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2012年1月

2012年1月31日 (火)

点と点が結ばれて線となる

ご本山での御遠忌法要も終わり、これからは各地の教区・お寺で御遠忌法要が勤まります。
「御遠忌法要も終わり」と、形式上は表現しますが、まだまだ御遠忌は終わりません。いえ、親鸞聖人がお示しくださった念仏のおしえは、これからも語り継がれ、感得され続けてゆきます。
御遠忌は、ある側面から見つめた一点にすぎません。御遠忌をご縁に、初めておしえに出遇えた人や、あらためて出遇い直した人がいて、おしえは、この時代に広く伝わり、時を超えて伝わり続けます。聞く人は個人でも、おしえによって、個人と個人、点と点がつながってゆきます。

御遠忌の年に起きた災害と原発事故。
災害や原発事故で被災し、今、現に苦しんでおられる人々がいる。その事を思うとき、「御遠忌法要などやっている場合か。法要をやめ、法要で使う経費を、義援金として被災者に届けろ」という声も聞こえてきました。
でも、それは違うと思いました。
法要(おしえ)を通し、親鸞聖人に、お念仏に出遇う人々がいます。親鸞聖人在世の頃から、800年ほど経つこんにちに至るまで、おしえに生きた人と人はつながってきました。そのつながりが、遇(たまたま)御遠忌という節目を迎えたのです。そのつながりがなければ、御遠忌を迎えることもありませんでしたし、義援金に回すお金も集まっていません。
「被災された方々のことを想い、支援させていただく」。そのことに文句をつける人はいないでしょう。けれど、「法要をやめて、その経費を義援金に」という発想は、ここまでのつながりを絶てということになります。
つながりあればこそ おしえに出会い、そのおしえが根っことなってボランティア活動に一生懸命取り組む人・募金活動に取り組む人・つらい思いをしている人々がいることを忘れないように心に刻む人などが生まれてくるのです。
点と点のつながりによって線となり、時を超え、空間を超えて、おしえが今、私に届いています。
法要をしている場合か、法話を聞いている場合か、机上の学びでいいのか、被災地に行かなくていいのか。どうして自分を追い込むのでしょう。
法要や法話、おしえに触れる機会があったなら、そのおしえにどっぷりつかればいい。そんなご縁、めったにないのです。おしえを聞いた(おしえに聞いた)ところから、またつながりが生ずるのでしょう。聴聞の歴史って、そういうものだったのでしょう。聴聞している場合ではないのではないか…そんな聴き方からは、何も聞こえてきません。つながりが生まれません。
ボランティアも、行けるのならば 行って存分に尽くしてほしいと思います。稀なご縁をいただいているのです。でも、あなたの力を必要としている人は、被災地だけにいるのではありません。常日頃 隣にいる人が、あなたの助けを求めています。そのことに気付かないで、ボランティアこそ大事だと言うのであれば、私はそれは違うと思います。点と点のつながりを求めて被災地に足を運んでも、一番身近で結ばれている線を、自ら断ち切ってしまうことになってしまいます。

親鸞聖人のおしえをいただいて、すでに線で結ばれたつながりの中を生きている。
聴聞する身は私個人であっても、おしえでつながっている。だからこそ、協力しあえる・想いがはたらく。聴聞を通して、人(いのち)が見えてくる。「法要している場合か」「聞法している場合か」というのは、他者(ひと)のことを想っているようでいて、結果つながりを断つことになってしまいます。

「今、いのちがあなたを生きている」
御遠忌テーマが不評だったのは、点と点がつながって線となる感覚の希薄さによるものだったのかな。今、そう思います。

そういえば、ブログで御遠忌法要団体参拝記を書いたときも、「“法要”の感想が短いですね」と言われてしまった。たしかに、参拝記全体からすると、“法要”の感想はとっても短い。しかし、私にとって御遠忌法要は、準備している頃から始まり、門徒さんたちと新幹線に乗って、長浜別院行って、御遠忌法要お参りして、比叡山行って、有馬温泉行って、神戸の震災記念館行って、帰ってきた次の日のお通夜も含めて、一連の流れ(つながり)が御遠忌法要であって、けっして、ご本山での法要だけが御遠忌法要ではないのです。
こういうことも、ひとつひとつは点だけれど、点と点がつながって線になっているのです。
この線は、親鸞聖人が始発点ではありません。親鸞聖人以前から始まっています。また、2011年の御遠忌法要が終着点でもありません。これからもまだまだ続きます。

点ではなく、線を感じてみませんか。

2012年1月29日 (日)

“喜”には…

本日お納骨がありました。
亡くなられた方は、ご自分と奥様とお兄さん夫婦と、いつも4人でお墓参りにお見えでした。みんなでニコニコお話しをしながら。その笑顔に、兄弟への感謝を感じました。法名に「喜」の字がありましたので、以下のようなものを書いてご家族にお渡ししました。
「“喜”には“ありがとう”の想いが込められています」

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2012年1月28日 (土)

2011年度 東京教区報恩講参詣記

2012年1月27日(金) 東京教区報恩講に参詣しました。
長女(もうすぐ3歳)を連れて行ったので、じっとしていられないので、講堂でお話を聞くことはできませんでした。外部にもスピーカーで勤行・感話・ご法話が流れていたので、真宗会館のいろいろなところで拝聴させていただきました(そんな聴き方、いけないんだけど…)。
真宗会館に着いて、始めは人見知りしていた長女も、遊んでくれるスタッフがいて、いつの間にか大喜びでした。お相手してくださったスタッフの皆さん、ありがとうございます。それぞれお仕事があるのに、ごめんなさい。また、娘の喜びの叫び声が、講堂に聞こえてはいませんでしたでしょうか。申し訳ありません。
娘が遊んでもらっている姿を見ていて、スタッフの多くは児連のスタッフをされている方々だなぁと思いました。子どもの相手が上手です。報恩講のスタッフとして、寒い中 会場交通係や大鍋係(お汁粉美味しくちょうだいいたしました)をされている皆さん。ご参詣の方々と楽しそうにお話をされています。児連の際は、子どもたちと同じ目線で接してくださいます。「人間が好きな人たちがここにいるんだなぁ」と、一参詣者として足を運び、ある意味客観的に報恩講の様子を見ていて、そう感じました。教区報恩講…すばらしい空間だなぁ。長年スタッフをされている方、一年スタッフを外れて、一参詣者として報恩講に参詣されると、新しいものが見えてくるかもしれませんよ。

