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2011年12月11日 (日)

淋しい金魚

今朝、金魚がお亡くなりになりました。
夏祭りの縁日で、金魚すくいですくってきた金魚でした(100円で2匹すくってきたのに、飼育セットに5000円ほど使ってしまいました)。
 
4ヵ月ほど経ち、大きくなりました。でも、一匹が、最近元気がないなぁと思っていたのですが、いのち終えてしまいました。
ご飯をあげるときに、いつも一緒に見ていた長女に、「金魚さん、死んじゃったよ」と教えてあげました。
内心、2歳児はどんな反応をするんだろうとドキドキしていました。
「じゃぁ、またおまつりにいって、きんぎょさん もらってこなきゃ」と、娘は言いました。
そうきたか、と思いつつ、私なりに「死んでしまった事実」を説明し、土に埋めて、一緒に手を合わせました。

そのときの反応も面白かったです(「面白い」というのも不謹慎かもしれませんが)。
土に埋めて、手を合わせていると、「これから出てくるの?」と娘は言うのです。
私は、「?」(どういう反応だ?)と思ったのですが、妻曰く、「死の概念がまだない幼い子は、植物が芽を出すように、土に埋めたものがまた出てくるように思うんだって。ミホもそう感じたんだよ」
なるほど
このようなことを繰り返して、死を学んで(感じて)ゆくのでしょうね。
     
朝食時、一匹だけになった水槽を眺めながら思いました。
残った金魚は何を感じているんだろう。「広くなったなぁ」かな。「もう一匹はどこいったんだろう?」かな。「餌の取り分が増えたなぁ」かな。「淋しいなぁ」かな。
なんて、頭の中で考えていたら、涙ぐんでしまいました。ほんのちょっとね。淋しいものですね。

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