るでしょうか。同じ想いに立ったのだから、これから協力させていただきます。という、その協力の前に、「申し訳ありませんでした」という懺悔に立たなければいけないと思います。
そのような観点から、推進するにしても、脱原発・反原発を訴えるにしても、対立し合うのではなく、お互いが自身の懺悔に立たなければ、先に進まないのではないでしょうか(脱原発・反原発に立つ私としては、「先に進む」とは原発がなくなることを意味してしまいます。推進の側に立てば、原発が有ること・増えることが「先に進む」ことになってしまいます。しかし、そういうことが言いたいのではなくて、自身への懺悔と相手への讃歎が、今、大切なことだと思います)。

方向性が同じだから、手を取り合える…
のではなくて、
同じ方向性の人に対しても、あるいは反対の方向性の人に対しても、
自身への懺悔 他者への讃歎の視点が大切なことだと思います。
法然上人や親鸞聖人が「愚者」になることを大切なことであると教えてくださったのは、
懺悔と讃歎の視点を持つことを言われたのだと、今、感じています。

と、前置きが長くなりました。
西蓮寺聞法会では、東本願寺発行の『真宗の生活』をテキストにしています。
2月は、宮城 顗(みやぎ しずか)先生のお話が紹介されていました。
宮城先生のお話から、水平社宣言の宣言文より、西光万吉さんのことばに出遇わせていただきました。

人の世に熱あれ、人間に光あれ。

このことばをいただいて、宮城先生の友人の藤元正樹先生は、

人の世にいのちのぬくもりあれ、
人間にいのちの輝きあれ。

と表現してくださいました。
宮城先生は、便利な世の中・文明の発達した世の中を、現にそこを生かさせていただいている意味において、ありがたいことである反面、先人が遺してくださったことから何かを学び、隣に生きる人の息吹を感じているだろうか(いえ、学んでないし、感じてもいない)と仰っています。
携帯のメールばかりが気になり、母親がせっかく作ってくれた食事を見ることも味わうことも感想を言うこともない。
携帯に電話番号やメアドを登録してある人数を競うけれど、その中に、本当につらいときに面と向かって話を出来る人が何人いることか。
唯一の被爆国と言われている国が、戦後66年経って、今度は自ら放射能による苦悩を受けている。
便利な世の中・文明の発達した世の中とは、イコール住みやすい 生きやすい世の中ではなかった。
文明の発達により、人と人との関係の中に、機会が入り込み、生身の人間(いのち)どうしの交流が持てなくなった。そこには、熱も光も生まれません。

自分たちが生きるために、他者を差別してきた歴史がある。その歴史を省みず、さらに差別の歴史を作っている。
主義主張の違う者を、ただ批判しあうだけならば、そこからは恨みや憎しみ、あるいは同じ過ちしか生まれない。
この「愚」かな繰り返しから、抜け出すことはできないのだろうか。
差別の根は誰にでもある。だからといって、「誰にでもありますからね」で終わらせていい話でもない。

人の世に熱あれ、人間に光あれ。

人の世にいのちのぬくもりあれ、
人間にいのちの輝きあれ。

人と人とがふれあうところ…
ふれあいとは、仲良く手を取り合うことばかりではない。
主義主張の言い合いも、ぶつかり合いも、ののしり合いも、
直接に、全身をもって為すところに、
熱や光が生じる。

水平社宣言の宣言文が採択されたのが、大正11年(1922)。
先人から何も学ばず、文明が発達しても生きやすい世の中にはならないと警鐘を鳴らされた宮城先生は2008年にお淨土に還られている。
2011年3月11日を経るまでもなく、人の世の熱を光を願求礼讃された人がいる。
先に進む…ぬくもりと輝きの生じる世とならんことを!!

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