普段なら娘がお昼寝の時間にご法話があったので、タイミングが合えば、眠り込む娘を抱えながら、講堂でご法話を聞けるのではないかと思っていたのですが、娘は大はしゃぎです(帰りの電車で寝ました)。
ご法話は拝聴できませんでしたが、ご法話に先立つ感話は、時間も短いので、モニターを見ながらお話を聞けるところへ娘を連れて行き、拝聴させていただきました。
感話は、同じ東京五組の坊守様。4年前にご住職が還浄され、それから こんにちに至るまでのこころの動きをお話されていました。26日のブログ「今も朋に」で書かせていただいたご住職です。
周りの人間が思う以上に、当事者は大変です。でも、その中でお寺を守られ、息子さんも住職に襲職されました。
「住職の代わりにお勤めさせていただきます」と、断りながらご法務をお勤めされていた坊守様に、「住職も隣にいるじゃない。あなたは代わりなんかじゃないわ」と声をかけてくださった門徒さん。
「お母さんも得度して、僧侶の資格を持っているんだから、一緒にお勤めをしましょう」と勧められた現住職(息子さん)。息子さんのことばによって、「坊守として、寺を守ることが勤めだと思い込んでいたけれど、僧侶でもあることを思い出させていただきました。僧侶として、どう歩んでいけばいいのか模索しています」とお話されていました。
ことばは、人を生かす力がある。いえ、人の力を呼び起こすはたらきがあるんだなぁと想いました。
病床の前住職のお姿にも触れられていて、感話を聞きながら、お見舞いに行ったときの会話が昨日のことのように思い起こされました。
娘にお菓子を食べさせながら、しっかり拝聴させていただきました。ありがとうございます。南無阿弥陀仏


暗くなる前に失礼したので、ろくに挨拶もせず会館を後にしました。お世話になった皆様ありがとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

2012年1月27日 (金)

2011年度 東京教区報恩講

2012年1月26日~28日 真宗大谷派東京教区報恩講が、真宗会館にて勤まります(26日は帰敬式)。
ご法話は、大阪の戸次公正(べっき こうしょう)さん。

本日27日、いち参詣者として、お参りさせていただこうかなと思っています。

2012年1月26日 (木)

今も朋に

人が亡くなって、時を経て、私が何か壁にぶつかったとき、「あの人がいたならば、どうしていただろう(どのような行動をとっていただろう)、なんて言っただろう」なんて考えることは、しないことにしている。その人の死を無駄にしているような気がするから。
その人に遇えたという稀な事実に喜びがあり、その事実を経て、今の私がいる。それならば、その人亡きあとの歩みを、自分でしっかりしていかなければ、亡き人に申し訳がない。
そう考えているんだけど、つい思っちゃいます。「あの人ならば、どうしてたかなぁ」って。あ、でも、ちょっと違うかな。「ここにいたら、一緒に笑ってただろうなぁ」みたいなことを想像してしまいます。
1月26日、教区報恩講の初日、思い出してしまいます。

「御遠忌 団体参拝 無事終わったよ」 乾杯したかったね

2012年1月25日 (水)

西蓮寺聞法会新年会2012

2012年1月24日(火) 西蓮寺聞法会新年会開催
西蓮寺では、毎月聞法会と白骨の会(仏教青年会)、偶数月にコールリンデン(仏教讃歌を歌う会)を開催しています。昨年から、1月の聞法会は、3つのつどい合同の新年会として開催しています。
今年は、22名の参加がありました。それぞれの会で顔ぶれは違いますが、合同で開催する新年会は、みんな顔なじみのような雰囲気で盛り上がりました。

“聞法会”の新年会を銘打っていますので、はじめは私が法話をしました。気持ちは新年会という方もいらっしゃったかもしれませんが。
なにを話そうか考えましたが、コールリンデンで合唱指導・伴奏をお願いしている中川先生もいらっしゃるので、伴奏・合唱を交えながら、『真宗宗歌』『恩徳讃』の成立の経緯・歴史・意味などをお話させていただきました。
『真宗宗歌』は1番だけでなく3番まで。『恩徳讃』は、こんにちよく歌われる「Ⅱ」だけでなく、「Ⅰ」や「Ⅲ(コーラス用)」も、伴奏付きで歌いました。普段口にしない(耳にしない)歌に触れて、みなさんにも楽しんでいただけたのではないかと思います。

お話が終わって新年会
とても盛り上がり、会話が弾んでいました。会話が弾んでといっても、楽しいお話をしてということだけではありません。みなさんそれぞれに、想いを持っておられます。お連れ合いを亡くされた方・体の調子が悪い方・人間関係で悩んでいる方、いろいろあります。でも、お寺のつどいに集まる方と顔見知りになり、話を重ねていくうちに、同じ悲しみ・同じ悩みを抱えた方であることがわかります。そこで、「苦しいのは私ひとりじゃないんだ」という気持ちになります。普段の例会は、お茶を飲みながらお話する時間はありますが、短い時間です。今日は、年に一度の新年会、時間も気にせず、会話を楽しめます。会話の内容は、つらい出来事を語るものであっても、そこには、「ひとりじゃない」「ここでなら(この人なら)話していいんだ」という安心感があります。
新年会に身を置かせてもらって、そのような空気を感じました。「あっ、お寺の意味って、こういうところにあるんじゃないかな。こういう空気が、元々お寺が持っていたものじゃないかな」と思いました。
聞法会・白骨の会・コールリンデン…教えに触れる会・語り合う会・歌う会と、キッチリと分類されるものではない。入り口の選択肢(きっかけ)がいくつかあるだけで、中に入れば みんなつながっている。「ひとりじゃないんだ」「ここでなら(この人なら)話していいんだ」という想いによって、悲しみを抱えながらも生きる道が広がっている。
悩み苦しみを無くすのが、親鸞聖人のおしえではない。悩み苦しみを抱えながらも、生きていける場を、今もなお作ってくださっているのが、親鸞聖人であり、お念仏なんだ。
3つ つどいがあって、他に報恩講・永代経法要・新盆法要などがあると、一年があっという間にすぎていきます。でも、今年の新年会でみんなが楽しそうに話している姿を見ていて、場が継続してあるということの意味を感じました。「寺はこうあるべき」といって 何かをするのではなく、このような場が、“寺”として成立したのではないだろうか。そんなことを思いました。
ご参加くださったみなさん、ありがとうございます。おいしいお酒をちょうだいいたしました。

