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2011年12月13日 (火)

生きている証

西蓮寺で長いことお世話になっている方がお亡くなりになられました。12・13日と、西蓮寺にてご葬儀が営まれました。
お亡くなりになられたのはご主人。喪主は奥様。そのご長男は、私と同級生です。同じ幼稚園に通っていました。小さい頃は、よく遊んだものです。
     
13日、出棺の折、ご長男が参列者に対して謝辞を述べられました。ご家族内の温かい関係性を感じる挨拶でした。普段は、「俺、いい加減だからさぁ」などととぼけるのですが、父の死を受け止め、その想いを自分のことばで表現していました。立派でした。
     
僧侶は、葬送の場に数多く身を置きます。いろいろな場面に直面します。様々な想いが湧いてきます。
僧侶として生きる、寺に生まれる縁をいただくということは、「こいつは、そういう場に身を置かせないと、なんにも感じない人間になってしまう」という、仏からの嘆きの計らいをいただいているのだと思います。
友人の姿、ご家族の姿を眼に焼き付け、お送りいたしました。
   
ご葬儀の片づけが終わり、お内仏で御夕事を済ませ、「会葬御礼」を読ませていただきました。
驚きました。「会葬御礼」は、ご葬儀の準備でご遺族はバタバタしています。出来合いの文章に、故人のお名前と亡くなられた日にち程度を入れたものになってしまいます。
しかし、奥様のことばが綴られていました。
「人様の愛によって生かされた人生だった そのことを感謝している どうか『愛』と『感謝』を忘れないように…」というご主人の遺されたことばとともに。
  
人をお送りするということは、そこに、人がいるということ。
お亡くなりになって終わりではない。いただいた愛・出会えた感謝が、これからもずっと有り続ける。
ご主人の生きてきた証が、「会葬御礼」にギュッと詰まっていました。
「会葬御礼」を供え、あらためてお内仏のご本尊に手を合わせました。
南無阿弥陀仏 

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