2012年1月24日 (火)

廣瀬 杲先生お別れ会ご案内~遇いたい人がいる仕合わせ~

1月18日「広瀬先生 ありがとうございます」の題で文章を書いたところ、学生時代の先輩よりお手紙を頂戴いたしました。広瀬先生とのお別れ会がある旨、教えてくださいました。ご丁寧にありがとうございます。このブログをお読みの方で、広瀬先生とご縁のあった方もいらっしゃると思いますので、ご案内させていただきます。

「廣瀬 杲先生 お別れ会」
日時 2012年2月22日(水)14時30分(受付は14時より)
場所 京都 大谷大学 講堂
主催 聞光学舎


先輩にはいつもお世話になっています。なかなかお会いする機会はありませんが、「いつもブログを読んでいます」のことばをいただいています。
真摯に おしえに、師に、ご自身に向かい合われている 温かい先輩です。私の方こそ学ぶことばかりなのに、私の学びをいつも褒めてくださいます。私は、こういう形でしか親鸞聖人に出遇えた喜びを表現できないだけなので、先輩に温かい声をかけていただくと、照れくさくなってしまいます。今回も、ブログを読んで、手書きのお手紙をくださり、感謝ばかりです。ありがとうございます。廣瀬先生とのお別れ会、お参りさせていただきます。

お手紙で、廣瀬先生の最期のおことばもお伝えいただきました(ここで書いてもかまいませんよね)。
親鸞父さんに遇いにいってくる
先生の源泉を感じた気がして、涙が出ました。私も、その後景に学び、阿弥陀へと続く一道を歩んで参ります。
南無阿弥陀仏

2012年1月21日 (土)

他者(ひと)を思わぬ私

昨晩、ブログで雪に関する文章を書いて床につく。なかなか寝付けず、時計の音が耳に響く。

雪…一面真っ白の小学校のグランドが思い起こされる。
小学何年生の時だっただろう。担任の先生が、「これが済んだら、みんなでグランドで遊びましょうね」という。“これ”が何だったか忘れたけれど、体育館や理科室など、教室以外の掃除だった気がする。まだ誰も足を踏み入れていない雪のグランドで遊ぶことをクラスみんなが楽しみにしている。
そろそろ“これ”も終わり、グランドに駆け出そうとしたとき、私たちよりも先にグランドを駆け回るクラスが!!
私たちは、「私たちが遊ぶはずだったのに」と落胆し、担任の先生に詰め寄る。べつに、うちのクラスだけが独占使用権を持っていたわけではないのに。先生を困らせたなぁ。私もそのひとり。

などと思い出していたら、プールの映像が。寒い冬から夏の場面が思い出された。
私たち6年1組は、学校のプール開きを前に、プールの掃除を任された。他のクラスは、授業をしている。プールの苔や汚れを、デッキブラシでゴシゴシこする。汗をかきながら掃除を終えると、担任の先生が、「みんな、ご苦労さま。まだ時間があるし、遊ぶか!!」 当然、プールに水は入ってないけれど、ホースの水をまき散らし、けっこう楽しく遊んだ記憶がある。
キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン
授業終わりのベルが鳴り、クラスのみんなは、バスタオルで髪を拭きながら教室へ。クラスの誰もが「楽しかったね」と口にしながら教室へ。きついプール掃除のはずなのに、楽しみながら戻ってきた私たちを、他のクラスの子たちは、うらやましそうに見ていました。
次の授業時間、担任の先生が授業の始めに言いました。
「お前たちな、他のクラスの子たちだって、プールで水遊びしたかったさ。でも、お前たちだけしかできなかったことだ。お前たちだって、遊びたいのに遊べなかったら、うらやましいだろ。“楽しかった”なんて言いながら戻ってくる奴がいたら、腹が立つだろ。そういう嫌な想いをさせるようなことを、わざわざ大きな声を出して言うことはないんじゃないか」
もっともだと思い。恥ずかしい思いがした。楽しい思いをしたことを、うらやましがらせようと思う私がいた。

眠れぬまま、まぶたを閉じて横になっていたけれど、一面真っ白のグランドや水が飛び散るプールサイド、担任の先生の声が、脳裏に浮かんだ。
他者(ひと)を思わぬ私がいた。今もここに横たわっている。

金子みすゞさんの詩「積もった雪」を思い出していた。
積もった雪を、上の雪 下の雪 中の雪など、階層に分けて、それぞれの想いを感じ取ろうとするだろうか。積雪の一塊としてしか見られない。邪魔者・迷惑者とは感じても、そこにつらさを感じ取るこころが、私にあるだろうか(いや、ない)。
小学生の頃の回想シーンは、たしかにあったことだと思う。年をとると、事実なんだか記憶違いなんだか妄想なんだか分からなくなるときがある。でも、たしかに事実。
他者(ひと)の悲しみ・つらさを感じられない私がいる事実。

眠れぬまま、金子みすゞさんのことを想う。彼女は、客観的に雪を見つめてたんじゃない。雪そのものになってたんだ。だから、上の雪 下の雪 中の雪の寒さ 重さ 淋しさがことばとなって出てきたんだ。
そのことばは、寒さ 重さ 淋しさがしみているけど温かい。
他者(ひと)を責める声は、雪の冷たさよりも、もっと冷たい。

結局眠れぬまま 朝を迎えた。

2012年1月20日 (金)

2012年1月20日(金) 東京は雪
朝起きてカーテンを開けたら雪景色。長女は大喜びです。朝ご飯を食べたら、歯医者さん行きが待っているのに。
雪の中、ベビーカーを押して歯医者さんへ。歯医者さんに拒まずに入るものだから、もう慣れたのかと思ったら、「ミホちゃ~ん」と呼ばれたとたんに大泣き。先生と私でなだめながら フッ素を塗ってもらいました。帰りに風船をもらって、大喜び。さっきまであんなに泣いていたのに。
寺に戻り、今度は私が内科へ。やっと咳が止まりました。2週間ちかくかかりました。その報告と、花粉症の薬をもらいに。春が近づくのはいいですが、花粉症は憂鬱です。薬のおかげでだいぶ助かっていますが。
 
病院から帰ると、歯医者に連れて行かれたことにブーたれている長女が。昼食を済ませてから外に出て、雪合戦をしたり雪だるまを作ったりして遊びました。よほど楽しかったらしく、機嫌もなおったようです。
「また雪が降るといいね」と笑って言います。

たまに降る雪は、「雪だねぇ」とつぶやく程度で済みますが、除雪作業などが大変な地域の方々のことを思うと、喜んでもいられません。秋田出身の若坊守は、この程度の雪で交通が麻痺したり、転ぶ人が多い都会に嘆きます。私が病院に行くときも、「ペンギン歩きをするんだよ」と、アドバイス(?)をくれました。 

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金子みすゞ  積もった雪  

 上の雪
 さむかろな
 つめたい月がさしてゐて

 下の雪
 重かろな
 何百人ものせてゐて

 中の雪
 さみしかろな
 空も地面(じべた)もみえないで

2012年1月19日 (木)

糸逢う

「裁縫」の「縫」の字が思い出せなくて(なにゆえ「裁縫」なんでしょう)、手元にあった携帯で「さいほう」と打ち込む(辞書を引くように心がけているのですが、安易な方法を選んだ自分を反省)。
「縫」と分かりスッキリ。そうそう、「糸」へんに「逢う」でした。その成り立ちに、なんとなく詩的なものを感じました。愛しい人に「あう」喜びや悲哀・切ない想いがこもった「逢う」。針でチクリチクリと縫いながら(表現が古い?)、誰を想うのでしょう、何を思うのでしょう。
「糸合」ではなく、「糸逢」であるところに、手縫いの温もりを感じます。

2012年1月18日 (水)

広瀬先生 ありがとうございます

広瀬杲先生(ひろせ たかし)の訃報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。
とともに、先生に出遇い、おしえに触れることができましたこと、感謝申し上げます。
 
昨年暮れに還浄されたとのこと 今になってお聞きしました。はじめは何のことだか分からず、頭の中の整理がつきませんでした。
 
「一般的にこれでよし」「多数意見だから この方向で」なんてときに、必ず警鐘を鳴らしてくださる先生でした。
体調を崩され、お話に出られる機会を減らしたときに、同年代の先生方も調子を崩されたり、亡くなられたときに、「ここで立ち上がらねば」と、無理を押して親鸞聖人のおしえをお伝えくださっていました。

東京での先生の法座にご一緒させていただいてから、もう5年。東京駅までお送りしているとき、「白山さん…」と話しかけてくださいました。顔は覚えていてくれたとしても、名前は覚えられていないと思っていたので、名前で呼びかけてくださったことがとても嬉しかったです。
数年前から「恵心尼消息」に関心を持たれ、他の講題でも「恵心尼消息」のお話をよくされていたのを覚えています。

学生時代の先輩から、「広瀬先生の『興真宗』を読んでおけ」と言われ、本堂の本棚から持ってきて、事務机横の本棚に入れてはあるものの、読まずにいました。
本を通して、また先生に遇いたいと思います。先生、ありがとうございます。

2012年1月17日 (火)

がんばろう わたし

2012年1月17日 阪神淡路大震災から17年経ちます。
京都大谷大学を卒業し、春には東京に戻るというとき、京都で この揺れを体感しました。

たしか、プロ野球のオリックスブルーウェーブ(当時)が、「がんばろうKOBE」を合い言葉にシーズンに臨み、リーグ優勝を果たす活躍をしたと記憶しています。昨年は、東北楽天ゴールデンイーグルスが「がんばろう東北」を掲げて試合をされていました。  
 
「がんばろう」について、いろいろと言われることが多くなった気がします。「すでにがんばっているのだから、これ以上言わないでほしい」「ボランティアにいく際、“がんばろう”は禁句です」など。
そんなに嫌うようなことばなのだろうか…。これだけ いろいろ言われることばも珍しく感じます。
 
たしかに、「これだけがんばっているのに、これ以上なにをがんばれというのか」と言われたとしたら、返すことことばもありません。でも、「がんばりましょう」と声をかけるときは、声をかける方もそれなりの想いを込めてのことだと思います。まるっきりこころにもないときに発せられることばではないと思うのだけど。
   
震災があってからではなく、「がんばろう」については、常々考えています。
徳永進先生(医師)のことばが、こころに残っています。

要は生きたことばになっているかどうかです。例えば「弱音を吐いちゃダメじゃない。頑張りましょう」という言葉がありますよね。マニュアルでは末期の患者にそういう安易な励ましはダメだと言われています。でも、そういう言葉を言った医者の誠意とか真剣な姿が患者さんに見えているならば、それは言葉として生きていくものだと思うんですよね。そしてそれが本当の言葉でしょう。
本当の言葉は、その背景の心深さがあればどんなことばでもOKなのに、今の私たちはどちらが正しいか決めようとしている。

(真宗大谷派宗務所発行 「同朋新聞」 2010年11月号)


お互いの関係性があれば、本来、どのようなことばを使ってもOKのはずなのに、それが許されない。
関係性を築くのは、かくも難しいものだろうか。うん、難しいとは思う。
つながりを鬱陶しく思いながらも、つながりを求めてもいる。傷つけないことばを使いながら。いえ、傷つけないように気を遣いながら。そういう姿勢の表れが、「がんばろう」を言わないことなのだろうか。
    
「がんばろう」に限らず、使っていいことば ここではダメなことばって、自分で判断するべきことだと思う。こういうことまでマニュアル化されている現代を憂う。
 
1年前、藤川幸之助さん(詩人・児童文学作家)のお話を聞きに行ったとき、以下のようなことを言われていました。
藤川さんには、認知症のお母さんがいらっしゃいます。そのお母さんとのやりとり(介護)を通して、ことばもない母の息づかい・考えていることを感じられるようになってきた。お母さんがしてほしいことを感じ、手をさしのべられるようになった。そのことが、お母さんの要望と合っているのか否かはわかりません。でも、人のこころを感じる、察することができるようになった。こういうときは 何をすればいいか、こういうときは何をしてほしいか、感じ、対応できるようになりました、と。そして、そのような母とのやりとりのことを講演でお話をしたら、ある施設の方が、「うちにはキチンとしたマニュアルがあるから大丈夫です」と言われたとのこと。
藤川さんは思われたそうです。人の息づかい・想いを感じた人が、こういうときは 何をすればいいか、こういうときは何をしてほしいかを考え、身を動かしてきた。最初にマニュアルがあって、そこに書いてある通りに動くのとは、結果的にやっていることは同じかもしれないけれど、でも、違うんだ。と、仰っていたのが印象的でした。
  
人と人とのつながりの中で、「言っていいことば」なのか、「今は言わない方がいいことば」なのか、「言ってはいけないと言われていることばだけど、今なら言っていいんだ」なのか、判断すべきことだと思うのです。
はじめに これはダメと、マニュアル化されたうえで、人間の関係性を構築していくと、どうなるのでしょう。
マニュアルにない現実に直面したときに迷いが生じます。
マニュアル通りに行動したのに、それ以外の反応があったときに戸惑うことでしょう。
いい関係を築いているつもりでも、ちょっとしたことで崩れ去ってしまうかもしれません。
   
他者(ひと)を想い、ことばをかけ合う。 
災害時だけのことではありません。常日頃のことだと思います。

2012年1月16日 (月)

東京五組懇談会

2012年1月16日(月) 東京五組(ごそ)懇談会開催
西蓮寺は真宗大谷派東京教区東京五組に所属しています。普段の教化活動は、東京五組のお仲間と力を合わせております。ちなみに、組の長を、組長(そちょう)と言います。
東京五組(20ヵ寺)は、一組~八組まである中でも、比較的寺どうしの交流がある組と感じます。
坊守の会(通称:坊守会) 若坊守の会(通称:若藤会) 副住職の会(通称:アジャセの会)が、それぞれほぼ毎月開催されています。(住職の会がありませんが…)
このたび、東京五組懇談会なる会を、組長発案で、初めて開催しました。それぞれの会は活発に活動をしていますが、全体が顔を合わせてとなると、滅多にそのような場がありません。
初めての懇談会、出席者は15名。まったく知らない顔どうしではないのですが、先ずは自己紹介。気恥ずかしいものです。
自己紹介をしながら、自分の中で課題・問いとなっていること、せっかくの場だからみんなに聞いてみたいことなどを言い合いました。
それそれが想いを語り合い、それを共有する場となりました。内容は書きませんが、これからが楽しみな会合だったと思います。
ただ、もしこの会が今後も定期的に開催されるようになったら、共有できることだけでなく、共有しがたい内容をも共有できるような会(関係)になればいいなと感じました。

2012年1月15日 (日)

諸行無常

長女ミホお気に入りの、おもちゃを入れる袋が破れてしまいました。
おもちゃを入れる袋といってもジップロックなのですが、ミニーちゃんの絵が描いてあり、長いこと使っていました。

ミホ「パパ、ふくろ なおして」
私「これはもう 直らないよ」
さみしそうな顔をする娘
私「形あるものはね、いつか壊れちゃうんだよ。」
ここまで言って、昨日書いた話を思い出したので、
私「高経年化していくんだよ。ほら、ママを見てごらんよ」
妻「それはどういうことかな?…」

その後はご想像にお任せします。
他人事ではないお話でした。

2012年1月14日 (土)

ことばの言い換え

カタログハウス発行の『通販生活』を定期購読しています。
「通販生活」という名の示すとおり、通信販売のカタログなのですが、内容はそれだけに留まりません。憲法9条・環境問題・原発についてなど、私たちの生活に直接する内容を取り上げています。決して一つの方向性を押し付けるものではなく、今、現に起きている問題・マスコミが取り上げない側面を取り上げ、一つの事柄に関して多方面の方々の声を取り上げ、紹介しています。私たち一人ひとりに、自分で考えることを促す内容になっていると思います。通販カタログとしても見応えがありますが、それ以外の面で、読み応えがあります。

『通販生活』が届きました。郵送の袋の裏に、「これって、原発再開のための造語でしょうか?」という見出しが書かれていました。
『通販生活』は、某テレビ局の某番組でCMを流しています。昨年暮れ、そのCMが、テレビ局の判断により流されないことがありました。内容は、「原発をやめるのか、再開するのか、国民投票によって決めましょう」という呼びかけのものでした。CMなので、その特集を『通販生活』でしています、という内容になっています。これが、テレビ局側が規制している“意見広告”に当たると判断され、CMとして流されることはありませんでした。
そのような呼びかけをされている『通販生活』の袋に、「これって、原発再開のための造語でしょうか?」という見出しがありました。内容は、言葉の言い換えをして、問題を見えなくしようとしている東京電力の体質を、「東京新聞」が問題提起しているというものです。たとえば、「原発の老朽化」を問う記者に対し、「高経年化につきましては…」と言い換えたり、「事故」とか「トラブル」とは言わずに、「事象」と言い続けている点などを挙げています。

さて、今日書こうとしていることは、「言葉の言い換えによって問題を見えなくしようとしている東京電力の体質」についてではありません。
袋を捨てようとしたときに、ふと裏面を見た妻が、その訴えかけに気付きました。それをきっかけにして、妻と私、ふたり仏教青年会(ふたり白骨)が始まりました。朝食時に、お互い思うところを語り合いました。
はじめは、「いつまでも ひどいことをしているなぁ」という感想から始まりましたが、我が身に問い返すと、“ことばの言い換え”は、私たち自身もしているものなのです。気にくわないことば・耳障りのよくない表現に対し、クレームを付け、呼び方を変える。たとえは出しませんが、そのことによって、ことばの持つ意味を見えなくしてしまっています。
“ことばの言い換え”は、私たちひとり一人の都合から生じます。東電側のことば言い換えも、『「事故」とは言わず、「事象」程度にしておいてくれよ』というこちら側の気持ちの反映(そんなことはないのですが)として受け止めることができます。
CMが流されなかったことも、原因は「意見広告だから」ではなく、「脱原発を訴えているから」というのが正直なところなのでしょう(そういう内容ではないのですが)。しかし、「原発の危うさをこれ以上聞かさないでくれ」という市民の声を受けたものとして、CMを流さなかった側面もあるかもしれません。テレビは、多数派の声の反映でもあります。「テレビ番組がくだらない」とか言うけれど、見る側が望むから、そういう番組になっているのです。でも、よく考えてみると、放映されているものから多数派の声を感じ取るのは容易だけれど、放映されなかったものから巷の声を読み取ることは難しい(というか、ほとんど不可能)ですね。
少し話がそれました。ふたり白骨の結論(結論というか、途中経過)は、「言葉の言い換えをするときというのは、嫌なことを伏せたい、物事の程度を小さめに言っておきたいなど、自分の想いが反映されている」でした。

ふたり白骨の日は、うち(西蓮寺)で副住職の会(通称アジャセの会)があり、その会においても、同じ内容で発題をさせていただきました。別の発題も考えていたのですが、当日の朝の旬の話題で、副住職どうし語り合いました。
『通販生活』…語り合いのきっかけとして活用させていただいています。

2012年1月13日 (金)

イクメン イクメン

若坊守が、得度を目指して声明(お経)の稽古に出かけたため、娘ふたりとお留守番。一緒に得度するため、稽古に参加するお仲間のお寺の若坊守さんがいて、その副住職と娘さんふたりも、寺に遊びに来てくれました。つまり、副住職ふたりと娘4人で、若坊守ふたりの帰りを待っていました。今考えてみると、0歳児・1歳児・2歳児・3歳児と揃ってました。お寺が託児所に早変わり。賑やかな時間を過ごしていました。6時間のお留守番の後、お母さんが声明の稽古から帰ってきました。ずっと一緒にいたのに、帰ってきたお母さんが顔を出したら、それぞれの長女は、喜んでお母さんの方へ走っていきました。まぁ、そんなものですよね。
充実したお稽古だったようです。先生、お世話になりました。
昨晩、若坊守から「留守中、ふたりで大無量寿経の勉強でもしてたら」と言われましたが、とてもそんな暇はありませんでした。

2012年1月12日 (木)

優先順位

日々やらなければならないことがあるわけですが、その合間に仕事をこなさなければいけません。
本来ならば、早く仕事を片付ければいいものを、つい後回しにしてしまいます。後でもできることを先にやってしまい、さっさとやっておけばいいことを後回しにしてしまう。そして、締め切り直前に焦り出す。分かってはいるんですけどね。
最近、仕事に限らず、物事を為すときにつぶやくようにしています。
「優先順位」
それから先に手をつけていいのかい? 先にやっておくことはないかい? と、自分に問います。
先に片付けた方がいいことに手をつけ、後でもかまわないことは後回しに。
「優先順位」
そうつぶやくようにしてから、少し行動パターンが変わった気がします。

2012年1月11日 (水)

お寺の和尚さん

せっせっせーの よいよいよい
お寺の和尚さんが
かぼちゃの種をまきました
芽が出て ふくらんで
花が咲いたら じゃんけんぽん

  
   
お馴染みのジャンケン遊びの歌です。
長女ミホは、若坊守の秋田帰省の際、妻の母(秋田バァハ)゙から「お寺の和尚さん」を教わりました。
その際、「ミホちゃんのパパも東京ジィジもねぇ、“お寺の和尚さん”なんだよぉ」と教えてもらったそうです。
その時から今まで、それがどういうことなのか理解できていなかったミホが、今日突然東京ジィジ(住職)に向かって、「ねぇジィジ、ジィジはお寺の和尚さんなの?」と尋ねました。ホント、いきなり。
それまでふくらませた風船でキャッチボールしていた住職はびっくりです。「へ?」
妻と私は、秋田バァバに教わったエピソードは知っていたので、ミホが何を言っているのか理解できましたが、住職にとっては???です。
住職にミホを任せて、新聞を読んでいた私も、洗い物をしていた若坊守も、ミホの「ジィジはお寺の和尚さんなの?」が耳に入ると、ミホと住職の方を向いてしまいました。
急に意味が分かって、尋ねてみたくなったのでしょうね。私には尋ねてくれませんが。

         
ちなみに、先のジャンケン歌。私は、オーソドックスなのしか知りませんでしたが、長いバージョンもあるそうですね。

     
芽が出て ふくらんで
花が咲いて枯れちゃって
忍法使って空飛んで
東京タワーにぶつかって
ぐるっと回って じゃんけんぽん

             
とか。過日、若坊守が教えてくれたのを聞いて、「なんじゃそりゃぁ!!」と思いました。
他にもバージョンがあるのかもしれませんね。

2012年1月10日 (火)

ダメだなぁ

次女が伝い歩きをするようになって、長女と次女が遊ぶようになりました。
といっても、よくみるとそれぞれに好きなことをやているだけなのですが。
最近、ふたり一緒に遊べるようになってきました。
仲良く遊んでいるときはいいのですが、次女が気にくわないことをしだしたときに、長女が怒り出すようになりました。
「だめでしょ!!」「○○って言ったじゃない!!」
 
その声を聞きながら、「どこかで聞いた口調だなぁ」と思いました。
私や妻が長女を叱るとき(いえ、怒るとき、ですね)の口調です。
「あぁ、真似してるんだなぁ。こういう口調で怒ってたんだなぁ」と、我ながら嫌ぁな気持ち(自己嫌悪)に陥りました。
子どもから教わることが、日々たくさんあります。

2012年1月 9日 (月)

成人 あらため 変人

成人の日ですね。祝日を月曜日に移すようになってから、「今日は○○の日だ」という感覚が希薄になってます。
成人の日のつどい…また各地の荒れ模様が報道されるのでしょうか。一生懸命取り組む若人もたくさんいらっしゃるのですが。
      
自分の価値観や考え方を曲げず、自分こそが正しいという思いに埋没するのなら、どんなに懸命になろうとも、ひとりぼっちです。
考え方はひとそれぞれ、立場・生い立ち・局面で考え方や行動は変わるもの。
そこに納得することは難しいけれど、そういうものだと、頭のどこかに置いておくだけで、周り見る眼・自分自身は、大きく変わってゆきます。
     
20歳になって「成人」になる…あらため、目線が変わり、自己が変わり、「変人」になることが喜ばしい。
     
         
わかるということは、かわるということ。
     
   
生きてゆくということは変わってゆくということ
本当の自分になるために変わってゆくということ

2012年1月 8日 (日)

お風邪など召しませんように

4日ほど咳が止まりません。昨日は寒気がして、珍しく一日休ませてもらいました。今日はだいぶよくなりました。
咳も、熱も、無理に抑えてはいけないのですね。出るだけ出し切った方が治りも早く、体にもいいのですね。
悪いところを無理に抑えず、膿を出し切る。いろいろなことの対処法にも通じるような気がします。
皆様お体お大事に。
  
夜寝るとき、私が咳をするたびに娘が「だいじょうぶ?」と言ってくれます。そのたびに「大丈夫だよ。ごめんね」と返します。なかなか眠らせてあげられず、申し訳ない気持ちになります。

2012年1月 7日 (土)

乾燥していますね。火の用心です。

雨が降りませんね。今日は風も強かったので、砂塵が舞っていました。洗濯物も干せません。境内の土もカラカラに渇いています。
人の、人間疎外・血も涙もないような様子・自分さえよければいい的な行動を、「砂漠」に例えられます。でも、雨が降れば砂漠に浸透していきます。血が、涙が、情がしみこまないという意味では、「砂漠」よりも「アスファルト」かな、と舞い上がる砂塵を眺めながら思いました。
「東京アスファルト」では、まったく叙情性はありませんけど。

2012年1月 6日 (金)

2012年1月のことば

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丁寧に生きる
   
真宗大谷派発行の雑誌『同朋』2011年11月号に、ベニシア・スタンリー・スミスさんのインタビューが載っています。「丁寧に生きる」ということを、ベニシアさんから教えていただきました。
イギリスの貴族社会で生まれ育ったベニシアさんは、何不自由ない暮らしをされてきました。ところが、自分の生き方に疑問を持ち、人生の本当の意味を求めて、インドへと旅立ちました。現在は、京都市の郊外、大原にある築100年の古民家で暮らしておられます。そのベニシアさんは、「丁寧に生きる」ということを大切にしておられます。
   
あなたにとって、「丁寧に生きる」とは、どのように生きることですか?
そのように問われたら、人に優しく接する・時間を大切にする・物を大事にするなど、いろいろなことが想い浮かぶことと思います。私も、最初にインタビューを読んだときは、「丁寧に生きる」ってそういうことかなと考えました。でも、よくよく考えてみると、あらためて何かをしよう、今までできなかったことをしよう、と思うということは、それが出来ていなかったということですよね。つまり、丁寧に生きていなかったのです。人に優しく接する・時間を大切にする・物を大事にするということは、大切なことです。でも、あらためて そのようにしようと考えるところに、今まで出来ていなかった自分がいるわけです。丁寧に生きていなかった私がいることを教えられます。
あらためて何かをしようと誓って、それが出来た試しがありますか? 年も改まり、「今年こそは…」と、新たな誓いを立てられた方もいることと思います。しかし、その誓いを守ること・実行することの難しさは、誰よりも自分自身が分かっていることでしょう。立てた誓いそのものを忘れている方もいるかもしれません。
「丁寧に生きる」ということを、自分の想いとして考えると、我執に陥ってしまいます。人に優しく接しても、その反応がなければ腹が立ち、愚痴が出ます。時間を大切にと思っても、そう考えるところに、時間に支配された生活が待っています。イライラ・アクセクが始まります。まるで丁寧に生きられません。「丁寧に生きる」ということばから、丁寧に生きられない私が表出してきました。
    
「丁寧に生きる」ということばを頭に留めていたら、「天命に安んじて、人事を尽くす」という清沢満之先生(1863~1903)のことばに出遇いました。清沢先生は、明治期の真宗の僧侶・教学者で、親鸞聖人のおしえを、私たちに大きく開き伝えてくださった方です。私たちに馴染みがあるのは、「人事を尽くして天命を待つ」ということばだと思います。しかし、「天命に安んじて、人事を尽くす」と清沢先生は仰います。
最近、なんとなく考えていることがあります。「努力が報われる(報われない)」とか、「こんなに頑張っているのに、誰も褒めてくれない」とか言いますよね。でも、何かおかしいなと思うのです。私たちは、報われるために努力をしているのでしょうか。誰かに褒めてもらうために頑張っているのでしょうか。
うまく表現できませんが、自分が成すことは、それをする機会、させていただく機会をいただいているからこそ、身をもって物事を成すということができるのだと思うのです。
「子どものために頑張っています」ということも、私の想いに先立って子どもがいてくれるわけです。「この仕事を成功させたい」ということも、私に先立って仕事があるわけです。成功させて成果を収めたいと思わせてくれる人がいてくれるわけです。「人のためになることをしたい」ということも、私に先立って人がいてくれるわけです。
余談ですが、「幸せ」の意味をご存知ですか? 本来は「仕合せ」と書きます。「仕に合う」ことが「幸せ」ということなのです。「仕に合う」とは、「この人に仕えたい(仕えてよかった)」と思える人に出遇うことです。それが「幸せ」なのだそうです。自分の欲望が叶うことや快適な人生が幸せなのではありません。そのことが幸せに結びつかないことは、昨年の原発の事故によって思い知らされたはずです。「この人に出会えてよかった」と言える人との出遇いにおいて、幸せはもたらされるのです。たとえ困難な状況に変わりはなくても。その、「この人に出会えてよかった」と言える人との出遇いも、私の想いに先立ってあるわけです。
自分の力を尽くして(努力して)、天命(ご褒美)を待つのではありません。私が、私の成すことを安心してできるのは、すでにして、縁を生かされているから。報われることを期待する必要もないのです。すでに報われた中を生きているのですから。
「私が、私の成すことを出来る」のは、すでに温もりに抱かれて、この生(いのち)を生きているからです。子どもが公園で思いきり走り回って遊べるのは、自分のことを想ってくれている親の愛情があるからです。走り回っているとき、わざわざ愛情のことを思っているわけはありません。でも、その愛情に包まれて生きている大前提があるからこそ、思いっ切り遊べるのです。私たちも、すでにして温もりに抱かれているからこそ、思いっきり生きることができているのです。そのような意味が、「天命に安んじて、人事を尽くす」には込められているのではないでしょうか。
ベニシアさんは、講演会などで話す機会に、聴衆に問うそうです。「自分のいのちがあと一週間しかないとわかっていたら、何をするんですか?」と。「たぶん、景色がいい場所に行きたいとか、自分の家で家族と過ごしたいとか思いますよね。その最後の一週間にしたいことは、今でもできることでしょう。それが丁寧ってことだと思うんですよね」
あらためて何かをしようと思い立つことが「丁寧に生きる」ことではありませんでした。自分で思い立つよりも先に、すでにしてある人々や物事。その出遇いの中を生かされている現実が「仕合せ」なこと、「丁寧に生きる」ということなのでした。その気付きの中で、今でもできることを尽くして生きましょう。

   

Dsc_0525_3
今月の人形はETO12(干支12支)です。
センターは龍です。

2012年1月 5日 (木)

おさるのジョージ

幼い子どもがいると、Eテレをよく見ます。
小さいときに好きだった絵本「おさるのジョージ」が、今Eテレでアニメで放映されています(絵本の題は「ひとまねこざる」でしたか)。
ジョージは人間の友達(飼い主)「黄色い帽子のおじさん」との生活の中で様々な問題を起こすのですが、黄色い帽子のおじさんを始め、周りの人々・動物の友達の温もりに包まれて、のびのびと生活しています。起こした問題も、結果的にうまくまとまってしまうのも微笑ましいです。娘たちも好きで、いろんなアニメを録画していますが、ジョージは飽きずに見ています。
ジョージの行動は、二歳児の行動に似ています。最近しっかりしてきたとはいえ、たまに突拍子もないことをする長女を見て、「仕方ないね」と妻と笑ってます。

ジョージがまたやらかしました。黄色い帽子のおじさんお気に入りの、購入したばかりのジュウタンに、ブドウジュースをこぼしてしまいました。おじさんの留守中に、ジュースのシミを消そうと、ジョージはありったけの洗剤をかけます。たくさんかけたほうが、きれいになるから。そのシーンを見て、妻がつぶやきます。「誰かさんみたい」
私も、洗剤やら歯磨き粉を適量以上に使っていました。そのほうが綺麗になりそうだから。結婚してから、妻に注意されました。「適量があるんだから」
おかげで、洗剤の使用量が減りました。まさに環境汚染でした。40歳も、ジョージと変わりありませんでした。
何事も適量がありますね。お酒も。お正月に飲み過ぎませんでしたか?

ちなみに、ジョージはホースで家の中に水をまき、家中ビショビショにしてしまうのでした。おじさんお気に入りのジュウタンとともに。おじさんがジョージを探す叫び声とともに、そのお話は終わりました。

2012年1月 4日 (水)

駅伝と掲示板と美術館と

箱根駅伝、東洋大は強かったですね。柏原選手の山越えの走りも見納めかと思うと、淋しくも感じました。勝って当たり前のように言われるけれど、かなりつらかったことと思います。そんな中、記録を更新するのですから、驚きです。

柏原選手が、芦ノ湖にある5区ゴールに駆け込むところで、ある一点を注視していました。
真宗大谷派東京教区では、門徒さん宅の壁や塀に掲示板を設置させていただく事業を実施しています。掲示板を設置し、教区より渡される「ことば」を、その門徒さんチョイスで貼ってもらうのです。
箱根駅伝往路ゴール間近の門徒さん宅に、その掲示板が設置されているのです。テレビを見ていて、柏原選手がガッツポーズをしながらゴールを目指す頃、その掲示板はしっかり映っていました。「そんなとこ見てたのかよ」って突っ込まれそうですが、つい注視してしまいました。

門徒宅掲示板が何処に設置されているか全く知らずに、2年ほど前、箱根を旅しました。芦ノ湖にさしかかり、「ここらへんが駅伝の往路ゴールだよね」などと友人と話しながら歩いていたら、見本で見覚えのある掲示板が目に飛び込んできました。
さっさと芦ノ湖に歩いていく友人を横目に、一人感動し、写真を撮ってしまいました。そこにあるとは知らず、実際に門徒さんのお家に設置されていたので、けっこう感激したのを覚えています。
芦ノ湖に行かれた際は、掲示板を探してみてください。
それから、成川美術館もお薦めです。

2012年1月 3日 (火)

マルマルモリモリ

昨日今日と一挙再放送されていた「マルモのおきて」を見ました(リアルタイムでは見られなかったので)。
亡き友人の双子の子どもを引き取り、悪戦苦闘しながらも一生懸命に育てるマモル(独身・・・子どもたちはマルモと呼びます)。子どもたちとの暮らしは、かけがえのないものとなってゆきます。しかし、彼は、子どもたちを実の母親に託す決断をします。
別れのシーン、私も妻も長女も、涙を流しながら見ていました。すると突然チャンネルが変わりました。振り向くと、テレビのリモコン大好き次女がリモコンをしゃぶっています。家族の叫び声のなか、リモコンを返してもらい、チャンネルを戻します。

子どもがいれば、やりたいことが出来なくなるという意味では、不自由なのかもしれません。しかし、マルモにとって、子どもたちとの生活は当たり前のものになってゆきます。
奥さんが妊娠し、「子どもが生まれたら自由が奪われる」と、マジ凹んでいる友人に見せたいドラマでした。

「幸」という漢字は、「手かせ(刑具)」を表しています。刑を受けている状態からの解放が「幸せ」ということだと聞いていましたが、刑を受けている状態(束縛されている状態)こそ、「幸せ」ということなのではないかと感じました。

面白いものです。日本人が好きな「幸せ」も「絆」も、「手かせ(刑具)」や「馬の足をつなぎ止めておく紐」を表しているのですから。
子どもや家庭や仕事に自由を奪われ(と、思っているだけのことなのですが)、義理や人情や世間体の中で生きているからこそ、「幸せ」を感じ、「絆」を形成できるのですね。

2012年1月 2日 (月)

新年早々

娘ふたりの体調が悪く、下の娘の熱が上がってきたので、近所の年末年始も開いている病院へ。病院から帰り、薬をあげたら落ち着きました。病院も薬局も開いていてくださって助かります。ありがとうございます。
年賀状も、2日にも配達してくださるのが定着しましたが、大変なご苦労だと思います。ありがとうございます。
宅急便も、送らねばならないものがあり、集荷に来てもらいました。助かります、ありがとうございます。
年始とはいえ、たくさんの人が働き、そのおかげで生活させていただいているのですね。感謝です。
余談ですが、お寺も年中無休です。

2012年1月 1日 (日)

明けましておめでとうございます

年賀状を、娘と一緒に見ていたら、「ハクがいっぱいだねぇ」と喜んで言いました。龍はすべてハクだそうです。(千と千尋の神隠しより)

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